107.獣人の子供2
【イルマ】
子供たちとカナエさんを追いかけて辿り着いたのは、やはりというか何というか、カナエさんとジルさんの家だった。私とジルさんが追いついた頃には、もう既に家の外に子供たちの姿もカナエさんの姿もない。中に入ったのだろうとドアノブに手をかけると、子供たちの騒ぐ声が聞こえた。カナエさんの姿が見えないのに、隣にいるジルさんはここ数日でよく見かけるカナエさんが愛しくて堪らないって表情をしている。
大丈夫なんだろうか。カナエさんを信用してるから、っていうのもあるだろうけど、心配性でべったべたにカナエさんを溺愛してるジルさんが、彼女を目の届かないところで放っておくのは意外だった。すぐにでも追いかけるかと思ったんだけどなぁ。
「ほうら、捕まえたー!うひひひ、悪魔の洗礼を受けよー!」
「ギャーハハハハ!やめっ、やめろ悪魔ー!」
「放してー!」
「きゃははっ、や、はははは、く、くすぐるなんて、卑怯よ!」
聞こえてくる声もカオスだったけど、家の中はもっとカオスだった。両脇にクレストとミレラを抱えて、足でエーリをホールドしている。しかも、両脇のクレストとミレラはくすぐられてるらしい。もがきながらケラケラと笑っていた。器用な人だ。
デメトリは背中に隠れるニッツァを軽く庇いながら、にこにこと笑っている。生来の気質か、あんまりこの子が動じたところを見たことがないなぁ。デメトリは梟の子だもんね。デメトリのお母さんもおっとりしてるし。
「ふふん、参ったか!降参って言ったら放してやろう!」
カナエさんが三人を腕と足で挟み込みながら得意げに言った。うん、あれは確かに悪魔だわ。子供限定で。
しばらく粘っていたけれど、そう時間もかからずに三人が音を上げた。降参降参と叫ぶ三人を、カナエさんはからりと笑いながら放す。
「はい、お待たせ。みんな好きに座っててね」
台所へ向かうカナエさんに代わって、ジルさんがへとへとになってる三人を抱え上げてソファに座らせる。それからジルさんは、向かい合うソファに座るようデメトリとニッツァへ声をかけた。
「お前はこちらへ座るといい。少しの間、子供たちを見ていてくれ」
「あ、うん!」
ジルさんは私が頷いたのを確認すると、カナエさんのいる台所へと姿を消す。カナエさんに構い倒されてぐったりしてた三人が、よろよろと体を起こした。
「あいつ、強ぇ……」
「女性らしからぬ力だわ……」
反抗心ごと吸い取られたのか、随分と大人しくなってる。ここが悪魔のお家……住処だっていうのに、家探しもしなければ暴れもしない。
「すごく親しみやすい方なんだね」
デメトリの言葉に、私は頷いた。ニッツァはおっかなびっくり、台所の方を見ている。パワフルなカナエさんに驚いただろうなぁ。ニッツァは人見知りも激しいし。
「とっても楽しい人たちだよ。ねえみんな」
私はテーブルの方からソファに座るみんなを見て言う。これは言っておかないとだと、私は思った。
「大人の話も大切だけれど、みんなが見て、触れて、感じたことも大切だよ。みんなが悪魔の人たちをどう思うのか、きちんと考えてね」
「うん、そうだね。分かったよ、イルマ姉さん」
デメトリがこくりと頷く。クレストとミレラより二つ年下だけど、子供たちの中では一番しっかりしてるというか、達観してる子だ。
「……だって、悪魔だろ。おれは騙されねぇぞ」
「……そうよ。甘い言葉で、私たちを騙すんだわ」
クレストとミレラは、少し思うところがあるようだけれど、まだ頑なだった。エーリは不安げにクレストを見てる。エーリに関しては、今一緒に住んでるのは温厚なおばあさんだけだ。きっと悪魔に対して変なことは言ってないだろうおばあさんの意見よりも、毎日ほとんど一緒にいるクレストの意見を尊重するようだ。デメトリは、この中で唯一中立っぽいけれど、子供たちの中で生活していくのだからクレストとミレラが悪魔を攻撃したらきっとそれに従うと思う。ニッツァはそれ以上に、子供たちの輪の中でしか生きられない子だ。
