104.精霊の策
ヴァシュタルがアサギナの領主として認められてから、大体半月が過ぎたある日。私は魔王様と魔神さんたちの軍議に同席していた。ほんの数日前に、メイヴが魔王様を挑発したのだ。愛されし子を悪魔の集いから爪弾きにするのは悪魔の王の意思なの、って。そんなことないよ、ジラルダークは私を守ろうとしてくれてるんだよってメイヴに説明したけれど、納得がいかなかったのはメイヴじゃなくて一緒に聞いていた魔王様だった。
そもそも、軍事活動についても政治活動についても、私は元々の世界で積極的に考えたり調べたり、ましてや関わってなどいなかった。そんな私が魔神さんたちの軍議に参加したってどうしようもないとは思ったんだけど、お前の負担にならないならば同席してくれないかと魔王様に言われて断れるはずもない。ただでさえ、この悪魔城の中で私はろくに働いてないんだ。参加してもいいよって言ってくれるなら、勉強の場だと思って喜んで参加させてもらおう。
「悪魔の王も、今までこの世界の人を支配下に置いたことはなかったでしょう?どう影響しているか確認するならば、愛されし子も伴うべきだわ」
そんなこんなで魔王様が私を伴って行われた軍議の席で、メイヴはいつものように脈略もなく現れるとにこにこと微笑んだまま爆撃よろしく言い放った。緊張感漂う軍議の場で、私は勉強するつもりで聞き役に徹していたから、メイヴの言葉に思い切り目を見開いて硬直してしまう。そんな私の顔を見て、メイヴは至極楽しそうに笑っていた。
「悪魔の王と愛されし子で、人の国をこっそりと偵察してみたらいいじゃない」
メイヴの言葉に、ジラルダークの眉間に皺がぐぐぐっと寄る。まあ、そうだよねぇ。過保護魔王様としては、偵察云々はいいとして、私をニンゲンの領地に連れて行くのはかなり抵抗があるはずだ。前に、ニンゲンの国を見てみようかってジラルダークに提案されたことはあるけれど、ジラルダークたちのニンゲンに対する感情を知った今、軽々しく観光に行きたいなんて言えない。数百年の昔にジラルダークたちが体験した悲劇は、話に聞くだけでもつらくなるものだからだ。
「必要なかろう」
メイヴの言葉を、ジラルダークが一刀両断する。魔神のみんなも、特に、古参だと呼ばれる人たちも、ジラルダークの言葉に頷いていた。まあ、そりゃそうだろう。何の力もない私を連れて、ニンゲンの領地に行くメリットはない。むしろ、悪魔のみんなの負担になるだけだ。せめて、私が自力で身を守れればいいんだけど、それすら今は精霊の王であるメイヴに任せちゃってる状態だ。メイヴがもし私の心を読めるなら、そんな不甲斐ない自分を鍛えたいって考えてることを汲んでくれるはず。けれど、メイヴは私へ向けて一度微笑んでから、ジラルダークへ視線を向けた。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ、悪魔の王。愛されし子は、私が守るもの」
メイヴの言葉に、私の隣に座っていたジラルダークの拳がぎりりと音を立てるのを聞いた。それに気付いていないのか、メイヴはにこにこと花の笑みを浮かべたままに続ける。
「ああ、愛されし子の慈悲を我が物にだけしたいのであれば、余計な提案だったわね、ごめんなさい」
「御后様のお心は、わたくしたちが最も理解しておりますわ」
今にも殴りかかりそうなジラルダークに代わって、今度はエミリエンヌがメイヴに向かった。その表情は、いつも私が見ている可愛らしい微笑みとは似ても似つかない冷徹な笑みだ。一目で、エミリエンヌが怒ってると分かる。エミリエンヌの言葉に頷く魔神さんたちも、メイヴを鋭い視線で見やる。
ちょ、ちょっと、待って待って。何でそんな、メイヴとみんなが険悪な感じになってるのさ。この状況で、とりあえず私に止められるのはメイヴだけだ。というか、メイヴを止められるのは私だけだ。なら、私がどうにかしなきゃいけない。
「メイヴ、ちょっと、ストップ。色々と考えてくれるのは嬉しいけど、私はどんな形だろうと魔王様の力になりたいの。迷惑になりたいんじゃないんだよ。我儘言っちゃだめだよ」
