108.獣人の子供3
【イルマ】
結局、カナエさんのお手製タルトを一口食べたミレラは、そのまま綺麗に完食してしまった。もうちょっと食べたかったなー、とちらりとカナエさんを見ると、可愛らしく肩を竦めて微笑む。
「ダメ。あんまり食べると、夕飯食べれなくなっちゃうよ?」
「ええー、じゃあまた作ってよ、カナエさん」
「そうだねぇ、ジル、リンゴってまだあったっけ?」
ああ貯蔵庫に入れてあるぞ、とジルさんが頷いた。いつの間にか、ジルさんの眉間にあった皺はない。カナエさんが話しかけた瞬間に消えたようにも見える。どんだけカナエさん中心なんだ、ジルさん。
「俺は、以前にお前が作ったチーズケーキが食べたい」
「ふふっ、いいよ。じゃ、今日の夕飯当番はジルね」
「む……、分かった。カナエは何が食べたい?」
「うーんと、うーん、この前の野菜炒めも美味しかったし、ミートパイも美味しかったしなぁ」
ジルが作ったのなら何でもおいしいから迷っちゃう、と微笑むカナエさんに、お前の手料理には敵わない、とジルさんがとろけそうな笑みを浮かべる。おお、始まった。いつものラブラブイチャイチャの夫婦タイムだ。
慣れたこと、とお茶を楽しんでいたら、視界の隅にいた子供たちが目を丸くして固まっている。ああ、そうか。そうだった。子供たちは初めて見るんだもんね。
「ご、ご主人もお料理なさるんですの?」
おっかなびっくり、ミレラが尋ねる。ジルさんが、赤い瞳をミレラへ向けた。びくん、とミレラだけじゃない、子供たちの体が跳ねる。カナエさんに比べると、ジルさんの威圧感凄いもんね。ぶっちゃけ、ジルさんだけが一人でこの村に来てたら、悪魔の伝承を信じてしまってたかもしれない。
「最愛の妻が望むのであれば、いくらでも」
そんでもって口から出てくるのは、純粋無垢なのろけだ。見た目とセリフのギャップに、私も何度思考停止したことか。
「……俺としては、カナエの手料理が食いたいが」
「それは私も同じ。私だって、ジルの手料理食べたいもん」
ちらっとカナエさんの方を見たジルさんを、彼女はくすくすと笑って突っつく。ジルさんはやわらかく笑って、カナエさんの頬を撫でていた。
いちゃいちゃする二人から視線を外して子供たちを見ると、ミレラとクレストは目をまんまるにしたままで、デメトリはにこにこと笑ってる。エーリはちょっと顔を赤くしてて、ニッツァはデメトリの陰でちまちまとお茶を飲みながら、カナエさんたちへ視線を向けていた。
「じゃあ、明日はチーズケーキね。イルマちゃんは食べたことある?レアがいいかな、ベイクドがいいかな?」
「食べたことない!食べたい!」
カナエさんの言葉に、私は真っ先に手を挙げる。カナエさんはにこにこと笑って頷いた。チーズのケーキって、チーズ風味のパンケーキみたいのかな?楽しみ!
「じゃあ、甘さ控えめのと甘めの、二つ作ろうかな」
「それなら両方食べてみたい!」
即座に答えた私に、イルマちゃんってば、とカナエさんが笑う。
「イルマ姉ちゃん、なんか大人げないな……」
「ぼくも両方食べてみたいですけどね」
「おいらも……」
クレストにベーッと舌を出して、私はそっぽを向いた。カナエさんのお菓子はそう簡単に譲ってやんないもんね。私の方が四歳もお姉さんなんだから、年上に譲るべきだもんね。弱肉強食よ!
楽しみだな、どんなお菓子かなと思っていたら、不意に玄関の戸を叩く音がした。反応したのはカナエさんだ。ちょっと待っててね、と言い残して、彼女は玄関へ向かう。その後ろに、当然の如くジルさんがついていった。
二人の背中を見送ると、子供たちがそわそわと私へ視線を向けてくる。
「どうしたの?」
「ほんとの、ほんとに、悪魔っておれたちを食ったりしないのか……?」
代表して口を開いたのはクレストだった。デメトリ以外の子供たちも、こくこく頷いてる。食べられると思ってたのか、この子たち。
「私たちを食べる人が、私たちが美味しいと思うお菓子を作ったりすると思う?」
「で、でも!ほら、おとぎばなしであるじゃない。おいしいもの食べさせて、まるまると太ったところで食べられちゃうって……!」
ミレラが、不安そうに私を見上げてきた。村の大人たちは、お伽噺まで引き合いに出して悪魔の人たちを貶めてるのか……。本当に、根深い問題なんだ。私なんか単純だから、アサギナを助けてくれたってだけで、いい人って思っちゃうんだけど。
「ぼくたちを食べようって考えてる人だったら、きっと、もうちょっと強引だと思うよ。だって、帝国のやつらに力で勝ったんでしょう?」
デメトリの言葉に、クレストとミレラが俯く。
「け、けどさ、だったら何でもっと早くおいらたちを助けてくれなかったんだよ!?悪魔って強いんだろ?なのに、おいらの父ちゃんも、兄ちゃんたちもみんな……!みんな……、帰ってこない……」
エーリの言葉にデメトリは目を見開いて、そのまま口を閉ざした。エーリの言うことは分かる。分かるけど、すごく勝手な言い分だ。逐一、私たちの情勢を把握してろって?今まで関わりすらなかった国の人に、それを言える?
