22.男子の時間
第三者視点
カナエに茶室が用意されて数日。今まで魔王の執務中、彼女自身は部屋でベーゼアと大人しくしていることが多かったが、茶室が出来てからは魔王が戻るまで魔神たちと茶を楽しんでいる。カナエが楽しそうにしていることは勿論、それは魔神たちにも様々な影響を与えているようだ。特に今日は、魔神の女性陣がこぞってカナエの茶室に赴いていた。
一方、アロイジアはこの日、珍しく研究室にいた。普段は独特の雰囲気から、中々足が向かない場所である。しかし、エミリエンヌが茶室に招かれている今、研究室の者へ薬草を運ぶ役目はアロイジアに任されていた。……はずなのだが。
「はっはっは!我輩の素晴らしき進化魔法を喰らうがいい!」
「ちょ、待てコラ!何だよそのバケツ!」
足が向かない理由、それはここの魔神共が研究に情熱を傾けすぎている所為もある。所属している魔神の性格が少々変わっているということも、足が遠のく大きな要因ではあるのだが。
「くすくす……、わたくしたちの色に……、染めて差し上げよう……」
「この色ならば、強そうに見えるからな。ま、進化だろう」
トゥオモが高らかに笑いながらアロイジアに迫る様子を、ヴラチスラフとフェンデルは止めようともせず眺めている。アロイジアも、二人に頼ることを最初から諦めているのか、一人でトゥオモに対抗していた。
「おいおい、このインク、持続の術式が組んであるからすぐに落とせねーって言ってなかったか!?」
「当然さ!我輩とヴィーとフェンが力を合わせれば、三日間持続も容易いのだよ!」
バケツを構えながら胸を張るトゥオモに、アロイジアは目を剥いた。トゥオモの構えるバケツに溜められたインクは、前に球体タイプで作成していた対象染色インクの原液だ。しかも、何故か黄金色に輝いている。
「くす……、しかし……、今までは実験をわたくしか物に掛けるのみで終わらせていた……。物は無論……、わたくしはどちらかと言えば日中……、激しく動くことが少ないので……、あまりいい実験体ではないので……ね……」
「これ被って動けっつーのか!」
「そうだな。まあ、貸しを返すと思え」
フェンデルはイガグリ頭を撫でて、にやりと笑う。
「そのインク、陛下も奥方様もお喜びであったであろう?グスティもようやったわ」
「ぐっ……!」
「はっはっは、隙あり!」
フェンデルの言葉に怯んだ隙をついて、トゥオモがバケツを傾けた。ばしゃ、と派手な音を立ててアロイジアが頭からインクを被る。
黄金のインクはアロイジアに掛かると、水のように流れることなく服や体に染み込んでいった。その、派手な金の色だけを残して。薄暗い研究室では、これでもかと存在感を放って輝いている。
「げほっ……!てめっ……!」
「さて、フェン!ヴィー!準備はよいな!楽しい楽しい計測を始めようではないか!」
「おう、そうだな」
機械仕掛けの時計のネジを巻いて、フェンデルは頷く。アロイジアは黄金に輝く自身の体を見下ろして、こめかみをひくつかせた。
「マジかよ!俺、これからグスティとナッジョと鍛錬すんだぜ!?」
「あっはっは、それはいい!ヴィーはあまり汗をかかないからな!たくさん鍛錬したまえ!日が暮れても鍛錬をしたまえよ!」
「わたくしは体質ですので……。では……、経過観察しましょうか……。持続時間と……、汗まで染まるか……」
ヴラチスラフは机上にあったファイルを手にすると、アロイジアを案内するように研究室の扉へ向かう。アロイジアは、黄金に光り輝く手をヴラチスラフに伸ばした。しかし、薄暗い研究室の中で影に混じるヴラチスラフは捕まえられず、ひらりと宙を掻いた。
「さ、行くぞ、若造」
ダメ押し、とばかりに、フェンデルがアロイジアの肩を勢いよく叩いた。アロイジアは恨みがましい視線をフェンデルたちへ向ける。この三人は駄目だ。端から話が通じるような相手ではない。しかも、自分たちの研究に関しては、一切の妥協を許さない連中だ。話す余地も無い。
重々しく歩き出したアロイジアの足は扉から差し込む光を受けて、追い打ちをかけるかのようにキラキラと輝いていた。
◆◇◆◇◆◇
アロイジアが向かった鍛錬場は、グステルフとナッジョがよく使っている方のものだった。そこには、何故かノエとミスカもいる。
「あー!アーロだ!」
「きんぴかのアーロだ!」
「なっ、んでお前らがいるんだよ!」
駆け寄ってくる双子に逃げ腰になりながら、アロイジアが尋ねる。ノエとミスカは顔を見合わせて笑った。
