119.獣人の思惑
心配した通り睡眠時間は短かったけど、魔王様の回復魔法ってすごい。起き上がれるし、眠気もスッキリだ。二人揃ってリビングで朝食をとって、家から出る。今日もいい天気だ。風が爽やかで気持ちいい。ぐぐぐ、と体を伸ばして息を吐くと、ジラルダークがほっこり微笑んで私を見ていた。さーて、昨日サボった分、畑仕事頑張らなきゃな。
「姉ちゃーん!兄ちゃーん!」
「おはよう、カナエお姉ちゃん、ジルお兄ちゃん!」
イルマちゃんのところに行こうかなと思っていたら、元気な声と共に子供たちが駆けてきた。私はしゃがんで、いらっしゃいとばかりに腕を広げる。
「おはよう、みんな早起きだね」
体当たりさながら飛び込んでくる五人に、私は笑いながら答えた。さすがに、獣化もしてない子供五人は抱えきれない。昨夜はジラルダークが四人纏めて抱き上げてたけど、よくそんな人に強くないって言えたね、クレストくん。
「……カナエお姉ちゃん、守る……」
「万が一があるかもしれないからってクレストくんが……」
「ばっ、エーリ、余計なこと言うなよ!」
私の腰やら腕やらに抱き着いて、ぎゃあぎゃあと子供たちが騒ぐ。あらら、ニッツァくんも聞いちゃったのか。
「だから、俺が守ると言っているだろう」
「ジル兄さんは獣人じゃないんですから。ぼくたちの方が強いかも?」
で、デメトリくんまで、魔王様にそんなことを……。言われたジラルダークは、苦笑いを浮かべてデメトリくんの頭をくしゃくしゃと撫でた。痛いです、とデメトリくんも楽しそうだ。
「おはよ、カナエさん、ジルさん」
玄関前で子供たちと騒いでいたら、お隣のイルマちゃんが顔を出した。おはよう、と返して、私は立ち上がる。子供たちに服引っ張られてて、中腰になっちゃったけどね。
「今日も畑かな?」
「ううん、それがね、何かカナエさんたちに用があるから待っててほしいって、サーお兄ちゃんが言ってたの」
「用事?」
イルマちゃんの言葉に、子供たちの間に緊張感が走った。やっぱりそうなんだ、ビサンド兄ちゃんが、と声を潜めて話してる。ジラルダークは笑いを堪えながら、子供たちの話に混ざるのだろうか、腰を屈めた。
イルマちゃんは、不思議そうに子供たちとジラルダークを見ている。昨夜の騒ぎは知らされていないようだ。私は、安心させるようにイルマちゃんに微笑んでみせる。
「じゃあ、ビサンドくんが呼びにきてくれるのかな?」
「だと思う。だから、うちに上がって待とう」
頷いて、私は子供たちとジラルダークに視線を向けた。ジラルダークはクレストくんに何か耳打ちをしている。クレストくんは、本当かよ、とジラルダークを見た。
「ああ、嘘はつかん」
にんまりと笑うジラルダークは、もう、悪戯っ子そのものだ。半分くらい納得いってない様子だけど、クレストくんはジラルダークに促されてイルマちゃんの家に入っていく。他の子たちも、続いてイルマちゃんの家に入っていった。
「何て言ったの?」
尋ねると、立ち上がりながらジラルダークは喉を鳴らして笑う。
「俺は魔法使いだ、とな。クレストたちは信じていないようだが」
「まほう、……うーん」
確かに、魔王様は魔法使いだ。でも、魔王様の今までの戦いっぷりを見るに、後衛の印象がある魔法使いというよりも、前線で剣と体術を使ってごり押ししてる戦士、のような印象の方が強い。
「え、ジルさん魔法使えるの?」
「少しな。子供たちがあまりにも俺を弱いというから、向きになってしまった」
両手を広げて肩を竦めるジラルダークの腕には、魔力を制御する腕輪が付いていた。確かに、ホラー同好会謹製の腕輪を付けていたら、ジラルダークの言う少しだけ魔法が使える、っていうのも間違ってはいない。間違っちゃいないんだけど、詐欺だ。
魔法というワードに目をキラキラさせているイルマちゃんと共に待つこと十数分。ビサンドくんは、この村の大人たちを連れてやってきた。ヴァシュタルも一緒だ。当然というか、子供たちは牙を剥き出しにして警戒してる。大人たちの代表として、初日に挨拶した村長のアギアスさんが話し出した。
「ジルさんカナエさん、昨夜はお騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」
ちらりと子供たちを見て、アギアスさんは苦笑いを浮かべる。私は、そんなことありません大丈夫です、と首を振って答えた。
「本来でしたらお知らせせずに用意したかったのですけれど、ね。我々の村では成人した子供たちに耳飾りの贈り物をする慣習があるんですよ」
アギアスさんが、自分の耳に付いている青い耳飾りを触る。小さな玉のような、不思議な輝きの耳飾りだ。綺麗だなと思って見ていると、アギアスさんは微笑んで言う。
「これは、魔物の目を加工したものなのですよ。魔除けの意味を込めて、と私は曾祖父から聞きました」
「魔除け……」
「あなた方は悪魔ではない、私たちと同じ人間であり、大切な村の一員であると、そうお伝えしたくて」
アギアスさんの言葉に、私も子供たちも驚いて目を見開く。アギアスさんは穏やかな笑みを浮かべて言葉を続けた。
「完成品と共にお話しできればよかったのですが、……今にも子供たちに噛みつかれそうでしたからね」
