127.悪魔の隣人
イルマちゃん率いる子供たちが悪魔城に侵入してから二ヶ月、悪魔城は随分と賑やかになっている。いつもは落ち着いた、というか、怪しげな雰囲気の漂うホラー同好会の研究室からも、わいわいと賑やかな声が聞こえてきていた。
「お化けの兄ちゃん、もっとやって!」
「お化けでは……ないのだが……」
ヴラチスラフさんの苦笑い混じりの声に視線を向ければ、犬の姿をしたクレストくんがヴラチスラフさんに抱っこされてはしゃいでいる。あんなに怖がってたのが嘘のようだ。錬金術がカッコいいんだよ姉ちゃん、と事あるごとに報告しに来てくれてるから、ヴラチスラフさんに懐いたのだろう。
魔王様とメイヴと一緒に研究室の前を抜けて、会議室も通り過ぎる。会議室の中には、エミリエンヌやアロイジアさん、ダニエラさんやトゥオモさんと一緒にデメトリくんとビサンドくんがいた。
中庭では、ニッツァくんがフェンデルさんとほのぼの日向ぼっこしてる。おじいちゃんと孫のような光景に、見かけると頬が緩む。階段下の吹き抜けには、ミレラちゃんとエーリくんが、ノエとミスカのコンビと鬼ごっこをしていた。ノエとミスカってば、お兄ちゃんになれたのが嬉しくてたまらないようだ。
その先、鍛錬場では、グステルフさんやナッジョさん、イネスさんの魔神の中でも武力が抜きん出てる三人に、イルマちゃんや村の人たちが戦い方を学んでいる。魔物のよく出る谷が近くにあるのであれば、もっと戦えた方がいいと、ジラルダークが招いたのだ。
悪魔の王、魔王の城にニンゲンがいる。今までだったら、絶対に考えられなかったことだ。しかも、この城に来てくれるニンゲンは皆、悪魔に好意的だ。
アサギナの村を回る前に、まずはニンゲンとの接し方を学んでみてはどうかと、ダイスケくんが提案したのだ。私たちの行った村の人たちなら大丈夫だろうと、ジラルダークも頷いた。そしてニンゲンをいつ招こうか、って話をしてたんだけど、丁度そのタイミングで子供たちが侵入して来ちゃったのだ。
いやでも、何か条件がないと使えない扉だっていうのに、何で子供たちは来れたんだろう。魔王様の悪質な罠でしょ、あれ。楽しそうにしてたのだって、子供たちがあわあわしてるの見て笑ってたに違いない。本当に悪魔と接しても大丈夫か試す意味もあったんだろうけど、怯え切った子供たちが気の毒でしょうがなかった。
私は、無意識に自分の耳に触れて、ふと気付く。今、私の耳にはモノキ村で貰った耳飾りと共に、ジラルダークが前からつけていたポテコみたいな耳飾りが付いている。耳飾りを付けるなら、とジラルダークがくれたんだ。けども、確か、ジラルダークはモノキ村で耳飾りを貰った時に、その場で付けてたよね。それで、前からつけてたポテコの耳飾りは外していた、はずだ。外したピアスはどうしてたっけ。私にくれたのは、新しく誂えたものだって言ってたから……。
扉の条件ってもしかして、この魔王様の耳飾りだったの?あの時外した耳飾りを、家に置いておいた、のかな?それを、イルマちゃんたちが見つけて、扉を潜ってきた?
