戦王の右腕
ロストワールは長剣を振り下ろした。慈悲を乞う男の顔は半分に斬られ、風船が破裂するように血が爆散した。
真っ赤に染まった地面と自らの鎧にロストワールの顔色は何一つ変わらない。普通に生きている人間ならばまず間違いなく嘔吐するような光景だ。トラウマになり、精神を病んでしまう者も出てくるだろう。ただロストワールは違う。彼はなにも変わらない。愉悦に満ちることもなく、嫌悪を感じることもなく、淡々としている。部下が持ってきた雑布で鎧に付着した鮮血を拭っている最中も表情は変わらない。
あともう少しでナバール連合だというところで乗っていた馬車が山賊に襲われた。ピッツバーグ王国の紋章が入った馬車を使うとなにかと注目が集まってしまうと考え、粗末な馬車にしたのが間違いだったようだ。目立たないようにと考えていたが、ピッツバーグの紋章はいつも抑止力としてしっかりと仕事を果たしていたのだと実感した。
ピッツバーグを経ってから四日、ようやくナバール連合の地に足を踏み入れた。予想よりも少し時間が掛かったが、急いているわけでもないので一日二日のズレは問題ない。
デモテルの外れにある高原が遠方まで広がっている。地面のでこぼこも酷くないため、馬車の揺れは全く感じない。
こんなにも広大な土地があるのに活用しないのはもったいない。もしもピッツバーグ王国にこんな場所があれば自分は国王にそう進言するだろう。
デモテルは冒険者の町として有名だ。ナバール連合の中だけでなく、他国からもその存在は広く知られている。冒険者のレベルだけでいうと世界的に見ても上位とは言いがたいが、冒険者は山のように集まってくるし、ナバール連合内部で唯一高ランクの依頼が張り出されるところや、近くに金山が聳えているのも理由だろう。他国に移住しなくても上手くいけば大金を稼げるかもしれないという欲を刺激するのがデモテルという町だ。
平原には馬車が行き来している。何度もすれ違う馬車のなかには冒険者であろう男達が肩をぶつけ合い窮屈になりながら乗っている。ここら辺には洞窟や森林が至るところに存在している。鉱石や薬草などの素材集めをするには絶好のポイントだ。素材を採取して店で売ることで稼ぎを得ている者もデモテルでは多いらしい。冒険者の競争に敗れた者たちはそういった誰もが進んでやらないような日銭を稼ぐ方法で飯を食っているんだとか。といってもピッツバーグも同じようなものだ。不平等だとか格差だとかは社会問題として目の前に存在している。具体的な解決策は未だにないし、国王陛下も不器用ながら苦慮しているのは傍にいて察している。自分ならばどうするだろうとロストワールは何度か考えたことがあるが、明確な答えは出ない。これだという答えが出せる者はおそらく治世者として歴史に名を残すであろう。
平原を越えるとすぐにデモテルの街並が見えてきた。ただし忘れそうになるが目的地はカロリーナだ。ここは単なる通過点に過ぎない。
キマイラが召喚されたという事実が本当なのか、そしてそのキマイラを倒した人間がいたというのが夢物語じゃないのか・・・確かめるためにロストワール自らが調査に出掛けたのだ。
馬車がゆっくりと速度を落とし、町に入る前に止まった。
デモテルでの聞き込みを行うため、ロストワールは馬車から降りた。ピッツバーグとは空気の淀みが違った。先進国とは違う根本的な不衛生さが町を覆っている。
「ここで生活するのは御免だな」
ロストワールに続いて降り立った部下達は彼の言葉を聞いてうんうんと頷いた。
カロリーナについての情報を得ようとロストワールは酒場に入っていく。
人も情報も酒場に集まる。それはどこの町でも変わらない事実だ。
変装も何もすることなく堂々と入ったが、客はちらっと目を向けただけですぐに向き直る。ロストワールの素性に気付いた者はどうやらいない。良い鎧を身に付けた冒険者だなと思われたくらいだ。
こちらに向かってきた店員におすすめでと一言告げて、席に腰を下ろす。
隣を横目で見ると二人の冒険者が上機嫌で酒を飲み交わしていた。
「お、その剣、グリオブレードじゃないですか?」
「あ?何だ、お前?」
明らかに不機嫌になる二人の男。
いきなり見ず知らずの男に話し掛けられたとなると、そんな反応にもなるだろう。
「素晴らしい輝きですね。十万シルクは下らないんじゃないですか?」
ロストワールのその言葉に男達は反応をガラリと変える。ロストワ―ルの声色は優しげで、棘が一切なく、懐にスッと入ってくるような魅力があった。
「お前、見る目あるな。そう思うか、やっぱり」
「ええ、グリオブレードは剣の輝きによって値段が天と地ほどの違いがありますからね。」
「分かってる奴がこんなところにもいるとはな。このグリオブレードは十万シルクの最高級品だぜ」
男は自信満々に胸を張る。
