恐怖と地獄を永遠に
目を覚ますと深い深い森の中に聳える巨木に体を縛り付けられ、身動きが取れない状態だった。何故自分がこんな目に遭っているのか、思い出すのに苦慮した。
そうだ……デモテルのギルドで襲われたんだ。
重い瞼を懸命に開けて周囲の状況を細かく確認したが、人の気配はなかった。
ブライアンは下を見た。自分の身体が縄で縛られている。これなら脱出も不可能ではないかもしれない。
体を動かすが、縄はビクともしない。
ただブライアンには魔法がある。彼は元々、若かりし頃にC級魔導士として活動していた。その時に覚えた簡易な魔法を使えばこの危機を脱することができるかもしれないと考えた。
ファイア。Eランクの熱魔法を縄に向けて放つ。威力はほとんどないが、縄を燃やすには十分な火力だった。
「よし、これなら……」
ブライアンはその場でもがく。縄の拘束力はほとんど無くなって、脱出することに成功した。
ここはどこなんだ?どうやら木々の中にこの場所がどこかを示すような物はなさそうだ。
「おオオオ……メをサマシタようダナ」
「ダナ。タケミカズチサマにレんらクダ」
「ソウだな。レンラくダ」
地面にどす黒い渦が巻き起こると、突如として地面が膨れ上がり、ブライアンの背丈と変わらないくらいに盛り上がった。泥のような液体が頭、胴体、そして腕、最後に脚を形成し、明確な存在を形成した。
タケミカズチの従属である暗黒丸がブライアンを監視していたのだ。ブライアンには何か不気味な存在としか認識されていなかった。
「な、何だ……こいつらは」
「ヨワソウダカラころしタイ。ダメカ?」
「ダメダ。タケミカズチサマにシカラレル」
反抗する気にもなれなかった。ブライアンの力ではどうすることもできない戦闘力を持っているのは放っている邪気からして明らかだった。
魔王の配下にいる魔物のような、そんな物語上の存在にも思えた。
小刻みに震える足で何とか立ちながらもブライアンは逃げる策を思案する。しかし追い打ちをかけるようにデモテルのギルドに押し入ってブライアンをここに縛り付けたのであろう張本人である少年が姿を現した。
はっきりと見るのはこれが初めてだった。少年の後ろにはカロリーナで見た兎人族の少女とエルフの女魔導士が控えていた。
その立ち位置と二人の態度を見ると少年が立場としては上のように思えた。崇拝しているようだった。不気味な侍のような存在も姿勢を低くして敬いの態度を示している。
「起きたみたいだな。ギルド長、ブライアン ステーシャル」
「お前は一体何者だ?どうしてこんなことをする!」
「シルビアを狙うのをやめろ。それだけを守ってくれれば何の文句もないんだがな」
少年とは思えない全てを見通しているような目、態度。得体の知れない何かが少年という仮の姿をしているような感じだった。
「シルビア………クロの伴侶か。お前らはシルビアの安全を確保したいのか?」
「聞いていなかったのか?そうだと言っている」
「わかった。約束しよう。カロリーナにいる全ての者に伝える」
「……そうか。じゃあ次はこれだ。これが何なのか分かるか?」
「そ、それは……ビ、ビブルノース……」
ブライアンが喉から手が出るほど欲していた世界十玉のひとつ。
「大井戸に隠していたこれ………かなり高価な代物なんだろう?」
そんな言葉で推し量れるような宝玉ではない。国をまるごと買えるくらいの莫大な金額で取引される最高級品の上のまた上のような存在だ。欲しい。欲しい。欲しい。
あろうことか少年はその宝玉を握り潰した。どんな金属よりも硬いと言われる宝玉をいとも容易く。なんてことをしたんだという感情と共に偽物だったということかと多少の安堵も織り混ざる。
しかし少年は言った。この宝玉は本物のビブルノースだと。
「そんな馬鹿なことが!!ビブルノースを握り潰すなどできるわけが……」
