117.村の夜2
子供たちを見送って夕飯を済ませる頃には、私も大分動けるようになっていた。まあ、過保護魔王様が食器の片付けすらさせてくれなかったけど。いっそ、介護福祉士の資格でも取ればいいんじゃなかろうか。
そろそろお風呂に入ろうかな、って思ってたら、一緒に入るか、と満面の笑みのジラルダークが寄ってくる。無事に済むと思えないから、丁重にお断りしたいところだ。
「私はのんびり入りたいの!」
「ああ、ゆっくり入ろう。カナエは何もせずともいい。体の隅々まで、俺がしっかりと洗ってやるからな」
伝わらねぇ!もう、通訳の方でも用意してもらおうかね!抵抗とばかりに抱っこしてくるジラルダークの頬っぺたを抓っていたら、ふとジラルダークが視線を窓の外へ向けた。すっと目を細めて、何かを見ているようだ。
「……ジル?」
呼びかけると、ジラルダークは苦笑いとも何とも言えない笑みを浮かべる。何かあったのだろうか?
「どうも、悪戯な子供たちが騒いでいるようだ」
「うちの近所で?」
「いや、……ああ、なるほど、そう誤解したのか」
ジラルダークは、何か納得したように瞼を伏せると、私を丁寧にソファへ下ろした。それから、私の正面に膝をついて、両手で私の手を握ってくる。
「すまない。少し待っていてくれるか。説明している間に、子供たちが危険なことをしそうだ」
「ええっ?!まずいじゃない、説明はいいから、早く行ってあげて!」
「ああ、子供も、こちらへ連れてくるかもしれん」
ジラルダークの言葉に頷く。こっちは子供を受け入れられるように準備しておくから大丈夫だ。何があったかは分からないけど、子供たちが危険に晒されるなんて放っておけない。
「戻ったら、説明をする。全く、世話の焼ける子供たちだ」
少し呆れたように、それからどこか、そう、お父さんがするような目をして、ジラルダークは目の前から消えた。私はそれを見送ってから、子供たち用にお茶を用意し始める。ジラルダークに叱られて連れてこられるのだろうか。だとしたら、慰める用にお菓子も用意しておこう。そもそも、こんな時間まで出歩いてるなんて、やんちゃな子たちだなぁ。親御さんも心配してるだろうに。
そんなことを考えながら準備を終えたら、玄関の方から賑やかな声が聞こえてきた。賑やかというか、あれ、もしかして泣いてる?
一つの足音と共にリビングに入ってきたのは、ぐすぐす泣く子供たち四人を両腕に抱えたジラルダークだった。ず、随分叱られた、のかな?
「カナエ姉ちゃん!」
「カナエお姉ちゃん、早く逃げないと!」
「へっ?」
ジラルダークの腕から降りてきたクレストくんとミレラちゃん、それにエーリくんとデメトリくんが、泣きながら私の腕を掴む。そのまま、玄関へ向けて引っ張られた。子供とはいえ、さすが獣人。引く腕の強さに、その場で止まれずふらついてしまう。
「ちょ、みんなどうしたの?何があったの?」
尋ねると、決壊したように子供たちが大声を上げて泣き出した。一体何がどうしたんだ。何でこんなに切羽詰まってるのこの子たち。そう思ってジラルダークを見ると、さっきと同じように呆れたようなお父さんのような目で笑っている。……ってことは、焦るような事態じゃないようだ。
「だから言っているだろう。襲われたとしても、俺がカナエを守るから大丈夫だ」
「だって、ジル兄ちゃんだってそんな強くないんだろ!」
クレストくんの言葉に、私は目を丸くする。いやうん、魔王様だって言ってないけど、でも、そうか。ジラルダークが強く見えないのか。腕輪のせいだけでもないんだろう。それだけ、子供たちのいいお兄ちゃんになってるってことだ。ジラルダークは泣き喚くクレストくんに、やれやれと肩を竦めた。
「俺は悪魔だぞ。妻の一人くらい、自力で守れる」
「でも、谷の魔物なのよ!すごく育ってたって、大人たちが……!」
谷の魔物?……全く状況が飲み込めない。ええと、子供たちは私をここから逃がそうとしてて、何かに襲われるのを恐れてるみたいだ。それが、谷の魔物とやららしい。
『どうも、村の大人たちの話を聞いて誤解しているようだ』
不意に、耳元でジラルダークの声がした。驚いて彼を見上げると、子供たちに見えないように唇に人差し指を当てて笑っている。そのポーズ、内緒ってことか。しーっ、てことか。オイコラ、悪戯してるのは子供たちじゃなくて魔王様の方だろ。
『村の者が何かをしようとしているのは確かだが、危険はない。ヴァシュタルも混じっているしな。だが、その会合を盗み聞きした子供たちが、曲解したようだ。魔物を使って悪魔を襲わせようとしている、と』
うわあ。何をどうしてそんな誤解しちゃったんだ、この子たちは。私は、泣きながら尚も玄関へ引っ張ろうとする子供たちに視線を戻した。
『落ち着かせてやってくれ。俺ではどうにもならん』
あ、匙投げた。
んーむ、どうするかな。とりあえず、危険はないんだよってことを理解させないと。私は床に膝をついて、子供たちと同じ目線になった。
「大丈夫。私には戦う力はないけれど、ジルはとっても強いんだ。みんなまとめて守ってくれるよ」
