アルミラの冒険
アルミラはタケミカズチが建てた巨城の屋根に寝転がりながら夜空を見上げていた。天界の空には星がない。だからこそ下界の空に光り輝いている星々に強い関心が湧いていた。
タケミカズチ様に呼ばれて下界に行くことになるだろうとは思っていた。アルミラも下界には興味を持っていたから嬉しくもある。タケミカズチ様もいるし、それなりの刺激もあるだろう。ただ基本的に下界の空気がアルミラの肌には合わない。そこがアルミラにとっての一番の苦難だった。
ま、なんとかなるか。
嫌なことを考えてもすぐに切り替えられるのがアルミラの良いところだ。ミミと遊んでやるかとも思ったが、長くなりそうだと予見してすぐに取りやめる。
代わりにタケミカズチ様に向けて魔力で念を飛ばす。
「タケミカズチ様、今大丈夫ですか?」
「・・・ああ、大丈夫だ。何かあったか?」
「ちょっくら出掛けてきてもいいですか?」
「どこに?」
「どこかは決めてないですけど。暇なんですよ。」
「まあ確かに今のお前にとっての下界はここだけだもんな。・・・わかった、行ってこい。ついでにこの城のことがどのくらい広まっているか調べてきてくれないか?」
「はいはい~。わかりました~。」
一方的に念を遮断したアルミラにタケミカズチは苦笑する。相変わらずの自由人ぶりだ。
アルミラは既に城の屋根から飛び出していた。浮遊魔法で空を飛ぶのは天界でもよくしていたことだが、下界ではまた新鮮な気持ちになった。神子がない空間はやはり居心地が悪い。身体に異変が起きることはないが、落ち着かない気持ちになってどうしようもない。
平原を抜け、どこまでも続く森林地帯を見下ろしながらアルミラは未だどこに行くか決めていなかった。山の方が強い魔物とかいるかな、なんて考えている最中に森の遥か先にうっすらと町が確認できた。
その時点で行き先はその町に決定した。
浮遊魔法で町の直前まで飛んだあと、徒歩で入り口を潜る。至って普通の町という感じだ。天界にもありそうな雰囲気だし。
夜だからか人通りは少ない。いるとしても酒を呑んでべろべろになっている野蛮な男達だけだ。ふとした時に目が入ったのだが、ここはレモンネークという町らしい。
ククノチの神下であるリリフに簡潔に聞いている。レモンネークはナバール連合という共同地域の一つの町だと。
北方平原からは随分と近い距離にあるんだなというのが一番の印象だ。浮遊魔法で小一時間、ということは徒歩で半日ほどで到着してしまうだろう。
「物騒な感じはしないけどねぇ。それはそれでちょっと残念かな。」
刺激的な展開が訪れる、なんてことはないようだ。
酔っ払いに絡まれるほどつまらないものはない。一度出直して朝にまた来るということで。
アルミラは自分で自分を納得させた。
きょろきょろと街並を見回しながら町の入り口へと引き返していく。そのアルミラの姿は何も知らない人からしたら少女が夜一人で歩いている危ない光景に映っただろう。そしてそれを好んで狙う輩も残念なことに存在する。
アルミラが町の入り口の手前に差し掛かった時、背後から声をかけられた。振り向くと街灯に照らされた髭面の男の顔がそこにはあった。しかも一人ではなく数人いる。酒の臭いが漂っているから飲み屋でどんちゃん騒ぎした後だろうか。
「何か用?」
アルミラは揚々のない声でそう尋ねる。
「君、何歳?」
「えっと百七歳だけど。」
「ほう、七歳にしては大きいな。」
七歳じゃなくて百七歳だと言いかけたが、慌てて口を抑える。自分が普通じゃない種族なのをすっかり忘れていた。
まるで舐めるかのように上から下までうっとうしい視線を向けてくる男達にいらっとしたアルミラだったが、下界に来て初めての人間に少し興奮を覚えた。
その場にいる五人の男は見たところ全員人族のようだ。
服の上からでも分かる筋肉。数々の戦闘の証か、それとも単なる力仕事の所以か。まあどちらにせよ面白い話を聞かせてもらいたい。
「おじさん達は何者?」
