8.后の嫉妬
ボータレイさんとエミリエンヌに招かれて、私とベーゼアはジャパン領に女子会しに来ている。魔王様は、お留守番だ。ついて来たそうにしていたけれど、どうしてだろう、今は少しだけ、ジラルダークから逃げたかった。だから二つ返事で頷いて、私は女子会にお呼ばれしたのだ。
「こういった食事会って中々できないでしょ?いい機会だと思ったのよ」
ボータレイさんに勧められた席に座りながら、私は確かにそうだと頷く。ガルダーについて、私が知っていることを聞きたいらしい。口実とは言っていたけど、そうだ、下手をすればまた戦争になるんだ。ちゃんとガルダーのことを話さないと。イザベラさんは悪くない。そう、ジラルダークに言わないといけないのに……。
「ほら、これも食べてみて。肉じゃがってニホンでもよく出る料理でしょう?うちのは、ダイスケの好みでちょっと甘辛なのよ」
「へえ、そうなんですか」
いただきます、と勧められるままに肉じゃがを食べてみる。確かに、私の知ってるものよりは甘味と、これは唐辛子かな?ちょっとピリッとした辛味がある。ご飯が進む味だ。
「味が濃いですわね。確かに、ダイスケの好きそうな味ですわ」
「カナエ様のお好きな肉じゃがは、もう少し抑えめの味でしたね」
「うん」
「アタシの国だと、こういうおかずは全部パンみたいな生地に包んじゃうの。だから、濃いめの味の方がいいのよね。そこのところは、好みが合ってよかったと思うわ」
好み……。
そう、ボータレイさんもエミリエンヌも、大介くんの好みを知っている。長い付き合いの中で、言うまでもなく分かっていることなんだ。ううん、数百年って長くなくたって、そうベーゼアですら、私の好みを知っている。じゃあ私は、ジラルダークの何を知ってるだろう。好きな色も、髪型も、料理も、女の子のタイプだって分からない。ジラルダークの奥さんなのに、だ。
考えるたび、胸の奥にもやもやとしたものが広がっていく。ジラルダークは私に会う前、どんな色の服を着る女の子が好きだったんだろう。どんな髪型の女の子が好きだったんだろう。その子の手料理食べたのかな。何が美味しかったのかな。……愛してるって、その子に言ったのかな。
ジラルダークに昔付き合ったことのある女性のことなんて聞けなくて、イザベラさんが聞いた質問をそのままジラルダークにぶつけてみたこともある。けれど、返ってくる答えはみんな、私に気を遣ったような答えばかりだった。深く問い詰めることが怖くて、あの日からずっと逃げたままだ。
「……ごめんなさいね、食事が口に合わなかったかしら?」
つい、思考に飲まれてしまっていたら、ボータレイさんに心配そうに覗き込まれてしまった。いけない、変な心配をかけちゃう!
「あ、いえ!違います!美味しいです!」
「けど、何でもない、って顔してないわ」
ボータレイさんは、お姉ちゃんのようなやさしい微笑みで私を見る。私は、否定できずに視線を泳がせた。
「アタシだと、話しにくい?」
「そんな、ことは……」
どう答えていいか分からずに俯くと、ベーゼアが心配そうに私の肩を支えてくれる。ベーゼアにまで心配かけて、何をやってるんだ、私は。もっとちゃんと、后としてしっかりしないと。
「どんな些細なことだっていいのよ。話すだけで気持ちが軽くなることだってあるじゃない。ね?」
「そうですわよ。ここはお酒の入った女子会なのですから、何に気を遣う必要もありませんわ」
エミリエンヌも、私にお酒を勧めながら微笑んでくれる。女子会とはいうけれど、お姉ちゃんたちに囲まれて甘やかされる妹のような気分になった。私は、ちらりとボータレイさんの表情を窺う。ボータレイさんは緩やかに頷きながら、私に話すよう促してくれた。
いいのかな……。こんなこと、誰かに相談するつもりはなかったんだけど……。でももう、もやもやし続けるのも、ジラルダークの目を真っ直ぐ見れないのも、ジラルダークが寂しそうに私を見るのも、嫌だった。
「その……、あの、本当に、今更なんですけど……」
どう説明すればいいんだろう。こういう時は、こんな風に考えるに至った経緯から説明した方が分かりやすい、のかな。
そう思って、私はイザベラさんと話した内容を三人に伝える。ジラルダークの好みを色々聞かれたこと。私は、その質問に答えられなかったこと。奥さんなのに、ジラルダークのことを何も知らないんだって気付かされたこと。ジラルダークに聞いても、明確な好みを教えてもらえなかったこと。
「ちゃんとジルを見ていなかった私が悪いんです……。きっとジルはイザベラさんとの会話を聞いていたはずだから気を遣って、私が答えたようにしか教えてくれなくて……」
「成程、ね」
ボータレイさんはやさしく目を細めて頷いてくれた。そうだ。ボータレイさんとエミリエンヌは、昔のジラルダークを知ってるんだ。今なら、聞いてもいいかな……?
