111.悪魔の訪問者
子供の体力ってすごい。朝から子供たちと一緒に遊び……いや、畑仕事をしまくって、夕方頃には私のHPは0に近くなっていた。お昼もチーズケーキしか用意してなかったから、主食になるものをみんなの分、超特急で用意して、ってやってたのもある。子供たちがあんまりにも楽しそうだったから、今日は一日面倒見ようって思ったんだけどね。ビサンドくんは、午後から別の用事があるみたいで別行動をしていた。今は、子供たちとイルマちゃん、それにジラルダークがいる。私はバテてるけども。
木陰に座って水筒のお茶を飲みながら休んでいたら、ニッツァくんが寄ってきた。喉が渇いたのかな?お茶を飲むかと尋ねたら、小さな頭を横に振る。それから、ぼくもやすむ、と小さな声で告げてニッツァくんは鹿に変化した。あらま、かわいい。私の膝に頭を乗せるようにして、四つ足を畳んで伏せた。頭を撫でると、くりくりした目で見上げてくる。おう、かわいい。
ニッツァくんと一緒にのんびり休憩しながら、イルマちゃんや他の子供たちが遊ぶ光景を見ていた。何か、途中からジラルダークがお父さんにしか見えない。子供が転んでも立たせてあげたり、怪我しそうな危ないものをどけてあげたり。子供たちも、もうジラルダークにすっかり懐いてた。クレストくんやエーリくんなんかは、ジラルダークの背中に飛びついておんぶしてもらってる。何とも微笑ましい。
「あれ、誰だろう?」
子供たちに交じって虫を集めていたイルマちゃんが、どこかを見て首を傾げた。つられて視線を向けると、あれっ?
「エミリ!」
「……?」
ニッツァくんが、私の膝から顔を上げて人型に戻る。私は木陰から立ち上がって、私たちと同じような民族衣装を身に纏ったエミリエンヌに駆け寄った。エミリエンヌも、満面の笑みで駆け寄ってきてくれる。
「カナエお姉さま!」
ぽふんと、エミリエンヌが飛びついてきた。ん?カナエお姉さま?
「我慢できずに会いに来てしまいましたわ。お変わりございませんか、カナエお姉さま?」
「うん、エミリは元気だった?」
ええ勿論ですわ、とエミリエンヌが可愛らしい笑顔で頷いた。くいっとスカートの裾を引かれる感触に振り向くと、ニッツァくんがいる。
「カナエおねえちゃん……、だれ……?」
「初めまして。私、カナエお姉さまの妹のエミリと申しますわ」
私に抱き着いていた腕を離して、エミリエンヌがスカートの裾を摘まみながら淑女の礼をした。エミリエンヌは私の妹って設定でいくのか。
「カナエさん、お客さん?」
畑から、子供たちを伴ってイルマちゃんがやってきた。その後ろを歩いてたジラルダークが、軽く眉間に皺を寄せる。
「うん、妹が遊びに来たんだ」
「突然お邪魔してしまって申し訳ございませんわ。カナエお姉さまのことが心配で、居てもたってもいられなくなってしまいましたの」
また、私の足元に抱き着いて、エミリエンヌが可愛らしく小首を傾げた。子供たちやイルマちゃんから見えてないけども、どんどんジラルダークの眉間に皺が集まっていく。
「じゃあ、今日はこの辺で終わりにしよっか。カナエさん、私がみんなを送っておくから妹さんと一緒にいてあげて。ほらみんな、帰るよ」
ぶーぶーと口を尖らせる子供たちの首根っこを掴んで、イルマちゃんが号令をかけた。エミリエンヌが来たってことは、何か悪魔の方の用事が出来たんだろう。ここは、イルマちゃんの言葉に甘えておこう。
「ごめんね、イルマちゃん。ありがとう」
「いいのいいの、私こそ、仕事手伝ってもらって助かってるんだから」
また明日ね、と手を振るイルマちゃんと子供たちに、私も手を振った。それから、私の足元に抱き着いてるエミリエンヌの手を取る。
「帰ろ、エミリ。私たちの家はこっちだよ」
「ええ、お姉さま」
「……誰が誰の姉だ」
エミリエンヌと手を繋いで歩き出した私の背に、力一杯拗ねた魔王様の声が聞こえた。エミリエンヌはジラルダークが何に拗ねてるか分かったうえで、にっこりと微笑んで見せる。
「こんな狭量な男に、お姉さまは勿体無いですわ。ね、早く帰りましょう」
「ま、まあまあ」
ぐぬぬと歯を食いしばってるジラルダークの手も掴んで、私は家に向かった。家に入るや否や、ジラルダークは腕輪を外す。おそらくは、防音の結界を張ったんだろう。
「何用だ、エミリエンヌ」
「まあ、本当にせっかちですこと。カナエ様のご負担になってやしないか、確認しに来て正解でしたわ」
くすくすと笑うエミリエンヌに、ジラルダークは隠すことなく舌打ちした。な、仲がいいんだか悪いんだか。
