中央区画。
汚れた大地、そう表現してもいいのかもしれない。
貴族などの裕福な者が住まう中央区画に足を踏み入れてしまえば、外部地域に対する表現がそうなってしまうのも致し方ない気もする。
それほどまでに甘美で刹那的な光景がずっと広がっていた。
中央区画と外部地域を遮断するように聳える石門、その前に立つ門番にグロウという名前を告げるとお話は聞いておりますと丁寧な態度で接してきたのには驚かされた。ガレンの影響力というのはグロウの予想を軽く超えたものだったらしい。
石門を越えた先の真正面には華美で凄みさえ感じる巨城がそそり立っていた。下界の人間の技術力を甘く見ないほうがいいようだ。もちろんノームにあるタケミカヅチ殿と比較すれば砂粒のようなものだが。
中央区画から外部地域に抜ける人影は全く見られない。石門に近寄りもしないのは高位なる貴族意識によるものか。外部の空気を吸うなんてあり得ないと感じる貴族も多いと聞く。天界でも少数だが、そういう輩がいるし、貴族というのはどこも同じようなものらしい。
グロウが見る先々に優美なドレスを身に纏った女性や艶のある真っ黒なスーツを着た男性が歩いている。誰もが皆、自分が一番だと言わんばかりに自慢げな表情を浮かべ、他を見下すような劣悪なる視線を浴びせている。
グロウにとっては滑稽だ。そんなものでしか自分を誇示できないのは馬鹿げているとさえ思う。
「まずはテトラスだったか・・・そいつを見つけて話を聞かないとな。」
「君、何だね?その恰好は?ここが中央区画だと知っていてそんな薄汚い恰好をしているのか?」
ただ歩いているだけだったのにも関わらず、貴族と見られる小さい髭面の男に刺々しい言葉を投げ掛けられる。
グロウの格好はみすぼらしさなど微塵も感じさせないが、この中央区画に入ってしまうとやはり貧相な感じに見えてしまう。かといって、こんな奴らと同じような格好をしたくはないため、小言を我慢するしかないようだ。
貴族の男はなおもグロウに向かって偉そうな態度を取るが、グロウはそれをとことん無視した。
そそくさと立ち去るグロウに腹が立ったのか、男は背後にいた部下に命令を下す。するとその筋肉質の男二人がグロウの目の前に立ち塞がった。
「俺はこっちの方向に用があるんだが?」
「・・・・・・・・」
グロウの言葉に対して何の反応も示すことなく、ただ壁のように立っているだけ。
「このわしを無視するとはいい度胸をしているな、君は。普通だったらお言葉をかけてもらい感謝の言葉もありません、と平伏して歓喜するところだぞ?」
「歓喜しなかったからこんな行動に出たのか?」
「なに?」
「普段は言葉を掛けてもあまり喜んでもらえないのか?」
「・・・なんだお前?わしを馬鹿にしているのか?」
「馬鹿にしていたら何だっていうんだ?」
「おい、お前ら・・・やれ。」
立ち塞がった貴族の部下の二人はなにも言わずに一度だけこくりと頷いた。その瞬間、音もなくグロウの懐に小刀を持った男が入り込んだ。その動きは間違いなく暗殺者のものだ。
グロウが迷うことなく殺すという選択肢を取ろうとした時、待て!と制止する声が周囲に響き渡った。貴族の部下達も思わず手を止めてしまうほど上位者の雰囲気を醸し出す、これまた貴族らしき男がこちらを見下ろしていた。
「な・・・・・・ゲルマ!?なぜここに・・・・・・」
演技ではない本気で驚く人の表情を久しぶりに見たような気がする。それくらい突発的で予想外な出来事だったということか。それにしてもゲルマという名前のこの男は何者なのかが気になった。
「ヴァズズよ、わしがここにいることがそんなに信じられんか?くくく・・・無理もないのぉ。お前がわしの遠征先に向かわせた暗殺者がわしを仕留めたと思っていたんじゃからなあ?」
「なななな、何の話だ?わ、わしには身に覚えのないことじゃが?」
「よく言うのぉ。暗殺者をとっ捕まえてちょっと拷問したらすぐに吐きおったわい!」
