124.獣の耳飾り
翌日、朝早く台所にある扉をジラルダークがまたいじっていたけれど、術式とやらを昨日とは変えたらしい。条件によって、悪魔城に繋がったり繋がらなかったりするって話だ。試しに開いてみたら、ただ家の裏口に出ただけだった。というか、ここ、裏口だったのか。何をどうやったら空間が繋がるんだろう。頭の上にハテナマークが飛び散っている私を、ジラルダークは微笑ましそうに見ていた。そりゃまぁね、詳しく説明されても分からないけどね。何かむかつく。
ジラルダークの頬っぺたを抓ったり、仕返しに噛みつかれたりしながら荷物を纏めていたら、玄関の扉がノックされた。
「お忙しいところすみません」
訪ねてきたのは、村長のアギアスさんだ。もうほとんど荷物を纏めてしまったから、お茶を出そうにも何もない。
「ああ、どうぞお構いなく。……こちらを、お渡ししようとお伺いさせていただきました」
差し出されたのは、綺麗な布の包みだった。受け取って、アギアスさんを見上げる。彼は、にっこりと笑って自分の耳飾りを触った。
「何とか間に合いました。子供たちも手伝ってくれたんですよ」
アギアスさんが、リビングの窓の方へ視線を向ける。そこには、横に並んでこちらを覗いている子供たちがいた。おいで、と声をかけると、すぐさま玄関に回って子供たちが駆けこんでくる。けど、今日は抱き着いてこなかった。アギアスさんのそばで、もじもじと私とジラルダークを見上げてきている。
私は受け取っていた布の包みを開けて、中身を確認した。中には、柘榴のように赤い耳飾りと、黒と銀が混じった色の耳飾りが一対ずつ入っている。
「お二人はご夫婦ですからね、お互いの瞳の色を模してはどうかと思いまして。いかがですか?」
とても綺麗ですありがとうございます、とお礼を言う前に、ジラルダークの手が横から伸びてきて布の上の耳飾りを取った。銀色の方だ。
「ええ、気に入りました。ありがとうございます」
言いながら、早速耳に付けている。元々付けていたポテコのピアスをいくつか外したようだ。私はピアスの穴が開いてないから、後でジラルダークに付けてもらおう。
「とても綺麗です。大事にさせて頂きます」
布ごと胸に抱き締めて、私もお礼を言った。途端に子供たちが、おれはこの金具のところを付けたんだとか、磨いたのは私よとか、嬉しそうに報告してくる。一生懸命お手伝いしてくれたんだね。
「ありがとう、とっても素敵な耳飾りだね」
子供たちの頭を撫でて言うと、彼らは照れ臭そうでどこか自慢げに笑った。ほっこりと子供たちを見ていたアギアスさんが、ふと気付いたようにジラルダークを見る。
「もう、出発されるのですか?」
「そうですね。昼前には発とうかと考えています」
ニンゲンには見えないところからテレポートしなくちゃいけないから、村からは少し歩くんだよね。荷物はそんなにない、というか、家具はそのままにしておくつもりだから、本当に細々したものを皮の袋に詰めただけだ。荷物全部送っといて手ぶらにもできるんだけど、さすがに怪しすぎるだろう。
「ジルさんでしたら大丈夫かとは思いますが、道中お気をつけて。ほら、クレスト、ミレラ、エーリ、デメトリ、ニッツァ。言うことがあるんだろう?」
アギアスさんが、足元の子供たちに声をかけた。子供たちはまた、もじもじとうつむいてしまう。私はしゃがんで、子供たちと目線を合わせた。ここは、私から伝えることにしよう。
「クレストくん、ミレラちゃん、エーリくん、デメトリくん、ニッツァくん、仲良くしてくれてありがとうね。この村に来た時とっても不安だったけど、みんなが仲良くしてくれて嬉しかったよ。また、遊びに来るからね」
微笑んでお礼を言うと、あの日の夜のように子供たちが泣きながら突進してきた。そしてまた、腕やら腰やら服やら掴まれて引っ張られる。
「帰っちゃやだー!」
「もっといてよ!」
ぎゃんぎゃん泣き喚く子供たちは、私を帰らせまいとしてかどこかへ引っ張っていこうとしているようだ。ジラルダークは、どうしたものかと困ったように子供たちを見ている。私はおかしくて笑いながら、子供たちを纏めて抱き締めた。抱き締めきれない子の頭には、頬っぺたをぐりぐりと押し付ける。
「ほーら、ワガママ言う子には悪魔の攻撃しちゃうぞぉ」
苦しがるくらいに強く抱き締めつつ、今度は顎で子供たちの頭を順番にぐりぐりしていった。泣いていた子供たちも、くすぐったいのか次第に涙交じりの笑い声を上げていく。ついでに初めて子供たちに会った時のように、私は子供たちの脇腹をくすぐった。私の腕の中で暴れる子供たちと一緒にはしゃいでいたら、お隣のイルマちゃんとビサンドくんがやってくる。イルマちゃんの目は真っ赤だ。
「もー……、何でいつも通りなの……!」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、イルマちゃんが私のところに駆け寄ってくる。ビサンドくんは仕方ないとばかりに微笑んでいた。突進よろしく体当たりしてきたイルマちゃんを受け止めると、今度はイルマちゃんが大泣きし始めてしまう。普段、お姉ちゃんをしているイルマちゃんの号泣に、子供たちもおろおろと私とイルマちゃんを見比べた。私は微笑んで、イルマちゃんを抱き締める。