「俺らは冒険者だ。今はレモンネークで活動している。まあナバール連合で俺らに敵うような奴は一人もいないだろうな。がはははははは。」
「冒険者?なにそれ?」
天界にはない職業だ。昨日ミミから教えてもらった気がするが、もう頭に残っていない。
「魔物を倒したりしてお金を稼ぐヒーローのことだよ。」
「へぇーおじさん達すごいんだ。」
「そうさ、すごいんだ。どうだろう?もう夜も深いしお家に送ってあげるよ。ね?」
「え!いいの?ちょっと遠いよ?」
「ああ、大丈夫だ。な、お前ら。」
男は後ろにいた同じような風貌の奴等に問い掛けると彼らは何度も頷いた。ニタニタと笑うその表情を隠すことなく。
「じゃあお願い。道中に面白い話聞かせてね。」
アルミラは冒険者の男達にレモンネークの外れの森の中に自分の家があると告げた。怪しまれることはない。浮遊魔法で飛んできたときに周辺にひっそりとした集落があったのを確認している。
冒険者の男達は終始ご満悦だった。機嫌が良く、冒険者としての自分達の成果を口にしていた。多くはゴブリン退治で4体のゴブリンと同時に戦い、勝利しただとか、弓矢で飛んでいるハネマチョウを打ち落としただとか、アルミラにとっては心の底からつまらないような話ばかりだった。
それが自慢話なのだとしたら彼らのレベルも知れたものだ。
アルミラが先に歩き、その後ろに男たちが続く。森の中に足を踏み入れ、集落を目指す振りをする。ここまで来れば人の目を気にする必要もない。なので処分するのに何の心配もない。
「ここら辺なら・・・・」
その呟きが聞こえた瞬間、刺々しい殺気がアルミラの背後から漂い始める。
アルミラの背中に剣が突き刺さる。
「な・・・・ぐぐううううううう。」
痛みを必死に堪えながらもがき苦しむアルミラの姿を男たちは表情を変えずに見ている。そこには何の感情もなかった。
「・・・・・・悪いが、少女の人肉が必要なんだ。デモロス様が欲しがっているんだよ、最高級の人肉を。」
「な、何を、言って・・・」
男は何度も謝罪の言葉を述べながら剣を振り上げる。
仰向けに倒れ、赤黒い血に染まる身体。アルミラはもうピクリとも動かない。死すのは時間の問題だろうか。
それでも男はとどめを刺そうとする。早く楽にしてやるという最低限の慈悲だろう。
男が持つ血だらけの剣が再度アルミラを突き刺した。首を切り落とすと鮮血が男の服を濡らした。男は大きく息を吐いてから少女の身体を持ち上げる。
「これでデモロス様も納得してくれる。」
「ハミルトン・・・いつまでこんなこと続けるんだ?」
「ジェノス、もう決めたことだろう。俺たちの家族を守るにはこれしか方法はないじゃないか。」
「確かに俺たちじゃデモロス・・様には敵わない。ただ人としてこんな堕ち方したら家族に合わせる顔が・・・」
「馬鹿野郎!!あいつらの命以上に大切なものなんてねぇだろ!!」
その場にいる男たちは全員、押し黙る。そう、覚悟したはずだ。どんなことをしても家族の命を守り抜くと。それがデモロスの狙いなのだとしてもそれ以外に選択する方法はないのだ。
「・・・ねえねえ。その話、面白そうだね。もっと聞かせてくれない?」」
突如として森に響く声に男たちの警戒心は最大限に引き上がった。
「な、何だ!?誰だ!?」
血みどろの剣を構えて、周囲の暗闇に目を凝らす。
「ここだよ、ここ。」
アルミラを殺した男の服にべっとりと付着した血液がまるで生きている虫が蠢いているかのように小刻みに震え始める。よく見るとその血は布に染み込んでおらず、付着した時の状態のままで保たれている。
血は一点に集中し始めて、大きな赤い球体となって男の服から分離すると、みるみるうちに人間の体格を造り上げていく。
その光景を呆然と見つめる男たち。今、自分たちの目の前で何が起こっているのか理解している者は一人もいなかっただろう。これを魔法というのなら自分たちが知っている魔法はただのガラクタに過ぎないとさえ思う。
赤い球体は男がさっき首を刎ねて殺したはずの少女の姿を形作った。
「な・・・・お、お、お前は・・・」
「久しぶり、でもないね。数分ぶりって感じかな。」
