14.古参の目論見
第三者視点
エミリエンヌは、トゥオモとイネスの二人と共に鍛錬場にいた。魔王よりイネスの斧を誂えろとの命を受けたためでもある。誂えるにあたり、グステルフとナッジョも呼んでいた。彼等も、自身の用事が済めば訪れるだろう。
「どうかしら、トゥオモ」
「相変わらずの馬鹿力だな、イネス!これでは生半な斧では耐えきれないぞ!」
はっはっは、と軽快に笑いながらトゥオモがイネスの振っていた斧を取り上げる。エミリエンヌは、困ったように頬に手を当てた。イネスは、どうにも居心地悪そうに肩を揺らす。
「あたしの取り柄は力だけだ。これすら封じられたら、あたしは陛下のお力になれない」
イネスは、まめが潰れて硬くなった掌に視線を落とす。数日前に訪れたカナエの、飴細工のような儚さは、どう頑張っても今のイネスには無いものだった。
「君の力は確かに取り柄だけどね!それだけでもないだろう!」
「うふふ、御后様もおっしゃっていらしたじゃない。イネスは女の子なのだから、怪我には気を付けなさいって」
そう。飴細工のような奥方様は、慈愛の笑みを浮かべて言ったのだ。鋼のような肉体を持つイネスを、女の子、と。
イネスは、硬い掌を握りこんで二人へ視線を向ける。陶磁器のような肌を持つ吸血鬼と、ビスクドールのような少女が、微笑みを浮かべながらイネスを見ていた。
「あたしは、陛下だけではなく奥方様もお守りする。だから、力が必要なんだ。この馬鹿力も、あの方たちを守る術になる」
「あらあら」
「はっはっは!イネスは馬鹿力で脳筋だな!」
けらけらと笑うトゥオモにも、イネスは怒る気になれなかった。早く斧を見てくれ、とイネスがエミリエンヌとトゥオモをせっついていると、フェンデルを伴ってグステルフとナッジョがやってきた。
「呼んだか、エミリ」
「いらっしゃいまし、グスティ、ナッジョ。まぁ、フェンまでいらして下さったのね」
「研究の要が休憩中だからな。儂も休憩だ」
フェンデルは、イガグリ頭を撫でながら椅子に腰かけた。身体年齢でいえば最高齢のフェンデルだが、魔神の中では2番目に魔王の配下となった者である。古参の者の中で最も魔王に長く付き従っているのは、エミリエンヌだった。
「ねぇ、フェン。聞いて下さる?陛下ったら、御后様を溺愛なさっているのよ。それこそ、私たちが御后様とお話しするだけでご不興を買うくらいに」
エミリエンヌの言葉に、笑顔で頷いたのはフェンデルとトゥオモ、驚いたのはナッジョとイネス、表情を動かさなかったのはグステルフだった。
グステルフは将を任されているが、古参の者の中ではエミリエンヌ、フェンデル、トゥオモに続いて配下に下ったので最古参というわけではない。それでも、魔神としてジラルダークに仕えてから優に500年は越えている。しかし、グステルフが下った時には既に彼は魔王然としていた。グステルフの知る魔王は、鉛のような重厚さと冷たさを持ち、そして、焼き付くような闘志を秘めている男だった。
「仲良きことは美しき哉!」
常日頃よりやかましいトゥオモの笑い声に、グステルフは軽く眉を寄せた。吸血鬼というものはグステルフのいた世界にはいなかったが、集合したらさぞ煩いのだろうと思う。トゥオモ自身は頼もしい男なのだが、このやかましさは何百年経とうと慣れない。やかましいものは、変わらずやかましいのだ。
「でも、御后様は窮屈に思われないかしら」
「自分は、それでもいいと思うがな」
「あら、グスティは亭主関白なのかしら」
「そうではない。ただ、陛下の御心が安らかであるならば、それに越したことはないと思ったのだ」
グステルフの言い分に、ナッジョは片眉を上げた。
「そりゃそうだがよ。あの陛下が、なァ……」
「うふふ、恋は人を変えるのですわ」
花のような笑みを浮かべて、エミリエンヌが言う。フェンデルも、どこか微笑ましそうに頷いた。
「最近の陛下はどこか危なっかしくもあったが、奥方様がいらしてからはそれもない。良いことじゃないか」
「あの方に限って腑抜けるなんざ有り得ねぇと思うがよォ……。何だって、今の今まで誰も娶ったことのねぇ陛下が奥方様をお選びになったんだ?」
ナッジョの質問に、トゥオモが自信満々に胸を張った。
「恋とはな、タコ頭!突然訪れるものなのだよ!」
「……手前ェ、いつか刻んでやっからな」
タコ頭呼ばわりされたナッジョは、こめかみをひくつかせながら低い声を出す。トゥオモは無神経なところが多々あるが、魔王に似て暗器に魔法を併用して戦うため、将であるナッジョとて当たれば無事では済まなかった。魔王は剣も魔法も使って真っ向から堂々と叩き潰してくる。それならば負けてもまだ納得がいくが、トゥオモの場合、気付けば床に転がっていた、ということも多々ある。魔王の右腕として暗躍するには信頼に足る力とはいえ、ぶつかり合うには不利だ。ぐっと堪えたナッジョの肩を、イネスが慰めるように叩く。
「あたしも不思議だったんだ。陛下は魔王であることに誇りを抱いていらっしゃった。后を娶るようには思えなかったんだが」
