13.従者の忠誠
【ベーゼア】
悪魔としてこの世界に飛ばされて80年。私は、恵まれていたと思う。
路頭に迷う間も無く悪魔に保護され、魔法が使えるからという理由で城へ召し上げられ、そして、陛下にお褒めのお言葉を頂いた。もう少し力をつけたならば、お前を我が手元に置いてやろう、と。
元々の世界で、私のような魔法を使える魔女は巷に溢れる様な平凡な存在だった。特に私の能力が秀でているわけでもなかったから、この世界に来るまでは全くの凡人だったのだ。
けれど、この世界では魔法が貴重だという。事実、魔法を使いこなせるというだけで、私と同じ時期に飛ばされてきたダニエラも召し上げられていた。彼女の方が、私よりも早く魔神に組み込まれた。同じ時期に召し上げられたのに、ダニエラの方が魔法をより使いこなせていたのだ。
私は、陛下の目に留まりたくて必死だった。前の世界ではしなかった魔法の鍛錬を行なった。数多の兵に混じって、ニンゲンとの争いにも参加した。陛下と魔神は、私たち新兵を庇いながらも誰一人傷を負うことはなかった。圧倒的だった。
そして、ダニエラに遅れて、私は魔神になった。恐らくは、魔法が使えるから、という理由だけで選ばれた。悪魔の中にも、魔法を使える者は少ないのだ。
私は、それでも良かった。陛下のお側にいられるならば、それだけでよかった。魔神という地位は、陛下に近づくためのものでしかなかった。
陛下は誇り高く前を向き、魔神になった私を振り返ることはなかった。
魔神に組み込まれたことで、私は今まで以上の力を求められた。魔法は、遠距離での攻撃で真価を発揮する。しかし、魔神の鍛錬は違った。陛下をお守りするため、民を守るため、攻撃方法を狭めてはいけない。遠距離、近距離、共に得手でなくてはいけない。
将であるグステルフは顕著だった。ダニエラと私は、グステルフに何度も叩きのめされた。起き上がるのも辛い日があった。私は毎晩泣いていた。ダニエラは、歯を食いしばって耐えていた。魔神であることを誇っている彼女は強かった。
私には、それが出来なかった。
もう、駄目かもしれない。魔神になっても、陛下は遠い。グステルフは弛んだ私を殺さんばかりに攻撃してくる。
この世界に来て、私は恵まれていたはずだった。ニンゲンに迫害されることもなく、前の世界のように平凡なまま世間に埋もれることもなく、悪魔の頂点である陛下にお仕え出来る。その、はずなのに。
「ベーゼア、お前に我が后の側仕えを命じる」
陛下が私を見てくれたのは、陛下が后を選んだ後だった。アロイジアが言っていた。ここ暫くの陛下はどこか不安定で、心配していたのだという。しかし、后を見初めてからは以前の陛下に戻られた、と。
「は。謹んでお受け致します」
その后を、私に任せるという。どんな方なのかは知らなかった。興味がなかった、といえば嘘になる。私は、陛下をお慕いしていたからだ。いや、憧れだった、というべきか。魔法を使いこなし、双剣を使いこなし、悪魔たちを守るために矢面に立つ、誇り高き魔王。
私には、決してなれなかった姿だ。
そして、私は奥方様の側仕えになった。奥方様はまだ、この世界に来てひと月だという。私がこの世界に来てひと月だった頃はどうだっただろう。戸惑い、萎縮してはいなかったか。奥方様のように、魔王の戯れに文句を言うなど出来なかっただろう。魔王に攫われてきたという自覚すら疑わしいほど、奥方様は自然体でここにいた。
「ベーゼアさんなら似合いそうですね、これ」
城へ招かれた奥方様にドレスを見繕っていたら、奥方様がドレスを一着、私へ差し出した。可愛らしく笑まれる奥方様に、悪意は微塵も見受けられない。ただ、妹が姉に服を選ぶように、私にドレスを勧めてきたのだ。
その瞬間に、私は悟った。
この世界に来て、恵まれていた私。本当に望んでいたのは、悪魔の頂点に仕えることではなかった。
「お戯れを……。こちらは全て、奥方様の為のドレスですわ。一度、お召しになられてみてはいかがですか?」
「私にはちょっと……。大胆すぎますよ」
「お召しになってみないことには分かりませんわ。さあ!」
