106.獣人の子供1
【イルマ】
一休みしてからカナエさんたちの家を訪れると、二人はテーブルについてまったりとお茶を飲んでいた。私たちのよく飲むお茶と違う、甘い香りのするお茶だ。
「いらっしゃい、イルマちゃん」
「さっきぶり、カナエさん、ジルさん。あのね、ちょっと相談があるんだ」
座って、と案内された椅子に腰かけながら、二人に今日の午後の予定を話す。私と一緒に子供の面倒を見てもらってもいいし、ヴァッシュさんの方に合流して狩りに出てもらってもいい。ただ、子供たちは少し悪魔に対して間違った知識を植えられてるかもしれないから、不快な気分にさせてしまうかもしれない。
掻い摘んで説明をすると、ジルさんは眉間に皺を寄せて腕を組んだ。ジルさんは、カナエさんを何よりも大事にしてる。この数日で痛いほどに分かった。だから、少しでも傷付く可能性がある私の方へは来たくないだろう。カナエさんが、行くと言わない限りは。隣のカナエさんは、ジルさんの顔を見上げて軽く微笑む。
「ジルはヴァッシュの方に行く?」
「まさか。お前と離れるなど有り得ん。だが……」
険しい表情で俯いたジルさんの腕を、カナエさんが優しく撫でた。暫くカナエさんにされるがままだったジルさんは、不意に幅の広い袖で私の視界からカナエさんを隠して、カナエさんの方へと体を屈める。悪魔の民族衣装なのかとても幅の広い袖が、目の前でひらりと揺れた。
…………え。
えっと、今、き、キスしたのかな?隠されて見えないけど、思わず視線を逸らしてしまった。村にはこんなラブラブな夫婦はいなかったから、これは刺激が強いなぁ。
「っ……もう、ジルのバカ!」
ぺしっと軽い音がした。カナエさんがジルさんを叩いたらしい。追うように、ジルさんの含み笑う声が聞こえてきた。ジルさんが視界を遮るために上げていた腕を下ろすと、ふくれっ面のカナエさんと、とろけるような微笑みを浮かべてカナエさんを見てるジルさんが現れる。カナエさんは、ぺしっともう一回ジルさんを叩いてから私へ視線を向けた。
「ごめんね、イルマちゃん。午後は、子供たちの面倒を見るの、手伝うよ」
頬を赤く染めて、カナエさんが私に言う。私の方についてくるのか。大丈夫かな?私から子供たちには頑張って説明するようにはするけど、カナエさんが悲しむところは見たくない。
そう思ってジルさんを見ると、彼は短く頷く。カナエさんが決めたのなら、反対はしないらしい。さっきのキス一回で自分の意見を譲った、ってところだろうか。き、キザというか、何というか……。
「じゃあ、行こっか。村の集会場に子供たちがくるの。大人が狩りに行ったり畑に行ってる時間、相手してるんだ」
「なるほど、児童館とか学童保育みたいな感じだね」
家を出発しながら、カナエさんと話をする。児童館に、学童保育。言葉の意味は何となく分かるけど、村の集会所とは少し違うようだ。カナエさんたちの街の方ではどんな感じだったのか尋ねれば、彼女は面倒がることもなく教えてくれた。働くお父さんお母さんのために、子供を預かってくれる施設や制度らしい。悪魔も私たちと同じように働くんだと思うと、じゃあ、私たちと悪魔の違いは何なのかという根本的な問題が頭をかすめた。
聞いてみてもいいんだろうか。あまり踏み込んで聞いたら、気分を害さないだろうか。でも、カナエさんの人となりは数日の付き合いの中で分かってる、と思う。私が悪魔について知ってるのは、大昔に人間に迫害されたこと、瘴気渦巻く死の森の奥で今も暮らしていること、そして帝国を退けるほどに強いということだ。
うん、整理してみても、悪魔についてほとんど知らないなぁ、私。隣町から来たヴァッシュさんはもうちょっと詳しそうだったけども、うーん。どちらかというと、私はカナエさんの方が話しやすい。聞くならカナエさんがいいけど、怒らせちゃったら嫌だな。カナエさんとは仲良くしていたいもん。
「ふふっ……」
ふと、隣を歩くカナエさんがくすぐるように笑った。どうしたんだろうと首を傾げると、悪戯に微笑んで私の顔を覗き込む。こんなに可愛い人が災厄をもたらす魔物で、しかも私より十も年上なんて信じられない。