アルミラが向けてくるにこやかな笑顔は男たちの背筋にぞくっとした悪寒を走らせた。
男は自分が抱きかかえている少女の体を一瞥してから、再び少女に視線を向ける。確かにさっきと同じ少女だ。顔も体も声も何もかも全てが同じだ。もう何が何だかわからない・・・・・・
「殺したはず・・・そう思ってるでしょ?」
切れ長の目が男たちを射貫くように見つめてくる。怯えるのも無理はない。
彼らの表情がアルミラにはおかしくてたまらない。人が許容できない時の顔はこんなにも面白いものなのかといつも思う。他の神下からは趣味が悪いと本気かどうかわからない苦言を呈されることもあったが、それでも面白いものは面白い。
目の前にいる冒険者の男たちの顔もアルミラの理想の表情だった。
アルミラは地面に落ちている自らの首を持ち上げる。
「あーあ、本当にヒドイありさま。こんなことして心が痛まないの?」
「・・・何で生きてるんだ?確かに・・・殺したはずだ・・・」
「ふふふ、私はアルミラ。タケミカズチ一級神下の一人。天界唯一の屍人族。」
男たちには意味不明な言葉に聞こえただろう。神下?屍人族?下界には存在しない言葉だ。
彼らの反応でアルミラは屍人族が下界にはいないことを悟った。天界でさえも生き残りはアルミラだけなのだから下界に屍人族がいるとは思えなかったが、まあ予想通りだったようだ。
「話を聞くところによると、なんか・・・あなたたちも大変みたいだね。」
「え?」
「家族が捕らわれてるの?」
「あ、ああ・・そうだ。ロスベルトの新しい町長デモロスに脅されてるんだ。」
「ロスベルト・・・って、ナバール連合の町のひとつ?おじさん、レモンネークで活動してるんじゃないの?」
アルミラは頑張って頭の片隅にあった記憶を引っ張り出してきた。
「いや、それは・・・」
「ああ、嘘なんだね。ゴメンね、なんか掘り返して。」
デモロスはロスベルトを変えた。男の言い分はそうだった。かつてのロスベルトは前町長ヨーコンの施政で多くの住民が裕福な暮らしをしていた。その優れた町長も一年前に病気で亡くなったらしい。新たな町長を選ぶのは住民・・・誰もがそう思っていたが、何故か突然新たな町長が発表された。それが現町長のデモロスだ。もちろん住民全員からの反発は凄まじいものだった。デモ行進を始め、町長を追い出せと書かれているチラシが配られたりした。その噂は近隣のレモンネークやデモテルにも伝わるほどだった。しかしその批判の嵐はある時期を境にぱったりと止んだらしい。デモロスは住民の家族を誘拐し、監禁するという非道な行為に及んだのだ。家族を奪われた者達は決起し、殺すのも厭わない覚悟でデモロスに挑んだが、誰一人帰ってくる者はいなかった。数日後にロスベルトの中央広場にデモロスに挑んだ男達の死体が晒し者にされていたらしい。
アルミラの目の前にいる男は終始震えながら途切れ途切れ言葉を絞り出していた。こういうとき、災難だったなと声をかけるのが下界では普通なのかもしれないが、嘘はつけない。
興味深いし、なんか面白そう。アルミラの感想はそれだけ。
住民に同情なんてしないし、全く興味がない。目の前の男達は虫ケラ以下。表情におくびにも出さないのが恐ろしくもあるが。
「そっか。ロスベルトのデモロスね。面白そう・・・・タケミカヅチ様への良いお土産になるかな?」
アルミラは浮遊魔法でロスベルトへ向かおうとする。ロスベルトってどっちと男に聞くと、呆けた顔でゆっくりと西の方角を指差した。
「ふーん、わかった。ありがとねー。」
飛び去ろうとしてアルミラは最期に男達に言葉を告げる。
「あ、来世って言うのかな?まあ良いか来世で・・・来世には不運がないように祈っておくね、冒険者さん。」
「へ?」
男が足元に下ろしていたアルミラの首なしの身体に漆黒の魔方陣が展開される。濃密な邪の魔力が一気に広がっていくと、アルミラの身体が段階的に膨れ上がっていく。その勢いはとどまることを知らず、とてつもない速度で膨張し、やがて止まった。反対に黒い魔方陣が小さくなっていき、小さな黒い点となり、最後に・・・・・・消えた。