かっかっかっと豪快に笑うゲルマと脂汗をだらだらと垂らすヴァズズが対照的で貴族としての彼らの力関係が明確に理解できた。
「・・・ヴァズズ。わしが気に食わんのは理解できる。じゃが、ピッツバーグ王国の貴族としての自覚を持つ必要がお前にはあると思うぞ?」
「・・・・・・」
「まあ、お前にこんなことを言ってももう意味はないか。」
「どういうことじゃ?」
「このことは国王様、並びにテトラスとワグナーに伝える。」
「な・・・・・」
まさに絶句。開いた口が塞がらず、ヴァズズの思考は一瞬にして凍り付く。
国王に伝わることを恐れていたわけじゃない。それよりもヴァズズが恐れていたことはテトラスとワグナーというピッツバーグが誇る二大貴族に自分の過ちが伝わることだった。それは事実上の追放になる。ヴァズズがやったことを客観的に鑑みても中央区画追放は避けられないだろう。下手をすればピッツバーグ王国からも退国させられる可能性すらある。
「テトラスはまだいいが・・・ワグナーは過激派だぞ?くくく、覚悟しておくんだな。」
「ちょ、ま・・・・・・」
立ち去るゲルマに声を掛けようとするが、ゲルマの背後に控えていた兵士に睨まれてすぐに口をつぐんだ。
グロウは何も言うことなく、その場からすっと消えるように立ち去った。
残されたヴァズズの絶望を推し量れるのは本人だけだった。
思わぬ障壁にぶつかったものの他の貴族に何かを言われるということはなかった。あのヴァズズという貴族が特殊だったようだ。
中央区画には外部地域と同じように武器屋や防具屋もあった。ただ雰囲気はまるで違う。外部地域の野性的な盛り上がりとは裏腹に中央区画の店には落ち着きがあり、グロウは上品な印象を持った。客引きなんてものは当然のことながら存在しない。店側からのアプローチは皆無だ。ふらっと立ち寄るためのものではなく、完全なる予約制といった感じか。
どんな武器が置いているのかは少し気になったが、何となく予想はつく。貴族用の武器ということは見た目が派手な飾り物がほとんどだろう。
今も目の前にある武器屋の看板を掲げた店に子供連れのマダムが入っていくところだった。何かの記念に装飾の武器でも買うのだろう。
そんな中央区画の東側に位置するテトラスの屋敷までは門を潜ってから歩いて三十分の時間を要した。
歩いてきたなかで多くの屋敷を見たが、そのどれよりも巨大な建築物。上には上があるというのを如実に表していた。
さっきのゲルマとかいう貴族も言っていたが、テトラスはピッツバーグの貴族のなかでもトップクラスの影響力を持ち、ピッツバーグ二大貴族の一角を担っているほどの大物らしい。
なかなか凄いことだが、それ以上にそんな人物と親しくしているガレンにグロウはより興味を抱いた。
屋敷の門には衛兵が二人。近づいてくるグロウを警戒しているのが手に取るように分かる。
門のすぐ前で立ち止まり、グロウは懐からガレンが書き記した手紙を取り出すとそれを衛兵の一人に手渡した。
「これをテトラスに渡してくれ。」
「なんだと?」
「待て。宛名を見ろ。」
一人をもう一人が制止する。
「・・・・ガレン ポークス?」
衛兵は手紙の宛名を読み上げてからゆっくりと顔を上げ、まじまじとグロウの顔を見つめる。
「わかった。少し待っていてくれ。これをテトラス様に渡してくる。」
一瞬だけ漂った剣呑とした雰囲気はどこかへ消え去り、衛兵は誠実な対処をしてくれた。やはりガレンは只者ではないらしい。テトラスの周囲では特に尊敬される存在になっているようだ。
待ち時間は五分も掛からないくらいだった。衛兵は慌てた様子でグロウのもとへ戻ってきた。さっきまでの態度はどこにいったのか、友好的な態度で接してきた。
「テトラス様がお会いになるそうなので、中へどうぞ。」
「ああ、どうも。」
門を潜るとすぐにまた見知らぬ男が立っていた。グロウが口を開く前にその男が口を開く。