けど、それをどう子供たちに説明したらいいんだろう。そのまま伝えて、理解できるだろうか。
「もっと早く助けられたらよかったね。けど、私たち悪魔も、君たちニンゲンが怖かったんだ。何の力も持たない私なんかは、この場で君たちが襲い掛かってきたら何もできずに死んじゃうよ」
エーリの言葉に答えたのは、私じゃない。カナエさんだ。そう、玄関から戻ってきたのは、カナエさんとジルさん、それに隣町のヴァッシュさんだった。
「むかし、むかーしにね、たくさん争いがあったの。たくさんの悪魔が殺されて、たくさんの人を殺して、悪魔は、人に関わるのを止めたんだ。殺し合わなくてもいいように」
カナエさんは言いながら、子供たちの座ってるソファへ歩み寄っていく。彼らに語りかけるように床へ腰を下ろして、視線を合わせた。子供たちは、食い入るようにカナエさんを見つめている。
「悪魔は、悪魔だけで生きていけるように国を造った。何百年も昔ね。悪魔が殺されないように、人を殺さなくてもいいように」
カナエさんの、鈴の音のような声だけが、静まり返った居間の中に響いた。
「悪魔の王様は、今だったら……」
カナエさんは一瞬瞼を伏せて、微笑む。悲しいような、慈しむような微笑みに、胸が締め付けられた。
「今なら、お互いに殺し合わないで、仲良くできるんじゃないかって考えてるんだ。だから、怖いけど人同士の戦争に割って入ったの。魔王様の助けに少しでもなりたいから、私もこの村に来たんだよ」
カナエさんの言葉に、子供たちは各々考えているようだった。
「カナエ姉ちゃんは、今もおれが怖い?」
真っ先に口を開いたのはクレストだ。彼の言葉に、カナエさんは微笑んで首を傾ける。
「きっと、クレストくんが私を怖いって思うのと同じくらい、怖いよ」
「じゃあ、何で……?」
「だって、仲良くなりたいじゃない。せっかく、知り合えたんだから、仲良くしたいじゃない」
ね、と笑うカナエさんに、クレストは俯いた。その耳が赤く染まっているのに気付く。え、あれ、まさか。
そういえばさっき、カナエさんのことちゃんと名前で呼んでたよね、クレスト。ん?え、えええ。クレスト、年上癒し系の女の人が好みなのか!カナエさんは確かに可愛いけどね、旦那さんであるジルさんの逆鱗に触れなければいいけど……。
そう思ってちらりとジルさんの方を見ると、同じように冷や汗交じりでヴァッシュさんがジルさんを見ていた。ヴァッシュさんはかなり、この二人の事情に詳しいようだ。
私たちの視線の先、ジルさんは腕を組んで瞼を伏せている。とくに怒ってるようでもないんだけど、どことなく、こう、感情を抑えてるようにも見えた。
「わたしたちと仲良くしたいのなら、あなたたちを明日も監視するわ!」
ミレラの威勢のいい言葉に、私はジルさんから視線を外して彼女を見る。ミレラは、踏ん反り返って腕を組みながら、得意げに笑った。そのそばで、デメトリもいつものにこにこ笑顔で頷く。
「午前中はイルマ姉さんと畑仕事をしてますよね」
「じゃあ、そこに乗り込んで監視してやろうぜ!」
「そうしましょう!」
「……うん、おてつだい、する」
威勢よく頷く子供たちの中で、ぽつん、とニッツァが呟く。珍しい。ニッツァが初対面の人の前で喋るなんて。
「て、手伝いじゃないわ!監視よ、か、ん、し!」
ミレラが慌てて訂正するけど、うん、微笑ましく見える。ちらっとヴァッシュさんを見ると、安堵したようなまだ顔色が悪いような、何とも言えない表情で子供たちを見ていた。
「明日は、俺も……」
「不要だ。こちらの人手は足りている」
言いかけたヴァッシュさんを、ジルさんが制す。どういう力関係なのか、ヴァッシュさんは言葉を紡ぐどころか、どこかばつが悪そうに俯いた。カナエさんは、苦笑い混じりに二人を見てる。
それから、私はもう帰るというヴァッシュさんと一緒に子供たちを連れて、それぞれの家に送った。子供たちは、明日は何時にどこへ集まろうかと相談に忙しい。どうにも、明日は騒がしい一日になりそうだ。