涙で真っ赤になった四人の目が、本当に、と私に尋ねてくる。私は出来る限り安心させるように微笑んで、しっかりと頷いてみせた。
「谷の魔物って、すっごく強くてでっかいんだぞ!」
「そうよ、カナエお姉ちゃんなんて丸飲みされちゃうわ!」
「お、おいらたちがカナエお姉ちゃんを守るよ!」
「大人たちは、悪魔にいい印象を抱いてないんです、だから……!」
一斉に騒ぎ出した子供たちに、私は微笑んだまま頷く。私が取り乱しちゃいけない。子供たちの不安を掬って、落ち着かせてあげないと。私は、掴まれたままの腕をどうにか広げて、にっこりと笑った。
「大丈夫だよ。おいで」
言うと、子供たちの目からぶわっと涙が溢れる。次いで、四人とも私の胸に飛び込んできた。服やら腰やらを掴んで、四人ともわんわん泣き出してしまう。大人たちの話を聞いてしまって、不安だったろうに。こんなに小さな手で、必死に私たちを守ろうとしてくれたんだ。
「ありがとうね。私もジルも大丈夫。大丈夫だからね。何も怖いことはないよ」
四人纏めて抱き締めると、私はひたすら落ち着いたトーンで言い聞かす。そうか。大人たちが私たちにあまりいい印象を持っていないっていうのを分かっていたから、この子たちは四人だけで行動していたのか。
『ヴァシュタルには伝えた。そのうち、子供たちの親が迎えにくるだろう』
ジラルダークの声に、私は頷いてみせた。ああ、じゃあ、お菓子を持って帰らせようか。こんな泣いちゃってるんじゃ、きっとお腹がすくだろう。
そう思ってテーブルへ視線を向けてからジラルダークを見ると、彼は分かったと言わんばかりに頷いてテーブルへ向かった。アイコンタクトで伝わったようで、何ともむず痒い気分になる。
わんわん泣く子供たちが、ぐすぐす鼻をすするくらいになった頃、それぞれの保護者が迎えに来た。保護者にくっついて一緒に来ていたヴァシュタルの顔色が悪いけど、もしかして魔王様にテレパシーで叱られたのかな?ヴァシュタルのせいじゃなかろうに。
「全くあんたって子は!本当にすみませんでしたねぇ、夜も遅くに」
ごっちん、とすさまじい音の拳骨を受けて、クレストくんがうずくまる。あれは痛い。絶対に痛い。他の子たちも、それぞれおばあちゃんやお母さんに叱られていた。私たちを心配してくれたんだから、あんまり叱られちゃっても可哀想だな。
「いいえ、そんな。お気になさらないでください。それに、みんな私たちを心配して駆けつけてくれたんです」
だからあんまり叱らないであげてください、と言外に含めて、私は微笑む。その横でジラルダークが、叱られてまた涙目になっちゃってる子供たちにお菓子を持たせていた。ジラルダークの大きな手が、子供たちの小さな頭をわしゃわしゃと撫でていく。クレストくんのお母さんは、しょうがない、と苦笑いを浮かべて溜め息をついた。クレストくんはやんちゃな子だもんね、気苦労が絶えなそうだ。
「また、明日遊ぼうね」
親御さんに連れられて帰っていく子供たちに手を振って、今度は存在を消して立っていたヴァシュタルを見る。私の視線に、びくっとヴァシュタルの肩が跳ねた。ちょっと、魔王様ならともかく、何で私にまで怯えるんだ。
「ヴァッシュ、お茶でも飲んでいかない?」
「い、いえ……」
「さっき、子供たちに用意したんだけど、結局飲む暇なかったんだよ」
ヴァシュタルは、私を見て、それから私の後ろにいるジラルダークに視線を向ける。口元が引きつってるぞ、ヴァシュタル。何度かせわしなく視線を行き来させて、ヴァシュタルは首を振った。
「折角のお誘いを大変恐縮ではございますが、辞退させていただきます」
うわあ、ヴァシュタルが私にまで堅っ苦しい!周りに村の人がいないから余計なのかな。それとも、私の後ろの魔王様のせい?
そう思って振り向くと、ジラルダークは微笑んで私を見ていた。うーむ、ヴァシュタルが怖がるような魔王様モードじゃない。
「王妃……いえ、カナエ様は本日、体調が優れなかったと聞き及んでおります。どうぞ、ご自愛くださいませ」
「もう元気だよ」
言っても、ヴァシュタルは固辞するだけだった。あんまりしつこくしちゃってもしょうがない。ヴァシュタルも体には気を付けてね、と帰る彼を見送った。私たちも、家の中に戻る。何やら、嵐が過ぎ去った後のような感じだ。
「さて」
お菓子はジラルダークが片付けてくれたし、お茶は冷蔵庫に入れて明日飲もうかな、なんて考えていたら、ジラルダークの声と共にいきなり視界がぶれる。ついでに、膝の裏に慣れた温もりと、あとはそう、足が地面から離れた。私は自然と近くなったジラルダークの顔を睨みつける。いつものように、魔王様に抱き上げられたのだ。
「何が、さて、なんでしょうかね」
「風呂に入らねばならん。のんびりと、な」
まだ続いてたのか!さっきまで子供たちを温かく見守ってたのに!欲望に忠実すぎやしませんか!このアホ魔王め!
ご機嫌で私を浴室に運ぶジラルダークに、私は苦笑いを浮かべる。子供たちよりもこの魔王様の方がよっぽど悪戯っ子でわがままだな、なんて思いながら、私はジラルダークの頬を抓るのだった。