「扉を開く鍵を探してまで興味があるならば、とは思った。いずれは、招くつもりであったがな」
耳飾りに触れたまま考えていたからか、斜め前を歩くジラルダークが言う。私は、耳飾りに触れたままジラルダークを見上げた。
「子供の方が、頑なになった俺たち悪魔には丁度いいだろう」
ジラルダークは穏やかに微笑みながら言う。その言葉に、今まで通り過ぎてきた光景を脳裏に描いた。随分と、魔神さんたちもニンゲンに慣れた、と思う。ニンゲンと共存する未来も絵空事じゃないと、思えるくらいには。
「よかったわね、愛されし子。悪魔の子も獣の子も、とても楽しそうよ」
メイヴの言葉に、私は頷いて微笑んだ。そう、悪魔もニンゲンも、どちらも無理をしていない。それが例え遊び相手としてであろうが、暇つぶし相手としてであろうが、仲良くなれればいいのだ。きっかけを作ってくれたのは、メイヴだ。メイヴが魔王様や魔神さんに進言してくれなかったら、そもそも私たちはモノキ村へ行かなかった。メイヴがいてくれたから、こうしてニンゲンとの未来を描ける。
「ありがとうね、メイヴ。メイヴが背中を押してくれたから、こうしてニンゲンと仲良くなれたんだよ」
私の周りをふわふわ浮いていたメイヴは、私の言葉ににっこりと目を細めて笑う。嬉しいのか、ひらひらと花びらが舞い始めた。
「どういたしまして、愛されし子。ねぇ、新婚旅行は楽しかったかしら?」
「しっ!?」
そう、私たちは新婚旅行としてモノキ村に行ったのだ。今まで前を向いていた魔王様も、メイヴの言葉に興味津々と言った様子で足を止めて振り向きやがった。こっち見んな!
「……た、楽しかった、です、ハイ」
楽しくなかったはずがない。一日中ずっとジラルダークと一緒にいれて、ご飯もお互いに作ったり、洗濯やら掃除やらを分担してみたり、ちょっと喧嘩もしてみたり、本当に新婚生活みたいだった。まさか、魔王様をしているジラルダークとそんな生活が送れるだなんて思ってもいなかったから、そりゃ楽しいさ。
なんて、素直に答えるのが何とも気恥ずかしくて、私は魔王様を追い越して歩き出す。ジラルダークとメイヴはくすぐるように笑いながら私の後ろをついてきた。
「カナエ」
やさしく響くジラルダークの声に、私は振り向けずに足を止める。メイヴは私の顔を覗き込んで、楽しそうに笑っていた。
「また共に旅行へ行こう、カナエ」
「うっ……、ハイ……」
そっと、後ろからジラルダークの腕が伸びてきて抱き締められる。そのまま耳元で囁かれた言葉に、私は赤面しながら頷いた。うう、この、何ともむず痒い感じが、苦手だ。私は回されたジラルダークの腕に手を添えて、顔だけ彼の方を振り返る。分かっていたと言わんばかりにジラルダークが顔を寄せてきていて、唇が暖かい感触に包まれた。恥ずかしいなら振り向かなきゃいいのに。ああもう、ちくしょうめ。腕を緩めて体ごと振り返りやすいようにしてくれちゃって。甘やかさないでって、いつも言ってるのに……。
「あーっ、カナエ姉ちゃんとジル兄ちゃんがちゅーしてるー!」
「いけない……、クレスト……。こういう時は……隠れて見守るのだ……」
響いた声に、私は慌てて顔を離す。ついでに思いっきり腕を突っ張って、ジラルダークから離れた。ジラルダークは特に抵抗もなく私を放して、くつくつと喉を鳴らしている。わ、分かってたのか、魔王様!
