10.二十年目の夫婦
ジラルダークにたくさん質問をして、ジラルダークの考えてることを教えてもらったら、いつの間にか胸のもやもやは消えていた。それよりも、ジラルダークが自分のことに無頓着すぎて驚いたくらいだ。元々が王子様で、自分のことよりも国や立場を優先させるように教育されてたのもあるんだろうけど……。ううん、どうにも、魔王様は素で天然な気がしないでもない。だって、腐ってるものとか毒のあるものとか食べても、刺激強くて臭いからあんまり好きじゃない、だなんて感想が飛び出てくるって、天然以外の何物でもないだろう。
「あれ?イザベラさんは、ヴァッシュと仲良しになったんだ?」
執務室でいつものように魔王様の膝の上に抱えられて報告書を読んでいたら、不思議な一文を見つけて首を傾げる。大介くんからの報告だ。イザベラの滞在期間を延ばす旨、陛下の許可が欲しい、ヴァシュタルとの交際は概ね順調だから私から陛下に口添えしてほしい、って、マジか。そっちにいったのか、イザベラさん。
「そのようだ。ダイスケが面白がって手を出し……貸しているようだから、まぁ、なるようになるだろう」
な、投げやりだなぁ。呆れてジラルダークを見ると、どうでもいいと言いたげに鼻で笑っていた。
「あの犬でも、ニンゲン同士の駆け引きに使える。駄目ならば、今度こそガルダーを落とせばいい」
「もう、やけくそにならないの」
ぺちりと音を立ててジラルダークの額を叩くと、魔王様はにんまりと口元を吊り上げる。叩かれて喜ぶな。ドMか、魔王様。
「これで、ガルダーの王女と婚姻でも結べば、万が一にもあの犬がお前に懸想することはなくなるわけだ。全く、喜ばしいことこの上ない」
「動機が不純極まりないです、魔王様」
じとりと彼を睨んでも、ジラルダークはご機嫌なままだ。ヴァシュタルが私に、ってそんなことあるわけないのに。私を選ぶもの好きは、この何もかもヘンテコな魔王様だけだ。私の脳天に頬っぺた擦り寄せてご満悦なポンコツ魔王様だけだ。
「情けないことに、見ている分にはこちらの方が安心してしまいますわね……。カナエ様に、あれはやきもちでしたのよとお伝えした方がよろしいかしら」
エミリエンヌが呆れた眼差しを向けながら、ぼそりと何か呟く。上手く聞き取れなくて首を傾げると、何故か魔王様の手が私の耳を塞いだ。何だ何だ?見上げても、魔王様がエミリエンヌを睨んで、エミリエンヌが絶対零度の視線を魔王様に向けてるだけで、よく分からない。
「ジル?」
尋ねると、ジラルダークは私の耳を解放して頷いた。
「ああ、今日の仕事はここまでにしよう。領地の天候は落ち着いている。重大な報告もない。後は、エミリエンヌが引き受けるそうだ」
「へっ?」
急な提案にエミリエンヌを見ると、彼女はにっこりと微笑む。ど、どっちだ……?このエミリエンヌの微笑みは、どっちの意味なんだ……?
「久しぶりに城下を飛んで散歩しようか。ああ、それともジャパン領に遊びに行くか?」
うきうきと聞いてくるジラルダークと微笑んだままのエミリエンヌを見比べて、私はどう答えたものかと口元を引き攣らせる。そのうち、はぁ、とエミリエンヌが息を吐いた。根負けしたかのように首を振って、今度はやわらかな笑みを浮かべる。
「どうぞ、いってらっしゃいまし。偶には、私もお二人を甘やかしますわ」
「さあ、行こうカナエ。空中の散歩がいいか?それとも、街並みを見ながら歩こうか?」
な、何なんだ、二人とも。特にエミリエンヌ、何でこんなに私たちを甘やかしてくるんだ?何かあったのかな?
「ほら、カナエ様。早く決めないと、陛下が今にも飛び立ちそうですわよ」
「えっ、ええと、じゃあ、久々にジャパン領で遊びたい、かな……?」
言うが早いか、ジラルダークに横抱きにされて、私たちは執務室を飛び立った。次に目の前に現れた景色は、見慣れた大介くんのお屋敷だ。ボータレイさんがおかしそうに笑って待ち構えている。
「デートの準備ね、カナエちゃん。ダークは、ダイスケにでも見繕ってもらって。あっちの部屋にいるから」
「うっ……、は、はい……」
「ああ」
頷いて、ジラルダークはとっとと部屋を出て行ってしまった。ボータレイさんは魔法でいくつか洋服を用意しながら、くすくすと笑っている。
「仲直りできたみたいね?」
「そ、その節は、ご迷惑をおかけしまして……」
「何言ってるの。アタシは何もしてないわよ。ただ、元気のない友達を慰めただけ」
ね?と微笑んでくれるボータレイさんに、私も微笑み返した。ボータレイさんは私に洋服を合わせながら、こっそりと聞いてくる。
「で、ダークの好みは聞けたかしら?」
ボータレイさんの質問に、ジラルダークから教えてもらった答えや、あれやこれやを思い出して顔中に熱が集まるのが分かった。私の表情を見て、ボータレイさんは納得したように何度か頷く。
「しっかり聞けたみたいね。ウフフ、可愛いったら」
「もう、からかわないでください、レイさん!」
笑いながら撫でてくるボータレイさんに、私は唇を尖らせた。抗議する間にも、ボータレイさんは魔法で私に洋服を着せては替え着せては替えしてくる。春めいてきたとはいえ、領地にはまだ雪が残っているから、ふわふわしたファー付きのコートとサイドジップのブーツも用意してくれた。スカートよりはこっちね、とダメージスキニーを着せられる。