超爆発。
燃え盛る爆炎と激しい爆風、そして世界を包み込む黒煙。
まるでここが本当の地獄のようだ。爆心から全方位に数キロに及ぶ被害をもたらす魔法。アルミラにしか使えない、アルミラのオリジナル魔法。
SS級魔法ハイノドン。
魔法ランクはこれ以上ない上限のSS級で、A級の爆発魔法エクスプロージョンの百倍近い威力を誇る規格外の超魔法だ。
この森林地帯の状況を見て男達は無事か?なんて思う奴はいないだろう。塵ひとつ残っていない、間違いなく。
近辺にあった集落は三キロほど離れており、直接的な被害はなかった模様だが、アルミラが気を使ったわけではないのは明白。もし仮に被害が出ていても、何の感情も沸いてこなかったであろう。
「うわお、綺麗に穴が開いたね。」
アルミラは爆風を魔法で遮断しつつ、自らの魔法の成果に満足げな表情を見せる。
「下界でも威力は変わらないみたいだね、うん。大成功。」
アルミラはそのまま止まることなく、レモンネークの西に位置するロスベルトへ出発した。ここからは馬車で五時間以上掛かるらしい。
転移魔法を使いたいが、アルミラの転移魔法は一度訪れた場所しか移動ができない。リリフの転移ならば見聞きしていない場所でも魔方陣に行き先刻めば転移することが可能だ。転移魔法だけでいえばリリフの方が万能性はある。
ロスベルトは闘技場が有名だ。冒険者をはじめとした腕っぷしに自信のある者達がナバール連合の各地から集まり、一対一で勝負する。その光景に住民や観光客は酔いしれ、熱狂した。
かつてのロスベルトの姿はそうだった。
しかしこの一年でそれは大きく変わった。闘技場の廃止、住民の徴兵、ナバール連合の確約を破っての金山での資源乱獲。
孤立するロスベルトに観光客は寄り付かず、住民の多くがレモンネークやデモテルに流入することになった。
対策をしようと近隣二つの町がロスベルトに声をかけたが、それをことごとく無視。不干渉を貫くようにとの手紙が二つの町の町長宛てに届いたくらいだ。
ロスベルトについて学ぶことなくアルミラは町へ向かっていた。森林地帯を抜けて、地面の凹凸が激しい地域に出る。どうやら農村らしく、野猪や狼が農作物を狙っている姿が見える。魔力で動物の嗅覚を刺激して、近寄らせないようにしている。器用な魔法を使えることにアルミラは感心した。
徐々に視界が晴れていき、空に輝く星達は薄くなり、やがて消えた。
朝の日差しが森を照らし、村を照らし、そして遠方に見えてきたロスベルトの町並みを照らし出す。
新たなる一日が始まる。
村の農民は朝早くから井戸に水を汲みにいき、作物の様子を調べる。
町の門を見張る衛兵の交代時間でもあるようだ。
あらゆる町が活気に満ち溢れるのとは正反対にロスベルトは暗くどんよりとした雰囲気に包まれた。
そんな町の中をアルミラは歩いている。
以前活気があったのは町の取れかけている装飾品からなんとなく想像できる。ただ店頭で食材を販売している店があったり、冒険者達が笑いながら話す光景を少ないけど見ることができる。
「えっと・・・確かデモロスとか言ったっけ?ここの独裁町長さん。」
どこにいるんだろう。その人物だけがアルミラがここに来た目的だった。
何気なく近くにあった店の人に町長の居場所を聞いてみたが、曖昧な返事をして店の奥に引っ込んでしまった。町長の話をするのも嫌だということか。それから数人に聞いてみたものの、皆一様な反応だった。人に聞くのは諦めてアルミラは中央広場に向かった。偉い立場の人はたいてい町の中央にいる・・・アルミラの偏見だ。
ただその偏見が今回の場合、予想通りだった。
「ここみたいだね。町長の執務室がある建物は。」
建物自体は二階建てのどこにでもありそうな構造だが、その周りを囲んでいる頑強な鉄壁は町には不釣り合いな装いだ。見張りの数も相当数いて、自らが治める町での対応だとは思えない。
睨みを効かせた見張りは建物の前に一人で突っ立っている少女、アルミラの姿を訝しげに見つめてくる。
