126.獣の探検2
【イルマ】
扉をくぐった先、そこは異様な雰囲気の場所だった。薄暗いというか、おどろおどろしいというか、不気味な廊下のようなところにいる。先頭を行くクレストも、ちょっと不安そうだ。
ゆっくりと音を立てないように辺りを見渡す。赤い絨毯の敷かれた長い廊下に、ぽつぽつと明かりが見えた。蝋燭の明かり、かな?明かりと明かりの間に、いくつか重そうな扉がある。白色をした石造りの柱はとても太くて、え、ここ、まさか、お城?
「ちょ、ここ、お城じゃない……?」
声を抑えて、私は子供たちに言う。子供たちも、いつの間にか私のそばに固まっていた。そうだ。カナエさんもジルさんも、国では要職に就いてるって言ってたじゃない!お城に勤めてる人だったんだ!まずいって、帰らなきゃ!私は思わず、通ってきたはずの扉を振り返る。
「う、うそぉ……」
けれど、そこはただの壁だった。扉なんてない。ちょっと、どうなってるのよ、ジルさん!どんな仕様の扉なの、あれ!
「と、とにかく、ジル兄ちゃん探そうぜ!」
パニック寸前の雰囲気を感じ取ったのか、クレストが努めて明るい声で言う。そ、そうよね。すんごいまずそうな所に来ちゃったけど、ジルさんたちもいるってことなんだよ、ね……?
「そ、そうしましょ、エーリ、獣化する?」
ミレラもクレストの言葉に頷いて、すっかり怯えちゃってるエーリに言う。エーリは、ぶるぶる震えながら獣化した。服は丸めて、私の持ってる袋に入れておく。
「じ、ジルお兄ちゃんの匂い、……うぅ、どこ……?」
「お、落ち着けよ、エーリ、ええと、……えっと」
匂いを辿りにくいのか、クレストも獣化した。こっちの服も回収しておく。ここに帰るための扉がない以上、もう、進むしかない。ああ、どうしよう。これ、絶対にお兄ちゃんに怒られる。怒られる、で済まないかもしれない。悪魔の人の中には、私たち人間にいい印象を抱いてない人もいるって言ってた。そんな人に会っちゃったら……!
「おや……」
闇に溶けるような声に、びくんと体が跳ね上がる。とりあえず、小さいニッツァを抱き締めた。エーリだけじゃない、この子も可哀想なくらいに震えてる。
「……珍しい……客人でしょうか……ねぇ……?」
声のする方に視線を向けても、そこには蝋燭の明かりで揺れる影があるだけだ。だ、誰……?どこにいるの……?
闇に溶ける声は、私たちの不安を楽しむようにくすくすと笑っている。長い廊下に笑い声が響いて、顔が引きつった。
「迷子……でしょうか……。よろしければ……、ご案内……いたしますよ……」
蝋燭に揺れる影が、じんわりと膨らんだ。ゆっくり、ゆっくりと、目の前で影が人になっていく。影に溶けていたとは思えないほどに白い肌が、薄暗い廊下にいやに浮かんで見えた。にぃっ、と吊り上げられた薄い唇に、私は思わず叫ぶ。
「け、結構です!」
「そう……ですか……。残念ですねぇ……」
私の答えに、影から現れた人はまた、じんわりと闇に溶けて消えた。そこにはもう、誰もいない。さすがに、近寄って確かめる勇気はないけど、見た限りだと、もう何もない。
「い、今のって、ゆっ、幽霊……?」
「ま、まさか、ね。魔法よ、魔法」
エーリの言葉に、私は引きつった顔のまま笑った。勝手に入れば何があるか分からない、って言ってたジルさんの言葉が、今更頭の中をぐるぐるする。帰りたい。帰りたいけどもう、扉がない。
「とっ、とにかく、ジルさんたちを探そう」
私がそう言うと、子供たちは頷いてまた、ジルさんの匂いを探し出した。デメトリも獣化して周囲を観察している。デメトリの服も私の袋に詰めたけど、そろそろいっぱいになってきたな。手で持たないで、何かあった時に走りやすいよう背負っておこう。
「こっち、かも?」
「うん、多分……」
クレストとエーリが、絨毯を嗅ぎながら自信なさそうに言った。今はもう、二人の嗅覚だけが頼りだ。こっち、と示されたのは長く続く廊下の先だけれど、ここに留まってるわけにはいかない。
「うん、行こう。できるだけ、みんな、そばにいてね」
頷いて、私たちは歩き出した。もしかしたらここで、ジルさんとカナエさんの名前を叫び続けたら見つけてもらえるかも、なんて馬鹿な考えに首を振りながら。
◆◇◆◇◆◇
「多分、こっち、か?」
「うん……、でも、色んな匂いがして、おいらもうよく分かんないよぉ……」
廊下を抜けた先には、大理石でできた巨大な階段がある広い場所があった。階段じゃない方には、何本もの大きな柱が立ち並んでいる。柱がなければ、家が何件建つんだろうってくらいに広いところだ。お城って、物語に聞いたことはあるけれど、まさかこんな風に入れるだなんて。ちっとも嬉しくない。
「ねぇねぇ、何してるの?」
「ねぇねぇ、一緒に遊ぶ?」
呆気に取られて周りを眺めていたら、またもや声が聞こえてきた。今度は、子供みたいに幼い声だ。多分、クレストと変わらないくらいだろう。どこにいるんだと視線を向けると、柱の間に黄金色の髪をした子供が二人、立っていた。それも、同じ顔をした、だ。
「かくれんぼがいい?」
「鬼ごっこがいい?」
無邪気に笑いながら、二人の子供が柱の間を駆け抜ける。柱の陰から現れては消え、消えては現れしながら楽しそうに笑っていた。さっきの幽霊よりはまとものように見える。けども、状況が状況すぎて、素直に信用できない。
「に、逃げよう……」
柱の方には二人の子供がいる。ってことは、私たちが行けるのは階段の上だけだ。後ずさりをして、それから一気に走り出す。ニッツァとミレラの手は握れた。クレストとエーリは足元を走ってるし、デメトリは飛んでる。大丈夫、逃げ切れる……!
