98.魔王の過去2
【ジラルダーク】
この世界の人から奪った地図に色々と書き足しつつ、海岸沿いを北上していく。今まで放浪していた山や川にはいなかった動物や魚が、ちらほらと見受けられた。慎重に毒はないか食用に出来るかを判別していく。
ここ最近は山間部を放浪していたが、海岸沿いともなると見晴らしがよかった。安全のために、魔法の使える者、武装したままこの世界に飛ばされてきた者が先駆けと殿を務めている。その日、俺は殿をカルロッタと共に務めていた。先駆けは、トパッティオとボータレイが担っている。
「しっかし、人っ子一人いないねぇ。オッサン、飽きてきちゃったよ」
「襲われないだけいいだろう。空中から確認した限りでは、明日にでも集落付近に着くはずだ」
俺たちの前を行くのは、サエオラとフォンだった。ダイスケに言われてみて初めて、ああ、確かにこの二人は恋人同士なのだろうと納得する。仲睦まじく語らう二人に、俺も久方ぶりに暖かい気持ちになった。
「あ、おい、テラ!」
さらにその前を行っていたダイスケとユーグが、はしゃぐテラを追いかけてこちらへ戻ってくる。俺は、脇を抜けようとするテラの小さな体を抱き上げた。
「こら、危ないだろう」
テラは、今いる仲間の中では最年少の少女だ。だって、と頬を膨らませるテラを、追ってきたダイスケが受け取る。ユーグも、テラと大して年齢は変わらないが兄貴分としてテラを叱っていた。ダイスケは小さい子供の相手が上手いのか、テラからもユーグからもよく懐かれている。
「海でテンション上がるのは分かるけどな、危ないからオレから離れちゃダメだぞ」
「はーい」
どうやら、テラは浜辺で遊びたいらしい。そうだな、そろそろいい時間か。ちらりと隣のカルロッタを見ると、待ってましたとばかりに頷いた。やれやれ、仕方ない。
「今日はこの辺りで寝床を張るか?急ぐものでもない、息抜きをしてもいいだろう」
「おお、じゃあ皆に言ってくるわ」
「いってくるわー!」
ダイスケの腕の中ではしゃぐテラを、ユーグはやれやれと見上げた。ユーグも俺の言葉に目を輝かせたと思ったのだが、見間違いだっただろうか。テラを抱き上げてユーグの手を引いて、ダイスケはさながら保父のような状態で前を行く仲間たちへ声をかけて回る。
父も母もなく、このような世界に一人で放り出されて、最初の内はテラもユーグも大声を上げて泣いていた。ユーグが落ち着いたころにテラを保護したせいか、ユーグは俺たちに甘えまいと無理をしているように思える。
隣のカルロッタは、俺の考えていることを見抜いているのか、にんまりと口元を歪ませて俺を見た。
「そこんとこは、オッサンにまかしときなさい」
「お前を魔法騎士団長に選んだ、祖父の気が知れぬ」
「それは言わない約束でしょ、殿下」
カルロッタはウインク一つ残して、三人を追っていった。俺の国では祖父の代から語り継がれる伝説とまでなっていた魔法騎士団長が、まさかこの世界に飛ばされて、そして俺と行動を共にしているなどと、誰が予想しただろうか。飄々としているが、カルロッタの実力は未だ計り知れない。祖父の選んだ男なのだから、間違いはないと思うが。
「ぎゃー!やめろよ、オッサン!」
「照れない照れない、オッサンと海でキャッキャウフフしちゃおうねぇ」
暴れるユーグを肩に担いで、カルロッタは浜辺へ向かう。彼らに続いて、仲間たちも浜辺へ向かっていた。俺も行くか。
「オッサン退治だー!」
「たいじだー!」
「ちょ、冷たい冷たい!」
俺たちが簡易テントと夕食を用意し始めた頃には、テラもユーグも砂と海水まみれになっていた。先程までダイスケとカルロッタが相手をしていたようだが、今はフォンとサエオラが遊んでやっているようだ。
