7.魔王の教育
【ジラルダーク】
俺は、カナエのいない執務室で重い溜息を吐く。カナエは一体、何を不安に思っているのだろうか。尋ねても、俺には何も伝えてくれなかった。いっそ泣いて訴えでもしてくれればまだ、謝罪のしようがある。泣かせたくはないが、こうして距離を置かれる方がきつい。いや、カナエにつらい思いをさせたくなどないのだが……。
やはり、ガルダーを早急に消すべきか。だが、カナエは別段、ガルダーに対して悪感情を抱いているようには思えなかった。あの王女に対しても、だ。ならば、一体何にその心を砕いているというのか。
カナエの心が分からない。それが、言いようのない不安となって俺にのしかかる。脳裏を過ぎるのは、口付けに飽いたかと尋ねてきたカナエの姿だ。
まさか、俺に飽きたのか……?やさしいカナエは、俺にそれを言えずに悩んでいるのか?カナエは飽いてなどいない、俺をやり込めたいのだと答えてはいたが……。
「恋煩いね。あまねく事象を統べる悪魔の王だというのに、全然似合わないわ」
「いい歳したオッサン……、いやジジイか?が、情けないったらねぇな」
外野がうるさい。こいつらで鬱憤を晴らしてやろうか。魔力を込めて睨みつけても、領主と精霊はどこ吹く風と笑うばかりだ。
「カナエの悩みを聞くのはいい。俺には言い難いというのも、女性同士の方が話しやすいというのも納得しよう。だが、何故貴様らが俺の元にいる?」
「うちの優秀な補佐官殿が、夏苗ちゃん覗き見防止の結界張ってんだろ?」
そうだ。何度カナエの姿を追おうとしても、先程から跳ねのけられている。ボータレイだけではない、精霊の王も加担しているのだろう。話し声すら拾えなかった。
「万が一にも、痺れを切らした悪魔の王が乗り込んで、愛されし子の邪魔をしないように。ね、必要でしょう?」
脳天から叩き切ってやろうか。
そう思って双剣の柄に手をかけると、ダイスケが見慣れた笑みを浮かべる。精霊の王は、楽し気に宙に浮いたままだ。
「つうのは建前で、レイからは俺に報告が入るようになってる。お前さんを矯正しなきゃだろうからな」
「俺を?」
尋ねると、ダイスケは不思議そうに首を傾けた。それから、呆れたように頭を振る。
「そりゃそーだろ。数百年レベルで年上のお前が、数百年レベルで年下の奥さんリードしてやんなくってどうすんだよ。しかも、夏苗ちゃんにとっては、お前が初めての相手なんだろ」
「それは、そうだが。……何故知っている?」
「夏苗ちゃんの様子見てりゃ分かるっつうの。変な疑い掛けんなよ、面倒臭ェから」
ダイスケは溜め息交じりに言いながら、視線を右にずらした。早速、ボータレイから報告が入っているらしい。頷きながら、何故だろうか、段々とダイスケの口元が引きつっていく。精霊の王は、変わらずに俺達を見下ろして宙を舞っていた。目障りだな。
「何つうかそりゃ……、ああ、そういやコイツ、サエオラ達のことも気付かねェくらい鈍感だったっけか。夏苗ちゃんにグイグイいってるから忘れてたぜ」
ダイスケはぶつぶつと独り言つと、大きく息を吐いて肩を落とす。それから、俺を指さしてきた。
「やっぱ、原因はお前だぜ、大魔王陛下さんよ」
「俺が、……俺は、カナエに何をしてしまったのだ?」
「何をしたっつうか、何もしてねぇっつうか、あー、うん、そうだなぁ……」
ダイスケは何かを考えるように顎を指先で叩きながら、斜め上を見上げる。視線の先には、機嫌よく微笑む精霊の王がいた。いや、偶々視線の先にいただけだ。精霊の王は関係ないだろう。
「お前にとってみたら、正直に答えてはいるんだろうけどよ。夏苗ちゃんはそれじゃ納得しねぇってことさ。夏苗ちゃんがどうしてそれを知りたがってるか、よーく考えてみるしかねぇんじゃねぇか?」
「俺の、答え……?」
「ああ」
みなまで言うつもりはないらしい。ダイスケは俺にそう伝えてから、どこか愛しむような笑みを浮かべた。その感情は一体どこへ、誰に向いているのか。尋ねる前にダイスケは口を開く。
「お前が夏苗ちゃんに会うまでの間、どんな女と付き合ったかってさ。夏苗ちゃん、お前の元カノ気にしてるらしいぜ?」
「!」
ダイスケの言葉に、俺は目を見開く。まさか、カナエは俺が他の女性に気を向けるとでも思っているのだろうか。ガルダーのあの女のせいか。側室など娶るつもりなどないと、カナエにはよく言い聞かせたはずだ。納得していなかったのだろうか。いやしかし、俺が付き合ってきた女性だと?そんなものはいないが……。元の世界で国の決めた婚約者はいるにはいたが、もう顔も名前も覚えていない。そもそもあの王女に惑わされているならば、俺の過去の女性関係を知る必要などないだろう?