「お仕事だよ!」
「お仕事お仕事!」
笑いあう二人の周りを、大人の掌程度の大きさをした精霊たちが舞う。まるでアロイジアに対抗するように、精霊たちは自身の周りを彩り始めた。数秒もしないうちに、ここが鍛錬場とは思えぬ程、目に鮮やかな空間となった。
「おーい、アーロ……、ってオイ!何だよ、こりゃあ!」
やってきたナッジョが声を上げる。隣に並んでいたグステルフも、目を見開いて硬直していた。
「やあ、グスティにタコ頭!我輩の華麗なる実験場へようこそ!」
「……いつからここは吸血鬼の実験場になった?」
グステルフは手にしていた大剣を無造作に薙いだ。その風圧で、ノエとミスカの精霊が散っていく。
「何するの、グスティ!」
「酷いよ、グスティ!」
散った精霊を追いかけるように、ノエとミスカは鍛錬場を出て行った。それを視界の隅に収めながら、グステルフが口を開く。
「自分は、鍛錬をするつもりでここへ来たのだが」
「そのついでに、儂どもの研究を手伝ってもらおうと思ってな。若造は眩しいだけで何も変わっとらんよ」
「……そうか」
フェンデルの言葉に、グステルフはあっさりと頷いて大剣を納めた。彼は宴の件でフェンデルに借りがある。義理堅く生真面目なグステルフは、フェンデルの言葉に従うようだった。アロイジアは、諦めるように溜め息をつく。
「しょうがねーな。このまま鍛錬するか」
「それがいい……。諦めも肝心……、だからね……」
「お前が言うな、お前が」
口元だけで笑うヴラチスラフに文句を言って、アロイジアは腰元に折り畳んで括っていた槍を手にした。あのインクがかかったらしく、槍まで黄金だ。心底げんなりとして、アロイジアは槍を構える。合わせて、グステルフも大剣を構えた。
「そうそう、一つ賭けをしてはどうかな?」
向かい合う二人に、フェンデルが声を掛ける。その背後には、いつの間にかノエとミスカがいた。グステルフから隠れるように、フェンデルの足を掴んでいる。
「負けた方が、陛下へ報告書を提出しに行く。この双子を連れてな」
「……自分は構わないが」
「つーか、それって俺に負けろっつってるようなもんじゃねーか」
「勝てばよかろう」
くつくつと意地の悪い笑みを浮かべるフェンデルに、アロイジアはひくりとこめかみを揺らした。
「上等じゃねーか。手加減なしで行くぜ、ぐっさん!」
「……来い」
まるで自身の一部のように槍を振り回して飛び掛るアロイジアを見て、フェンデルは呟く。
「この程度で振り回されるとは、まだまだケツの青いガキだな」
その呟きを近くで聞いていたヴラチスラフは、長い髪の毛で顔を隠しながらもくすくすと笑んでいた。
◆◇◆◇◆◇
「ふむ。……やはり乱れておるか」
ジラルダークは報告書に目を通しながら口元に手を当てた。提出された報告書には、ノエとミスカの調べたこの世界にいる精霊の動向が記載されている。じっくりと書類を吟味するジラルダークに、ノエとミスカが手を上げた。
「ニンゲンが無理矢理精霊を使う方法を見つけたみたいです!」
「でも、代償としてニンゲンは命を取られるんです!」
「成程な。贄を使って攻撃してくる可能性もある、と」
口元に手を当てたまま、ジラルダークは呟く。ニンゲンが悪魔に攻め入る際、充分な力となりうるそれは、魔王としては見過ごせない懸念材料だった。ここ数十年は小さな争いのみでさして気にも留めていなかったが、ニンゲン側に牽制の意を込めて、魔王として動く必要があるかもしれない。
そんな至って真面目な空間に、キラキラと眩しい男が一人。気配を殺して置物のように振舞っているアロイジアだ。ちなみに、観察係のヴラチスラフはアロイジアの影の中にいる。
「報告ご苦労だったな、ノエ、ミスカ。引き続き調査を続けよ」
「はい!」
「分かりました!」
元気よく返事をした双子に頷いてから、ジラルダークは視線を動かした。その先には、銅像のように動かないアロイジアがいる。
「……我は、お前に何か言った方がいいか、アロイジア」
「いえ……」
「うむ。とりあえずは、労おう。研究も報告を待っているぞ、ヴラチスラフ」
ジラルダークの言葉に、畏まりまして……、と影の中から声が聞こえてくる。アロイジアは、居た堪れないような妙な気持ちになりながら俯いた。
金色にされるわ、グステルフに負けるわ、散々な一日だった、と後にアロイジアは嘆いたという。




