1.魔王様の奥様
もし、この世界に神様がいるならば問いたい。
何がどうしてこうなった、と。
私、野々村夏苗は異世界へ吹っ飛ばされたトリッパーだ。まさか、ハタチ超えた身で異世界に飛ばされるとは思わなかった。ああいうのって、十代の若い子向けじゃないのか。もう後4年で三十路を迎える私に、急な環境変化はきつい。
ただ、飛ばされた先にトリッパーの先輩たちがいたのは救いだった。右も左も分からない私に、親切に色々と教えてくれる優しい人たちだ。
曰く、ここは魔法もあり、精霊もあり、魔物もあり、獣耳もありの世界だという。絵に描いたようなファンタジーの世界だった。先輩たちは、よく異世界人が飛ばされてくる地点で村を作って生活していた。飛ばされてくる人の何人かはチート能力を持っているので、ウキウキ冒険者しているらしい。村に残っているのはパンピーだけだ。
私も、漏れなくパンピーだった。この世界の言語は自動的に翻訳されるが、だからといって魔法が使えるわけでもなく、剣を使えるわけでもなく、これといった特技も無い。異世界に飛ばされてきてやることは農業か、平和だな、なんて思っていたのがトリップして一ヶ月過ぎた頃だった。
なのに。
「カナエ、ここが我が城だ」
案内されたのは、灰色の雲に覆われたホラー城だ。雪化粧がおどろおどろしい装飾になるなんて、思ってもみませんでした。
おいおい、どこの西洋風お化け屋敷ですか、ここは。ああ、悪魔城ですか、そうですか。ちょっと吸血鬼の息子呼んでこい。
「ふっ、そう硬くなることはない。お前は魔王たる俺の妻なのだからな」
「え、ああ、うん……」
抱き上げられたまま、私は魔王と名乗る男を見上げる。微笑む顔は、見たこともないくらいに整ったイケメン様だ。それを彩るのはワカメみたいにうねってる黒い長髪にトマトみたいな赤い目、リーフパイみたいに尖った耳と、ポテコ一袋分かと思うほどに鬱陶しいピアス、体は格闘家かと思うくらいに長身ムキムキで、肌はほんのり焦げた感のある小麦色だ。見た目だけなら二十代後半のこのイケメンが、この城の主で魔王だという。
魔王だってさ、魔王。ファンタジーの世界だからいるのかなってちょっと思ったけど、私の期待してた魔王と違う。もっとこう、ドラゴンをベースにしたような感じか、せめて体表は緑か紫だろう。
しかも、悪魔なんだってさ。それが何をトチ狂ったか、いきなり私を娶るとか言い出して、ここまで拉致られた。パンピーの私や村の人たちに抵抗する力は無かった。いや、極めて穏便に拉致られたんだけども。
「すぐにドレスを用意させよう。きっとカナエには薄紅色が似合う」
「ドレス、って、いいよ。いらないよ。私着たことないし」
「そう恥ずかしがるな」
ふふ、と含み笑う悪魔の顔は、まぁ控えめに言ってものすごくイケメンだ。頭が残念なことを除いては。何で悪魔が人間を娶るんだ。食われると思ったら、それは違う俺の妻にすると言っただろう、って拗ねられたし。しかも、魔王様だからと思って敬語使ってたら怒られたし。何なんだ、何がしたいんだ、この魔王(笑)は。
ちなみに今、私は空を飛んでいる。このアホ魔王様が抱えて飛んでるのだ。頭のネジが何本か吹っ飛んでるイケメン魔王の背中には、コウモリみたいな羽が生えている。わーい、憧れの空中飛行だー。あははー、たーのしいなー。
「あちらが我が領地だ。後で魔族の部下たちを紹介しよう」
遥か彼方まで指して、魔王様が言う。悪魔、魔族、魔王、ときたら、ここは所謂魔界という扱いになるのだろうか。ぱっと見た限りだと悪魔城ほどおどろおどろしくないけれど、エンカウントする魔物とかのレベルが凄まじいんだろう。
と、縦横無尽に空を飛び回っていた魔王様と私のところに、一匹の黒い影が近づいてきた。あ、うわ。美女だ。巨乳の美女だ。彼女の目も魔王様と同じように赤い。悪魔ってみんな目が赤いのかな。
「陛下、奥方様。ご準備が整いましてございます」
響いたのは、とても聞き取りやすい琴の音のような声だった。
「分かった。行こうか、カナエ」
「うわっ?!」
ばさぁ、と大きく羽ばたいたかと思うと、アホ魔王は急旋回して城に向かった。そりゃもう、城壁に突撃する勢いで。
ひえっ、危ない危ない危ない……!
