おまけ.チョコレートの誘惑
ジラルダークとお散歩がてらジャパン領に行ってきた。そしたらバレンタインフェアをやってたんだよね。日本でも有名なお店の新作チョコを買って、ほくほくで悪魔城に帰ってきたのだ。勿論、みんなへのお土産も忘れてない。甘いの好きな人にはチョコを、甘いの苦手な人にはお煎餅を買ってきた。みんなで摘まんでね、と出迎えてくれたベーゼアとエミリエンヌに渡す。
「よ、久しぶりだな、姫様」
「あれ、カルロッタさん?どうしてここに?」
首を傾げると、カルロッタさんはにんまりと笑って恭しく頭を垂れた。
「偶には、偉大なる魔王陛下と姫様のご尊顔を拝もうかと思ってな」
「どうせまた、リータを怒らせたのでしょう?それで逃げてきたのですわ。陛下、とっとと送り返してくださいまし」
「そう言うなって。ホレ、オッサンの領民から貰ったチョコあげるから」
辞退する間もなく、カルロッタさんにチョコを押し付けられてしまう。返そうとしても、カルロッタさんは領地に送り返されるのを避けるためかスタコラサッサとお城の中に引っ込んでしまった。
「こういう時だけはよく動く奴だ」
溜め息交じりに、隣に立っていたジラルダークが首を振る。それから、指先を青く光らせて口元に当てた。
「……そのうち、トゥオモが送り返すだろう。ベーゼア、エミリエンヌ、必要があればリータに連絡をしろ」
「御意に」
「かしこまりましてございますわ」
頷いた二人を確認して、ジラルダークが歩き出す。毎度のことながら抱っこされてる私も、二人を見送った。
ジャパン領で夕飯を済ませてきたから、お風呂の用意しないとな。あ、でも、その前にデザートでチョコ食べようかな。どれも美味しそうだったんだよね。
「あ、カルロッタさんに貰ったチョコ、どうしよう」
「ん?」
「綺麗な包装だし、きっとカルロッタさんに食べてもらおうって渡したんじゃないかなぁ」
「……どうだろうな。ああ、カードが付いているぞ。読んでみてはどうだ?」
言われて気付く。確かに、包装紙に挟み込むようにカードが付いていた。読んじゃってもいいのかな。ええと、……え。
「何と書いてある?」
「…………は、白紙です」
ジラルダークに見えないように握り潰して、私は首を振る。ジラルダークはそうかと頷いて、私たちの部屋へ歩を進めた。部屋へ戻ってきて、私はチョコをしまったりするから先にお風呂に入るよう、ジラルダークに勧める。歩いて汗をかいたせいもあって、ジラルダークはすんなりとお風呂へ向かってくれた。
カードは白紙なんかじゃなかった。くっしゃくしゃになったカードを開くと、綺麗な文字でメッセージが書いてある。
『オッサン御用達媚薬入りチョコだぜ、姫様☆これ使って、魔王陛下の足止め頼む』
な、なんちゅうものを渡してくるんだ、カルロッタさん!足止めも何も、もうジラルダークはトゥオモさんに指示しちゃってるよ!多分もう、カルロッタさんは領地へ返送済みだよ!ついでにこんな劇物、回収してってよ!