少年が握り潰して粉々になった宝玉の欠片が地面に散らばる。その輝きを見た瞬間にそれが本物のビブルノースだと瞬時に理解した。あり得ない、意味が分からない。
突発的な疑問と共に今まで生きてきて感じたことのない強烈な怒りが込み上げてきた。
「貴様あああああ!!!!許さんぞおぉ!!!!」
ブライアンは反射的に魔法を行使しようと右手を前に出した。
しかし右手はなかった。あれ?と思った瞬間、右腕が尋常じゃない熱を帯びる。熱いなんてもんじゃない。溶けていくような残酷な熱だった。
視界の隅に何かが飛んでいくのが見えた。視点を合わせるとその正体は主を失った腕だった。空中を回転しながら重力に従い、ボトンとという音と共に地面に落下した。
「ぐおおおおおおおお!!!!!!!うでがあああああああああ!!!おれのうでがああああああ!!!!」
ブライアンが右手を上げる前に暗黒サムライが凄まじい速度で斬閃し、右手を切断した。それが一連の答えだった。まるで見えない動きは強い恐怖をブライアンの脳に植え付けた。
「ワレラガタケミカヅチサマへのサッきをミノがすハズナイダろ」
苦痛の声を上げるブライアン。周りの様子など見る余裕などなかったが、タケミカヅチと呼ばれる少年がエルフの魔導士に何やら指示をしたのがうっすらと聞こえた。そのすぐ後にエルフの声が鼓膜を揺らした。
「天光治癒」
その声がしたのと同時に腕の激痛が何もなかったかのように消え失せた。
エルフが自分に対して治癒の魔法を行使していた。ただこれはそんな簡単な魔法じゃない。瞬時に痛みを取り除き、平常時の体力に戻す魔法・・・普通に考えてもA級魔法に分類されるのは間違いない。
ブライアンは魔法を使えるが、治癒・回復系の魔法は使えない。それでも知識だけはある。だからこそ今の魔法が高度なものだと分かる。
「……どういうつもりだ?」
「あのままだと死ぬんだろ?下界の人間は」
下界?何の話だ?目の前の少年がこことはまるで違う別の世界からやってきた。今の発言を聞いて、ブライアンはそんな気がしてならなかった。
「殺す気はないということか?」
「さらさらないよ。死んだらあんたは自分の罪から解放されちゃうだろ?それはちょっと看過できないな」
殺しはしないという少年の言葉。それが事実だとしても、タダで済むはずがない。拷問でもする気か?そう聞いてやりたかったが、ブライアンの口から出るのは言葉にならない掠れた声だけ。
「シャドウナイト……寄生してやれ」
「……了解しました。」
巨木の影から黒いローブを身に纏った魔物が姿を現し、タケミカズチに敬意を表したかと思ったら、ブライアンの方に浮遊しながら向かってきた。
ブライアンは反射的にファイアを行使したが、シャドウナイトの身体に触れた途端に消失した。
シャドウナイトには下位魔法の無効化という能力がある。C、D、E級魔法は属性にかかわらず、全て効かないということだ。
そうなればブライアンにダメージを与える手段はなくなる。そう、はなから抵抗する意味などないのだ。はき違えた勇気は無謀な行動という現象に変わった。
シャドウナイトはブライアンの影に入り込んだ。動いてもいないのに自分の影がゆらゆらと動いているのは多少の気味悪さがあった。決して客観視ができる余裕があったわけではない。何が起こったのか、ブライアンの理解の範疇を軽く超えてしまい、思考がオーバーヒートしてしまった結果、自然とそんなことを考えていたのだ。
体に異変はない。身体的にも精神的にも何も変わらない気がする。
「何も変わらない……そう思ってるだろ?でも、そんなことないってわかるよな?」
「なに?」
ブライアンの影に真っ赤に染まった巨大な眼が映し出される。
「な、なんだこれは……」
「あんたにしか見えない魅惑の眼だよ。可愛い眼してるだろ?」
――――――――俺にしか見えない?この眼が?