「ヴラチスラフ、無粋な真似はさせぬよう、よく言い聞かせておけ」
「は。御意に……ございます……」
「ジル兄ちゃん、やっぱ大人げねぇなー」
ヴラチスラフさんは、文句を言うクレストくんを抱えたまま、いつもの薄ら笑いを浮かべて頭を垂れた。そのまま、クレストくんごと影に消えていく。私は、やり場のない羞恥心に、ぱくぱくと口を開閉させた。
「め、メイヴ、私ここから逃げたいっ……」
「ええ、いいわよ、愛されし子。デリカシーのない悪魔の王から逃げて、一緒にお話をしましょう」
ふんわりと、メイヴが私を花びらで包み込む。元々、おやつ部屋に向かってたんだ。メイヴに先に連れてってもらったって、問題ないだろう。魔王様が追っかけてくるまでの間に、顔を冷やそう。そうしよう。
一事が万事こんな調子だから、いつの間にかアサギナの人たちの常識として、魔王様は愛妻家で后にベタ惚れだと浸透していたなんて、私は長いこと気が付かなかった。
◆◇◆◇◆◇
【イルマ】
「母ちゃん!なあ、まだこねぇの?!」
息子が、待ちきれないとばかりに私の服を引っ張る。私は苦笑いを浮かべながら、アンタが悪い子だから来てくれないかもねぇ、なんてとぼけてみせた。息子のルノーは頬を膨らませて、玄関の扉を見たり窓を見たりと忙しい。
悪魔の人たちと交流するようになって十五年。私はもうすぐ二児の母となる。時が過ぎるのは早いものだ。
「父ちゃん、向こう行って呼んできてよ!」
「カナエさんをかい?それとも、魔王陛下?」
夫であるデメトリが、おっとりと笑いながらルノーの言葉に首を傾けている。私よりも五つも年下なのに、私よりも落ち着いた人だ。
「どっちも!」
対して、息子のルノーは落ち着きがない。こりゃイルマ姉ちゃん似だよな、と同じく子供時代に全く落ち着きのなかったクレストが言っていた。もちろん、拳骨は落としておいた。
「カナエさんもジルさんも、忙しいんじゃないかなぁ。今日、来てくれるかしら」
「母ちゃんの意地悪!」
「あはは、大丈夫だよ、ルノー。一番待ってるのは母さんだからね」
むくれた息子の頭を撫でながら、デメトリが笑う。朝からそわそわしてたのを気付かれたらしい。やだもう。デメトリも、何だか最近ジルさんに似てきたようだ。デメトリを睨んだら、微笑み返されてしまった。
「もうすぐに来るよ。じゃないと、君たちが行っちゃいそうだもの」
デメトリの声と同じタイミングで、玄関の扉がノックされる。一瞬で反応して、ルノーは転がるように駆けだしていった。私は、よっこいしょ、と椅子から立ち上がる。さすがに体が重いなぁ。
「こんにちはー、ってイルマちゃん、起き上がってて大丈夫?!」
玄関へ行って出迎えようと思ったら、先にカナエさんが入ってきてしまった。ルノーが引っ張ってきたらしい。子供の我儘に抵抗もしないだなんて、本当に変わらない人だ。
「こんにちは、カナエさん、ジルさん。もう、随分と体調もいいんだよ」
大丈夫、と笑うと、ほっとしたようにカナエさんが笑顔になる。知り合った時から変わらずに、カナエさんを見守るようにジルさんがちょっと後ろに立っていた。ルノーは、カナエさんの手を引っ張って、遊んでくれとせがんでる。
「ふふふ、じゃあ、獣化してごらん、ルノーくん。カナエおばちゃんが、もふもふの刑に処してしんぜよう」
「へっへーんだ!そう簡単に捕まらないからな!」
素直に獣化しておいて、よく言うわ。撫でてほしいのに、素直じゃないったら。そう思って笑っていたら、わいわいと家の外が騒がしくなってきた。デメトリの姿がないから、みんなを呼びに行ったんだろう。ジルさんはあの日のように、ちょっと呆れたような顔で笑っていた。
「大変だね、魔王様」
声をかけると、ジルさんは片方だけ眉を上げる。それから、目を細めて笑った。
「そうでもない。騒がしくなるな、と思っただけだ」
「ついでに、カナエさんが誘惑されないか心配になったんじゃないの?エーリもニッツァも、まだ番いはいないし」
言うと、ジルさんは意地の悪い笑みを浮かべる。
「ならば、受けて立とう。魔王を屈せぬ輩に、カナエはやらんぞ」
負ける気はさらさらない、と言わんばかりのジルさんに、私は思わず笑い声をあげた。カナエさんはルノーをもみくちゃにしながら、きょとんと私を見ている。本当に変わらない人たちだ。カナエさん大好きでキザなジルさんと、人タラシで可愛らしいカナエさん。
どちらもとても大好きでとても大切で、あの日から変わらない、私の愛しい隣人だ。
※ 明日より、最終章を開始いたします。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
これからも引き続き、よろしくお願いいたします。