砂と海水まみれでこちらへやってきたダイスケとカルロッタを、俺は浄化の魔法で綺麗にしてやる。
「はー、さすがに元気だわ」
丁度いい位置にあった流木の上に腰かけて、カルロッタが息をついた。ダイスケはけらけらと快活に笑いながらカルロッタの背を叩く。
「ジジ臭いこと言ってんなよ、オッサン。ほれ、水」
「おっ、あんがとな」
カルロッタは、ダイスケから水の入った革袋を受け取った。俺はテントを張る作業を続けながら、水辺で遊んでいる四人に目を向ける。そこには、まるで仲の良い家族があるようだった。
自分のいた国が平和だったとは思わない。実際、俺がここへ飛ばされる前も戦火にまみれていた。しかし、どうして平和ではないのか、どうしたら平和になるのか、その答えは確かに持っていた。ここには、それがない。どうしたらいいのか、どうすればいいのか、何が間違っているのか、何が正しいのか。この世界を当て所なく旅するという、俺たちの選択は無駄ではないのだろうか。
思考の海に溺れがちなのは、ここのところよく休めていないせいだろうか。今日は早めに休むとしよう。
「ダーク、見て見て、きれいな貝がらでしょ」
「ぼくも見つけたんだよ、ほら!」
自慢げに貝殻を見せに来たテラとユーグに、俺は慌てて微笑んだ。
「ああ、よく見つけたな、二人とも。とても綺麗だ」
二人の頭を撫でてやると、照れるような誇らしげな表情ではにかんで見せる。正解が分からない今、少なくとも、子供たちだけでも守らなくては。
「みんなに見せてくるね!」
「気を付けてな」
テラとユーグは俺の言葉に頷いて、お互いの手をとって走っていく。その後ろを、ゆっくりとダイスケが追った。口は出さずに見守るらしい。本当に、面倒見のいい奴だ。
テントを張る作業はもう慣れたもので、大して魔力を消費せずに設置し終わる。収納の魔法に長けているボータレイが、テントの中に寝具を出していった。俺も攻撃以外の魔法はあまり使うこともなかったが、この十年で随分と慣れたように感じる。
「魔力の残りはどうですか、ダーク?」
子供たちの面倒を見終わった後、夕飯の用意を手伝っていたサエオラが俺に聞いてきた。そうだな、今日はあまり使わなかったが。
「全快の半分、といったところか」
「そうですか。少し、海水を真水に変えて頂きたいのですが、いいですか?」
「ああ、構わん。どの程度必要だ?」
サエオラは、大きな袋の中からいくつかの革袋を取り出す。
「いくつか、飲料として確保しておこうと思いまして。無理のない程度にお願いできますか?」
俺は頷いて、大きな袋ごと革袋を預かった。飲料水として汲んでおいて、収納の魔法でしまっておくということか。魔力で水を出すこともできるが、いつ魔力が尽きないとも限らない。
波打ち際に立って、俺は海水を浄化しつつ、水分のみ抽出しながら革袋に注いでいく。案外、魔力を使う作業だった。
「手伝いますよ」
作業を見ていたのだろう、トパッティオが合流する。頷くと、同じように革袋へ水を汲んでいった。ちらりと夕飯の用意をしている仲間を見れば、そこにユーグとテラも混ざっている。どうやら、トパッティオは子供たちから逃げてきたらしい。こいつらしいなと苦笑いを浮かべていたら、隣から冷たい声が降ってきた。
「別に、子供が苦手というわけではありませんが」
「何も言っていないだろう」
咎めるようなトパッティオの声に、俺は肩を竦めて見せる。眼鏡越しに、トパッティオは冷えた目線を送ってきた。
「貴方は王子の割に、表情が読みやすくていらっしゃいますから。あまり政には関わらなかったせいですかね」