「何だ、貴様は。」
「あの、町長さんに会いたいんだけど、いる?」
「ガキは帰んな。殺されたくなければな。」
アルミラが見張りの男と話しているのを見かけた住民がアルミラの腕を掴んだ。振り返ると住民の顔は恐怖で強張んでいた。勇気を出しての行動だろう。まあアルミラにとっては邪魔なだけだ。
「お前が保護者か?ちっ・・・どうやらデモロス様に報告しなくちゃならねぇみたいだな。」
「ううん、この人は知らない人だよ。ま、そんなことはどうでもいいや。・・・あんたムカつくね。」
アルミラの薄い微笑みの中に狂気が入り混じる。
次の瞬間、見張りの男の身体が真っ二つに割れた。鮮血の赤雨があたりに降り注ぐ。
S級魔法、ライズカッター。
付加魔法でリバルブを作用させてのライズカッターだ。リバルブは魔法の発現速度の上昇を促すC級付加魔法ながら多くの魔法に連結させることができるため、重宝されている。
突如として殺された見張りの男。彼と同じく見張りをしていた複数の男たちは先ほどまでは口元を緩ませていたが、今となっては硬直して動かなくなっている。アルミラの腕を掴んで、やめとくように促した住民は彼女の背後で尻餅をついて立てなくなっている。
「あら、やっちゃった。・・・まあいいや。ムカついたから仕方ないよね。」
肉片となった男には見向きもせずにアルミラは次の見張りの男に質問する。
「それで町長さんはこの中にいるの?」
「あ、ああ・・・いる。中にいる。」
口だけが動いていた。頭は何も考えることができなくなっていた。そうだ夢を見ているんだと自分を納得させるしか方法はなかった。それと同時にこんな理不尽なことがあってたまるかと憤慨もしていた。さっきまでだるいなどと話していた同僚の一人が変わり果てた姿で地面に転がっている光景など悪夢でさえも見たことなんてない。そう思うと急に現実感が強くなっていった。
「そっか、わかった。んじゃ、お邪魔するねー。」
ラッキーと呟きながら建物の中に入っていくアルミラを止める者は誰一人いない。できるだけ目立たないように、こちらに危害を加えてくる可能性を低くしたい、そう思う気持ちしか彼らにはない。アルミラの姿が見えなくなると見張り達はすぐにその場から逃げ出した。
ロスベルトの役所に入ると、受付があった。広くないじゃんと思っていたが、こうして中に入ってみると案外開放的だなと感じた。受付の女性は外で起こったことを知らなかったみたいで平然とした顔で少女を見つめていたが、少女の服が血塗られていることに気付くと悲鳴を上げて奥へと引っ込んでいった。
その女性の反応でアルミラは気付いた。自分の服が血で汚れていることに。
「あらら、これ見てビックリしたのかな?」
さっきの見張りの男の返り血だろう。
「しまったしまった・・・」
アルミラは魔力をほんの少しだけ解放した。すると服に付着していた赤黒い血液の染みが一瞬にして消え失せた。
魔法による結果ではなく、魔力の本質を利用した技だ。あまり知られていないが、魔力の純度によっては物質の浄化作用の効果が得られるのだ。一流の魔導士なら誰でも知っているような事実だが。
アルミラは左右に首を動かして、建物の中を探し回る。魔力の反応はない。外部の見張りは厳重なのに建物内部はすっからかんとしている。
二階にいるよね、たぶん。
アルミラは左手に見える階段に向かった。
階段をを上がろうと一歩踏み出したとき、轟音を立てて天井が落ちてきた。
それと同時に建物が全崩壊した。瓦礫と砂埃が舞い踊り、中央広場には何事かと多くの民衆が集まりつつあった。
さすがのアルミラも急に落ちてきた天井には驚きを隠せなかった。錬成黒魔術で生成したS級魔法、ブリリアント・ガードが自動で発動し、自らの身を守った。
体が潰れても再成は可能だから、そんなに気にすることではないかもしれない。が、気分はあんまり良くない。
「ほう・・・オートガードか。なかなかやるな。」
薄ぼけた視界のなかに見えた強靭な肉体を持った白髪の男。こいつがデモロス?