「あと、それと、その……、レイさんとエミリは、魔王様になる前のジルを知ってます、よね?」
「ええ、そうね。知ってるわよ」
「じゃあ、その、……その頃って、ジルは、……誰か、恋人がいたり、したんですか?」
ジラルダークの好みが分かるかもしれない。昔のジラルダークの恋人が、私と真逆だったらどうしよう。私は、どうしたらいいんだろう。ジラルダークの好みの女性になりたい。今更、なれるものだろうか。
「いなかったわよ。まぁ、オティーリエ……あのストーカー魔女に悩まされててそれどころじゃなかったのよねェ」
「そう、だったんですか」
ボータレイさんの言葉に、全身の力が抜けるのが分かった。というか、気付かないうちに全身に力が入ってたらしい。気付かれないように、息を吐いて体勢を整える。エミリエンヌは私の話を聞きながら、くいっとお酒を呷った。見た目は子供なのに、お酒に強いんだね、エミリエンヌ。
「元々、女性に関しては鈍い方ですの。数百年の間、無意識に抑えていた欲求を今、全てカナエ様にぶつけているのですわ。まともに相手をなさいますと、カナエ様がお倒れになってしまいますわよ」
よ、欲求をぶつける!?ええと、それはつまり、そういうこと、でよろしいんですかね、エミリエンヌ先生?
私がエミリエンヌの言葉に目を白黒させていたら、ボータレイさんがおかしそうに笑いながら頬杖をついた。
「過去の女性関係はほとんどないとして、さっきの話よね。全く、陛下には困ったものだわ」
そして何故か、ジラルダークが濡れ衣を着せられてしまった。ジラルダークは何も悪くない。私がちゃんと彼を見ていたら、そもそもこんな悩みなんて持たなかったはずだ。イザベラさんにだって、にっこり笑って答えられたはず、なんだ。
「んもう、カナエちゃんたら」
つん、とボータレイさんの指が私のおでこをつつく。見上げると、ボータレイさんはやわらかく微笑んで私を見ていた。
「あんまり無理しちゃダメよ。今日は吐き出せるだけ吐き出しちゃいなさい」
お姉ちゃんそのものといった様子のボータレイさんに、思わず笑みが零れる。昔、大介くんがジャパン領に実家用意してやるとか何とか言ってたけど、むしろボータレイさんの方が今の私にとって心の実家だ。
「今更、私、ジルの好みの女性になれるんでしょうか……?」
「カナエちゃんは、陛下の好みに合わせて自分を変えたい?」
「それは、……はい」
ボータレイさんの問いに、私は頷く。少しでも、ジラルダークに好かれていたい。彼に好きだって言ってもらいたい。
「んもう、いじらしいったら」
「ではまずは、陛下の好みを知らねばなりませんね」
エミリエンヌが、グラスに口を付けながら言う。そう。何はともあれ、ジラルダークの好みを知らないことにはどうしようもない。けれど、ジラルダークからは教えてもらえない。八方塞がりなんだ。
「陛下の好み、ですか。難しいですね」
隣のベーゼアが、口元に手を当てて考え込んでしまう。ボータレイさんは、チョコレート色の髪を揺らしながら首を振った。
「こういう時はね、カナエちゃん。自分で聞いてみるものなのよ」
「でも……、ジルは何も……」
もう一度聞いたところで、きっとまた気を遣って答えてくれるだけだ。ジラルダークはやさしいから、私が傷付かないように隠しきるだろう。
「陛下に対して、何も遠慮することなんてないわ。それに、もうちょっと突っ込んで聞いてみてもいいんじゃないかしら?」
「あの朴念仁……失礼、陛下には、ざっくりとした質問よりも的を絞った質問の方がいいかもしれませんわね」
「突っ込んで……、的を絞った?」
尋ねると、ボータレイさんとエミリエンヌはこっくりと頷いてみせた。
「あとは、質問の方向性を変えてみてもいいかもしれませんよ。普段使いに避けたい色をお尋ねになってみるのはいかがでしょう」
「なるほど……!」
そっか。そうだよね。イザベラさんの質問にこだわらなくたってよかったんだ。たくさん、ジラルダークに聞いてみればよかったんだ。そしたら、ジラルダークもきっと答えてくれたはずだ。こんな、何だかよく分からないもやもやした気分にようやく蹴りをつけられそうだ。
三人にありがとう、と告げると、三人とも穏やかに微笑んで私を見ている。私にとっては、心のお姉ちゃん三人組だ。また何かあったら、三人に相談しよう。
「ウフフ、いつものカナエちゃんに戻ってきたわね」
「やっぱり、カナエ様には笑顔が似合いますわ」
「ええ、何にも代えがたいものです」
そ、そこまで言われるとちょっと恥ずかしい。そう思って三人の視線から逃れようと手を顔の前に挙げたら、がしりと横から掴まれた。
驚いて見上げると、微笑んだジラルダークがいる。その後ろにご機嫌なメイヴと、何だかヨレッとした大介くんがいた。
「迎えに来た。帰ろう、カナエ」
「ちょ、ジル、まだご飯が……!」
帰ったら、ジラルダークにたくさん聞きたいことがある。あるにはあるけど、食事会の途中なのよね今。お酒にシフトしつつあったとはいえ、テーブルにはまだご飯が残っていた。
「構わん。残った者で片付けるだろう」
言うが早いか、ジラルダークはいつもの強引さでテレポートしてしまう。全くもう!このわがまま魔王め!
ちゃんと叱らないといけない、とは思うんだけど、何故かとても嬉しそうに私を抱っこするジラルダークに何も言えなくなってしまう。もう、しょうがない魔王様だ。
私は、逃がさないと言わんばかりに抱き締めてくる魔王様の肩に掴まりながら、こっそりと溜め息をつくのだった。