獣人の国があるって聞いたときには、そりゃ確かに見てみたいとは思ったけども。そんなの、ジラルダークたちに負担をかけてまで確認したいものじゃない。むしろ、何かジラルダークとかフェンデルさんがやるように水晶にでも映して見せてもらえたら万々歳なぐらいだ。
そりゃあ、私たちと違う、この世界原産のニンゲンたちの生活は気になっていたけど、今、ここでそれを言うべきじゃない。
ただ、メイヴは妙に私の考えを読んで行動するような節があった。心の底までは読めてない、と思うんだけど、それでもこう、察しはいいというか、不思議に通じるところがある。下手したら、ちょっと獣人を見てみたいという私の心がメイヴに伝わってしまっているのかもしれない。こういうのは、精霊の契約主として、ちゃんと律しなければいけないのだろうか。リータさんに教わった限りだと、契約主優位の場合は契約主の意思に従って精霊が行動する、はずなんだけどなぁ。
「カナエ……」
「カナエ様……」
メイヴにどこまで私の考えが分かるのか確認しようと思ったんだけど、それよりも先に、何故かジラルダークと魔神のみんなから優しさに満ち満ちているというか、ほんのり生暖かいというか、さっきまでの雰囲気が嘘のような何とも言えない視線を向けられた。メイヴは、どこか誇らしげに笑ってる。
メイヴに殴りかかりそうだったジラルダークは、もう拳を握ってもいなくて、何かを思案するように視線をふわりと揺らしていた。
「悪魔の王が、王と身分を知らせずに一悪魔としてアサギナに行くのは難しくないでしょう?今後、あなたたち悪魔の子が獣の子とどう関わっていくのか、見極める時期ではないの?」
「……貴殿もアサギナ領主の育成に関わっておられましたな」
そこまで黙って聞いていたフェンデルさんが、探るようにメイヴを見た。メイヴは微笑みを崩さないままに頷く。
「これ以上、何ができるのかしら。確かに、わたしはあの国に酷いことをしてしまったわ。償いたいと思っているの。だからこそ、魔の狼の子に出来るだけ力を貸してきたのよ。もしも、わたしがあちらの国を精霊で満たせと愛されし子にお願いされれば、喜んで力を発揮するわ。けれど、人の営みというものはそうではないのでしょう?」
そりゃそうだ。メイヴに無理をさせてヴァシュタルを支えたところで、遠くない未来に崩壊するのは私にだって分かる。
「あの国に償いたいけれど、現状で国が立ち直れるかどうかは魔の狼の子のやる気次第なのよ。あなたたちなら、このまま魔の狼の子に任せられるのかどうか、そろそろ結論を出してもいいのではないの?」
「そうですわね。あの子犬の育成には、私も関わっておりましたもの。ずるずると、長引かせるわけにもいきませんわ」
思案するように呟いたエミリエンヌの言葉を皮切りに、魔神さんたちが意見を交換しだした。
絶対に安全とは言えない場所へ奥方様を連れて行くわけにはいかないだとか、魔神が影から守ればいいだろうとか、諜報部隊だけで偵察できないかとか、そもそもニンゲンの領地にそこまで力を割く必要はないとか、いっそニンゲンを洗脳できる大規模魔法陣を作ろうかとか……って、おいおい、何でホラー同好会の面々がその意見に頷くんだ。
どこにどう口を挟むべきか、むしろホラー同好会をどう止めようか考えていたら、またもやメイヴが不意打ちで爆弾を落とす。
「新婚旅行、と言ったかしら。愛されし子の世界では、結婚した二人が蜜月の旅路を行くのでしょう?」
「みっ……?!」
語弊が!非常に非情な語弊があるよ、メイヴ!
視線を感じて横を向くと、ジラルダークがこっちを見ていた。本当なのか、って聞いてきてるみたいだ。ぐっ……、首を振れない……!
「旅行に行かないまでも、新婚の夫婦は二人きりで暮らすのが愛されし子の世界では多数だったのよね」
「な、……なんでそんな……」
日本の文化に詳しくなっちゃってるの?!え、私、メイヴに教えたっけ?!こういうのも精霊って分かるもんなの?!
「真実、のようだな」
私の表情から察したらしい、ジラルダークが呟く。あ、いかん、まずい、これは、流れを変えなくては!