鍵は、クレストとミレラか。この二人を説得しないと、カナエさんたち悪魔の認識が改まることはないだろう。どうやって説得しようか。
「お待たせ。お茶とお菓子だよ」
そんなことを考えてたら、カナエさんとジルさんがティーポットと人数分のカップ、オレンジのタルトをトレーに乗せて戻ってきた。甘くて香ばしい匂いに、子供たちの空気が浮足立ったのが分かる。
「今、分けるからね。ちょっと待ってね」
カナエさんはタルトをナイフで切り分けながら、手際よくジルさんが用意してたお皿に盛っていった。サクッと音だけでも美味しそうなタルトを、ついつい目で追ってしまう。
私は、カナエさんの作るオレンジのタルトが大好きだ。オレンジの自然な甘さと程よい酸味と、オレンジの風味を邪魔しないのに存在感があるカスタードと、生地のサクサクな歯ごたえと鼻に抜ける香ばしさと、うん、完璧な代物だ。昨日貰って食べたけど、私の大好物になった。毎日だって食べたい。
「さ、早速わたしたちを誘惑するのね!悪魔の食べ物なんて、食べられないわ!」
こんなごちそうを前に、気丈にも反抗したのはミレラだった。うーん、まあ、これも悪魔の誘惑といえば誘惑になるのかな。
「私は食べるよ、カナエさんの作るオレンジのタルト大好きだもん」
反抗する子が続く前に、私はカナエさんの用意してくれたタルトを貰う。カナエさんはにっこりと微笑んでお茶も注いでくれた。それから、カナエさんは私に向けた優しい笑顔とは別の、悪戯なにんまりとした笑みを浮かべて子供たちの方を見る。特にミレラは、びくりと肩を震わせた。
「あ、別に食べる勇気のない子は食べなくていいよ。今日のはいい出来だと思うんだけどねぇ」
「そうやって誘惑して、わたしたちを取り込むつもりね!」
「そうそう、誘惑してるんだよ。仲良くしようねってさ」
食って掛かるミレラに、カナエさんはにんまりと笑ったまま首を傾げてみせる。面食らったように、ミレラはカナエさんを見上げた。カナエさんは引き続き、子供たちにお茶とタルトを配る。気付けば、目の前の定位置にジルさんが座っていた。ついでにもうジルさんはタルトを食べ始めてる。
カナエさんは子供たち全員にタルトを配り終わってから、ジルさんの隣に腰を下ろした。それからようやく、ミレラへ視線を向ける。
「私たち悪魔が、君たちを悪い方向で誘惑するとして、んー……」
タルトをもぐもぐと租借しながら、カナエさんは言葉を探していた。これ、食べてもいいのかな。ジルさんもカナエさんも食べてるんだから、私が我慢する必要はないよね。うん、私も食べよう。
「奴隷にしたり食料にしたりって酷いことするのに、わざわざ近所に引っ越してきて、自分の家に招いて、こちょこちょして、お菓子を振舞うと思う?」
「え、っと……」
言葉に詰まってしまったミレラに、カナエさんはやさしく微笑んだ。
「ごめんね。意地悪だったね。私たちが本当に怖かったら、食べなくていいんだよ。残したって、ひっくり返したって、誰も怒ったり、あなたを馬鹿にしたりしないからね。それでいいんだよ」
カナエさんの言葉に、クレストもミレラも俯く。エーリは、カナエさんと私とクレストの顔色を窺うのに忙しそうだ。デメトリは、目の前のタルトが乗ったお皿を手に取る。ぴったりと隣にくっついてるニッツァにお皿を渡して、もう一皿手にした。
「いただきます。とてもおいしそうです」
「はいどうぞ、召し上がれ」
デメトリは、どうやらクレストとミレラの決断を待たずにカナエさんたちを信用することにしたらしい。一口タルトを食べると、デメトリは目を見開いた。
「おいしい……!」