「おいおい、こっちもこっちで恋愛指南が必要なレベルか」
「ふふふ、とっても楽しそうだわ」
「何で、フリーのオレが既婚者にアドバイスしなきゃなんねぇんだよ。まだ、あっちのDTヒゲ犬の方が面白ェっつうの」
考え出した俺に、ダイスケが呆れた視線を投げてきた。俺の考えが間違っているとでも言いたげだ。何が違う?そして、どうしてそこまでお前がカナエを理解している?確かに、ダイスケは昔から察しがいい。とはいえ、カナエに関して分かったような口を利かれるのは面白くない。
睨みつける俺に、ダイスケは苦笑い混じりに肩を竦めた。八つ当たりするんじゃないとでも言いたげだ。
「もっと簡単に考えろよ、ダーク。お前さぁ、夏苗ちゃんに昔、付き合ってた彼氏とかいたらどう思うよ」
「それは……」
「夏苗ちゃんからは直接言われねぇけど、昔の男の話を小耳に挟んだりな」
それは、酷く嫉妬をするだろう。むしろ、カナエを問い詰めてしまうかもしれない。
そういえば、ここ数日、カナエは俺に何と問うて来ていた?好きな女性の服装や、髪型を聞いてきてはいなかったか?俺は、カナエであるならばどんな服装だろうと愛らしいと感じるし、カナエがどんな髪型をしていようと愛でられる。そう思っていることは紛れもなく俺の本心だ。カナエにも伝えたが……。
もし、俺がカナエの立場だったとして、俺の答え方で納得するだろうか。誰かと恋人関係であったならば、好みがあるのではないかと考えるのではないか?はぐらかされていると感じはしまいか?だから、カナエは悲し気な表情をしていたのか?
つはりは、嫉妬……?カナエが?……カナエが、俺の女性関係に嫉妬している?彼女は俺を問い詰めたりなどしない分、俺のそもそもの好みを知ろうとしてくれていた……?
「あー、その間抜けヅラ。ようやく理解できたようだな」
自然と緩む口元に、ダイスケが頭を振った。
言いようのない感情に、俺は席から立ち上がる。今すぐにカナエをこの腕に抱きたくて堪らなかった。カナエが、俺の過去に嫉妬している。それだけ、俺を求めてくれているということだ。何故気付けなかったのか。気付けていれば、俺の過去などいくらでもカナエに捧げたというのに。
「まだ駄目よ、悪魔の王。愛されし子は、まだ楽しく食事中なの」
カナエの元へ向かおうとする俺を、邪魔な蠅が止める。今度こそ、精霊の王を転生が必要な状態にしてやろうと俺は双剣を抜いた。
「ふふふ、ここで暴れたら、帰ってきた愛されし子が心配するわ。それに、このままじゃちょっとわたしも勝てそうにないもの」
深く笑んだ精霊の王が、瞬間的に大量の花弁を生み出す。これは、……精霊の道に引き込まれるか。まぁいい。あそこならば、どれだけ派手に暴れようとどうとでもなる。瞬時に魔力を全身に纏わせて、精霊の道の特殊な空間に馴染ませた。
「ちょ、オイ、何で、オレ、まで……!」
近場に立っていたダイスケががっくりと膝をつく。魔力のないダイスケに、この空間は相当な負担となるだろう。が、構っていられん。今日という今日は、この目障りな蠅を叩き落さねば収まらぬ。
「ここへ引き込んでも、まだそんなに元気なのね。本当に、規格外だわ」
「いつぞやのように手加減はせんぞ。カナエに知れぬように転生しろ」
「ふふふふ、わたしは精霊を統べる王よ。ここでならば、高々人間の王になど後れは取らないわ」
精霊の王が花弁を撒き散らしながら舞う。俺は双剣に魔力を纏わせて精霊の王に突っ込んだ。
「マジ、ケンカなら、オレ抜きで、やってく、れ……!」
地面にへたり込みながら、ダイスケが情けない声を上げている。俺は気にせず、精霊の王へ向けて剣を振るった。風の魔法を纏わせたそれは、しかし、精霊の王に届く前に掻き消える。眉を寄せた俺に、精霊の王は花弁を俺へ向かわせながら笑った。
「この空間はわたしのもの。当然、ここに満ちる力もすべて、ね」
「……成程」
鬱陶しい花弁を剣で裂きながら、俺は魔力を自身の防御へ向かわせる。さして問題もなく、全身に纏った魔力は花弁を防いだ。俺に近ければ俺の影響下にあるが、射出系の魔力は精霊の王の支配下に置かれるというわけか。厄介ではあるが、このくらい手応えのある方がいい。
俺は再度、双剣に魔力を纏わせて精霊の王に向かう。魔法が効かぬならば、力押しするまでだ。
「消えろ、精霊の王!」
「あなたこそ、少しは愛されし子から離れなさい!」
精霊の王の加減ない魔法と、俺の剣がぶつかり合う。衝撃で、足元の花が弾けて更に花弁を散らした。激流のような魔法を剣で叩き切りながら、俺は致命傷となりうる一撃を精霊の王に向ける。
「た、のむ、から……!」
持ちうる限りの力を振り絞ったのだろう。ダイスケの刀が俺の剣を、どこに仕込んでいたのか盾のような魔装具が精霊の王の魔法を受け止めた。
「痴話喧嘩は余所でやれやあああああ!」
ダイスケの渾身の叫び声が、精霊の道に木霊した。