神様も忙しや
円卓に並べられた煌びやかな椅子に数々の神様が座っている。
あらゆる事象や概念を代表とする柱神。
それぞれが苦々しい顔つきを浮かべて、牽制し合っている。
空気が張り詰めており、初めてこの空間を味わう者がいたのならば、冷や汗が止まらなかっただろう。
武神として名高いタケミカズチも同じように周りを意識しつつ、目の前にある紅茶をゴクゴクと一気飲みしているのだが、いやなんとも落ち着かない。そろそろ始まるだろうか、いや始めてください。
タケミカズチは神なのに神に祈った。
「よし、ではそろそろ始めるか」
この円卓会議を仕切る司法の神ミスラが他の神々を見渡す。
手に取れば崩れてしまうほど儚い不思議な硝子細工の彫刻が彼の目の前に置かれており、いつもながらその異質な物体に目を奪われる。何かの呪術でも宿っているのでは?と疑っている者も多いと聞く。そう噂される理由も確かにわかる気がする。ただそんな奇妙な物に意識を向けていられるほど現状は楽観的ではなかった。
タケミカズチの隣の席に陣取っていた酒の神様であるバッカスが荒々しい息遣いでミスラを睨み付ける。
「誰が下界に行くのか、だろ?要するに生け贄だ、生け贄」
バッカスの吐く息は酒臭く、隣に座っているタケミカズチに害をなす。一発ぶん殴ってやりたいところだが、ここは我慢だ。運がないと思うしかないだろう。
「生け贄ではない。選ばれし者だ」
ミスラはバッカスの言葉に訂正を加える。
しかしミスラの言葉はその場にいる誰しもが都合のいい言葉だと感じただろう。生け贄だと言ったバッカスの言葉に心のなかで頷く。
皆も同様だろう。
選ばれし者なんて誰一人として思っていない。
それはミスラもそうであろう。下界という未知なる世界に足を踏み入れるなんて御免だ。自分以外の誰かに押し付けたくて仕方がない、皆がそんな表情をしている。
下界はこの天上界とは全く違う次元にある世界だと言われている。この天上界から下界へといける手段はあるが、その逆はなかったはずだ。片道通行の、しかも全く知らない世界になど行きたくないのが一般的な感覚だろう。
重苦しい雰囲気が漂うなかで、ミスラは咳払いをして、空気を改める。
「納得している者は少ないようだが、話を進める。早速だが下界に行く者を決めよう」
「あたしが下界に行っても何も役に立たないわよ。だって戦えないもの。下界にはここよりもずっと暴力的な生物がいるってゆうし」
豊穣の神であるマーテルがグラスに入った赤ワインを飲み干す。
その口元は非常にセクシーで、いつもなら雄の本能を呼び起こすのだが、今は誰も何も思わない。気が気ではないのだ。下界行きにはなりたくないと皆、願っている。
というより聞き捨てならないのは天上界よりも暴力的な生物がいるとかいう話だ。そんなことは一度も耳にしたことはないが?タケミカズチの情報収集能力が不足しているのだろうか。
「そうね、それなら私も。戦闘力は皆無だわ」
そう言った神はタケミカズチが知らないやつだった。
誰だっけ、お前と思うのと同時にそんな話が通用するのなら多くの神々が候補から除外される。そして同時に武神であるタケミカズチが下界行きになる危険性が高まってしまう。それはかなりマズイ。
「確かに一理あるな。下界では何が起こるかわからない。ましてやこの任務、いや使命は様々な場所を回らなくてはならない。戦いの実力がなければ難しいかもしれないな」
ミスラも彼女らに毒された。タケミカズチはマ-テルのほうをちらっと見ると彼女はこちらを見て、ウインクをしてきた。
いやいや全然ときめかない。
よくもやってくれたなという気持ちが俺の心を埋め尽くす。
暴力的な生物がいるとかなんとか、その話ももしかしたら嘘かもしれない。真実は闇の中だ。
だが諦めるわけにはいかない。抗えるならば、最後まで抗う。
なぜならタケミカズチは大好きなゲームでやり終えていないものがあるのだ。それをやり終えるまではこの地を離れられない。
「ならばタケミカヅチがよかろう。なんたってこの天界で戦闘力最強だからな」
予想通りの望まぬ展開がやってきた。
円卓を囲む全ての神々がタケミカズチの方に視線を向けている。
武神タケミカヅチ・・・天上界最強の戦闘力を持つ武神。
「む、それは困る。やはりここは皆、平等に可能性がなければならない。それで提案がある」
