105.獣人の村
【イルマ】
数日前、私の住むこのモノキ村に数人の客人が来た。今の今まで化け物だと罵られてきた悪魔の人たちだ。帝国との戦争が終わっても、村の若い男の人たちはほとんど帰ってこなかった。帰ってきたのはお兄ちゃん一人と、あとほんの数人だけだ。お父さんや上のお兄ちゃんたちは、帰ってきた人たちの中にいない。つまりは、そういうことなのだろう。
そんな働き手が絶望的に不足した村へ、悪魔の人たちがやってきた。たくさんの資源と、数人の働き手を伴って。ついでに、隣の村からも悪魔見たさにか何人か男の人が来た。まだ隣の村の方が、戦争から帰ってきた人が多いって話だ。
魔王、ううん、魔王様は、アサギナを救ってくれるらしい。大人たちは魔王様や悪魔に対してとても怖がっているけれど、私の目の前にいるこの人を見ても同じように怖がれるのだろうか。
「ふふん、私の村人レベルを舐めちゃだめだよ、ジル。野良仕事のスキルはここに来た当初に磨いたからね」
数日前に、村の片隅にあるうちの隣へ、数件の家が建った。簡素な木造の家だ。悪魔の人たちがそれぞれ家を割り当てられたうち、私たちの隣には悪魔の夫婦が住むのだという。働き手が不足してる村にはありがたい、と私は思うんだけど、大人たちはとても警戒していた。
で、今、目の前で得意げに草取りをしながら、自分の旦那さんに笑いかけているこの人が、村に来た悪魔の一人だ。カナエさんという。その隣で、奥さんの仕草が可愛くてたまらないって顔してる男の人も、悪魔のうちの一人だ。こちらはジルさんという。どう見ても、イチャイチャラブラブアツアツな夫婦ってだけで、恐れる要素なんか一つもない。
最初は、これが噂に聞く悪魔なのか、と面食らった。それから少しだけ、私たちを騙してるんじゃないかと疑った。でももう、笑って否定できる。
「ああ、すごいな。とても頼もしい」
カナエさんが何をして見せたって、ジルさんはこうやってとろけるように微笑んで頷くだろう。たった数日だけど、それは私にも分かった。悪魔の夫婦って、みんなこんな感じなのだろうか。だとしたら、悪魔の国はなんて平和なんだろう。
「イルマちゃん、ここら辺一帯の草は取ったよ!次はどうする?」
なんて考えてたら、カナエさんたちが私に近付いてきていた。もう作業を終えたらしい。カナエさんもジルさんも、村のおじさんたちより数倍働き者だ。
「相変わらず早いね!じゃあ、もうすぐお昼ご飯の時間だから、一旦村に戻ろっか」
そう言った私に分かったって頷いて、カナエさんは隣に立つジルさんを見上げる。続けられたのは、今日のご飯はどっちが作るか、何を作ろうか、ってただそれだけの会話のはずなのに何となく甘い雰囲気を感じた。
昔の人は、こんな平和な人たちを前に何を思って悪魔だなんて言ったんだろう。少し顔立ちが違っていたり、髪や目の色が私たちと違うだけだ。そういう特徴の人たちなのだと教えられれば、思いの外違和感はなかった。魔物の進化した姿で、人間に災厄をもたらすだなんて、どこをどう見たって考えられない。
ご先祖様は独身だったのかなぁ……。うん、モテなすぎて僻んだ、とでも聞かない限りは納得できないや。
「イルマちゃんのご先祖様が独身だったら、イルマちゃんここにいないでしょ」
くすくす笑う声に、つい考えを口にしてしまっていたのだと気付く。恥ずかしくなって軽くカナエさんの腕を掴むと、カナエさんは悪戯に笑って私の頬っぺたをつついた。どっちの感触も人間そのものだし、むしろやわらかくて力なんてなさそうだ。
「あ、そうだ、後でいくつか香草持ってくね。サーお兄ちゃんが昨日、採ってきたんだ」
「ありがと、イルマちゃん」
「ううん。またカナエさんのタルト食べさせてくれればいいよ」
ふざけて言うと、カナエさんは可愛らしく笑う。カナエさんは、じゃれるように私の髪をくしゃくしゃと撫でてきた。お返しに脇をくすぐったりそのお返しに頬っぺた挟まれたりとやっていたら、すぐに家まで戻ってきてしまう。
またねと軽い挨拶を交わして二人と別れると、私は家の中に入った。どうやらお兄ちゃんが先に帰っていたらしい、パンの焼ける匂いがする。
「ただーいまー」
「ああ、おかえりイルマ。ジルさんとカナエさんはもう帰ってきた?」
台所から出てきたのは、頬っぺたに炭を付けた私のお兄ちゃんだ。竈を使うのはいいんだけど、その手で汗を拭ったり頬っぺた掻いたりしないでほしい。
「二人なら、一緒に帰ってきたよ。それと、サーお兄ちゃんほっぺ汚れてる」
私が首にかけてたタオルを渡しながら言うと、お兄ちゃんは受け取ってごしごしと遠慮なく顔を拭った。昔ならここで喧嘩になったけど、二人だけの家族となった今では特に怒ろうとも思わない。
取れたかなって首を傾げるお兄ちゃんに頷いて、私は窯の中から薄く焼いたパンを取り出した。
「あちち、もうお腹ぺこぺこ」
「スープもあるからね。僕はお隣にお裾分けに行ってくるよ」
「はーい」
香草と、いくつか山菜を詰めた籠を持って、お兄ちゃんは家を出ていく。カナエさんたちはこれからお昼ご飯用意するみたいだったから、今行っても大丈夫だろう。まあ、ジルさんがとてもとてもカナエさんを愛してるから、お兄ちゃんが行くとあんまりいい顔しないけどね。分かってて行くんだから、お兄ちゃんも人が悪い。