「何でも聞いてくれていいよ。私、そんなことじゃ怒らないからね」
「!」
また考えてるうちに口から漏れてたらしい。かあっと顔が熱くなった。照れ隠しにカナエさんの脇腹をつつくと、くすぐったそうに笑いながら、カナエさんは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。一度、完全に獣化してカナエさんの前に出た時から、彼女はよく私を撫でてきてた。あの時は、獣化をほとんど見たことがないって言うから、私とお兄ちゃんで獣化してみたんだけどね。お兄ちゃんまで全身撫で繰り回されてたけど、ジルさんが慌ててカナエさんを止めていた。あれは笑ったなぁ。
「あ、そこだよ、カナエさん。そこ、集会所」
村の中心にある、普段は子供たちのたまり場になってる集会所を指すと、カナエさんとジルさんが視線を向けた。集会所の玄関の所には、クレストとミレラが険しい顔で仁王立ちしている。
「あの二人、男の子の方がクレストで、女の子の方がミレラっていう名前なんだけど……、ちょっと待ってね。何か、雰囲気がおかしい」
二人は、村の子供たちの中でリーダーのような存在だ。だけども、出迎えてくれるだなんて、殊勝な子たちじゃない。
「クレスト、ミレラ。どうしたの?中に入ろうよ」
「フン、やだね!」
カナエさんとジルさんには待っててもらって、私だけで集会所に近付いて声をかけた。鼻息荒く腕組みをして胸を反らしたのは、乱暴な悪戯っ子のクレストだ。
「イルマ姉ちゃんに取り入ってるって聞いたから警戒してたんだ!本当に来やがったな!」
「子どもから取り入る気なんでしょ!おばあちゃんが言ってたわ!その手には乗らないわよ!」
肩にかかる茶色の巻き毛を片手で払って、ミレラが挑発的にカナエさんとジルさんのいる方向を睨む。振り返ってカナエさんたちを見ると、カナエさんは何故かにこにこと楽しそうに笑っていた。ジルさんは予想通り、不快そうに眉間に皺を寄せている。
「取り入るって……、おばあちゃんにそんなこと言われたの?」
「おばあちゃんだけじゃなく、村の大人たちはみんなそういってるわ。悪魔は、わたしたちを甘い言葉で誘惑してくるってね!」
「そうだそうだ!おれたちは、悪魔にユーワクされないぜ!」
噛みつかんばかりの勢いで、二人が私に食って掛かってくる。よくよく見れば、玄関の扉の先、少しだけ開いた隙間にデメトリもエーリもニッツァもいた。ああ、子供たち全員で、矢面に立っているクレストとミレラを応援してるのね。
これは参った。どうしよう。うまい事、子供たちに説明しないと。誘惑だなんて、子供に話す事じゃないだろう。それだけ、大人が切羽詰まってるなら、もっと酷い言葉も教えられてそうだ。
「あのね、みんな。悪魔の人たちの言い伝えなんて、出鱈目なの。古い伝承だけど、ウソばっかりなんだよ。悪い人じゃないんだよ」
「そんなことない!騙されてるんだよ、イルマ姉ちゃん!」
キャンキャンと、クレストが即座に否定してきた。そうよねイルマお姉ちゃんはトロいもの、なんてミレラが同意してる。
「騙されてないってば。カナエさんもジルさんも、いい人なの。悪魔の人たちは、アサギナを救ってくれたんだよ?悪い人なわけないじゃない」
「おれ知ってる!じいちゃんが言ってたぞ!恩を売って、おれたちをいいなりにするつもりなんだぜ!」
「恩って、ねぇ……」
恩を売るっていうのは、カナエさんたちが来る前に私も考えた。けど、そもそも私たちを言いなりにしたいなら、こんな回りくどい事する必要がない。労働力が欲しいなら、帝国を屈させた力で私たちを服従させればいい。資源が欲しいなら、帝国よりも力に劣る私たちを取り除いて奪えばいい。むしろ、今は悪魔の国から物資も人材も貰ってるんだから、大人たちの心配するものとは真逆の状況だ。
悪魔には圧倒的な力があるんだ。彼らのやりたいようにできるのに兵隊でもない悪魔の民間人をアサギナの田舎に送ってくるのは、少しでも私たちと友好的にいたいからじゃないのかな。
