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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
魔王の災厄編
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100.懺悔の雫

 苦しそうに呻くジラルダークを起こすと、彼は泣きながら私に縋りついて、夢に見た昔のことを教えてくれた。話している間にも、止まらないジラルダークの涙が私の胸元に滲んでいく。落ち着かせるようにジラルダークの頭を抱いて、私は彼の乱れていた黒い髪を撫でた。

 静かに涙を流しながら私に抱き着いていたジラルダークは、やがて吸い込まれるように眠りにつく。しばらくの間、いい夢が見られるようにと願いながら彼の髪を撫で続けていた私は、ふと顔を上げた。そこには、いつものように光ることなくそっとメイヴが現れる。無意識に願っていたのだろう、メイヴはジラルダークの頭を撫でて頷いた。


「悪魔の王にはよく眠れるように魔法をかけておいたわ」


「ありがとう、メイヴ」


 私の腕の中で聞こえるジラルダークの寝息は、さっきまでの苦しそうなものではない。ジラルダークの寝顔を見る機会ってそうそうないから、つい眺めてしまっていた。寝ているジラルダークは、普段よりも随分幼く見える。目尻に残る涙の痕を、指先でなぞるように拭った。悪魔を束ね、魔王を名乗って、頂点に見合う力もあるジラルダークが、今にも折れそうな儚い飴細工のように思える。


「ここのところ、ニンゲンにたくさん関わったから、ジルは思い出さないようにしてた苦しい記憶を夢に見ちゃったのかな」


「そうね。悪魔の王は、悪魔の子たちを守るために獣の子たちに関わることを決めたようだけれど、とてもつらそうに見えるわ」


「うん……」


 そりゃそうだ。ジラルダークは、見知らぬ土地でどうにか仲間を集めながら、生きる術を探していた。死と隣り合わせの中、協力して生き延びてきた仲間たちは家族同然だっただろう。その家族を、ニンゲンに殺されてきた。何度も、何度も。数百年の昔に、数え切れないほどに。


「守ろうとして、守れなかった。大切な家族が死んでいくのを、ジルは何度見送ったんだろうね。その人たちの犠牲を無にしないために、ジルは苦しいって言わずにここまで頑張ってきたんだ」


 どれだけ、自分の心を律してきたのか。折れないように、屈しないように、ジラルダークは犠牲になった仲間たちの屍を踏み越えた。


 この世界のニンゲンと協力できるなら、きっとそれが最善なのだろう。これ以上、この世界に放り出された悪魔たちを無駄な危険に晒さないで済むのだから。ジラルダークも、そう考えているからこそアサギナと帝国の戦争に手を出したはずだ。悪魔の力を見せつけたところで、数百年生きる悪魔にとって、その効力はさほど長く続かない。だったら、悪魔が同じ人間なのだと分かってもらう方がいい。だって、この世界のニンゲンと同列に並べれば、出会い頭に殺されることもなくなるんだ。


 分かっているからこそ、ジラルダークは今、苦しんでいる。誰かを許すということは、誰かを恨むよりもずっと苦しいことだ。


「悪魔の王の魔力は、人には持ちえない程に膨大なものよ。今ある人間の国が束になっても敵わないわ」


「ただ、ジルはニンゲンの国が統一されて知識や戦力がこっちに集中したら民が危険かもしれない、って考えたんだろうね。だからこそ、魔神さんたちや悪魔を使ってニンゲンの国を監視してたんだろうし」


「そういうものなのかしら?悪魔の王ならば、人間の国はすぐにでも滅ぼせそうなものだけれど」


 そう。そこが、ジラルダークの優しいところだ。ニンゲンを滅ぼして、悪魔たちだけが生きる星にしてしまっても、誰も彼を責めないというのに。


「むやみに殺したくないんだよ。ジルは、魔王であっても、人間だから」


 ニンゲンも悪魔も、お互いに不干渉でいられるならばこれほどにジラルダークが苦しむこともなかった。けれどもう、その道は選べない。そもそもニンゲンが悪魔に不干渉でいられるなんて、この世界では夢物語だ。この世界のニンゲンを滅ぼすのもナシとなれば、恐怖でニンゲンを支配下に置くよりもまだ、ニンゲンに悪魔のことを理解してもらう道の方が現実的だ。


「ねえ、メイヴ。ヴァシュタルはアサギナを纏められそう?」


 私の言葉に、メイヴは考えるように顎に手を置いて首を傾ける。


「お人形の子と花に憧れる子は、まだまだって言っていたわ」


 お人形の子はエミリエンヌだとすると、花に憧れる子はボータレイさんだろうか。メイヴは精霊の特性上、気軽に私たちの名前を呼べない。だから、メイヴが感じたままを呼び名にしているようだ。グステルフさんとか、怖い顔の子って呼ばれてたもんね。

