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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
神の愛編
144/184

136.愛の神

 三十年にも満たない野々村夏苗としての生を終えて、私は神となった。欠員があって尚且つ適性があるからと、よりにもよって愛を司る神になったのだ。愛なんて、生きてる間に感じることなどなかった私が、愛の神だという。


「お前は新しい神か?」


 私の眷属だという女性に案内されたのは、煌びやかな布に装飾された一室だった。沢山の神の中で、私に尋ねてきたのは恐らく武の神だろう。さっき聞いた同僚……というべきか、神々の特徴を思い出して、あれ、と私は思う。武の神は一対だから二人いるはずなのに、今は目の前に一人しかいなかった。詰め込まれた神々の情報が間違っていたのかなと首を傾げる。


「そう不安そうな顔をするな。ちょうどいい、俺が色々と教えてやろうよォ」


 猫のように銀の目を細めて笑んだ神に、私は教えてもらえるなら誰でもいいかと頷いた。眷属の女性は、困ったように私と銀目の神を見ている。


「タケル様、こちらは愛を司る方でございます。まだ、貴方様の対は……」


「あァ?いいんだよ、そんなモン。俺が面倒見てやるっつってんだ。神に逆らうのか?」


 あ、間違えたな、と思った。タケルと呼ばれたこの神は、随分と気性の荒い神のようだ。あんまり関わるべきじゃなかったか。神々の生活というか、あり方すら分からない状態で、そこそこ極端な性格をしている人を指南役に選んでしまった。


「そうだなァ……、お前、生前の名前が気に入ってるかィ?」


 タケルの言葉にもう一度首を傾けると、タケルは愉快そうに笑う。生前の名前って、野々村夏苗だけど、そりゃまあ、愛着はある。“夏苗”は、血の繋がった両親に付けてもらった名前だから。


「お前さんは神になったんだ。新しく生まれ変わったようなもんさ。俺が名前を付けてやろうよォ」


 いけません、と眷属の女性が言うと同時に、タケルの唇が動いた。


「お前の神としての名は、メグ、だ。いいな?」


 ざわりと、部屋にいた他の神の空気が揺れる。何だろう。名づけられたことがいけなかったのかな。それとも、他に何か……?


「タケル、彼女は愛の神だろう。お前の対にはならんぞ」


 近くにいた神の一人が、タケルに言う。タケルは喉を鳴らして笑いながら、私を見下ろした。銀色の目が、妖しく輝く。


「呼び慣れてるだけだィ。さァ、ここを案内してやろうよ、メグ」


 強引に私の腕をひいて、タケルが歩き出した。どうやら私は、タケルの対だった誰かと同じ名前らしいと、気付いたのはここでの生活に随分と慣れた頃だった。



◆◇◆◇◆◇



 日課である、世界の人々へ愛を分け与えて、私は短く息を吐く。神として力を揮うようになって、もう何日が過ぎただろう。下手したら、何ヶ月だろうか。ここは、日付の感覚が曖昧になる。覗く世界の中には、時を司る神がいじった私が生まれる前の世界もある。私はここにいるのにどうなってるんだと思っても、時を司る神はにんまりと笑うばかりだ。時を司る神が人としての生を送っている世界を見せられることもあるから、もう何が何やら分からない。ここはそういう理なのだと、無理矢理飲み下した。


「メグ、ここにいたのかィ。お前は水鏡が好きだねェ」


 力を使ったまま、人の世界を覗き込める水鏡をぼんやり眺めていたら、背後から声をかけられた。そうでもないよ、といつもの微笑みを浮かべてタケルを見る。タケルは、微笑んだ私に満足したように目を細めた。


 彼は、いつだって私に誰かを重ねて見ている。恐らくは、タケルの対である神のことを、だ。私は、タケルの対となる神が誰なのか、どんな神なのかも知らない。けれど、こうして微笑めばタケルが満足することを知っている。だから、微笑むだけだ。


「お前さんが楽しいならいいのさ。ほらメグ、クスノからの差し入れだ」


 ありがとう、とタケルが差し出してきた袋を受け取る。匂い袋だろうか。新鮮な緑の香りに、私は頬を緩めた。タケルは私の頭を撫でてから、自分の業務に戻るのだろう、背を向けて去っていく。

 タケルはいつも、私に何かを持って来る。お菓子だったり花だったり今日のような香りのいい何かだったり。けれどこれは、私への贈り物じゃない。メグという、タケルの対への贈り物だ。私は愛の神だというのに、誰かの身代わりとして献身を受けている。全く、おかしくてたまらない。