「イルマちゃんたら、そんなに泣かないの」
子供たちと一緒に、イルマちゃんの頭を撫でてあげた。イルマちゃんは私に抱き着きながら、だって、と声を上げて泣いている。
「絶対、ぜったい、あそびにきてね……!」
「うん、来るよ。絶対に来るからね。大丈夫だよ」
必死に縋りついてくるイルマちゃんに、私は何度も頷いた。つられて泣きそうになってしまうのを、どうにか堪える。最近、涙もろくていけない。会おうと思えば、会えるんだ。私はそれを知ってる。だから私は泣いちゃいけないし、まだ若いこの子たちを安心させないといけない。
……押し殺した感情は、後でジラルダークにぶつけよう。そうしていいと思うし、きっと彼は笑って受け止めてくれる。別れを悲しんでくれる子供たちの前で、私が動揺するわけにはいかない。すぐに会えるよ、泣かないの大丈夫だよ、と微笑んで伝えるのが私の役目だ。
イルマちゃんにつられてまた泣き始めてしまった子供たちを纏めて慰めていたら、そろそろ出発しなきゃいけない時間になっていた。ジラルダークに言われて、私は皆を抱き締めてから立ち上がる。
「またね。みんな、元気でね」
荷物を背負ったジラルダークと一緒に、私は村を後にした。何度も振り返って手を振って、私はぎりぎり、人に見られないところまで涙を我慢した。頑張った。一緒に歩くベーゼアが、心配そうにハンカチを貸してくれる。私はそれを受け取って、顔を覆った。
「カナエ」
もう、限界だ。涙腺崩壊だ。あんなに慕ってくれる子たちを前に、涙を我慢しただけでも褒めてほしい。そう思っていたら、ジラルダークが抱き上げてくれた。
私は、嗚咽を堪えてジラルダークの肩に顔を埋める。彼は泣いていいよと言わんばかりに、私の背中をやさしく撫でてくれた。そのせいで、涙は止まるどころかどんどん溢れてくる。
「頑張ったな。ありがとう、カナエ。俺の前では、好きなだけ泣くといい」
馬鹿。こんな時に、そんな優しい声で言わないでよ。ただでさえ涙が止められないのに、もっと止められなくなるじゃないか。ぎゅっと、出来うる限りの力でジラルダークに抱き着いて、私は必死に声を押し殺す。
別れがくることは分かっていた。また会えると、魔王様が保証してくれている。だから、悲しむことなんてない。そう思うのに、ああもう、止まらない。ジラルダークは私の頭に頬を寄せて、ただ静かに私の背中を撫でてくれた。
「魔神たちへの報告は、俺の方から行なわせていただければと存じます」
「ああ」
ジラルダークは私を抱っこしながら、しっかりとした足取りで歩み続ける。アロイジアさんの言葉に頷いて、ジラルダークは私のこめかみにキスをした。
「城へ飛ぶぞ」
歯を食いしばって上がりそうになる声を抑えたまま、私は頷く。ふわりと浮くような感覚がして、嗅ぎ慣れた匂いがした。テレポートしたんだ、と泣きながら思っていたら、ぽんぽん、と背中をやさしく叩かれる。
「俺たちの部屋だ。アロイジアもベーゼアもいない。耐えさせてすまなかったな。もう、声を抑えなくてもいい」
「っ……」
「我慢をするな、カナエ」
低く落ち着く声で、甘く甘くジラルダークが囁いた。ひく、と喉が震える。促すように背中を叩かれて、嗚咽が漏れた。
「うう……、あ、んま……っ、甘や、かさない、でっ……」
しゃくりを上げながら文句を言っても、ジラルダークは肩を揺らして静かに笑うだけだ。私は彼の肩に顔を埋めたまま、子供のように声を上げて泣いてしまった。ジラルダークは私を抱っこしたままソファに腰を下ろして、私が落ち着くまでずっと背中を撫でてくれていた。
こんな風に無茶苦茶に泣いても受け止めてくれるって、甘えても大丈夫なんだって、もう本当にダメ人間になりそうだ。甘やかすな、って泣きながら理不尽にジラルダークを叩いても、じゃれる子供へ返すように目尻やら髪やらにキスをされるだけだ。
嗚咽も何とか収まってきた頃には、ジラルダークは啄むようなキスを繰り返してくる。涙で濡れた頬も、目尻も、ジラルダークの指や唇で拭われた。
「言っておくが、俺はお前よりも随分と年上なのだからな。心行くまで甘えるといい」
違うって。魔王様は年長者だからじゃなくて、単に過保護なだけだ。真の年長者は、エミリエンヌみたいに叱ってくれる人だ。
「……ばか」
でも、ジラルダークに甘える心地よさを知ってしまった私は、過保護な彼を否定できない。だって、甘やかしてほしいんだもん。
「ジル……」
悪態吐いたって、私の本心はバレバレなようだ。嬉しそうに笑っているジラルダークを呼んで、私は彼に体を寄せる。責任取ってくれ、魔王様。このダメ人間製造機め。
さっきまでの慰めるのとは違うキスを交わしながら、私は瞼を伏せた。目尻に溜まって流れた涙は、確実な熱を持って頬を伝っていった。