同じような目線で語れる誰かが欲しかったのだ。私は、ただ、寂しかっただけなのだ。魔神の中でも、私のような甘い考えの者はいないだろう。誰も皆、陛下へ絶対の忠誠を誓い、魔神であることに誇りを持っている。私は、陛下に憧れ、魔神の地位にしがみついただけだ。
奥方様の側仕えを命ぜられた私に、将であるグステルフは苛立っているようだった。甘い考えの私が、奥方様の側仕え兼護衛として控えるのが気に喰わないらしい。
鍛錬はより一層、厳しくなった。もう、泣き言を吐くことはない。奥方様の傍が、一番心地よいからだ。それでも、辛いものは辛かった。
そうして奥方様に、私がグステルフを苦手だと思っていることがばれてしまった。
けれど、奥方様は当然のように、私を庇ってくれた。陛下の后である奥方様は、私などに構うほど低い地位にはいないのに。私などの為に、心を砕いて下さったのだ。
ああ、私の仕えるべき主は、ここにいる。
奥方様のためだったら、私はどんなことにも耐えてみせる。奥方様をお守りするために、私は強くなってみせる。甘えた考えは捨てる。奥方様がもっとお慕いして下さる様に、私は私を鍛える。私の忠誠は、奥方様のものだ。
◆◇◆◇◆◇
夜、奥方様がお休みになってからひたすらに剣を振るっていたら、背後に気配を感じた。振り向くと、随分と軽装の陛下がいる。
「っ!?陛下、何故このようなところに……」
慌てて跪いて、私は陛下の言葉を待つ。上から聞こえてきた陛下の声は、目を剥くほどに穏やかだった。
「よくカナエに仕えてくれているな、ベーゼア。俺も、お前になら安心して任せられる」
「!」
決して私を振り向くことはなかった、孤高の王。そう、私は思っていた。
「いえ。我が忠誠は、陛下の為、奥方様の為」
そうではなかったのだ。陛下は、私の甘えた考えを見通していらしたのだろう。だからこそ、見極めるためにこの役割を私に命じた。
「奥方様をお守りする為でしたら、この命、喜んで差し出しましょう」
これまでは口先だけの言葉だったが、今は違う。本心から、そう思っている。
「その覚悟、嬉しく思うぞ。だが、カナエが悲しむからな。軽々しく命を捨ててくれるなよ」
「は」
陛下は、普段のような威圧的な物言いではなかった。奥方様に語りかけるほどに甘くはないが、それでも充分だった。充分、認められていると実感できた。
「それと、だ」
ふと、どこか苦々しげに陛下が口を開く。
「カナエを名前で呼んでやれ」
「なっ!?わ、私が、奥方様をですか!?」
「でないと、カナエに泣かれてしまう」
気落ちしたように言う陛下に、私は目を丸くした。誇り高き魔王も奥方様には形無しなのだと思うと、どこか面白かった。奥方様が本当に泣いたら、この方はどうなってしまうのだろうか。
今度、奥方様に助言しておこう。女の涙は武器ですが、陛下には効きすぎてしまうかもしれませんよ、と。
「畏まりました。では、カナエ様、とお呼び致します」
元々、奥方様……カナエ様から言われてはいたのだ。私が断っていたから、陛下に泣きついてみたのだろう。ああ、カナエ様、それは正解です。この魔王陛下は、貴女様にとても甘いのですから。
私の言葉を確認してから、陛下は鍛錬場を去っていく。その背中を、私は跪いたまま送った。
思わず漏れるのは忍び笑い。ああ、カナエ様がいらしてから、私は何度笑っただろう。楽しくて仕方がない。これからも、楽しみで仕方がない。
立ち上がって、私は剣を構える。疲労を軽減する魔法は随分と慣れた。しかし、まだまだ足りない。私は、甘えていた分を取り戻さなければならない。
計算したかのように現れたグステルフに、私は口元を吊り上げた。私が夜に鍛錬をしていると、どこからともなくやってくるのだ。
「今晩は、グスティ」
「ああ」
「こちらは丁度、準備運動を終えたところよ」
「それは都合がいい。自分も、軽く汗をかき始めたところだ」
「なら、相手をして頂戴」
互いに剣を構えて、今宵も打ち合う。グステルフとこんな風に剣を交える日がくるなんて思わなかった。どれもこれも、全ては陛下と奥方様のお陰だ。
カナエ様のお傍に立ち、必ずやお守りする。
────それが、今の私が誇れる忠誠だ。