「……メグ」


 水鏡を見て自嘲していたら、今度はモートに声をかけられた。彼は、どこか心配そうに私を見ている。モートはタケルとよく一緒にいた。だから、私もモートと話す機会が多い。教えることの苦手なタケルに代わって、神々のあれこれもモートから教えてもらった。それだけでよかったのにどこから聞いたのか、神の友達の少ない私を心配して、こうして神として慣れた今も様子を見に来てくれるようになってしまった。


「モートもこっちの水鏡に用?」


 尋ねると、モートは首を振る。さくさくと白い地面を踏みしめて、モートが寄ってきた。水鏡の淵に私と同じように腰をかけて、心配そうに私を見てくる。お人好しな神様だ。


「……こんなところにいたら、聞きたくもない愚痴ばっかり聞いちゃうよ。仕事溜まったら、天の神にどやされちゃうでしょ」


 どっか行け、いなくなれ、と思っても、モートは構わないと頷く。タケルと一緒にいるからか、私の数少ない友人は、眉を寄せて私の顔を覗き込んだ。私はくすくすと笑いながら、モートの眉間に指を添える。ぐりぐりと皺を伸ばすと、モートは目を丸くした。


「皺。イケメンが台無しだよ、モート」


 笑う私に、今度はモートは困ったように眉尻を落とす。モートの金色の髪が、さらさらと風に揺れた。


 大丈夫。私は、神としての力を使って人々から愛を集め、与える神だ。この力なくして私自身に向くものなど、何もない。身近なタケルですら、私を見ない。そう、分かってる。だからこそ、私は愛の神に選ばれたのだ。


「神の適性があるっていうのも、中々、しんどいね」


 呟くと、折角とれたモートの眉間の皺が復活してしまう。


「メグ……、きっと、タケルは、メグを大切に思っている」


 知ってるよ。タケルは、私じゃないメグを大切に思っている。私は愛の神として、タケルが満足するように振舞うだけだ。そう思って頷きながら微笑んでも、モートの表情は優れない。最初に声をかけてきたのがモートだったらよかったのにな、と思って、モートからも誰かの身代わりに思われるのはきついな、と思い直した。


 私は神になったのだ。力を使わなければ、誰にも愛されない神に。弱音を吐ける立場じゃない。この力を、当然のものとして使う。それに、慣れるだけだ。


 慣れればきっと、この苦しさもなくなる。


 そう思っていたある日、私はモートに呼び止められた。随分と、タケルやモートに向けて笑うことにも慣れたと思う。笑みを張り付けてどうしたのと問いかけると、普段とは違って随分と強引にモートが腕を掴んできた。

 引っ張られるまま、連れて行かれたのはモートの私室だ。簡素な部屋の中に、ひと際大きい水鏡がある。


「モート、どうしたの?」


「今、タケルはここにいない。下界に降りている」


 モートは、説明ももどかしいとばかりに口を開いた。あまり雄弁じゃない彼が、ここまで喋りたがるのも珍しい。


「今なら、気付かれずに君を下界へ逃がせる。ここでメグとして苦しんだ記憶も全て、私が刈り取ろう」


「ちょっと待って、モート、あなた何を……」


「天の神は、黙認すると言った。君が、あまりにも苦しんでいるからと」


 モートは言葉を紡いで、私に必死に訴えてきた。私は、モートの伝えようとする意味を、混乱する頭を律して受け取る。


「今ならば、君が、野々村夏苗としてもう一度生きられる世界へ、……私が守る世界へ、君を送れる」


「モートの、世界……?」


 そんな馬鹿な。だって、モートは……。


「選んでくれ、メグ。ここで愛の神、メグとして生きるか、野々村夏苗として私の世界へ堕ちるか」


 モートの言葉に、私は口を噤んだ。メグとして、このまま愛をむしり取って押し付ける神のままいるか。神としての記憶を失って、何のとりえもない野々村夏苗に戻るか。


「本当に……戻れるの……?」


 平凡な野々村夏苗としての、私に。


「こんな、……こんな、苦しいことをしなくても、いいの?人として、生きていけるの?」


 見上げる私の視線に、モートは頷いた。ならば、私が望むのはたった一つだ。


「私は、誰かの身代わりに愛されるのも、力を使って愛を受けるのも、押し付けるのも、もう嫌……!」


 こんな虚しい時間を、永久に過ごしたくはない……!


「……分かった」


 頷いたモートの言葉を最後に、私の意識は刈り取られた。



 暗く堕ちていく先が、ただの人として平和に暮らせる世界であればそれだけでいいと、私は強く願った。


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