「あーあ、走っちゃダメだよ」
「あーあ、いけないんだよ」
二人の子供の、無邪気すぎる笑い声が背中に響いてきた。
「魔王様に怒られちゃうね」
「魔王様、怖いもんね」
ま、魔王!?ってことは、ここ、魔王様のお城なの!?そう思ったけど、走り出した足は止められない。
階段を駆け上って、目の前にあった広間に飛び込んだ。丁度良く扉が開いてて助かった。広間の中程まで走って、私たちは足を止める。ぜぇぜぇと肩で息をしながら、ゆっくりと顔を上げて辺りを見回した。広間、と思ったけど、何だろうここ……。
「ひっ……、が、ガイコツっ!」
同じように周りを見渡していたミレラが、悲鳴を上げて足元に縋りついてくる。ガイコツが、いっぱいある……!それに、あの、正面に見えるのは、何だろう。すごく豪華な、椅子……?何か、薄い幕がかかっててよく見えないけど……。
「だ、誰か、いるよ、イルマ姉さん……」
小さな声で、デメトリが言う。目を凝らすと、椅子のようなものに座っている人影が動いた。思わず、子供たちと抱き合って悲鳴を上げる。
「ククッ……、よく来たな、ニンゲンども」
低く重いのに、よく通る声が響いた。びりびりと、肌が痛くなる。これ、ジルさんが魔法使った時の、あれをきつくした感じだ。あの時よりも、もっとずっと強い。じゃあ、まさか、ま、ま、ま、魔王っ?!
「我が居城を踏み荒らすとは、いい度胸だ」
「ま、まおう、さま……?」
「ご、ごめんなさい、勝手に入るつもりじゃなくて、そのっ……!」
クレストと私が言うと、えっ、と聞き慣れた女の人の声がする。瞬間、がばっと幕が上がった。そこにいたのは……。
「ジルさん!?カナエさん!?」
「イルマちゃん、それにみんなも!ちょ、ジル!何やってんの!」
怯えて抱き合う私たちを見て、カナエさんがジルさんに詰め寄ってた。ジルさんは、村にいた頃とは違う、真っ黒な衣装を纏って豪華な椅子に座っている。カナエさんも黒いドレスを着てて、村にいた頃よりも大人びた感じになってた。ジルさんは堪えきれないとばかりに笑ってて、カナエさんはそんなジルさんに怒ってる。
な、何がどうなってるの?何で、ジルさんとカナエさん、そんな格好してるの?ジルさん、何でこんなにびりびりする魔力なの?魔王様って、ジルさんなの?
「俺は言っただろう。扉をいじるな、と。通じたのが我が居城でよかったな」
「だからって、もうみんな怯えちゃってるじゃない!ごめんね、怖かったでしょう。ここ、結構独特なお城だから」
言いながら、カナエさんがこっちに駆け寄ってきた。私たちは一斉に、カナエさんへ飛びつく。カナエさんは纏めて私たちを抱き締めると、いつものやさしい声で私たちを慰めてくれた。
「怖かったよぉ、カナエさんー」
「おばけ、おばけがぁ!」
「うんうん、よしよし、怖かったね。お化けもいたね。悪魔城は危なくはないけど、悪趣味な人も多いからね」
カナエさんは私たちを撫でながら、ジルさんを睨んでる。ジルさんは肩を竦めて、豪華な椅子から立ち上がった。ばさりと黒いマントが揺れる。その姿は、まごうことなき魔王様だ。
「ジルお兄ちゃん……魔王様……?」
ニッツァが問いかけると、ジルさんは村でよく見せていた穏やかな微笑みを浮かべる。さっきまでの怖い笑い方じゃない。
「そうだ。俺がこの国の王であり、お前たちの恐れる魔王だ」
「ジル兄ちゃんが、魔王様……」
クレストがカナエさんから離れて、ジルさんに歩み寄っていった。くんくん、と足元を嗅いで、ジルさんを見上げる。真っ黒な衣装を纏ったジルさんは、それだけで迫力満点だ。魔力も、村にいた時よりも強くなってるように思う。魔法使ってなくても、不思議な感じがするもん。
「魔王様って、大人げなくてもできるんだな」
クレストの反応に、ジルさんが思わず頬を引きつらせた。魔王様の何とも間抜けな表情を見て、私たちは顔を見合わせた。ああ、うん、確かに、と納得していると、カナエさんが弾かれたように笑いだす。つられて、私たちも笑ってしまった。
何だ、魔王様って怖くないじゃない。今いる魔王様って、物語の魔王様と全然違うんだ。お嫁さん大好きで、キザで、ちょっとだけ怖く見えるだけの人。いやまぁ、お化けは怖かったけどね。
「言いつけを破ったんだ。仕置きをしてやろう」
にんまり笑ってクレストの首根っこを掴むジルさんに、私たちも笑いながら立ち上がった。カナエさんは、まったくもう、と腰に手を当てて頬を膨らませている。それから、私たちは二人に案内されて、魔王様のお城の中を歩くのだった。