……なんて子供に言ったって、上手く伝わりはしない。彼らにとって、身近な大人は何よりの味方だ。絶対的な正義であるのは、私もよく分かる。お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんに言われたら、それがその子の真実になってしまう。身近な大人の言葉を疑いだすのは、半分くらい心が自立し始めてからだ。
「く、来るな!悪魔!」
どこに隠してたんだろう、そこそこの太さがある枝を構えて、クレストが叫ぶ。振り返れば、カナエさんとジルさんが私たちに近付いてきてた。カナエさんは、任せて、とでも言いたげに私に微笑んでみせる。ジルさんは、鋭い目つきでクレストとミレラを見ているけれど、とりあえずはカナエさんのしたいようにさせるようだ。
「クレストくんだっけ。私が怖い?」
「こ、怖くなんかないぞ!村のみんなは、おれが守るんだ!」
枝を握る手も、踏ん張る足も、ガタガタと震えてるのは見なかったことにしてあげよう。それだけ真剣に、悪魔を退治しようとしているんだから、笑い事じゃない。
「あなたは、ミレラちゃんだよね。ねぇ、私に騙されそう?」
「あなたみたいなトロくさそうな悪魔に、わたしが騙されるとでも思って?」
カナエさんはクレストとミレラの言葉を聞くと、怒るどころかおかしそうに笑って、視線を合わせるように屈んだ。
「じゃあ、私たちを監視するといいよ。悪魔が悪いことをしないように、悪魔が怖くないクレストくんと、騙されないミレラちゃんで見張ればいい。私たちの家は分かるでしょう?いつでもおいで」
探偵団か、防衛隊だね、とカナエさんはからからと笑う。その後ろで、ジルさんは苦笑いを浮かべていた。
「ねえ、イルマちゃん。集会所で子供たちを預からないとだめかな?」
こっそりと、カナエさんが私に聞いてくる。そんなことはない。山へ狩りの練習をしに行ったり、川へ水を汲みに行ったりするもん。集会所にメモを残しておけば問題ない。大丈夫だよと答えると、カナエさんはにんまりと笑った。
「ねえ、君たち。今から遊びに……ううん、悪魔の住処を偵察しにくる?」
カナエさんの提案に、クレストもミレラも、他の子たちも、ついでにジルさんと私も目を丸くする。
えええええ。いいの?大丈夫なの?いやそりゃ、引っ越してきたばかりだし隠すものはないだろうけど、元気いっぱいの子供たち五人だよ?悪魔を疑う子供たちだよ?カナエさん、ジルさんの苦笑いが引きつってるの、気付いてるよね?ちらって後ろ見たもんね?
「それとも、ここの子たちは悪魔の住処に来る勇気なんかないかー。来ないなら来ないでありがたいんだけどなー」
立ち上がりながら、分かりやすい棒読みでカナエさんが言う。ああ、こりゃダメだ。
「い、行かないなんて言ってないだろ!」
「そこまで自信があるなら、行ってあげてもいいわよ!」
ほーら、気の強い二人が釣れちゃった。扉の陰に隠れてた三人も、おずおずと外に出てきちゃったじゃん。
「クレストくんが行くなら、おいらも行く!」
クレストの手下のエーリが真っ先に名乗りを上げた。続いて、皆が行くなら行くよとデメトリが、一人で残されたくないとばかりにニッツァが出てくる。
これがエーリで、これがデメトリで、これがニッツァ、今ここで面倒見てる全員だよ、とカナエさんとジルさんにはざっと説明しておいた。何度か頷いて、カナエさんは子供たちの顔と名前を覚えたようだ。その表情は、楽しそうに輝いてる。
「ふーはははは!我が悪魔の住処までついてこれるか、子供たち!」
意匠の凝ったスカートの裾を翻して、カナエさんが走り出す。勿論、クレストもミレラもカナエさんの挙動に反応した。
「バカにすんなよ!ぜってー、悪魔を追い出してやるからな!」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、悪事の証拠を見つけてみせるわ!」
あーあ、うまい事乗せられちゃってまあ。子供の追える速度で家に帰っていくカナエさんを、クレストとミレラ、エーリ、ニッツァが追っかけていった。デメトリは、私とジルさんの顔を交互に見てにっこりと微笑んでから、四人の後を追って走っていく。
あいつは将来大物になるぞ、というジルさんの言葉に、私は唖然としたまま頷くしかできなかった。