「ここでは王子も糞もなかろう。そもそも、俺が王族であるならば、お前を不敬で捕らえてやるぞ」
「それは困りました。微塵も敬意を抱きませんが、仰々しく跪かなくては」
お道化て言うトパッティオに、俺は思わず笑う。渡された革袋に粗方水を入れ終わった頃には、夕飯の食欲をそそる香りがこちらにも届いてきた。日暮れも近い。
「切り上げるか」
「そうですね。これだけあれば、暫くは水の心配もいらないでしょう」
大きめの袋に革袋を詰めて運んでいくと、気付いたボータレイが声をかけてきた。俺から袋を受け取って、魔力で作り上げた亜空間にそれを放り込む。
「随分たくさん汲んでくれたのね。ありがとう、二人とも」
さらりと長い髪を揺らして微笑む姿は女性そのものだが、ボータレイは俺たちと同じ男だ。ダイスケ曰く、オネエというらしい。美意識が高く、女性のように振舞う……女子力とやらも高い人種をそう呼ぶのだと言っていた。
「もうすぐお夕飯よ。手洗いうがいをしてらっしゃいな」
ボータレイの言葉に頷いて、俺たちは手と口、喉を清める。これも、ダイスケの世界の常識だった。病にはその原因となる菌があることが多く、摂取してしまうのを予防する最も簡単な手段だと言っていたのを覚えている。ダイスケはこういった知識に長けているのか、彼の世界の色々なことを教えてもらった。
俺たちを真似て、ユーグとテラも手洗いうがいをしている。ちゃんとできたよ、とわざわざダイスケに報告に行く辺りが微笑ましかった。
皆で食事の席に着いて、それぞれに食前の祈りを捧げる。俺は特に信仰していた教義もないから、軽く手を合わせて祈りを終えた。俺の次に祈りの簡素なダイスケが、他の仲間たちの捧げる祈りに耳を傾けている。
食材とした物の命を頂く、というダイスケの世界の考えは興味深かったが、これに関してダイスケは誰かに教えたり真似るように言うことはなかった。人の心に置く信仰は強制するものではないと、ダイスケは俺に言う。俺よりも十以上若い癖に、こんなところには気を遣える奴だ。ああ、確かにフォンの言う通り、ダイスケの胸の内は読み難いものかもしれない。
祈りを終えて食事を開始すると、誰とはなしにぽつりぽつりと会話の花が咲く。それに耳を傾けることもあれば、ゆるやかな会話に参加することもあった。ダイスケの両脇にそれぞれ座っているユーグとテラが、ダイスケを挟んで喧嘩を始めることもある。それをボータレイやサエオラが諫めたり、カルロッタやフォンが頓珍漢な加勢をして、結託した子供たちに責められることも多かった。
今日はどうやら、ユーグとテラの見つけた貝殻の話題のようらしい。貝殻で首飾りを作れるよと仲間の一人が教えると、子供たちの目がきらきらと輝く。今度一緒に作りましょうね、とテラへ、そしてダイスケを置いた先にいるユーグへと微笑んだサエオラに、ユーグもテラも紅潮した頬のまま頷いた。
彼女たちの会話を繋いだのは、不器用だから僕にも作ってよと笑うフォンだ。嫌ですお断りですと素気無く答えるサエオラは、冷たい言葉の割に楽しげに笑っている。彼女たちを見ているだけで、俺まで愉快な気分になった。じゃあ俺の分を、いや俺の分、と茶化す男性陣に堪えきれずに皆が笑う。
荒んだ日々の中で、この他愛のない時間は、俺にとってとても大切な時間だった。
気兼ねなく過ごせる時間を団欒というのならば、きっとこれがそうだったのだろう。先の見えない不安の中で、俺の唯一、心を許せる時間だった。
そう、今日も、いつものような和やかな食事の時間だったのだ。
────俺の目の前に、鮮やかな赤が散るまでは。