 エミリエンヌもボータレイさんも、まだヴァシュタルには領地を任せられるほどの技量がないと感じてるのか。けれど、絶対に領主になれない程の器じゃない。可能性があるから、エミリエンヌもボータレイさんもヴァシュタルを教育してる、はずだ。


「私は、ジルの力になりたい。けど、私がニンゲンとの窓口になるよって言ったら、ジルは反対するよね」


「ええ。悪魔の王は、愛されし子を危険に晒したくはないもの。特に、ニンゲンには近付けたくないと考えているわ」


 メイヴの言葉に、私は頷く。悪夢に苦しんでいたジラルダークが教えてくれた、彼の夢の話。数百年の昔に経験した地獄は、ニンゲンに対して憎悪を抱くのに充分だった。


「私は、これ以上ジルがニンゲンに関わるのをやめてほしい。いつもあんなに余裕ぶってるジルが夢に苦しむほどに嫌なら、私が代わりたいよ」


「繰り返したくない悪夢を、悪魔の王は抱えているの。その元凶であるこの世界の人々に、愛されし子を近付けたくはないでしょう?」


 腕に抱いた、ジラルダークの顔を覗き込む。すやすやと寝息をたてる彼の表情は、もう苦しみに歪んでいなかった。


「アサギナに手を出した以上、ニンゲンに関わらずにはいられないんだよね」


 なら、どうすればいい。エミリエンヌやボータレイさんだけじゃなく、大介くんやトパッティオさん、カルロッタさんだってニンゲンにはいい感情を持っていないだろう。ジラルダーク以外に私が頼れる中で、悪魔として過ごした時間が最も短い人は……。

 いるには、いる。というより、一人しか浮かばない。しかも、協力してくれるかどうかとても微妙な人だ。長い髪を引きずりながら暗く笑って、それよりもニンゲンを使って術式を組みましょうかねぇ、と笑う顔が脳裏に浮かぶ。


 私にできるか?悪魔とニンゲンの間を取り持つ前に、悪魔の暴走すら止められないんじゃないか?そもそも、ジラルダークの負担にならないようにってことは、ジラルダークに相談しないってことだ。相談したら絶対に止められるのは、さすがに私でも分かる。けど、魔王であるジラルダークの目を盗んで何かをしようって、私には無理じゃないのか?


 どうすればいい?どうしたら、ジラルダークがこれ以上、苦しまなくて済む?締め付けられるような呻き声も、血を流すような涙も、もう見たくないのに。


 安らかな寝息をたてるジラルダークの頭を胸元に抱え込むと、メイヴの魔法で寝ているはずなのに、ジラルダークがベッドに座る私の腰を抱いた。いつもよりも弱い力で引き寄せられて、私は上半身を屈めてジラルダークの髪に頬を寄せる。


「焦ってはいけないわ、愛されし子。悪魔の王は、愛されし子のそばにあるだけで、苦しみを和らげることができるのよ」


「私は、少しでもジルが苦しまないようにしたいよ」


「そうね。悪魔の王も同じように思っているわ。万が一にでも、愛されし子がこの世界の人に傷つけられたら、悪魔の王は悲しみに狂ってしまうでしょうね」


 メイヴに言われて、私は言葉に詰まる。その姿が、容易に想像できたからだ。


 この世界にきて村でのほほんと過ごしてる私を一ヶ月、ジラルダークは見ていたという。ただ異世界の農業を楽しんでた私の、何がジラルダークの琴線に触れたのか分からないけれど、彼は私を見初めて魔王の后にしてくれた。

 ここへ連れてこられた当初から、ジラルダークはただひたすらに私を甘やかして、可愛がって、惜しみなく愛情を注いでくれている。くすぐったくて恥ずかしいこともあるし、手加減してくれと思うことも多々あるけども、拒めるほど嫌じゃないのは自分がよく分かっていた。私自身の気持ちが伴ってきてからは、出来るだけジラルダークへ応えようと思ってる……、んだども、いかんせん私の恋愛レベルが低すぎる。ジラルダークに、その、愛されてるって考えるだけで恥ずかしくて居たたまれなくなるくらいだ。


「悪魔の王の望みは、きっと愛されし子が誰よりも知っていると思うわ」


 メイヴの言葉に、私は腕の中の温もりを見つめる。私のお腹辺りに額を寄せて眠る人は、元の世界では拝んだことのない整った顔立ちの男の人だ。元の世界で出会ったなら、イケメンすぎて絶対に近付かなかっただろう。分不相応なのは当然として、そもそも私には異性と恋愛的なコミュニケーションをとるスキルなんてなかったんだ。今だって、ジラルダークが押せ押せでくるからもってるようなもんだ。


