兆し。
人族の身体に慣れきってしまった自分を少し追い込むために滝に打たれるタケミカズチ。
人は精神を研ぎ澄ましたい時に滝に打たれるという。そんなこんなで打たれてみたものの、この所業は何にもためにならない気がする。ただただ、寒くて痛い、うん。
人族というのはつくづく不便な生き物であると実感する。しかし同時にこの非力さが人間の思考を深めるために必要だったのだと肌で理解することができた。危険だからこそ、弱いからこそ考えなくてはすぐに野生に殺されてしまう。生き残ることなどできないのだ。
ただ例外としてタケミカズチの最上級神下の中に人族のカグラがいる。彼女には当てはまらないが、一般的には人族は弱い、それは事実だ。
「タケミカズチ様、神力をもっと維持してください。そうすれば冷たさも感じないはずですから。」
「そうはいってもな!アルミラが展開した錬金黒魔術が効いてる場所じゃなきゃ神力は有限なんだぞ?」
有限なる神力がこれほどまでに繊細だとは。天界にいては理解、いや認識することすらできなかったであろう。
「それでも、です!慣れですよ、な・れ。」
「チュチュ・・お前結構厳しい奴だな・・・」
「そんなことないですよ!これはタケミカズチ様のためを思ってのことですから!まあ私たち神下がいればタケミカズチ様の身の安全は完璧に保証されていますけどね。念には念を、です。」
「まあお前らだけに仕事させるのはちょっと悪いなとは思ってたんだ。だから我慢してやってやるよ。」
アルミラのおかげで神力不足に悩むことはほとんど無くなった。それは城塞都市ノームが神力を生み出す根を持っているからだ。それが無ければ神力は使えば使うほど減っていくだけだ。つくづくアルミラに感謝しかない。あいつの突飛な行動を少しくらい大目に見てもいいかもしれないな。
神力不足で動けなくなるのを最低限防ぐことができれば今回は良しとしようと思っていたのだが・・・それも難しいかもしれない。
「ゆっくりとやっていこうか。」
「焦る必要ないですよ。ノームにはジーノ様もいらっしゃいますし。」
「ああ、ジーノなら問題ないだろうな。何か特別危険なことも起こってないんだろ?」
「はい、連絡もないですし、異常なしです。タケミカズチ様はこっちに集中できますよ。」
今、タケミカズチとチュチュがいる場所はノームから東に十キロ以上離れたグレンの滝と呼ばれるスポットだ。修行僧の姿が良く見られるというが、今はタケミカズチしか姿はない。というか他にも滝に打たれている人がいればここで滝に打たれる選択はしなかっただろう。
微々たる神力を解放し、キンキンに冷えた身体を温める。すると凍り付いた思考が蘇ってきて、異なることを考え出してしまう。
さっき近くの木の枝にいた魔物はみたことがない種だった。下界特有の魔物だろうか?そんな関係ないことを考えられるほどには余裕が生まれていた。
リスに似た魔物はこちらじっと見つめている。ただ単に可愛いだけの魔物かと最初は思っていたが、赤く鋭く光る眼を見て、本能的にこちらを観察する魔物だとタケミカズチは理解した。
「チュチュ、そこの魔物を捕獲してくれ。殺さずに生きて、だ。」
「え?あ、はい。わかりました。」
チュチュは何が何だかよく分からなかったが、タケミカズチが示した方向にいた魔物に飛び掛かる。しかしその小動物のような魔物は予想を上回る速度で逃走を図る。チュチュを嘲笑うかのような動きで逃げていく。
「む?なんかムカつくね!本気で捕まえちゃうよ?ファウスト、来て。」
チュチュは即座に召喚魔法を行使すると、彼女の前方に元人間であり、悪魔に魂を売り、自らが悪魔になった天界上の魔物であるファウストが現出した。男性と女性が発狂している声が重なるように響き合い、鼓膜を揺らす。感じさせるのは恐怖。
逃走を図ったリスもどきに掌を翳すだけで半透明な隔離結界を生み出され、リスもどきの動きを封じることに成功した。
「ありがとう、ファウスト。・・・さてあなたの名前を教えてもらえる?まあ喋れるならだけど。」
黙ったままの魔物は隔離結界からどうにか抜け出そうともがいている。ファウストが生み出す隔離結界は強固であり、そう簡単に破れるものではない。チュチュの見立てではこの魔物では到底不可能だと思える。
「う~ん・・・喋れないの?それとも喋りたくないの?まあ、そっちがその気なら無理やりにでも話を聞かせてもらうんだけどね。あんまり私を甘く見ないでよね。」
チュチュは魔物使いだ。この世で自分以上に魔物の扱いがうまい存在などいないと自負している。