「あんたがどんな行動をしたか・・・そいつは永遠に見張っている。あんたがこれからする行いの善悪の判断は全て影の中のそいつがするんだ。気を付けて行動するんだな。俺はお前を殺さない。ただそいつはお前を殺す判断をするかもしれないからな」
質の悪い冗談だ。ブライアンは少年に向けて悪態を吐こうとしたが、頭に罵る言葉を思いついただけで影の中の眼は妖しい光をより一層蓄えた。それを見て、罵るのをぐっと堪えた。今思いついた言葉を口に出せば、間違いなく殺されると生物としての勘がそう言っている。
ブライアンの額にはじんわりと冷や汗が滲んでいた。
そんなブライアンの引き攣った顔を見て、タケミカズチは笑った。
「その恐怖と一生付き合っていくんだ。あんたにお似合いの地獄だな。あんたは一人・・いや二人の人間の人生を狂わしたんだ。シルビアとクロ・・・彼らが味わった恐怖はこんなもんじゃなかったと思うがな。」
「何故だ?何故そこまでしてシルビアのために……」
「理由か?シルビアには世話になったから。ただそれだけだ。親切にしてもらったら誰だってそれを返さないといけないだろ?」
親切にされたから?たったそれだけの理由でこんな狂気じみたことをしたのか?この少年は。
そう思った途端、影の揺れが激しくなった。またも妖しく光る眼に思考を停止させられる。
ブライアンはただ茫然と少年を見るだけしかできない。
「じゃあシャドウナイト、そいつのことを頼んだぞ?」
「はい、お任せ下さい。必ずやタケミカズチ様のお望み通りの展開にします。この命にかけて」
「ブライアン ステーシャル、帰るなら自由に帰ってくれ。ここはデモテルの北にあるロディバ山の麓だ。南に行けばデモテルに戻れるだろう」
ブライアンの前で少年は大げさに南の方を指差した。
「わあ、さすがはタケミカズチ様です。親切ですね」
兎人族の少女は満面の笑みで少年の腕に抱き付く。
ブライアンは去っていく彼らの後ろ姿を見ることしかできなかった。彼の目には何の感情も宿ってはいなかった。いや一つこれからの人生への徒労感だけが僅かに残されていた。
タケミカヅチ一行はロディバ山の麓にある森林を抜けて、登山者が宿泊するための施設で今日は一泊することにした。この周辺は魔物の数も多いが、デモテルに近いため何かあってもすぐに冒険者が派遣される。そのため大きな
もうすっかり日は落ちて小屋の窓から見えるのは反射した自分の顔だけだ。
宿のおばさんによると周辺には大型の魔物も潜んでいるらしく、その影響からか最近はあまり泊まる人はいないらしい。言葉通り、今日の宿泊者はタケミカヅチ達だけのようだ。
「ふう、今日は疲れたなあ。」
「暗黒サムライにシャドウナイト、いっぱい召喚しましたもんね。」
「ああ、でもあれくらいでへばってちゃ神槍を探すなんて夢のまた夢だ。」
「ああ、そういえば神槍を探す旅でしたね。すっかり忘れてました。」
「ここ最近はカロリーナの一件があったからな。」
「シルビアさんは大丈夫でしょうか?」
リリフは心配そうに言った。
「大丈夫だと思う。が、もし何かあればシャドウナイトが知らせてくれる。」
「あのギルド長以外の連中が気掛かりですね。」
「ああ、俺もそう思って暗黒サムライを向かわせた。もちろんシルビアの護衛でな。」
だがそれでも本当の安全が確保されるわけではない。肉体的にも精神的にも自由になるにはカロリーナを出るしかないのかもしれない。
「もしシルビアが望むなら神下にするのも良いと思ってる。」
「良いですね。そうしましょうよ。」
名案ですねとミミはタケミカヅチを賞賛する。
しかしあくまでも望むなら、だ。無理矢理にするわけにもいかない。
シルビアは下界の人間だ。下界にいる者を神下に加えるのは神槍探しにも役立つ可能性は高い。
「それとひとつ思ったことがある。」
「何ですか?」
「どこかに拠点を造ったほうがいい気がする。ってかそうするわ。」
「天界のようなお城ですか?」
「あそこまでいかなくても、しっかりと情報を精査できるような場所が欲しいな。」
「なんかなんか、面白そうです。造りましょう!天界からみんな呼んでパーティーしましょう!」
ミミは跳び跳ねて子供らしくはしゃいでいる。
タケミカヅチは視線でリリフにどうだと尋ねると、リリフは綺麗なお辞儀をして賛成の意を示した。
実際彼らがタケミカヅチの案を否定するような意見を言うわけがない。そんな選択肢が頭に浮かぶことすらない。
神に対して何か言い分があるなんておこがましいにもほどがある。神下達にはそういう思いが常にあるのだ。
月夜の空には見事なほどに綺麗な満月が光り輝いている。照らされた森林の奥から魔物の咆哮が聞こえてくる。そんななかでタケミカヅチはある気配に気付く。
「・・・・リリフ、始末・・・まではしなくていいか、追い返してもらえるか?なるべく目立たないように。」
「はい、了解しました。」
そう言うとリリフは宿の部屋を出ていった。
「なんか色々と面倒臭いな。」
「誰ですかね?私達を追ってきてるみたいですけど。」
「さあな。まあすぐにわかるだろ。」
タケミカヅチの確信は至極当然のものだった。
数分も経たないうちに転移門を使ってリリフが戻ってきた。気絶させた状態の兵士の格好をした三人の男を連れて。