タケミカヅチは平常心を装い、嫌な顔一つ見せずに周囲を見渡しながら言った。その口調に引き込まれた神々はタケミカズチに意識を向けて次の言葉を待つ。
「下界ではこういう何かを決める場で、必ずといっていいほどやることがあるのを知っているか?」
神々は隣同士で顔を見合わせて、首を横に振る。
答えを期待しての問いではなかったので、そのまま言葉を続ける。
「・・・・・・ジャンケンだ」
「ジャンケン?」
やはり知らないか。まあでもタケミカズチも知ったのは最近だ。それに下界で本当に行われているのかは定かじゃない。そういう噂を神下から耳にしたのだ。
「そう・・・グー、チョキ、パーの三つを使う」
そう言って手振りで三つのやり方を教えると、神々はいかにも慣れない感じで不器用に手の形を変えている。チョキが出しづらくないかや何故パーがチョキよりも弱いんだと質問をしてくる輩がいたが、それは全て無視をする。そんな暇はないし、知らないし。
「これで負けた奴が下界に行くってことでいいだろう?」
これを押し通す。否定されても曲げずにジャンケンで決めるように促す。タケミカズチの瞳には強い意思が感じられた。
「……まあ確かに平等に可能性がなければ不公平だな、うん。ならばタケミカヅチが言うその……ジャンケンだったか?それをやろう。それならば全員に可能性があるだろう?」
ミスラはうんうんと頷きながらタケミカズチの案を採用してくれた。
さすがは司法の神だ。客観性をまだ心に残していたみたいだ。タケミカズチの中のミスラの好感度が上方修正された。
ざわざわと小さな声で話をしていた神たちも渋々といった様子で皆一応納得したようだ。この会議のトップが方向性を決めたのだから従うしかないということだろう。
それからジャンケンのやり方を教えた。さすが神達だ。覚えるのに時間はほとんど掛からない。まあそんなに難しいルールではないのだけれど。
とりあえず、これで下界に行く可能性を低くすることができた。あとはどうなるかは運任せ。これで最後の一人に残ってしまえば潔く下界行きだ。まあ、その確率は非常に低くなっただろうけど。
地面にも天井にも青々しい空の色が広がり、時の流れと同じように白い雲がゆったりと流れていく情景が常に視界に入る。
不思議な空間だと思ったことはないが、見慣れない者からしたら思わず呆気に取られてしまうような異様なものらしい。
タケミカズチは目を閉じ、暗黒の世界で浮かび上がるものをじっと待った。
集中。集中。集中。
タケミカズチの双眸がすっと開かれる。何かを決断したかのような目の色をしていた。
「ではいくぞ……ジャンケン!」
ミスラの掛け声と共にジャンケンをした。
……それからのことはあまり記憶にない。
ただ一つ、結果としてタケミカヅチは下界行きになったということだ。
放心しながらも自分の居城へと転移した。
転移した場所は高度な転移魔法が永続的に作用している幾何学模様の魔法陣が存在するタケミカズチが住まう城の特別な部屋。 少し薄暗く、仄かに青色の炎が灯っている。初めてこの部屋を見た者が抱く感想はおそらく……なんか不気味な儀式を行いそうな部屋だなって感じか。
転移した先で足を一歩踏み出した瞬間に目の前の鉄扉が音もなく開き始めた。そこには一人のメイド姿の処女が。彼女はすぐに深々としたお辞儀をして、タケミカヅチに対する敬意を表した。
「おかえりなさいませ、ごしゅ・・・タケミカズチ様」
タケミカヅチがご主人様と呼ばれるのを止めるように言ってもまだやはり慣れないらしく、メイド姿の少女は一瞬言いにくそうに言葉を詰まらせた。
この少女の名はリリアス。タケミカズチの三級神下の一人で、身の回りの世話を担当している。
いろいろと気が利くし、タケミカヅチにとってはいないとめちゃくちゃ困る存在だ。
月白色に包まれた城壁はオリハルコンやアダマンタイトのような金属よりもずっと頑丈で、どんな攻撃も通さない。
何かしらの攻撃を受けたことがないので、本当のところどれだけの耐久力があるのかは疑問が残るが、武神タケミカズチの神力で直接築き上げた特殊なものだから造り上げた当の本人としても確固たる自信を持っている。
そんな完璧なる防壁に守られているのにも関わらず、足取りは重かった。まるで両足に囚人が付ける巨大な鉄球を着けているかのように。