 けど、そんな私でも、ジラルダークはそばにいるだけでいいって言う。私よりも可愛い人も美人な人も優しい人もしっかりした人も頭がいい人も、この世界には数え切れないほどいっぱいいる。謙遜やら卑下をするわけじゃなく、魔神さんやここ半年の中で見た悪魔さんたちと比べても、私は容姿も頭脳も秀でてない。ゆるふわ癒し系でもなければ、誰かに誇れることもない。異世界トリップで役立つことの何も、私の知識にはないんだ。それなのに、ジラルダークは私を選んでくれた。


 となれば、今の私にできることは、無知のまま強引に悪魔とニンゲンの間に入ることじゃない。ジラルダークの心労に繋がりかねない行動は控えるべきだ。力も知識もない私は、言葉は悪いけど、体を張ってジラルダークの回復ポイントになるのが最善だ。


 ジラルダークが、私のそばにいると癒されるっていうのならば、私は彼が目一杯癒されるように努力をしよう。


 私のお腹の辺りに額を押し付けて眠るジラルダークの髪を、ゆっくりと掌で撫でた。髪の隙間から覗く、長い耳を飾っているいくつものピアスを指先でなぞる。ほとんど間隔も開けずに付けられているピアスが、控えめにちゃり、と音を立てた。そういえば、私の耳もジラルダークと同じように長くなってる。彼にお願いして、悪魔の風貌に近付くようにしたんだ。

 そもそも、ジラルダークの好みの女性ってどんな人だろう。ジラルダークが用意する服もきわどいボンテージからシンプルなワンピースまで取り揃えてくれてるけど、基本は私が選ぶのに任せてくれてるし……。


「せめて、癒し系になりたいなぁ」


 独り言よろしく呟くと、メイヴは小首を傾げながら私たちの周りを舞う。顔を上げてメイヴを見ると、彼女は何度かくるくると私たちの周りを回った。メイヴは私の真正面に浮かんで、微笑んだままの唇を開く。


「何かの代わりじゃなく、今のまま生きる愛されし子が好きなのよ。ふふふっ、自分のために努力してくれることも、堪らなく愛らしいでしょうけれどね」


 メイヴはふんわりと私の頬を撫でて、私の返答を待たずに青白い光を残して虚空に消えていった。私は、ジラルダークの頭を抱えたまま、薄らぼんやりとした寝室を眺める。


 どのくらいそうしていただろうか。気付けば、メイヴは完全に消えている。私は、何だか目が冴えてしまって眠れそうになかった。眠れないなら無理に寝る必要もないかと考えて、また私はジラルダークのわかめヘアーに指を潜らせる。くねくねと緩やかなカーブを描く彼の髪の毛は、するりと指通りが滑らかだった。いっそ、眠れないなら寝顔を堪能してやろうと考えて、私は膝枕状態の彼の顔を覗き込む。


 いつもだったら、ジラルダークは寝たふりをしてたぞと悪戯に笑って私を見上げるだろう。けど、今日の彼は無防備に私に寝顔を晒していた。その安らかな寝顔に、言い知れない不安を覚える。

 今のジラルダークは、メイヴの催眠の魔法に抗うこともできない程に衰弱しているのだと、突きつけられているようで怖かった。お腹から太ももにかけて感じるジラルダークの温もりを、逃がしてなるものかと全身で抱き締める。


 七百年近い時間、この世界で生き抜いてきたジラルダークを、私はどうにかして、私の出来うる全力で支えたいんだ。彼のことを知れば知るほど、胸を締め付けるような感情が湧き出てくる。どうしたら胸の苦しみがなくなるのか、恋愛なんてまともにしたこともない私には分からない、けれど。


 こんなに誰かを守りたいと思うことも、自分を投げ打ってまで大切にしたいと思うことも、きっと、ジラルダークじゃなきゃ思いもしなかった。私はもう充分に幸せにしてもらった。だから、今度はジラルダークが幸せになる番だ。ジラルダークが幸せになるために死ねと言われたら、喜んで死ねるんだろうなぁ、と馬鹿げたことを考えて、即座にそれを否定する。

 私の死をジラルダークに背負わせるなんて、そんなことはできない。たまたまジラルダークに見初められて、運よく魔王様の后になった。魔王を自称する彼の優しさを、私は知っている。


 じゃあ私は、そんな彼にどれだけ返せているのだろう。ここへ連れてこられた頃と比べ物にならないくらい、私は、ジラルダークのことが好きだし、大切に思ってる。それを、私はジラルダークほどに表現できてるだろうか。帝国のあの人にメイヴのことを愛してるかなんて偉そうに聞いたけれど、私はジラルダークに、愛してるって言えたことはない。恋愛レベル1とかパンピーとか、言い訳してる場合じゃないぞ、夏苗。明日、ジラルダークが起きたら言うんだ。うん、言う、言える、言えるはず……だよね。


 私は、私に体を預けて安らかに眠るジラルダークの顔を見ながら、起きたらどうやって言おうかと悶々と考えるのだった。

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