クレストくんたちを見て、アギアスさんは苦笑いを浮かべる。ああ、だから、ジラルダークは危険がないって言っていたのか。
「随分と酷い態度をとっていたと思います。そのお詫びも込めて、完成したら受け取っていただけますか?」
微笑むアギアスさんに、私はただ、頷くしかできなかった。ジラルダークは、何も言わずに私の肩を抱き寄せる。これ幸いとばかりに、私はジラルダークの胸に顔を埋めた。今、こんな顔をみんなに見せるわけにはいかない。
分かってもらえた安堵と、仲良くなれなかったらどうしようと思っていた不安と、心配してくれた子供たちへの感謝とで、胸の中がぐちゃぐちゃだった。
「村長が姉ちゃん泣かせたぞ!」
「やっぱり、酷いことしたのね!」
バレてないと思ったんだけど、子供たちには私の涙が見えてしまったらしい。ジラルダークの手が、落ち着かせるように私の背を撫でる。
「いいや。カナエは嬉しくて泣いているんだ。心配はいらない」
とてもじゃないけれど声なんて出せなくて、けれど、ジラルダークが代わりに説明してくれた。足に、子供たちの手の感触がある。お姉ちゃん大丈夫、とニッツァくんの控えめな声が聞こえた。
「本当に、申し訳ありませんでした。初めてお会いした時には言えませんでしたが、私たちは、あなた方を村の一員として歓迎します」
「ありがとう。我ら悪魔を代表して、あなた方へ感謝の意を表します」
ジラルダークが凛とした声で答える。私は必死に涙を拭って、足元の子供たちに微笑んで見せた。不安そうにしていた子供たちは私の顔を見て、ようやく安心したように笑う。
「それでは、私たちは谷へ行ってきます。加工には数日かかってしまいますので、お渡しできるのが先になってしまいますが」
「おれも行く!」
アギアスさんの言葉に元気よく手を挙げたのは、クレストくんだった。クレストくんの頭に村長さんの拳骨が降ってくる。クレストくん、お母さん以外にも拳骨もらうのね。
「いってぇ!」
「カナエお姉ちゃんたちの耳飾りを作るんでしょ?わたしも行きたいわ」
「おいらも、手伝う!」
頭を押さえて撃沈したクレストくんに、ミレラちゃんとエーリくんが続いた。デメトリくんとニッツァくんも頷いている。
ようやく平常心を取り戻した私は、ちらりとジラルダークを見上げた。ジラルダークは、口元に笑みを浮かべて……、おおう、ヴァシュタルを見てる。ヴァシュタルは視線を右往左往させて、何故かお腹の辺りをそっと抑えた。
「遊びに行くんじゃないんだぞ。谷は子供が行くような場所じゃない」
アギアスさんが、強い口調で子供たちを叱った。でも、子供たちも引き下がらない。それだけ懐いてくれたのかと嬉しくなるけど、だからって危険なところに行かせちゃダメだ。
「もしよければ、子供たちの護衛は俺が担いましょうか。これでも、少しは魔法を使えます。妻や子供は俺が守りましょう」
「そうですね。……ジルさんはこの村へ来るまでの道中、隣村の俺たちも護衛してくださいました。ジルさんにお願いをすれば、危険はないかと」
ジラルダークの提案に乗ったのはヴァシュタルだった。ああ、なるほど。アギアスさんの説得を手伝えと言われてたのか、ヴァシュタル。魔王様に弄ばれちゃってまぁ、可哀想に。さっきお腹の辺りを押さえてたのは、もしかして胃でも痛めてるのだろうか。もろに中間管理職だもんね。他の領主さんみたいに素の魔王様を知ってるわけでもないし、機嫌を損ねないように気を遣いまくってるっぽい。
「だが……」
「村長がダメだって言ってもついてくからな!」
「そうそう、ずるいわよ、大人ばっかり!」
きゃんきゃんと吠える二人に、他の子たちもそうだそうだと続く。困ったな、とばかりにアギアスさんは頭を掻いた。
「それに、ジル兄ちゃんの魔法見てみたい!」
既に子供たちは目を輝かせて、行く気満々だ。置いていくにしても説得するのに時間がかかるだろうし、下手をすればこっそりついていってしまうだろう。ジラルダークが子供たちもまとめて守れるって言ってるんだから、大丈夫だよね。
そう思って彼を見上げると、ジラルダークに微笑んで頷かれた。以心伝心なようでなによりです。
「よろしければ、私たちも連れていっていただけませんか?主人はとても強いので、万が一の時にはお役に立てるかと。それに、村の一員でしたら、私たちもみなさんのお手伝いがしたいです」
もう一押し、と私がに言うと、アギアスさんは苦笑いを浮かべた。
「あなた方への贈り物なのに、格好がつきませんね。……では、子供たちの護衛をお願いできますか」
折れたアギアスさんに、子供たちがやったーと無邪気な声を上げる。はしゃぐ子供たちを、アギアスさんがもう一度叱った。
「いいかお前たち、絶対に大人のそばを離れるんじゃないぞ。勝手に走り出したら、縛ってでも連れ戻すからな」
アギアスさんの言葉に、子供たちはいい子でお返事する。それから、デメトリくんは梟になってジラルダークの肩に、ミレラちゃんは猫になって私の足に前足をかけてきた。可愛らしく小首を傾げて、ミレラちゃんが言う。
「谷まで遠いの、カナエお姉ちゃん抱っこして」
「もちろん!」
ええ、断れるはずがありませんでしたとも。嬉々として抱き上げた私に、集まっていた村の人たちは朗らかな笑い声をあげるのだった。