ぎゅっと目をつぶって魔王にしがみつくと、耳元で笑う声が聞こえた。いや、笑い事じゃないから!ジェットコースターだから、これ!
「もう大丈夫だ」
風切り音が止んで恐る恐る目を開けると、そこは赤黒い部屋だった。私を抱っこしてる魔王は、なんだか嬉しそうに私を見てる。魔王から視線を外して辺りを見回してみた。うん、まごうことなき悪魔城だね。ゴシックなホラーだね。だからどうしてこうなった。
「これからは、ここが俺とお前の部屋だ」
「わぁ……」
素敵、とは言わない。元々の世界では1Kの社員寮暮らし、こっちに来てからは村での素朴なログハウス暮らし、からの悪魔城は流石にギャップが大きすぎる。部屋の広さからして、元の世界の自宅の何倍あるんだ。調度品も、ちょっと色味が黒とか赤とか金に偏り過ぎだ。目に痛い、とまでいかないのが、逆にたちが悪い。
しかしアホ魔王、ジラルダーク・ウィルスタインとか名乗ったイケメンアホ魔王は、褒めてくれと言わんばかりにこっちを見てる。ああ、魔王様が見てらっしゃる。どうしたもんかね。
「そ、ういえば、ジラルダークには他に奥様とかいないの?ええと、私は妾というか、愛人的な立場、みたいな?」
話を逸らすに限る、と私は疑問を口に乗せた。魔王様ってんだから、女の一人や二人や三人や四人くらい囲ってるでしょ。魔王様の言うとおり、食用に連れてこられたんじゃないとしたら、どんな境遇に置かれるのか早めに把握したいところだ。村には戻れるんだろうか?戻りたいけど、村の人に迷惑をかけたくない。となると、少しでもいい環境で過ごせることを祈るばかりだけど……。
「初い奴め。そう心配せずとも、俺はこの680年、誰ぞを娶ったことはない。お前が初めてであり、俺の正妃だ」
「え……、あ、そうなんだ」
初めてだと?それがどうして私なのか。胸倉掴んで小一時間問い詰めたいところではあるが、こいつは腐っても魔王。下手なことは控えておこう。私、パンピーだし。魔王に勝てるような武器も魔法もレベルもないし。
魔王は抱っこしてた私を床に降ろすと、間髪入れずにぎゅうっと抱きついてきた。胸板、あっつ!見たまま筋肉質だな、魔王様。
「ニンゲンは宮を構えて幾人も抱えるようだが、俺はそのようなことはしない」
「そ、それはよかった……?」
よかった、のか?いや、うん、変な後宮騒動とかに巻き込まれたくはないけど、だからといって見ず知らずの魔王様と夫婦になるってのも、なんだかなぁ。魔王様の胸元に顔面押し付けて考え込んでいたら、何を思ったのか、野郎は私の髪やら額やら頬っぺたやらに口付けてくる。く、くすぐったい……!
「そうだ、ドレスを用意させた。好きなものを選ぶといい」
「え。やっぱり着なきゃだめなの?」
「ああ。民への披露は先になるが、我が配下へは早めに顔を見せておかねばならぬからな。ベーゼア」
「は、ここに」
ドアに向かって魔王様が呼ぶと、ドアの向こうから声が聞こえてきた。さっきの巨乳美女の声だ。魔王様の許可を得て、ナイスバディーな女の人が入ってくる。
「御前を失礼致します、陛下、奥方様」
跪いたのは、黒髪に赤い瞳の女の、人?だった。跪いた時に流れた髪が、さらさらで綺麗だ。
「ああ。カナエを頼む」
「かしこまりました」
「さあ、行ってこい、カナエ」
「ひゃっ!?」
最後に首筋を舐めてから、魔王様は私を放した。ぬるっと生暖かい感触に、私は驚いて跳ねあがった。振り向くと、魔王様が赤い舌を出してにんまり笑ってる。舐めたのか!え、なんで舐めた!?
