110.村の朝
子供たちにはしばらく静かになる棒付きの飴ちゃんを配って、その隙に私とジラルダークは慌ただしく朝食を済ませた。むしゃむしゃと、ジラルダークとの会話もなくパンを詰め込む。こんなことすら普段の悪魔城での生活ではありえなくて、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
「お邪魔しまーす。お待たせ、カナエさん……って、朝からラブラブな雰囲気が……」
どうにも考えてることが口から零れやすい、お隣のイルマちゃんがやってきた。後ろには、ビサンドくんもいる。
「おはよう。いらっしゃい、イルマちゃん、ビサンドくん」
「おはようございます、カナエさん、ジルさん」
ビサンドくんは、おっとり穏やかな少年だ。イルマちゃんもビサンドくんも、ちょっと大きめの兎さんだ。もふもふふかふかで可愛かった。また撫でさせてもらおう。
「カナエ、準備をするといい。こちらは片付けておこう」
「うん、ありがと、ジル」
朝ご飯の食器を纏めながら言うジラルダークに、私は微笑んで頷いた。畑に持ってく水筒を用意しないとね。キッチンへ向かった彼の後ろに続きながら、私はリビングを振り返る。
「もうちょっと待っててね。すぐに用意してくるから」
子供たちの分も、コップ持っていかないとかな。過ごしやすいとはいえ、はしゃぐと喉乾くだろうし。熱中症対策はしといたほうがいいよね。塩飴ちゃんも持ってこう。水筒に水出しの麦茶を入れて、そこへ柄杓で水を組み入れておいた。皮のナップサックに水筒とカップと飴ちゃんを詰め込むと、顔の横からにゅっと腕が伸びてくる。まあ、誰の腕かなんて、確認するまでもないんだけどね。
「ジル」
「他には何か入れるか?」
「ううん、大丈夫」
そうか、と頷いて、ジラルダークは後ろから覆い被さるように抱き込んできた。振り仰ぐと、ジラルダークの唇が頬っぺたに触れる。
「暫くは睦みあえぬだろう」
「もう……、」
軽いキスを何度か繰り返して、ジラルダークが腕を解いた。体ごと振り向いて彼を見上げると、少し残念そうな微笑みを浮かべる。
「これ以上は、歯止めが効かなくなるからな」
「ばか……」
ぺしっとジラルダークの胸を軽く叩いた。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、いつもみたいなキスをしてほしいだなんて思うけど、それは言わない。さすがに、子供たちを待たせたままなのは気が引けた。
「……帰ってきてからね」
「ああ、いくらでも」
こんの絶倫魔王め。ジラルダークは、革袋を軽く左肩にかけてリビングへ向かう。私も彼の後ろを追った。
「カナエ姉ちゃん早く!」
「遅いわよ、カナエお姉ちゃん」
クレストくんとミレラちゃんが、リビングに入った途端に足元に纏わりついてくる。あらかわいい。
「ごめんね、お待たせ。じゃあ、畑に行こうか」
二人の頭を撫でると、クレストくんは気持ちよさそうに目を細めて、ミレラちゃんは照れ臭そうにそっぽを向いた。この二人がワンコとニャンコとは、獣化したときの期待値が否が応でも上がるね。
「ニー、にもつもつ……」
くいっとスカートを引かれて振り向くと、俯きがちな男の子がいる。子鹿のニッツァくんだ。イルマちゃんがびっくりしてるけど、もしかしたら、内気な子なんだろうか。
「ニッツァくん、ありがと。荷物はそんなにないから、大丈夫だよ。えらいね」
ニッツァくんも撫でると、俯いたまま髪の隙間から覗くふくふくの頬っぺたが染まるのが見えた。ああ、かわいい。可愛いは正義だよ。
「おてつだい……する」
「じゃあ、私と手を繋いでくれる?私、まだ村のことよく知らないから、ニッツァくんと手を繋いだら安心だな」
「うん……」
小さな手が、私の掌を掴む。可愛い可愛い!ああ、抱っこしたい……!
