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短編

優しい雪の降る朝に

作者: 灰色セム

 朝。

 空から白い結晶が落ちてきた。


「雪……?」


 二度見した空からは当然のように雪が降っていた。制服にシミを作っては溶けていく。


「九州で四月に降るとか珍しいな。トゥイッターに載せるか」


 道行く人々も季節外れの光景がよほど珍しいのだろう。思い思いに携帯端末のレンズを天へと向けている。その割には寒くないし変な天気だ。この雪も溶けこそするものの冷たくない。異常気象といえば恐竜もそれが原因で最終的に滅亡したという。


「げぇ。あいつら同じような投稿してる。クソッ出遅れた。いやその前に登校しないと遅刻しそうだ」


 口に出す出さないの違いこそあれ独り言は昔からの癖だ。将来は小説家になりたいからこうやって日々懸命に……あー流石に慌ててると文章がまとまらないな。本格的に急ぐか。

 スマホをカバンにつっこんだところで女性が俺に寄りかかってきた。そのまま崩れ落ちそうだったので思わず抱きしめる。


「うぉ、いい匂い。じゃなくて。大丈夫ですか、どこか具合でも……寝てる?」


 時間帯と服装からして大学生だろうか。魅惑的なほど柔らかい胸を重力に従うまま押し付けてきたセミロングの女性は確かに寝ていた。桜色に薄く色付いた唇がわずかに開き、かわいらしい寝息を立てている。


「日中寝るっていう病気か? とにかく救急車を。いや命に別状はなさそうだけど。どうしようか」


 連絡するしないは別としてこれではスマホも取り出せない。女性をそっと地面に横たえる。俺の周囲で誰かのくぐもった声が聞こえた。なにかがぶつかるような音がいくつも聞こえてくる。


 振り向いた先で人々が倒れている。運転している人も寝ているのかブレーキを踏まれない車がゆるやかに動いているだけだ。


「…………呼んだところで救急車は来るんだろうか」


 交差点の真ん中で。あるいはコンビニの駐車場で穏やかな玉突き事故が発生している。店員が出てくる様子はない。


 誰かが呼んだ救急車のサイレンが近づいてくる。サイレンにも負けない不協和音のあと不自然に途切れた。スピードの出し過ぎで事故にでもあったか。はたまた彼らと同じような症状になったのか。


「みんな寝てるなら放置してても大丈夫かな。ごめんよ、お姉さん。風邪ひかないうちに起きろよな」


 俺の声が聞こえたわけじゃないだろうが女性は寝言でむにゃむにゃと応えてくれた。かわいい。こんなときじゃ無かったら、これをきっかけにお付き合いしたいくらいだ。


 家族に連絡しても反応なし。トゥイッターは自然なほど動きがない。どれもこれも雪の画像を投稿するか、雪について言及した直後から更新が途絶えている。なんのミーム汚染だ。彼らの位置情報は国内外はもちろん宇宙にまでおよんでいる。


「つまりこの雪は宇宙規模で降っているのか。まさか。宇宙に雪が降るはずないだろ」


 落ち着くために声を出す。少し落ち着けた。


「どこかの国が変な兵器でもぶっ放したんじゃないだろうな。それなら俺が起きてるわけないか。学校も機能していないだろうし、どうするかな」


 政府がなにか見解でも出してるかと思ったがまだ対策室もできていないようだ。異常事態だというのにニュースにすらなっていない。これにかこつけて総理をこきおろしそうな野党も今回ばかりは静観しているようだ。


 誰か。

 雪の女王でもなんでもいい。

 誰かに会いたい。


 物音がしなくなった街中をあてもなく歩く。道端に人が寝転がってるだけで、こんなに歩き辛いとは思わなかった。


「やっと見つけた。ぼくの同胞」


 耳元で声がした。思わず振り返るが誰もいない。ただ嬉しそうな、からかうような笑い声だけがしている。鈴の音のような、どことなく女の子っぽい声だ。


「とうとう寂しすぎて幻聴がしてきたってか。兎かよ」

「幻聴じゃないよ。ボクはここにいる」


 声は俺の後ろから聞こえた。ええい、幻覚だろうが幻聴だろうが構うもんか。意を決して振り向く。そこにいたのは介抱した女性と似た姿の人だった。

 髪が様々な絵の具を気まぐれに垂らしたような極彩色でなかったから同一人物だと疑わなかっただろう。それくらい似ている。


「やぁ地球人の同胞。この惑星は青くて綺麗だね。ボクの故郷は紫色なんだ。とても素敵だったんだよ」

「……なりきりってやつか。いや、俺たちにできることは特にないけどよ。なあ、アンタ双子の姉さんか妹でもいるか? よく似た人を向こうの通りで見かけた。家族じゃないのか?」

「家族はいないよ。みんな死んじゃった。ボクらなんでこんな運命を背負ったんだろうね。ある日突然一人に、本当の意味で一人ぼっちになるなんて、悲しいよね」

「なあおい、頼むから現実を見てくれよ。現実逃避したいのはわかるけどさ……」


 俺もここまで吹っ切れればどれだけよかっただろう。そこまで壊れるにはまだ正常で、でも現実を直視してしまえるていどには異常だった。


 雪が止む気配はない。


 自販機で炭酸飲料を二つ購入し女性に手渡す。首をかしげ受け取った彼女は不思議そうに俺を見た。座った俺にならうようにしゃがむとプルタブをカリカリし始めた。たまにいるよな、開けるのが苦手なやつ。