「ディーノと申します。テトラス様の第一付き人させていただいております。以後お見知りおきを。・・・ここからは私が案内させていただきます。」
「ああ、頼むよ。」
屋敷を一人で回られて色々と探られるのは困るという考えもあるだろうが、屋敷に詳しい人間がいなければ間違いなく迷ってしまうから案内役が必要だということだろう。第一付き人ということは戦闘の腕前も相当なものなのだろう。
屋敷のなかを左に、そして右に、また左に曲がり、階段を上る。一人なら絶対に迷うと確信しながらグロウは歩いた。
「・・・・・・テトラス様、入ります。」
扉にそう言葉を掛けてからディーノは入室する。
細長いソファに腰を下ろしていた貴族の男がこちらに視線を移すと、にこやかな笑顔で近付いてきた。目につくのは白髪のもじゃもじゃ頭だ。ディーノが何の反応も示さない寝ぐせとは到底思えない爆発した髪がこの人物の通常のようだ。衣装は華麗さとは程遠く、まるで平民のようだ。年齢は若く、おそらく二十代から三十代といった感じだ。
「君がガレンの知り合いだというグロウ君か?」
「ああ、そうだ。手紙は読んでくれたか?」
「もちろんさ。僕はテトラス・・・テトラス ジャノメイザ。君が彼の友人ならば拒む理由はないよ。」
「全幅な信頼って感じだ?」
「まあ、そうだね。信頼というか彼には本当に世話になっているからね。娘がどれだけ助けられたことか・・・・・・おっと立ち話もなんだね。座って話をしようか。」
グロウはテトラスの真正面に腰を下ろした。気付けばディーノはいなくなっていた。
「それで・・・グロウが知りたいのは世界に伝わる伝説の宝具について、だったかな?」
「ああ、できれば槍について。」
「槍、か・・・ピッツバーグ王国には存在しないな。ちなみにピッツバーグには国王だけが手にすることができる伝説の斧、イーガ・ノンがある。この国で目ぼしい宝具はそれくらいか。・・・宝槍といえば、フェザーランド公国には二本の槍がある。名前までは分からないが、国宝として祀られているらしい。」
「フェザーランド公国か・・・」
「うむ・・・ただあそこは危険だ。ピッツバーグの貴族にも悪に手を染めている輩はいるが、フェザーランド公国は国、そしてそこに住まう民のほとんどが善良とは正反対のことを盲目に信じている。間違ったことに気付いていないんだ。ナバール連合への進撃はまさにその間違った行動だね。あれを許しては世界の秩序がおかしくなってしまうよ。」
「世界政府が機能していないのは痛いな。」
「ああ、そうなんだ。一番の問題点はそこだね。収拾を図る組織があの体たらく・・・まともじゃないね。」
テトラスとグロウの話が一段落するとディーノが湯気の立つ珈琲を持ってきた。珈琲の香りが漂い、落ち着いた空気が辺り一面に広がっていく。テトラスが一口飲んでからグロウは口をつけた。強い苦味と仄かな酸味を感じつつ、グロウは数回珈琲を口に運ぶ。
・・・・・・旨い。
珈琲に深い馴染みがあるわけじゃないが、目の前の珈琲が優れた品であることははっきりと理解できた。
「これは旨い。」
「そうだろう?僕もこの珈琲は気に入っている。各地のいろいろな珈琲を試してきたが、一番だと思えたのはフェザーランド公国のこの珈琲だな。」
「これはフェザーランド公国でつくられたものなのか?」
「ああ、フェザーランドは珈琲豆や紅茶葉が有名なんだよ。それがフェザーランドにとっても有用な資源になっているんだ。」
「へぇ、勝手に閉鎖的なイメージを抱いていたよ。」
「相手を選んでるんだろう。幸いなことにピッツバーグに対して敵愾心は抱いていないようだけどね。」
フェザーランド公国の狙いはナバール連合。隣国であるピッツバーグ王国がナバール連合に手を伸ばそうとしない限り、争いが生まれることはないだろう。それは暗黙のうちに双方が理解している。
珈琲を一口啜ってからテトラスは一度大きく息を吐いた。
「ま、もし仮にフェザーランド公国と戦争になれば敗北するのはあちら側だろうけどね。」
「ピッツバーグ王国の方が有利と?」