「そうそう。知ってた?ダークったら、カナエちゃんのドレスは、可愛いけど露出抑えめで、でも脱がせやすくてちょっと色っぽくて何よりカナエが気に入る物を、なんて無理難題ふっかけてくるのよ」
「へっ?!」
「ここ最近の話じゃないわ。だからね……」
つん、とボータレイさんにおでこをつつかれる。見上げると、ボータレイさんは目を細めて笑っていた。
「自信持って、カナエちゃん。アナタは可愛いし、アナタが誰よりもダークに愛されてるのよ」
ボータレイさんの言葉に、私は目を見開いた。何か、ボータレイさんに何か応えなきゃと思うのに、上手く言葉が見つからない。ぱくぱくと間抜けに口を開けたり閉じたりする私を、でも、ボータレイさんは穏やかに微笑んだまま見ていた。
「女を磨きたいっていうなら、いくらでも付き合うわ。けど、自分を抑えようだなんて思わないでね。そんなことしたら、アナタの旦那様が原因探して暴れまわっちゃうんだから。今のままでいいのよ。無理に変わろうだなんて、しちゃダメ」
ボータレイさんは、私の目を覗き込んで言う。私は、何も反論できずにただただ頷いた。頷いた私に、彼女は満足そうに笑った。
「用意は出来たか、カナエ?」
「乙女の準備は時間がかかるものよ、陛下」
着替えは終わってる、けれど、ボータレイさんは私の肩を抱いて悪戯に笑う。ボータレイさんの返答に、扉の向こうでジラルダークは留まったようだった。私はどうしたものかとボータレイさんを見上げる。ウフフ、と楽しそうに笑って、ボータレイさんは私のおでこにキスをした。
「いってらっしゃい。また女子会しましょうね」
「はっ、はい!ぜひ!」
頷くと、ボータレイさんは私から腕を離して扉の方へ視線を向ける。
「お待たせ、準備オッケーよ」
ボータレイさんが言い終わる前に、ジラルダークが扉を開けて入ってきた。何だろう。魔王様ってば、餌の前で待てしてたワンコみたいだ。
そして、毎度毎度、魔王様が洋服になるとイケメン度が増すなぁ。黒のダウンジャケットには、私が着てるコートと同じようなファーが付いていた。視線を下げると、色は違えど似たようなダメージスキニーと、これまた同じようなサイドジップのブーツを履いている。……これは、ええと、まさか。
「全部だとあからさまでしょ?ペ・ア・ルック♪」
「ちょ!何てことしてくれてんですか、レイさん!」
「カナエと揃いの服か。俺が着るのとでは、随分と印象が変わるな。ああ、とても愛らしい」
慌てて変えてもらおうとしても、何かテンション上がった魔王様に捕獲されてしまってそれは叶わなかった。
「大通りのほうは除雪も済んでるし、今はバレンタインのフェアもしてるから見て回るのにちょうどいいわよ。ペアルック、見せびらかしてらっしゃいな」
「さあ行こう、カナエ」
「せ、せめて、ズボンは別のものに……!」
私の必死の願いも虚しく、次の瞬間にはジャパン領の渋谷モドキの大通りに飛んでいた。ジラルダークは私を抱っこしたまま、機嫌よく歩き出す。ちょ、さすがに往来で抱っこは恥ずかしすぎる。
下ろせこんちくしょうめ、とジラルダークの頬っぺたをつねると、じゃあ代わりにと手を繋がれた。勿論、指は絡まってる。ペアルックで恋人繋ぎで、ってどんな羞恥プレイですか。恥ずか死ぬ。
暫くは顔も上げられなくて、でも私の手を引くジラルダークは何も言わずに歩いてくれた。何度か散歩したことある渋谷モドキの大通りは、今日も色んな世界から来た人で溢れている。私は、不意に香ってきた甘い匂いに顔を上げた。
「チョコレートの試食をしているそうだ。行ってみるか?」
顔を上げるとすぐ、ジラルダークが聞いてくる。ずっと私の様子を窺ってたんだろうか。過保護というか何というか。
「ジルは、甘いの好き?」
あの日から、ジラルダークに色々と尋ねてみるのが癖になってる。ジラルダークは面倒くさがりもせずに、私の質問に答えてくれた。
「ああ。…………を食べているようでな」
「?」
呟かれた言葉は、雑踏に紛れて消える。何を食べてるみたいなんだろう?首を傾げた私に、ジラルダークは目を細めて笑った。
「有名店の新作だそうだ。いくつか買って帰るか?」
ジラルダークが言いながら指さした先、一粒数百円とかする日本でもとても有名なお店の看板がある。え、マジか。こんなところに、あのお店あったのか。是非食べたい!
「うん!あ、ホットチョコレートもある!」
「ならば、それを飲みながら歩こう」
私の心が一気に傾いたのが分かったのか、おかしそうに笑いながらジラルダークが頷いた。私はジラルダークの大きな手を引いて歩きだす。
二十年、こうして彼と一緒に歩いてきた。これからも、一緒に歩いていきたいな。もっと、ちゃんとジラルダークのことを知りながら。
急ぐと危ないぞ、なんていつもの過保護っぷりを発揮する魔王様に、私は微笑んでみせる。
大好きで大切な魔王様。ずっとずっと、そばにいてね。
なんてこっそり願った、二十年目のある日のこと────。