 代わりにプルタブを起こして開けてやる。よし、これで気兼ねなく飲める。

 ああ生き返る。生き返るんだが飲みにくい。女性は俺とジュースを交互に見比べている。


「……なんだよ、炭酸は嫌いだったか?」

「まだ飲んだことがなくてね。美味しいのかい?」

「うまいぞ。しかしあれだな、キャラ作りもそこまでくると立派だよ」

「……しゅわしゅわして甘い。もう飲めなくなるのは惜しいな。もっと欲しい」

「炭酸を持ち歩けって? 却下。自販機があれば……あーー。少なくとも在庫があれば買えるから、またあとでな」


 残念そうに「次はないよ」と言う彼女の言葉を空返事で肯定する。


「ほら。早く飲まないとしゅわしゅわしなくなるぞ」


 相手に話を合わせてやる少し嬉しそうに頷いた。本当にうまそうに飲むなあ。箱入り娘だったんだろうか。


 九州、それも春に雪が降り積もる街中でド派手な髪の女性と二人肩を寄せ合って過ごす。異常事態じゃなければ最高のシチュエーションなんだけどな。髪は黒か金だと嬉しいんだが。


 相変わらず反応のないスマホをカバンにつっこみジュースを一気に飲み干す。胃から這い上がってきた焦りや不安も飲み込めただろうか。


「ありがとう、美味しかった。ボクのことはエッダと呼んでおくれ。同胞、君の名前は?」

「千紘だ。エッダはこれからどうするんだ?」

「チヒロと一緒にここを離れる。もうすぐ壊れてしまうから」

「……さっきから不穏な単語ばかり並べてるけどさ、楽しいか? この状況で、なにがそんなに楽しいんだよ」

「楽しくはないよ。みんなを眠らせるのは大変だし、この星が壊れるのはとても悲しい。でも最期の瞬間まで恐怖とは無縁であってほしいから。だからボクは――」


 どこを見ているのかわからない琥珀色の瞳が、しっかりとこちらを見据える。エッダの潤んだ目からは今にも涙が零れ落ちそうだ。泣きたいのはこっちだよ。


「眠らせるだと? そんなことできるもんか」

「できるよ。ほら」


 立ち上がったエッダが手のひらを上に向ける。そこから雪が出てきた。

――そう、冷たくない雪が。


「マジかよ……。じゃあなんだ。お前がこの災害を引き起こしたのか」

「そうだよ。そのためにボクはここに降り立った。……こうして同じ体質のヒトに会えるなんて思わなかったけどね」

「待ってくれ状況を整理したい」

「もう時間はないよチヒロ。空を見て」


 うながされて顔を上げた空に隕石が迫っていた。

 視界の半分を埋め尽くす巨大な隕石。

 遥かな昔に山ほどの質量を誇った隕石は地球へ墜落したダメージはもちろんのこと、長期的な温暖化を引き起こし恐竜を初めとする地球上の生物およそ八十パーセントを世界から根絶させたという。


「山なんてレベルじゃない……あれは……」

「わかったかい。この惑星はもう駄目なんだ。悲しいけれど仕方ない。さあ行こうチヒロ」


 エッダが俺の手をひく。思わず立ってしまった。

 いやもうこれ立っても座ってても駄目だろう。


「……チヒロ? ねぇチヒロ。好き好んで死ぬほど苦しい思いをしたいの?」

「死ぬだろアレは」

「死なないよ。死ねないよ。言っただろう? ボクら最後の一人なんだよ。残酷だね。悲しいね。でも宇宙に出れば仲間がいるかもしれない。ボクが君に会えたようにね」


 エレベーターに乗ったときのような浮遊感に包まれる。それもそのはず、なんと地面から浮いている。こいつ本当に異星人なんだな。高層ビルの最上階、その窓に俺が一瞬映った。


「浮いてる。飛んでる。いや待て生身で宇宙は死ぬ!」

「チヒロは宇宙を飛んだことない? じゃあ怖いのも無理はないね」


 隕石とすれ違う。


「大丈夫だよ、ボクがいる」


 たわわに実った胸が顔に押し付けられた。なにも見ないでいいというように、優しく、しかしがっちりとホールドされてしまっている。


 みんな死んで俺だけ残る。おそらくは死ぬこともできない。なんだか現実味がない。おかげで一周回って冷静になってしまった。顔を少し動かして横を見る。あれは火星だろうか。地表からずいぶん離れたようだ。


「エッダ。エッダ、離してくれ。最後に地球を見ておきたい」

「見ないほうがいい。隕石は既に衝突した」

「マジかよ。音も衝撃波もしなかったぞ」

「そういう魔法を使ったもの。……駄目だったかな」

「…………いいや。ありがとう」


 できるだけ俺が動揺しないようにという彼女なりの気遣いだろう。空気は読まないし淡々としてるけど、いいやつなのかもしれない。たまに笑うとかわいいしな。

 ああ、こんなことならジュースを買いだめしておくんだった。


「チヒロどこに行きたい? ボクあちこち見て回ってるんだ。案内なら任せてよ」

「そうだな、それじゃあエッダがもう一度行きたい所に行ってみたい」

「いいとも。とっておきの惑星に連れて行くよ」


 こうして、優しい雪の降る朝に地球は滅亡した。俺もいつか誰かのために雪を降らせるのだろうか。


 できれば、そんな日が来ないことを願っている。

参考資料:ナショナルジオグラフィック『小惑星衝突「恐竜絶滅の日」に何が起きたのか』

<http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/061400214/?ST=m_news>(アクセス日2017年9月20日)


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