ロストワールも表面上だけ手放しの称賛を送る。もちろんグリオブレード自体は何ら珍しくもなければ、高級品でもない。どこにでも売っているただの長剣だ。彼が持つ物はグリオブレードの中では素晴らしい質を持っているというだけの話だ。男はそれを満足げに話している。誰かに認めてもらいたい、特別でありたいという強い欲求が漏れ出ている。酒のせいもあるかもしれないが、ロストワールにはそれが滑稽でたまらなかった。もちろんそんな感情を面に出すことは一切ないが。
「十万シルク!?そんな大金を払えるなんてあなたはどれほどの依頼を果たしてきたんですか?」
「一気に三匹のオークを倒したクエストが一番危なかったよな?」
「ああ、それが一番だろうな。他は大したことないし」
オーク三匹を倒すので精一杯らしい。予想通り、レベルは相当低い。
「やっぱりカロリーナとデモテルでは依頼のレベルは違うんですか?」
「お、あんたナバール連合に来るのは初めてか?そうだな・・・カロリーナと比べたらレベルは相当高いと思うぞ。まあカロリーナに行ったことないから詳しくはわかんねぇけどな」
まだ脱落はしていないようだ。デモテルからカロリーナに活動拠点を移した冒険者は脱落者とか敗北者とか影で言われると聞いたことがある。
「そういえばカロリーナで何か騒ぎがあったと聞いたんですが」
「ん?ああ、その話・・・ここでも噂になってたな。キマイラが突然町の中に現れたとかなんとか言ってた。しかもそれを倒した奴がいるらしい。」
そんなこと信じる奴がどこにいる?と吐き捨てるように男は言った。馬鹿馬鹿しいとはなから信じている様子はない。
しかしどうやらキマイラが召喚されたという話は王国に来たあの男だけが言っていたホラではないことが確認された。事実かどうかは別として噂になっていることは本当のようだ。
「あ、もうこんな時間ですか。すいません、ここでお暇させてもらいます」
男たちの呼び止めに答えることなく、ロストワールは酒場から立ち去る。付き添いの部下がテーブルの上に銀貨を数枚置いていった。
「もうここに用はないな。デモテルにはあまり噂が広まってないみたいだ。真実を知ってる奴はやっぱりカロリーナか?」
馬車の中に戻り、ロストワールは呟いた。
この町で一泊していこうと思ったが、急ぎでカロリーナに向かった方がいいかもしれない。そう思い、馬車を発進させようとしたところ、酒場から一人の老人が姿を現した。
老人はロストワールが乗っている馬車に近づき、にっこりと不気味な笑みをこぼす。
部下たちは武器を抜こうとして手を止める。ロストワールが制止したのだ。
「何か用ですか?」
ロストワールは外向きの丁寧な口調で老人に尋ねた。
「カロリーナの一件について調べておられるのかな?」
老人は笑みを崩さずにロストワールを射貫くように見つめる。
ただの老人ではない、とロストワールの勘がそう言っている。最大限に気を引き締める。
「ほう……何故そう思われるのかな?」
「いやなに先ほど飲み屋で熱心に聞いていたようだから」
「ああ……そうですね。少し気になりますね。キマイラが出たって話ですからね」
「くくく……ロストワールよ、無防備すぎるのではないか?」
老人がロストワールの名を口にした瞬間、ロストワールの腰にある長剣が抜剣され、老人の首元に迫る。ピタリと銀閃は止まったが、あと数ミリのところで老人は斬首される位置にある。
先程とは別人の空気を身に纏ったロストワールの姿がそこにはあった。これこそピッツバーグ王国次代の国王と呼ばれる男の覇気だった。
「貴様……何者だ?なぜ私の名を知っている?」
多少の怒気を孕んだ声だったが、老人が焦りや戸惑いを見せる様子は微塵もない。ロストワールの裁定次第ですぐに殺すこともあり得るというのにニヤつく態度もまるで変わらない。
ロストワールの部下達は馬車から急いで降りて今度こそ剣を抜いたが、老人の奇妙な立ち振る舞いに困惑していた。さすがのロストワール本人は表情に変化はなかったが、内心は目の前の人物が何者なのか推し量れていなかった。
「自らの名声をもう少し客観的に見れるようになったほうが身のためじゃぞ?じゃなければいつか痛い目を見ることになる」
「忠告はありがたく受け取っておこう。ただ質問に対する答えになっていないな、私は貴様は何者なのかと聞いている」
夕焼けが空を支配し、真っ赤に世界が染まっている。そんな時刻にもかかわらず、周辺に人影は見えない。酒場から出てくる人もいない。
ロストワールが老人に剣を向けている光景を部外者が見ている様子は見られない。
「ディケインと申す」
「ディケイン……聞いたことのない名だ。その年齢でしがない冒険者というわけでもあるまい」
「冒険者、か。そういうものには縁はなかったのぉ」
ロストワールの目から見ても老人がとぼけている様子はない。
「……まあいいだろう。それで私に何の用だ?」
「お主が知りたいと思っている情報を伝えたいと思ってな」
「ほう、狙いは何だ?」
「どんな情報か興味はないのか?もしかしたらお主にとって無意味な情報かもしれないぞ?」
「人を見る目くらいはあるさ。目の前の老人がそんな馬鹿げた真似をするとは思えないな」
「くくく……お主が欲しい情報じゃ。それは間違いない」