「ちょっ、何するの!」
舐められたところを抑えてジラルダークを見上げると、なんともとろけた顔で見下ろされる。イケメンのとろけ顔とか、画面越しにしか見たことないんだけども。ナニコレ、何のボーナスゲーム?
「すまない、つい、な」
ああ、傍で控えてるベーゼアさんの視線が痛い。こっち見ないでほしい。元々、彼氏いない暦=年齢の私には、刺激が強すぎるんだよ。悶えるほどに恥ずかしい。
そそくさと魔王から離れると、ちょっと寂しそうな顔をされてしまった。作りだけはイケメンだから、少し心苦しいな。いや、中身アホだけど。パンピー村人Aの私を妻だの何だの言っちゃうアホだけど。どう考えたって、侍らせてるベーゼアさんの方がいい女でしょうよ。目ん玉歪んでるんじゃなかろうか。
「ではこちらへどうぞ、奥方様」
「は、はい」
ベーゼアさんは、長身の美……悪魔だった。ジラルダークと同じく赤い目に、尖った耳、それから、矢印尻尾まである。しかも服装がボンデージだから、巨乳が強調されとる。眼福だね、いやどうも。
ベーゼアさんに通された部屋には、これでもかとドレスが並べてあった。うん、ドレス、だよね、これ。SMの女王様用ボンデージが紛れているのは見ないことにしよう。
「こちらよりお選び下さいませ」
ン十着のドレスを前に圧倒されてたら、ベーゼアさんが促してきた。選べと言われても、どうしようか。流されるまま拉致られて魔王ジラルダークの居城にまで来ちゃったけど、これもう腹括るしかない感じ?魔王の嫁さんになるしかない感じ?妾もいないって言ってたし、魔王様が680年のうちで誰かを娶るのは初めてだって言ってたから、前例もない感じ?うん、抵抗する手段がさっぱり浮かばない。
はあ、しょうがない。これもトリップの醍醐味さ。魔王様はイケメンだもの、何でだか知らないけど私を気に入ってくれてるうちは、この状況を楽しもう。魔王様のお嫁さんなんて、中々なれるもんじゃないしね。悪魔だから人間を食う、みたいな様子もないもんね。命あっての物種さ。生きてりゃ、なんとかなるさ!
「……にしても、際どいなぁ」
目に付いた深紅のベルベットで作られてるドレスを手に取ると、ベーゼアさんが近寄ってくる。
「ふむ、ベーゼアさんなら似合いそうですね、これ」
胸元というよりも、へその辺りまでがっつりV字に開いたドレスを、ベーゼアさんの方に向けてみる。うむ。麗しい。谷間いいよね、谷間。尊いよね。許されるならば、顔面を包まれたいよね。
ベーゼアさんは私の言葉にきょとんとした後、困ったように小首を傾げた。そんな仕草も麗しい。
「お戯れを……。こちらは全て、奥方様の為のドレスですわ。一度、お召しになられてみてはいかがですか?」
「私にはちょっと大胆すぎますよ」
「お召しになってみないことには分かりませんわ。さあ!」
あ、あれ?何でベーゼアさんに迫られてんの、私。ドレス引っ手繰られちゃったよ。え、その手は何?何で腰紐に手掛かってんの?あ、服脱げってか?村人Aの初期装備、エプロン付き布の鎧を脱ぎ捨てろってことですか?私に拒否権はありませんか。そうですか。
こうして、波乱万丈な魔王様のお嫁さん生活が幕を開けたのだった。
────すみません、トリップの神様見つけたら一発殴ってもいいですか?