どうすりゃいいのよ、こんなもの!ジラルダークに分からないように捨てる?でも、多分、見つけるよなぁ、魔王様。何で捨てたんだって調べちゃう気がする。そしたら、媚薬入りチョコだなんて危険物を魔王様が手にしちゃうってことだ。私に食べさせてくるか、……いや、天然な魔王様のことだ、毒物食べられるからとか言って自分で食べちゃうこともありえる。それで万が一、媚薬なんて危険物が魔王様に効き目があった日には……。
思い至って、私はぶるぶると震える。いかん。それは私が真っ白に燃え尽きる未来しか想像できない。
いっそ私が全部食べて処理する?いやでも、私に毒物耐性なんてない。媚薬なんてものも、食べたことも飲んだこともない。さすがに口にするのは怖いなぁ。
「カナエ?」
「ひょええっ!?」
チョコを手に考え込んでいたら急に声をかけられて、私は悲鳴を上げて飛びのく。振り返ると、目を丸くしたジラルダークがいた。そ、そりゃそうだよね。声かけただけなのに悲鳴上げて逃げられたら驚くよね。
「ご、ごめん、ぼーっとしてて、すごいびっくりしちゃった」
「いや、急に声をかけてすまなかったな」
慌てて謝ると、ジラルダークは微笑んで首を振ってくれた。それから私の手元に視線を下げる。思わず、ジラルダークの視線から逃がすように媚薬入りチョコを背中に隠してしまった。私の仕草にきょとんとした顔をした後、彼は何かに気付いたようにくつくつと喉を鳴らして笑った。
「つまみ食いか?」
「ち、違っ……!ど、どれ食べようか迷ってただけ!堂々とね!」
「そうか」
楽しそうに笑いながら、ジラルダークが近寄ってくる。きっと私がチョコを食べるなら、一緒に食べようとするだろう。まずい。このチョコは駄目だ。買ってきた方を食べるようにしないと……。
「それで?どれにするか決めたのか?」
「ま、まだ迷い中!」
「ふふっ、そう隠さずとも、お前の気に入ったチョコに手は出さんぞ」
く、食い意地と勘違いされた!何たる不名誉!いやしかし、今はこのまま誤解しててもらった方がいいかな……。
「それほど気に入ったのならば、カルロッタにもっと持たせようか。どの味がよかったんだ?」
「へっ!?」
「背に隠したのは、カルロッタの持ってきた物だろう?」
ああ、ジラルダークの無垢な視線が痛い。私が気に入ったからもっと貰ってきてあげるって純粋な好意で言ってくれてるからもう、良心がミシミシと痛む。だがしかし。だがしかし、だ。私がこのチョコを気に入ったとカルロッタさんに伝えた場合、とてもよろしくない誤解が生まれる。魔王様は知らないけど、私とカルロッタさんは知っている。このチョコには媚薬が入っていることを。気に入った、なんて言おうものなら、カルロッタさんのことだ、とてもとても面白がってくださるはずだ。媚薬入りチョコ以上の爆弾や劇物を持ってきそうで怖い。
「も、もうちょっと味見してから決める……」
私はジラルダークから、つつつと視線を逸らして言う。ジラルダークは少し首を傾げて、そうかと頷いた。ああ、絶対に不審に思われてる。けど、追及してこないのは魔王様のやさしさだ。魔王様がやさしさだけでいてくれるうちに、このチョコ何とかしないと……!
「風呂はどうする?もう少し休んでから入るか?」
そうだ!それだ!お風呂場に持ってって溶かして流しちゃえ!
「う、ううん!すぐに入っちゃうね!」
首を振って微笑むと、ジラルダークは頷いて手を出してくる。な、なぬ……?
「チョコは冷やしておいてやろう」
そりゃそうだ!馬鹿か私は!普通に考えて、チョコ持ってお風呂場に行くアホがどこにいるんだ!一旦、ジラルダークに預ける……か?さすがに、これだけ私が気に入ってるんだって言ってたらつまみ食いはしないし、ちゃんと取っておいてくれるだろうけど……。
「……そんなに気に入ったのか?」
チョコを渡さない私に、ジラルダークは不思議そうに首を傾げた。ど、どうする?!お風呂場で食べたい、とかさすがに怪しすぎるよね。私は、渋々と背中に隠していたチョコをジラルダークに渡す。
「食べちゃダメだからね!絶対だからね!」
「ああ、大丈夫だ」
ジラルダークは苦笑い混じりに頷きながら、私からチョコを受け取った。とりあえず、お風呂に入ろう。で、あのチョコの処理をゆっくり考えようそうしよう。
そう考えて、私はお風呂に入った。湯船につかりながら、さてどうしたものかと内容量の少ない頭を傾ける。とにかく、ジラルダークが食べないように気を付けないと。このまま冷蔵庫にでもしまっておいて、明日、魔王様のお仕事中にこっそり捨てようかな。私が気に入ったって誤解してるから、ジラルダークは食べない、はずだ。で、全部私が食べちゃったんだよって言えばいい。そして、思ったよりも味は普通だったから、カルロッタさんには追加をお願いしなくてもいいよ、とでも言えばいい。うん、それがいい。それで、万事解決だ。
「ふう……」
うん、よかったよかった。これで安心して眠れる。
私は湯船に顎まで浸かってうんうん頷いた。そろそろ出ようかな。考え事してたせいでのぼせてきちゃった。
ちょっとくらくらしながらお風呂場から出ると、ジラルダークがお水片手に迎えてくれた。長風呂だったから、のぼせてやいないか心配してくれてたらしい。か、過保護だなぁ、もう。
「ほら、水を飲むといい」
「ありがと」
ジラルダークからお水を受け取って、ごくごくと喉に流す。ああ、美味しい。ぷはっ、と息を吐くと、ジラルダークがおかしそうに笑いながら何かを差し出してきた。ガラスの器に、綺麗なチョコが2粒乗っかっている。
「良く冷やしたチョコレートだ、食べるか?」
「うん!」
ホント、気の利く旦那様だ。ありがたく受け取って口の中に入れると、アイスのように冷たいチョコが甘く溶けていく。美味しいなぁ。ご機嫌でチョコを食べる私を、ジラルダークはじっと見ている。もう一個あるから、ジラルダークも食べるといいのに。
「ジルもどうぞ?」
そう思って声をかけると、ジラルダークは笑いながら首を振った。
「ん?いや、言っただろう。お前の気に入ってるチョコには手を出さんよ。二つとも食べるといい」
「うん……、ん、え?」
え?……ちょっと待った。このチョコって、今食べたチョコって、まさか……?