「うーむ。儂も奥方様がこちらの世界にいらした頃から見守っていたが、何が陛下の琴線に触れたのかは分からぬな」
「あら、簡単なことじゃないかしら、フェン」
エミリエンヌは、ふんわりと椅子に腰かけながら笑う。くすくすと笑うその瞳は、少女のそれと言うよりはどこか悪戯な色を込めていた。
「陛下も男だった、ということですわ」
エミリエンヌの発言に、魔神たちは瞠目する。彼らの反応がおかしいとばかりに、エミリエンヌは笑んだまま目を細めた。
「御后様は庇護欲を掻き立てられますもの。陛下は、私たち悪魔を守る程のお方ですのよ」
「あ、ああ……、そ、そういう、ものなのか?あたしには、よく……」
「男として、愛しい者を独占したいのは分かるのですけれど、御后様がそれを窮屈に思われてしまわないかが心配なのですわ。お后様にも、我慢の限界がありますでしょう?」
頬に手を当てたまま、ふぅ、と溜め息をつくエミリエンヌに、ナッジョはひきつった笑いを浮かべた。トゥオモは、相変わらず快活に笑いながらエミリエンヌの頭を撫でる。
「エミリは耳年増だな!」
「まぁ。何をおっしゃいますの。皆、私よりも年下ではありませんか。人生経験は豊富ですことよ、私。何でしたら、房事のお話でもしましょうか?」
「ち、ちびっこいナリしてそういうこと言うんじゃねェ!」
ナッジョは顔を赤く上気させて、エミリエンヌの口を手で塞いだ。むう、と唸るエミリエンヌを、そのままナッジョは抱き上げた。
人形と称されるだけあって、エミリエンヌは小さく軽い。ニンゲンの5歳児と比べても、小柄な方なのだろう。
「ったく、それで?俺とグスティを呼んだのは何だったんだ?」
「ええ、ヴィーから提案がありますの」
エミリエンヌがそう告げると、部屋の隅にヴラチスラフが現れた。影の中からぼんやりと輪郭をかたどっていく様は、幽鬼そのものといったところだ。
「御機嫌よう……、親愛なる魔神殿……」
「お前はなぁ、毎度毎度、ちゃんと扉から入って来やがれ」
「こんなところにいたのか、ヴィー」
ナッジョとフェンデルが呆れたように言う。ヴラチスラフは薄笑いを浮かべたまま、集まっている魔神たちへ歩み寄った。
「フェン……、研究は少し……、休憩に致しましょう……」
「ほう?何をする気かね?」
ヴラチスラフが言わんとすることを察したフェンデルが、面白そうに目を輝かせた。この城の研究を統括しているフェンデルは、ヴラチスラフの知識、技術を高く買っている。ヴラチスラフは、己の錬金術を余すことなく生かせる場として魔神の研究に没頭しやすいので、自ら研究を止めるような発言をするのは珍しいことだった。
「新参の者たちで考えたのですが……、陛下と奥方様は……、婚姻の式も挙げられておりませんよね……」
「ふむ、言われてみればそうだな」
「そこで……、わたくし共で祝いの宴を開いては如何か……と……」
顔を斜めに傾けながら、ヴラチスラフが笑みを浮かべる。長い黒髪が顔にかかって鬱陶しくないのだろうか、とナッジョはひとごとながらに思った。
「祝いの宴、ねェ。お前さん、妙なことを思いつくな」
「くすくす……、わたくしは……楽しいことが大好きですから……」
息を吐くように笑うヴラチスラフに、ナッジョはそうかい、と呆れて頷く。幽鬼らしく振舞おうとしているのか、それとも元よりこんな性格なのかは、ナッジョには分からなかった。
ナッジョに抱き上げられていたエミリエンヌは、軽く手を叩いて微笑む。
「ねぇ、素晴らしい提案ではありませんこと?私たちで、陛下と御后様を祝福して差し上げるの。きっとお喜びになりますわ」
「それは……。だが、陛下もいずれ民へ周知させるために披露の場を設けるとおっしゃっていた」
「グスティは鈍感ですわね。民への披露と、仲間内での祝いの席とでは、感じ方も違いますでしょう?」
ナッジョの腕に腰掛けながら、エミリエンヌはやれやれと肩を竦めた。無遠慮な言い方だが、グステルフは片眉を少し上げただけに留めた。
「御后様はまだ、悪魔になられて日が浅くていらっしゃるの。民への披露がそのまま、ご自身への祝福と受け取って頂けるものかしら」
「それに……、わたくし共が陛下と御后様の婚姻を……、心より祝福申し上げていると……態度で示さなければ…………」
ヴラチスラフはたっぷりと間を置いて、口元を吊り上げた。陰のかかった表情は幽鬼そのもので、見ていた者はごくりと息を飲んだ。
「魔神に拒絶されていると誤解された上……、孤独だと嘆き……、村へ帰りたいと望まれ……、陛下を拒まれ……、壮絶な夫婦喧嘩の後に……、離婚……でしょうかねぇ……?」
「!」
「そうですわね。奥方様も私たちのことを気にかけて挨拶に回られていたようですし。ありえぬ事とも言い切れませんわ」
唯一、ヴラチスラフの表情に気圧されていなかったエミリエンヌだったが、吐いた言葉はヴラチスラフを肯定するものだった。
考え込む魔神たちを横目に、ヴラチスラフとエミリエンヌはにんまりと笑みを浮かべる。その表情を見ていたのならば、きっと気付けたであろう。
この二人は共犯だ、と。