「いつもデメトリの後ろにいるのに、もうカナエさんの後ろに、え、カナエさんてタラシ?確かに可愛いし癒し系だけど、ジルさん限定じゃないのか……」
イルマちゃん、思考駄々洩れだから。私がタラシって、んなわけあるか。アロイジアさんと一度話してみるといいよ。タラシとは何たるものか、しみじみ実感できるよ。
「イルマちゃん、今日はアーロさんの方に行くといいよ。アーロさんにタラシこまれてくればいいんだよ」
「うちの妹を変な道に誘わないでくださいね、カナエさん」
ビサンドくんが、すぐにイルマちゃんの口を手で塞ぐ。仲がいい兄妹に、思わず笑ってしまった。
それから、先導する子供たちとイルマちゃん、ビサンドくんに続いて畑に向かう。私の右手はニッツァくんが、左手はジラルダークが握ってた。こんなチビッ子に対抗心燃やさなくてもいいのに、心配性なんだから。
「今日は何するんだ、イルマ姉ちゃん?」
「草むしりと虫取りかな。草むしりは昨日、だいぶ済ませたけど、この時期はすぐに生えてきちゃうから」
ふむ、虫取りか。昨日見た限りだと鴨みたいな鳥は放してなさそうだったけど、……というか、アサギナの鴨って、下手したら獣人の可能性があるのか。普通の、純粋な動物もいる……よね。うん。いるはずだ。じゃないと、山へ狩りに行く意味がない。鳥の獣人が鶏肉を、っていうのは、どうなんだろう。イルマちゃんやビサンドくんは普通にお肉を食べてたよね。その辺の常識は、後でヴァシュタルに聞いてみよう。
「この村は自給自足が成り立っているな」
ジラルダークが、私の手を引きながらビサンドくんに言う。ビサンドくんは、にっこりと微笑んで頷く。
「ええ。ありがたいことに、うちの村はかろうじて自給自足が成り立ってますが、そうでない村もあります。行商人として村を回る人もいますね。ジルさんたちの国とは比べ物にならない程貧しいでしょう?」
ビサンドくんの言葉に、ジラルダークは口の端を吊り上げた。ほんの少し、いつもの魔王様の顔が覗く。
「こちらも元は不毛の地だ。そもそもの食料が足りないことも多かった。今は、そうでもないがな」
「そう、だったんですか。死の森の奥、僕には想像もつきませんが、いつか遊びに行きたいですね」
「……、さて、国王の許可が下りれば、な」
ジラルダークは、一呼吸置いて答えた。国王様がここにいるとは思うまい。本当の意味で、ニンゲンと和解ができたならば、悪魔とニンゲンが交流する日がくるのだろうか。今、山積みになってる問題も、横たわる感情も、いつの日か笑って語れるようになるのだろうか。きっとそれは、悪魔である私たちにとって、自分の手でどうにかしなければいけないことなのだろう。ニンゲンは移り変わるけれど、悪魔は今のまま、変わらないのだから。
「ビサンド兄ちゃん、ジル兄ちゃんの所に遊びに行くのか!?」
「え、ああ、ええと、できればいいねって話してたんだよ」
喰いついてきたクレストくんに、ビサンドくんが苦笑い混じりに答える。ビサンドくんは、悪魔とニンゲンの確執をよく分かってるようだ。
「焦らずとも俺達はまだしばらくはこちらに逗留している。よく遊ぶといい」
ジラルダークは赤い目を細めて、クレストくんに言う。クレストくんは、分かりやすく頬を膨らませてジラルダークを見上げた。
「しばらくって、いつまでだよ!」
クレストくんの言葉に、ジラルダークは面食らったように目を瞬かせる。その顔がおかしくって、私はくすくすと笑ってしまった。ノエとミスカがそばにいるとはいえ、あんまり子供の相手には慣れてないんだろう。
「いつまでだろうね。あんまりにも村のみんなに嫌われちゃったら、魔王様がもういいから戻って来いって呼んでくるかも」
魔王であるジラルダークが国を離れていられる期間は、そんなに長くない。魔神さんたちが実験的に頑張ってくれてるけど、ジラルダークも悪魔の国を放ってまでこちらにかまけていたくはないはずだ。私としては、疑似新婚家庭を経験できたし、獣人の子たちと知り合いになれたからね。もうちょっと、村の人と仲良くなれればいいなってくらいかな。
「まおうさま……こわくない……?」
私の手を引いていたニッツァくんが、不安そうに聞いてくる。黒目がちに潤んだ瞳が、なんとも愛らしい。
「全然。とっても優しくて、とっても頼もしい国王様だよ」
首を振ってみせると、ニッツァくんは少しだけ顔を上げて私を見上げた。こわいくないの、と首を傾けるニッツァくんの頭を撫でてあげたいけど、生憎、私の手はもう空いてない。安心させるように微笑んで、私は頷く。
「ほら、もう着いたわよ、カナエお姉ちゃん、ジルお兄ちゃん!」
「おいらが、虫取り教えてあげるよ!」
きゃいきゃいとはしゃぐ子供たちに、私とジラルダークは顔を見合わせて笑うのだった。