うんうん。すんごく美味しいよね。中々、村では食べられないお菓子だよね。クレストとミレラが食べないならそのタルト頂戴って言いたいくらいに美味しいんだよね。
パクパクをタルトを食べ進めるデメトリに、クレストとミレラは顔を見合わせる。ニッツァも手渡されたタルトをおっかなびっくり口に入れて目を見開いていた。
カナエさんとジルさんは、それ以上子供たちに視線を向けることなく、いつものように談笑しながらタルトを食べてる。あんまりじっと見ちゃうのも居心地が悪いかもしれないと、私も子供たちから視線を外した。
正面に座っているカナエさんを見ると、お茶を飲みながら可愛らしくウインクをしてくれる。彼女の様子に、ああ、子供たちのことを任せても大丈夫なんだな、って安心した。どことなく、お母さんに似た雰囲気を持ってると思う。我儘言えちゃうというか、甘えたくなっちゃうというか。守ってほしいし、守りたいとも感じる。夫であるジルさんに関しては、奥さん大好きのちょっと気難しい人って印象なんだけどな。
「ね、ちなみにさ、あの子たちって何の動物なの?イルマちゃんたちと同じ兎ちゃん?」
こそこそと声を抑えてカナエさんが聞いてくる。つられて私も声を抑えて答えた。ざっくりとした括りでクレストは犬、その親戚のエーリも犬で、ミレラが猫、デメトリが梟、ニッツァは鹿だ。
獣化した私とお兄ちゃんを遠慮なく撫で繰り回した前科のあるカナエさんは、子供たちの種族に目を輝かせる。カナエさんの全身マッサージは気持ちいいけど、ミレラ辺りに悪魔の手練手管だって言われちゃうかもしれないなぁ。
「何だこれ、うめー!」
とかって考えてたら、クレストの声が響いた。大きな声にびっくりして子供たちの方を見ると、クレストがタルトを一心不乱にムシャムシャ食べてる。エーリもクレストの真似してタルトを食べ始めてた。ミレラだけが、口をへの字にして耐えてる。頑張るね、ミレラ。それだけ、悪魔に関してたくさん教えられてるのかもしれない。ミレラはおばあちゃん子だもんね。
裏切り者とばかりに、ミレラはクレストを睨んだ。それから、勢いよくソファから立ち上がる。
「わたしは、騙されないわ!悪魔は、魔物なのよ!人間を甘い言葉で誘惑して、内側から支配するのよ!」
吐き出した言葉の意味を、ミレラはどのくらい分かっているのか。慌てて制そうとした私を、カナエさんが微笑んで止めた。その隣のジルさんは、軽く眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。
「じゃ、食べなくてもいいよ。イルマちゃん、もう一個食べる?」
「ぜひ!」
「えっ」
間髪入れずに頷いた私に、ミレラは驚いて目を見開いた。何で驚くの。食べたくないって断ったの、ミレラじゃん。
「あっ、ずるいぞ、イルマ姉ちゃん!」
「お、おいらももう一個……」
「ぼくも食べたいです。ねぇ、ニー?」
デメトリの後ろで、ニッツァが頷く。思わず、苦虫を噛み潰したような顔になっちゃった。カナエさんのタルトは、子供たちにだって譲りたくない。だって、美味しいんだもん。戦争のせいで甘いものどころか食料そのものが少ないうちの村では、貴重なお菓子なんだもん。悪魔の人たちに援助してもらってるから、随分ご飯も増えたんだけどね。
「あ、あげないわ!これは、わたしに出されたものだもの!」
皿に手を伸ばそうとしたカナエさんに、ミレラが叫ぶ。カナエさんはおかしくてしょうがないとばかりに笑って、軽く首を傾けた。さらりと流れる栗色の髪がきらきらと光を反射して、まるで悪魔というよりも天使のようだった。
「うん、そうだよ。ミレラちゃんに出したんだよ」
「っ……、だ、出されたものはいただくわ!お行儀が悪いもの!」
ふん、と偉そうに踏ん反り返ったミレラに、カナエさんはからからと笑う。敵意を向けられてもちっとも気分を害した様子のない彼女に、私はほっと息をつくのだった。