スープにパンを浸して食べながら、私はそわそわと窓の外を見た。お兄ちゃんは、無事お隣の家に入っていく。……お行儀が悪いけど、耳だけ獣化させてお隣の様子を窺った。
「色んな香草があるんだね、使ってみるの楽しみ」
この声はカナエさんだ。聞いてるだけでにこにこしてしまう、不思議な雰囲気の持ち主だなぁ。
「もし、使い方が分からなかったら僕でもイルマにでも聞いてください。僕たちはよく使っているので」
「助かるよ、ありがとう、ビサンドくん」
きっと、お兄ちゃんはいい笑顔で頷いてるだろう。そしてきっと、ジルさんはカナエさんの後ろで不機嫌な顔をしているはずだ。年齢に関わらず、ジルさんはカナエさんが他の男性と話すとムッとした表情になる。この数日で、ジルさんが不機嫌になるのを何度も見てきた。たまに、カナエさんが諫めることもあるけど、大体カナエさんは気付いてない。
そんなに大事なら囲っちゃえばいいのに、とも思うけど、もしジルさんがカナエさんを閉じ込めてたらこうして隣に引っ越してこなかっただろうから、私としてはジルさんを応援できないなぁ。
「じゃあ、また来ますね。妹も、午後になったらお伺いすると思います」
「うん、分かった。色々とありがとうね。イルマちゃんにもよろしく」
おっと、そろそろ帰ってくるかな。お兄ちゃんが帰ってくる前に聞き耳立ててたのがバレないように獣化を解いた。まだ温かいスープとパンを流し込んで、食器を片付ける。
水瓶で食器を濯いで、そういえば今日は午後から子供たちの面倒を見なきゃいけないのに気付いた。子供の数も少ないからいつもは村の若い子たちが交代で子供たちの面倒を見てるんだけど、どうしようかな。カナエさんたちを誘おうか。
「ただいま」
「おかえり。ねえ、サーお兄ちゃん、これから何か予定入ってる?」
「ん?ああ、僕は村長と会合で、ちょっとね」
空の籠をテーブルに置くと、お兄ちゃんは微笑んで首を傾けた。言い方的に、カナエさんたちを連れていけるようなものじゃないらしい。村長も、村の大人たちと一緒で、あまり悪魔を受け入れていなかった。私とかお兄ちゃんとか、同世代の若い子たちは比較的カナエさんたちに懐いてるんだけどな。
「んー、じゃあ子供たちの方に来てもらおうかな。連れてっても大丈夫だよね?」
「うん、まあ、多分」
お兄ちゃんは苦笑いに似た表情で、軽く首を振った。多分ってどうしてだろう?そう思ってお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんは私から視線を外して溜め息をつく。
「クレストたちの親とか祖父母の世代は、あんまりジルさんたちに好意的じゃないからね。子供たちが毒されてないといいけれど」
「ああ、うん……」
そっか。そう言われてみればそうだ。じゃあ、連れてくのはやめた方がいいかな。他の悪魔の人たちを面倒見てるのは、隣町から来たヴァッシュさんだっけ。そっちにカナエさんたちも混ぜてもらおうかな。
「ヴァッシュさんにお願いした方がいいかなぁ?」
「うーん……、二人に聞いてみたらどうだい?彼らは僕たちよりも大人なんだ。きちんと説明して選んでもらった方がいいよ」
「そっか。うん、二人に聞いてみる」
私はやかんに水を注ぐと、お兄ちゃんを振り返った。
「もう、すぐに出る?」
「いや、もうちょっとゆっくりしていけるかな」
「じゃあ、お茶淹れるね」
「うん、お願い」
お兄ちゃんが頷いたのを確認して、私はやかんを火にかける。乾燥させて炒ってある薬草をいくつか摘まんで、やかんに入れた。このお茶、初めてカナエさんに振舞った時、カナエさん、目を白黒させてたっけ。可愛かったなぁ。
「ご機嫌だね、イルマ」
無意識に思い出し笑いをしていたらしい。お兄ちゃんがテーブルに腰かけながら笑う。竈のある台所から食卓を振り返ると、戦争なんかになる前の賑やかな風景が脳裏を過ぎった。
サーお兄ちゃんの隣には、ルノお兄ちゃんとクンお兄ちゃんにお父さん、それから向かいにお母さんとおじいちゃん。サーお兄ちゃん以外の家族はみんな、戦争に行ったまま、まだ帰ってきていない。サーお兄ちゃんも、帰ってきたときには酷い怪我だった。悪魔の人が村を回って傷を治してくれなかったら、今こうして笑ってなかっただろう。
「そりゃあ、ご機嫌にもなるよ。可愛いお隣さんがいるんだもん」
一人ぼっちにならなかったんだもん。それだけで、どんなに心強いことか。もう、あの暗くて不安に押し潰されそうな夜はいらない。
「……大丈夫だよ、イルマ。悪魔の人たちときちんと付き合えれば、僕たちは平和でいられるんだ」
お兄ちゃんのやさしい笑顔に、私は短く頷く。こぽこぽとやかんから漏れる湯気を確認して、私は木のコップを二つ用意した。
少し苦い香りのするお茶を注いで、私はお兄ちゃんの向かいに腰を下ろす。どうぞとお茶を差し出すと、お兄ちゃんは微笑んで受け取った。
「兄さんたちに代わって、僕がイルマを守るからね。安心して」
呟かれた言葉に、私は曖昧に微笑む。きっと、その時には私もお兄ちゃんを守るだろう。残されるのは、もう懲り懲りだ。
私は温かいお茶を飲みながら、指の先から冷えていく感覚をどうにか打ち消そうと目を伏せるのだった。