「ほら、ジル、ちょっと待って。エミリ、リビングのソファの好きなところに座ってね。今、お茶を用意するから」
とりあえず、玄関先で睨み合わせるもんでもない。二人をリビングへ急かして、私はキッチンへ向かう。お湯を沸かして……、ああそうだ、ちょっと摘まめるものも出そう。クッキーとナッツがあったはず。エミリエンヌは夕飯食べていくかな?聞いてみなきゃ。
「お待た、せ」
お茶とお菓子を用意してリビングに戻ると、めちゃくちゃ不機嫌な魔王様と、絶対零度の笑みを浮かべるエミリエンヌがソファに座って向かい合っていた。
「ああ、どうぞお気遣いなく、カナエ様。お手を煩わせてしまいましたわね」
「全くだ。我が妻の手をこれ以上煩わせる前に、去れ」
おおう、空気がピリッピリだぜ。どうしたもんかね、これ。お茶を二人の前に出して、私はそのまま床に膝をついた。
「ええと、あっちで何かあったんじゃないの、エミリ?」
「はい、さすがはカナエ様ですわ。どこぞの朴念仁と違ってお話が早くてらっしゃいますわね」
「なれば、俺が期待するよりも、魔神は無能であったか」
ちょちょちょ!またそういう、挑発するようなことを……!慌ててジラルダークの口を塞ごうと手を伸ばしたら、エミリエンヌがにっこり笑って頷いた。
「その通りですわ。私とて、お二人のお邪魔はしたくありませんでしたもの」
「えっ……」
あれ、エミリエンヌが肯定しちゃったよ。魔神さんが無能ってそんな、えええ。
「ご報告申し上げますわ。獣人の村へ放った悪魔たちのうち、こちら以外の全ての悪魔は先程、国へ引き揚げさせました」
「!」
「…………そうか」
「我々魔神が監視しうる中で、陛下の民を傷つけられぬよう見守って、手助けをしておりましたが、我々の力不足にございました」
エミリエンヌの報告に、ジラルダークは眉間の皺をそのままに腕を組む。ここの村以外にも、悪魔の人たちはアサギナの他の村へ物資を運んだり人材を提供したりしていた。私たちも、人材の一人としてこの村へ来たのだ。
「悪魔への負担が大きすぎましたわ。なるべく、ニンゲンとは諍いのなかった世代を選んだのですけれど、新たにニンゲンへの嫌悪感を植え付けてしまったやもしれません」
「他の村での悪魔の扱いについては、報告を受けていたままか」
「ええ」
悪魔の扱いについて言葉にしないということは、ジラルダークが私の耳に入れたくない程の扱いだった、ということか。
「こうなっては、一度、魔神と領主の意見を擦り合わせるべきだな。他の村へ向かった悪魔たちも城へ集めておけ。詳細を聞きたい」
「かしこまりました」
エミリエンヌは頷いて、それから悲しい微笑みを浮かべて私を見る。私は、何も言うことが出来ずにエミリエンヌの瞳を見つめ返した。
「カナエ様のお力が、皆にあればよかったのですが。……力不足を恥じ入るばかりですわ」
「私は、そんな……」
「先程お声がけする前、少しだけ様子を見ておりましたの。ニンゲンと悪魔の共存、まるで理想郷でしたわ。カナエ様がいらしたから、この村だけは、私たちの渇望する夢を叶えられたのでしょう」
「エミリ……っ」
「陛下だけでなく、私たちも、カナエ様に惹かれておりますの。きっと、この村の子供たちも、お隣の方もそう」
「そんな、ことは……」
私に、そんな力なんてない。ない、はずだ。メイヴの力を借りてもいない。……私の、知る限りでは。いや、メイヴが力を貸したのなら、他の村も上手くいってるはずだ。だから、違う。
「他の村の状況を聞かねば、判断しかねる。先に戻り、集合をかけておけ、エミリエンヌ」
「……ええ。出過ぎたことを申しましたわ」
ぺこりと頭を下げたエミリエンヌを、ジラルダークが魔法でテレポートさせた。私は、エミリエンヌのいなくなったソファから視線を外して、ジラルダークを見上げる。
ジラルダークは柘榴色の瞳で私を見た後、ふいっと視線を横へ流した。そんな些細な仕草すら、足元が揺らぐような衝撃となる。ダメだ、しっかりしろ。ジラルダークだって、あんな過去があったのにニンゲンと和解しようと頑張ってるんだから。
「すまない、少し城へ戻る。こちらへは結界を張っておくが、万が一何かあれば精霊の王を呼べ」
「……ん、うん、分かった」
私はジラルダークから視線を外して、床へ落とした。大丈夫。ジラルダークの負担にはならない。今、私にできることは。
「大丈夫だよ、ちゃんとお留守番してるから。いってらっしゃい、魔王様」
笑顔で、彼を送り出すことだ。
「帰りは遅くなるかもしれん。先に寝ていてくれ」
言い残して、ジラルダークは消えていく。ぽつりと一人残された部屋は、昼間までの騒がしさが嘘のように静かだった。