「しかし、そうも美味そうに食べていると気にはなるな」
そう言いながら、ジラルダークがお皿の上のチョコを摘まむ。うわわわわ!まずいまずいまずい!
「ちょ!ちょっと待った!いや、食べてもいいんだけど食べちゃダメって言うか、やっぱダメ!」
「ククッ……、冗談だ。ほら、カナエ」
慌てる私に、ジラルダークは笑いながら摘まんだチョコを差し出してくる。食べさせてあげるから口を開けろってことらしい。ふ、二粒……。媚薬入りチョコを二粒……!大丈夫、だよね……?これ、血圧上がりまくって心臓ストップしちゃわないよね……?
「カナエ?」
不思議そうなジラルダークに、私はヤケクソな気持ちでチョコレートを口に含んだ。冷たいけど、甘いけど、美味しいけど、内心冷や汗まみれでそれどころじゃない。無理矢理水で流し込んで、私は息を吐いた。
「大丈夫か?」
「う、うん。ちょ、ちょっとのぼせちゃったみたい」
今のところ、不安と緊張感ばっかりで、特に体に異変はない。このまま……、このままできれば何事もなく終わってくれ!
「少し横になるか?もっと水を持ってこよう」
「あ、あはは、ごめんね?」
休んでれば大丈夫。うん、きっと大丈夫さ。媚薬なんて、そうそう効くもんじゃないさ!ジラルダークには悪いけど、今日はのんびり休ませてもらおう。
なんて、呑気に考えてた時期が私にもありました。
「…………っ」
ナニコレ。何なの、これ。どうしよう。心臓バクバクするし、何か全身くすぐったいし、へ、下手に動けない……!
「カナエ、どうした?」
心配そうに、ジラルダークが覗き込んでくる。私はベッドで横になったまま、必死に首を振ってみせた。大丈夫、多分、大丈夫。時間が過ぎれば、無くなる、はず……!
「カナエ……?」
「ひあっ!?」
さらりと髪の毛を撫でられて、その感覚に変な声を出してしまった。慌てて口を押えて、ちらりとジラルダークを見上げる。驚いたように目を見開いていたジラルダークは、不審そうに眉を寄せて私を見下ろした。
どうしよう、どうしよう。体、変だし、ジラルダーク、絶対、変に思ってるし、ああ、もう、考えがまとまらない。
「ジル、どうしよう、ジル……」
必死に彼に縋りついて、ジラルダークの顔を見上げる。ジラルダークは私を落ち着かせようとしてだろう、背中を撫でてきた。けど、彼の手が体に触れるたびに変な声が出てしまう。抑えられない……!
「やだ、こんなの、やだっ……、たすけて、じる……!」
「!」
混乱する思考の中で必死にジラルダークに助けを求めて。
────どうなったのかは、ご想像にお任せします。
「媚薬も偶にはいいな。抗えずに乱れるお前はとても愛らしかった……」
「言うのも反芻するのも禁止!もう、記憶から消してー!」
私の黒歴史が一つ増えた、とだけ言っておこう……。
おしまい。