「ああ、ピッツバーグは闘技の町さ。王国兵士をはじめとして強者がそこらじゅうにいるよ。外部地域を含めればフェザーランドなんて敵にはならないさ。おっと、これは自国に対する慢心だと思われるかもしれないけど、よく思考を重ねた結果なんだ。兵力や国庫を鑑みても、ね。」
「争いが起こらないことを祈るよ。」
グロウが薄い微笑みを浮かべた後、少ししてからテトラスも同じように微笑んだ。
グロウがそろそろ辞去しようと腰を浮かせたところ、乱暴に扉が開け放たれた。ぜえぜえと荒々しい呼吸でこの屋敷の衛兵と見られる男がテトラスの名前を呼んだ。
多少の困惑を見せつつ、テトラスはどうした?と冷静な様子で声を掛けた。
「外部地域の反乱軍が中央区画へと侵入した模様です!ジャミール公爵邸へと進行中に王国兵と激突!今現在も交戦が続いてます!」
「なにぃ!くそ、いつか来るとは思っていたが、このタイミングとは・・・・」
「ジャミール公爵・・・・外部地域であまり良い噂は聞かなかった貴族だな。んー、国民もなかなか思い切ったことをするね。」
搾取されてばかりでなく、弱者は弱者なりに考えて動いている。グロウはピッツバーグの反乱軍に少しだけ感心した。
「とにかく了解した。屋敷の外の兵士の数を増やせ。絶対に屋敷のなかに外敵をいれるな。それとまだジャミールの方へ援軍は寄越さないように。」
「・・・周りの貴族の出方を見るってことかな?」
グロウが横から自分の予想を口にすると、テトラスはニヤリと薄い笑みをグロウへ向けた。
「ああ、そういうことさ。ジャミールはただでさえ評判が悪い。それは外部地域の国民だけでなく、貴族内部でもそうだ。ただ奴は国に対して強い権力を有していてね。誰もなにも言えないってのが現状なんだよ。そうなるといち早く助けに行く理由もない。ただ援軍を寄越さないと後々面倒な気もする。あと少し、様子を見ようってことさ。」
ジャミール公爵の評判が悪いというのは外部地域で何度となく耳にしたが、まさか貴族のなかでも良くないとは・・・
国でさえなにも言えないというジャミール公爵の権力にグロウは非常に興味を抱いた。
「ふう・・・グロウ、君はどうする?屋敷に留まるのが最も安全だと思うけど?」
「いや、俺はいいよ。この辺でお暇させてもらうよ。」
「・・・そうか。外は危険だ、十分に気を付けることを薦める。」
「ああ、忠告どうも。」
テトラスの屋敷から出ると、庭園には多くの兵士が集まっていた。全員しっかりと武装しており、防衛の役割を果たそうとしている。
屋敷の門から出た先にも兵士がおり、殺伐とした空気が漂っていた。ついさっきグロウが通った場所とは思えないくらいに。
人通りが全く無くなった中央区画を歩いていると、突如としてグロウの懐にある魔導器が反応した。
「キコか?どうした?」
「グロウさん、助けて!」
「・・・今、どこにいる?」
「ジャミール公爵の屋敷に!アローマと一緒にいます!」
「わかった。すぐに行くよ。」
緊迫した声色とは正反対の余裕さえ感じるグロウの態度にキコは少しだけ落ち着きを取り戻した。
ジャミ―ル公爵の屋敷はどこだ?
グロウは周囲を見渡したが、屋敷の見た目だけでは判断できない。ただ肉眼で確認できる異変は起こっていた。グロウがいる場所から西の方角に薄灰色の煙が立ち上っているのが見えたのだ。
「あそこだな。」
グロウは屋敷の外壁を苦も無く登り切り、立ち並ぶ屋敷の屋根に跳び移っていく。
上から見ると一目瞭然だった。西方に見える屋敷が炎上しており、薄っすらと怒鳴り声や剣戟の音が聞こえてくる。キコがこのタイミングでジャミール公爵の屋敷にいるということはグロウが中央区画に入った後すぐに彼女も入ったということだ。・・・・・・なにもかもが悪い方向にいっているようだ。
「ま、急いでやるか・・・」
グロウは速度を上げて、あっという間にジャミール公爵邸へと辿り着いた。そこは予想通り、戦場と化していた。