警戒を強める魔物や敵意を剥き出しにしてくる魔物、そういった存在を瞬時に手懐けることができる。そして今目の前にいる魔物もその例外とはならない。
特別な何かをするわけじゃない、静寂が支配した空間にはまるでチュチュと魔物しかいないような、そんな不思議な感覚があった。リスのような魔物はチュチュの双眸から目を離せないでいる。じっと見られることに苦痛を感じていた数秒前の自分は泡となって消え去り、チュチュの存在が自分にとってなくてはならないものという認識になっていた。魔法を行使した形跡なく、内心を掌握する技能・・・リスのような魔物はそれを実践されて、恐ろしさを抱いた。
「お主・・・・!この世の者ではないな!ワシの変化を見破るとは恐れ入ったぞ・・・気に入ったぞお。ははは。」
愉快な笑い声を上げたリスのような魔物はチュチュに対して尊敬を抱いている瞳をしている。
「あなたの名前は?」
「ブルークじゃ。種族は赤鬼。イルファ・リスクの団員じゃ。」
イルファ・リスク・・・聞いたことがない言葉だった。それはタケミカズチも同じだった。
「イルファ・リスクって何?」
「イルファ・リスクは世界連盟が構成した組織。その存在は一般には知られていない。お主が知らなくても何ら変ではないぞ。逆に知っていたらたまげてしまうところだ。」
「それで、何でそのイルファ・リスクだか何だかっていう組織がここにいるの?スパイみたいな行為なんかしてさ・・・」
「城塞都市ノームについて調べていたんだ。ナバール連合のなかに突如としてあらわれた謎の都市・・・イルファ・リスクでは話題になってるぞ。」
「あらら・・・らしいですよ、タケミカズチ様。」
先程まで滝に打たれていたとは思えないほど清々しい表情でタケミカズチは木の上に立っていた。
「まあ、そういう奴らが出てくるのは予想してたさ。どちらかといえば遅いくらいだったな。気にすることはないさ。」
「大物だな、お主たち。我らの存在を意に介さないとは。ますます気に入ったわ!」
「で、聞きたいんだが、そのイルファ・リスクとかいう組織の本拠地はどこにあるんだ?」
「ランドマーク帝国だ。世界で一、二を争うレベルの力を持つ国だ。」
答えを期待してはいなかったが、チュチュの魅了によって拒むという選択肢が奪われているブルークの口調は滑らかだった。
「ランドマーク帝国だと?こりゃあでかい国の名前が出てきたもんだな。」
タケミカヅチは下界についてあまりよく知らない。学んでいる最中ではあるが、それでも知らないことの方が多い。ただランドマーク帝国の名前は聞いたことがある。下界最強の国と呼ばれ、最強の戦力として帝国騎士団の名が知れており、双頭の鷲であるドラゴンロード王国の王国魔導士と同等の力を持つと言われている。
一番最初に学んだ国だ。それほど脅威を秘めた国で、要注意だということ。
「ランドマーク帝国が黒幕ってこと?」
「イルファ・リスクは皇帝直属の組織ではない。国とは独立して存在している組織だ。帝国は何も知らんだろうな。ワシらがやっていることを。ああ、もちろん、帝国がお主たちの存在を注視しているのは間違いない。だからワシらとは異なる何かを仕掛けてくるというのもあり得るだろうな。」
イルファ・リスクはランドマーク帝国でも強い影響力を持っているようだ。じゃなければ帝国は組織の存在を許さずに、抹殺しているだろう。
帝国が手を出すのをためらうほどの力だということ。あまり舐めてかかると痛い目を見るかもしれない。
「帰ったらジーノにもこの話をした方がいいかもしれないな。」
「そうですね。リリフ様や他の幹部にも伝えた方がいいような気がします。」
「神槍探しつってもそれどころじゃないなあ・・・」
「相手から寄ってきてくれるんですから、その分探すのに手間がかからなくていいじゃないですか。」
「情報が手に入ればいいけどな。何もわからなかったら苦労した分損だろ。」
「私もそう思いますけど、刺激を求めてる神下達も大勢いるんで、楽しみにしている人もいますよ、きっと。」
「だろうな。あーあ、めんどくさい。」
「あ!もうこんな時間!そろそろ帰りましょうか。リリアスが晩御飯作ってくれてますよ。」
「お、そうだな。細かいことは後で考えるか。」
チュチュはこくりと一度頷いてブルークの方に視線を向ける。赤鬼は自分の連れにはいない。この際、連れていく?チュチュは自問自答してすぐに答えを出す。
「ブルーク、あなたはこれから私のものね・・・いい?」
「・・・おお!わかった!お供しよう。」
チュチュはにこりと笑顔を浮かべてからブルークに手を翳す。異空間に飛ばされながらブルークはこれから訪れる安寧を悟った。