「さすがは深淵の魔女、アルミラといったところか。」
「え、何で私のこと知ってんの?」
「有名人だろう?お前は。まあ、天界での話だが。」
普通の人間じゃない。アルミラと同じく天界から来た人間だろうか。いやそうとしか考えられない。
「あんたがデモロスって奴?」
「いかにも。私がデモロス・・・魔人デモロスだ。」
男はニタっと気味の悪い笑みを浮かべてから、左右の拳どうしを合わせ、踏ん張るような態勢を取った。
腕や足の太さが二倍になり、眼が赤く変色した。
「え、魔人!?魔人ってあの魔人?」
「ふ、それ以外に何があるというんだ?」
魔人がなぜここにいるのか。その疑問が頭によぎったが、今はそんなことはどうでもいい。
「そっかそっか・・・・魔人なんだ・・・・くくくく、はははっはは。」
「どうした?何がおかしい?」
「あんた、私のこと知ってるんだよね?」
「当たり前だろう?」
「じゃあ知ってるでしょ?私が・・・・・・」
アルミラは大きく息を吐いた。
「魔人を殺したくて殺したくてうずうずしてることを。」
手を翳す。すると黒い球体が生まれ、ゆっくりと宙を漂い始める。
「アース・モルテ。」
球体は中央広場全体に広がると、ドーム状の空間を造り出した。
気付けば野次馬は消えていて、その空間にはアルミラとデモロスの二人しかいなかった。
野次馬だった住民は本当に幸運だったと思う。このドーム状の空間に少しでも入ってしまえば・・・・・・
「ん?」
デモロスの身体から黒い瘴気が噴出する。
「何だこれは・・・」
「ちょっとした実験。死に近づく気分はどう?」
「この空間にいる生物は全て死ぬ・・・どうやらそういうことらしいな。」
足元にいたネズミがピクリとも動かなくなったのを見て、デモロスはそう判断した。
これもアルミラのオリジナルのS級魔法。魔人に行使した場合にどうなるのかという情報を純粋に知りたかった。貴様など実験材料と何ら変わらない存在なのだという意味合いも込められている。
アルミラが魔人を憎む理由・・・・・・それは彼女の種族が関係している。
天界の希少種として屍人族は丁度百年前までは存在していた。当時、アルミラは七歳でまだ魔法の練習をしたことのない子供だった。しかし子供ながらに鮮明に覚えている。不死身だと言われていた屍人族が魔人族に殺されていく光景を。
どんなに傷ついても自らの細胞が残っていれば、そこから全身を再成させることは可能だ。しかし父も母も、知り合いのおじさんも誰一人として起き上がる者はいなかった。悲しさと悔しさと、どうしてだという強い疑問とが織り混ざったぐちゃぐちゃの感情を抱きながら懸命に走り、逃げた。
魔人族の急襲は天界の歴史にも大きく刻まれている。アルミラはその事を忘れたことはない。魔人を一人残らず殺すことだけを望んで生きているといっても過言ではないくらいだ。タケミカヅチの神下になったのも彼の傍にいればより多くの魔人を殺すことができるのではないかという理由からだ。タケミカヅチもアルミラの事情を理解しているし、神下になった理由もそれで構わないとのこと。
アルミラはタケミカヅチの懐の深さに感謝しているし、今ではもう信仰心も強く持っていた。
「どう、まだ苦しくならない?」
「ふ、舐めるなよ。こんなもので私を殺れると思っているのか?滑稽だな。実験だかなんだか知らんが、すぐに終わらせてやる。」
デモロスには全く効力がないようだ。やはり魔人は特殊な生物体のようだ。
デモロスは一気に駆ける。目にも止まらぬ速度でアルミラに拳を打ち込もうとするが、ブリリアント・ガードが自動発動する。
金属音のような高い音が響き、障壁が歪み、その数秒後に破裂するように壊れた。
魔人の腕には傷ひとつない。そのままアルミラに打撃の応酬が加わる。障壁を失ったアルミラは殴られる専用の人形のようだった。反撃の機会を伺わせないまま、速攻の連打がアルミラを襲い、最後の一撃が止めを指した。
もうそれが誰なのか分からないくらい悲惨な姿を晒しているアルミラ。指先ひとつ動かないで、地面に横たわっている。
デモロスは魔人族の急襲のことをあまりよく知らない。参加していないので何が起こったのか具体的には知らないのだ。ただ屍人族を絶滅に追いやったのは把握している。魔人族の魔力は屍人族の再成能力を無にする、というのを学んだ。確かアルミラも屍人族だったはず。