「タダで……というわけではないのだろうが、まあいいだろう。どんな情報なんだ?」
「キマイラが召喚されたのは知っているだろう?」
「ああ」
「カロリーナの冒険者ギルドに保管されていた召喚石が使われたようじゃ。使用したのはカロリーナ冒険者ギルド副ギルド長のエリック スターダム。建物に相当な被害が出たらしい」
「そのキマイラを倒した者がいるんだろ?」
「うむ、そうじゃ。兎人族の少女とエルフの女魔導士、そして人族の少年の三人がキマイラを討伐した」
「信じられん話だな」
「それにその三人は今、このデモテルにおる」
ロストワールは大きく目を見開く。それが事実ならばカロリーナに向かうよりもその三人を探したほうがいいだろうと判断した。
「そうか……それはありがたい情報だ。さっそく……」
「その三人はこの世界にいてはならない存在じゃ」
突如としてディケインの表情が鬼気迫るものと化し、目つきも鋭さを増した。
その三人に何か恨みでもあるのかと勘ぐってしまうほどに強い感情が宿っていた。
「わしがお主に望むことは一つ、その三人を殺してほしい」
「物騒なことを。仮にもその三人はキマイラを倒したんだろう?」
ロストワールは自分が今言った言葉を未だに本気で信じてはいない。キマイラを倒す瞬間を自分の目で見ない限りは到底信じられるものではないだろう。それだけキマイラは人間が太刀打ちできる存在ではないということだ。
「ああ、キマイラを倒した人間じゃ。しかしだからこそじゃ。キマイラを倒すような存在がこの世界に存在するなど……しかもたった三人で……それは世界の力のバランスを狂わす」
ディケインが言うことも理解できる。大き過ぎる力は災いを引き起こす。敵対しなければそんなことは起きないのかもしれないが、もしピッツバーグ王国と敵対することになったら・・・そう考えると危険な存在となり得る。
「一理あるな。ただ私にその権限はない。陛下に進言をすることはできるが、行動を起こす決定権はないぞ」
「進言するだけで十分じゃ。世界の全てをもってして、葬らなければならん。期待している」
そう言って背を向け、立ち去っていた。
ディケインとの話はそこで打ち切りになった。結局、彼が何者なのかは知ることはできなかった。信じていいのかわからないなんて野暮なことは言わない。人を見る目はあるとロストワールは自負している。ディケイン、彼が言っていたことはまず間違いなく事実だろう。これはかなり有力な情報を得られた。
この町にキマイラを倒したと思われる三人が滞在している。
「お前ら、この町をくまなく調べろ。どんな小さな情報でもいい。三人組がどこにいるのか分かったら至急報告するように。決して捕縛しようなんて思うなよ。接触するのも禁止だ」
「はい、了解です」
部下達は一斉に頭を下げた。
統率のとれた部下達だ。大きなミスをすることはないだろう。ただ気掛かりなのはこちらにとってはミスでなくても相手に勘づかれるような行為になりかねない。それくらい今回調査をする人間はレベルが違うという噂だ。
気を引き締めていかなければ。
その日は近くの宿に泊まった。一泊の値段の安さに驚愕したが、稼げない冒険者のために値段設定をしているらしく、何から何まで冒険者のための町だと再認識した。
太陽が顔を出し始め、朝の微風が心地よい温度になった時刻、ロストワールの部下達は調査のために町へ繰り出した。
もちろんロストワールも聞き込みをした。が、思ったような成果は見られない。店に聞いてもお客の情報は死んでも話さないというポリシーを曲げない男もいるくらいだ。情報なんて集まるわけもない。
昼を過ぎ、太陽が折り返しを過ぎる時間帯まで進展はなかった。進展があったのはその後だ。冒険者ギルドに例の三人組のうちの一人であろう兎人族の少女が来たのを見たという者がいた。少女はギルド前で冒険者のバディウスという男と口論になったらしい。その理由は不明とのこと。それから二人の戦闘が始まった、と思ったらすぐにバディウスが吹き飛んでギルドの扉を突き破り、一瞬にして気絶させられたという。
周囲の人間が少女が何をしたのかわからなかったと話していたが、それが事実ならば予想通り危険な存在だと言える。
魔法だとしたら視認できない攻撃魔法ということになるし、ただの打撃だった場合は肉眼では捉えられない速度の拳打が炸裂したことになる。
バディウスはデモテルにたった三人しかいないA級冒険者だという。それを一撃で仕留めたという事実を考えてもS級冒険者以上の実力は持っていると考えられる。
少女のギルドからの足取りは以前不明だ。しかしそれが分かるのも時間の問題だろう。
ロストワールは自らの腰に携えてある銀の長剣を撫でる。
キマイラを倒したとなると自分よりも強い可能性も考えられる。その兎人族の少女の並外れた戦闘力に敵うだろうか?その疑問と不安が頭から離れない。
「……何かあればやるしかないな」
ロストワールの呟きが周囲に響いた後、部下達が戻ってくる姿が視界に見えた。