「た、確かに日本ではそうだったけど、ほら、ここでまで日本式にする必要はないっていうか、そんな負担かけたくないし、いやうん、ジルと旅行行きたくないとか二人で暮らしたくないとかじゃないんだけどね、今は大変な時期なんだしそんなこと言ってる場合じゃないっていうか、だから我慢する、ってわけじゃないんだけど、ああ、ええと、き、気にしないで……?」
駄目だ、何か墓穴掘ってる気がする。言葉にすればするほど、ジラルダークは目を細めて微笑むし、魔神さんから生暖かい視線が注がれてくる気がする……!
「整えましょう、陛下」
エミリエンヌの声が、慌てる私を止めた。何をどう整えるんだとエミリエンヌを見たら、にっこりと可愛らしい笑みを浮かべられる。
「陛下も長い間、休む間もなく働き詰めでしたでしょう?丁度いいですわ。お二人だけで、暫くアサギナで暮らせるように手配いたしましょう」
「本気か、エミリ」
驚いたように声を上げたのはグステルフさんだ。エミリエンヌは花の微笑みのまま、グステルフさんへ顔を向ける。こっちからだとエミリエンヌの表情はよく見えないけど、グステルフさんが息を飲んだのが分かった。
「いつまでも、陛下一人に甘えているわけにもいきませんの。我々は、誇り高き十二の魔神。悪魔の中の精鋭ですわ。陛下の不在も満足に支えられず、魔神を名乗れるとでもお思いですの?」
「そうじゃな。陛下にも休息は必要じゃろう。儂も賛成だ」
フェンデルさんが頷くと、ホラー同好会の面々も追って頷く。ちくしょう、仲良し三人組め!
古参組の中でも最古参の三人が頷いたからか、もう、アサギナに行くことが決定してるような雰囲気になってきた。これはよくない!こんな我儘、みんなの負担になるだけだ!早く止めないと!
「ちょ、ちょっとまっ……」
待って、と言おうとしたら、やんわりと隣から伸びてきた手に口を塞がれる。驚いて見上げれば、微笑んだジラルダークがいた。大丈夫だ、とでもいいたげに、片手で私の口を塞いだまま口を開く。
「では、アサギナへ我と后が偵察に向かおう。エミリエンヌ、フェンデル、護衛の人選は任せる」
「はっ」
「かしこまりましてございますわ」
ジラルダークの言葉に、二人が頷いた。他の魔神さんも、そういうことならとアサギナの情報を交換し始める。アサギナの中でも比較的悪魔に好意的な街へまず逗留するのはどうか、長く逗留せずにそれこそ旅行のように町から町へ移動してもいいんじゃないか、魔神のうち、誰が護衛について誰が城に残るか、領主と補佐官までには話を通しておくべきではないか、……と、もう、私たちが行くことは決定になってしまっていた。
「むぐむぐ……」
まじでか。ジラルダークに口を塞がれたまま脱力すると、忍び笑う声が降ってくる。じろりと、笑うジラルダークを睨んでも、彼はただ目を細めるだけだ。
「ハネムーンというのでしょう、愛されし子。結婚式はわたしが台無しにしてしまったから、新婚旅行は素敵なものになるよう、全力で守るわ」
ジラルダークとは反対側から、メイヴが私の肩に抱き着いてくる。その言葉に、私はすとんとメイヴの今までの行動が胸に落ちた。
結婚式の最後、精霊に襲われたあの日、私はメイヴに出会ったんだ。むしろ、あの出来事が無かったらメイヴとは出会わなかっただろう。そりゃ、あの時は驚いたし、混乱もしたけれど、だからといってあの出来事が無ければよかったとは思わない。
気にしなくていいんだよ、私はメイヴに出会えて嬉しいよ、と心に込めてそう考えると、メイヴは私の耳元でふふふと嬉しそうに笑った。……あ、やっぱり通じるのね。
私の口元を押さえてるジラルダークの手に自分の手を添えると、ゆっくりと口を解放される。
「ジルもメイヴも、私を甘やかしすぎ」
二人を睨めてるだろうか。睨めてないんだろうなぁ。だって、二人ともくすくす笑って、何か楽しそうだもん。
こりゃ、止めることはもはや不可能だ、と諦めつつ、新婚旅行なるものが一体どうなるのか少しだけ楽しみになってきたのは、私だけの秘密にしておきたい。