デモロスはまたも気味の悪い笑顔を見せる。
こんなところで学んだことを生かせることになるとは。
デモロスの高笑いが辺りに響き渡る。
「こんな場所にアルミラが来るとはなんたる偶然かと思ったが、まあ面白い経験ができたから良しとしよう。」
再成しないとデモロスは予想したが、それは確固たる事実だった。魔人の魔力でアルミラの身体は昨日停止に陥っているようだった。
アルミラの死体を見て、満足げに微笑んでいたが、急に違和感がデモロスを襲った。
身体の中から巨大な鋼鉄の棘が生え始め、それが重りとなって身動きひとつ取れなくなった。
デモロスはすぐにこの現象がアルミラの魔法によるものだと理解した。
仕留めきれなかった?そんなことはないはずだ。げんに目の前に倒れているのはアルミラだ。
デモロスが混乱している最中に地面から少女が現れた。それがまさにアルミラだった。
「何故だ?お前、何で生きてる?確かにここに・・・」
「ふふふ、魔人とやるのに対策とらないわけないじゃん。」
「対策だと?」
「うん、事前に自分の血を採取しといたの。再成には有効期間があるから、本当にさっきね。」
デモロスの知らない事実。屍人族の再成には弱点があったということか。それが今、弱点でなくこちら側に対しての盲点となってしまったようだ。
「そんな素振りは見えなかったが?」
「そこは色々と工夫してね。」
「この鉄の棘もお前の計算通りなのか?」
「もちろん。ちょっとした実験だって言ったでしょ?この魔法、アース・モルテはあんたが言った通り、空間内の生物を死に追いやるもの。それは間違ってないけど、それが魔人に効果がないのは知ってるの。知りたかったのはアース・モルテに付加させた魔法アイアン・メイデンが効果を発揮するか。」
「この鋼鉄の棘がそうか?」
「そういうこと。まあ実験成功みたい。」
デモロスはなんとかして動こうと努力するが、どれだけやっても体は鉛のように動かない。
魔人を一人残らず殺すために魔法を極め、そして錬成黒魔術を編み出した。対魔人の戦闘はどんな凶悪な魔物相手よりも研究し尽くしている。
はなからアルミラが負けるはずのない戦闘だった。
「それで魔人が何でこんなところにいるの?しかも町長なんか名乗っちゃって。」
「下界を支配するためだ。天界はお前の主のような神に支配されてるからな。」
「へぇ、だから天界から逃げて下界に居場所を求めたんだー。」
なるほどなるほど、と納得した様子でアルミラは頷く。
「あと何で人肉が欲しいの?あんたが欲しがってるんだってことで一度殺されちゃったんだけど。」
「決まってるだろう?儀式への供物にするためだ。魔人として新たな領域に達するためにな。」
魔人が行う儀式はたいていの場合生きている人間や魔物を使う場合が多い。少女の人肉を使うなんて限定的な方法など聞いたことがない。
デモロスも詳しいことを話す気はなさそうだ。
「・・・俺は魔人族の最下級だ。上にはまだ多くの魔人がいるぞ?」
「だろうね。てっぺんがこれなわけないもんね。天界で殺した魔人の方がまだマシだったよ?」
デモロスは違いないと大笑いする。
「ふう、もうちょっと話を聞いた方がいい気がするけど、なんか飽きちゃったし、そろそろ終わらせるかな。」
アルミラは右手を前に出して、魔法を発動する。ロスベルトの町全域を包み込むほどの膨大な魔力がアルミラを中心にして一気に広がっていく。
地面に押し潰されるような感覚がデモロスを襲う。魔人族は恐怖を抱かない・・・そういった感情は彼らには存在しない。そのはずだった。今のデモロスは明らかに恐怖を感じていた。微々たるものだが、この心が寒さで震えるような感じは聞いていたところによる恐れだ。確信していたが、再度確信した。間違いなくアルミラはデモロスよりもずっと強いと。
SS級消滅魔法、アポカリプス。
終焉を知らせる爆音。光と闇がうねりを上げて極大の柱を作り上げる。天空から黒龍と白龍が現れて、デモロスがいる場所目掛けて突進してくる。ロスベルトの住民ならず、レモンネークやデモテルからもその神がかりな光景は見えていたという。
雷鳴が轟く激音と共に一瞬でデモロスの存在は塵と化した。
余韻を一切残さず、ロスベルトの中央広場はいつも通りの平穏を取り戻す。
「あら・・・少しやり過ぎっちゃったかな。」
アルミラがそう呟いた時、はるか遠くの方でタケミカズチがため息をついたような気がした。