白亜の階段をよろよろと上っているとやはりその憂鬱な様子を心配したようで、リリアスが気遣うような表情でこちらを見てきた。
「タケミカズチ様、ご気分がよろしくないのですか?」
「ん、ああ。リリアスには言っただろう?今日は大事な円卓会議があるって」
何人かの神下には今日の会議については話していた。
けれどタケミカズチが言うまでもなく全神下が会議のことは耳にしていただろう。天上界にとってあまりに大きな出来事だったから、それは間違いない。
「はい。二本の神槍が消失したことについての緊急の会議、と耳にしています」
タケミカヅチの後をそっと付いてきながらリリアスは自分が知っていることだけ口にする。
具体的には伝えていなかった。その理由はただただ面倒くさかったからなのだが、今の気持ちは違う。
下界に行かなければならない、と伝えればリリアスを含めた全ての眷属が驚愕する結末が目に見えているからだ。なぜなら片道切符だ。もうここに戻ってこられないかもしれない。神下たちにその事実を告げるのはひどく酷なものである。だが伝えないわけにはいかない。
タケミカヅチは少しの迷いを振り切って、何気ない感じで言ってみることにした。あまり深刻そうな表情をすると空気が最悪になりそうな気がしたからなのだが、その気遣いは無意味だった。
「その会議でな?神槍を探しに下界へ行く奴を決めることになって、まさかの俺が下界に行くことになっちまったんだよ。ははははは……は……は…」
リリアスの凍り付いた表情が目に焼き付く。タケミカヅチはわかっていたことながら乾いた笑顔を浮かべてしまう。口角が引き攣っている。そりゃあこんな反応になるよね。
一瞬の静寂が何十秒、いや何分間にも感じられた。
「……………」
リリアスが何を言うのか、じっと待っていたのだが、意外にも彼女は何も言葉を発さなかった。しかしいきなり見たこともないくらいの全力疾走で階段を上っていった。唖然としながらもリリアスが何をしに行ったのか、すぐに理解した。
「……他の奴らに伝えにいったな?」
まあそりゃあそうだわな。それに俺から直接全員に伝えるのは骨が折れるし、そうしてくれる方が気が楽だ。後々の質問攻めが怖いけど。
タケミカヅチはそのまま城の頂上に位置する自室へと戻った。が、部屋の扉を閉めた瞬間に勢いよく扉が再度開かれる。そこにはうさ耳を震わせながら泣きそうな顔でタケミカヅチを見る可愛い幼女がいた。
ひっくひっくと体を上下させる幼女。
「ミミ……やっぱ聞いた?」
「はいです。嫌です。ミミも下界に行きます。いえタケミカズチ様の神力でミミを下界に呼んでください」
そう言ってミミはタケミカヅチの腰に縋りついて泣きじゃくった。身に纏っていた神装は涙でびしょびしょになった。
困惑しつつも下界行きを聞いた時の反応を一番心配していたのが今目の前で泣いている兎人族のミミであった。タケミカズチの一級神下で、八歳ながらその戦闘力は凄まじく、兎人族最強であることに疑いようはない。
「俺は下界に行くのが初めてだからなぁ。神力をあっちで自由に使えるかどうかもわからない。でも使えるのなら真っ先にミミを呼ぶよ。それは絶対約束する」
単身赴任する父親のようで、新鮮な気分になる。酷く自らの運命を卑下していた自分よりもずっと強く寂しく思ってくれるミミのおかげで心が軽くなり、不思議と気持ちを切り替えられた。
「約束ですよぉ!」
ミミによると大広間にみんな集まっているらしく、少し嫌だなと思いながらも大広間に向かった。
移動も面倒だと思ったので転移門を神力で発現させた。自分の力で造り上げたものであるにも関わらず、その精密さに感嘆する。自分で自分を褒めてやりたい。
大広間にはほぼ全ての神下が集まっていた。神下には三級神下、二級神下、一級神下、そして頂点に最上級神下が存在している。この場にいるのは最上級神下の複数名以外全メンバーが揃っていた。未だかつてここまでの神下が揃うことはなかった。なかなか壮観な光景ではあったが、そこにいる神下の顔つきは良いものではなかった。
「おっとごめん。みんな集まったみたいだな。まあ、あの件について聞きたいんだろうけど」
タケミカヅチの後ろからひょこっと顔を出したミミは大広間の神下たちに溶け込み、彼らと一緒になってタケミカヅチを出迎えた。
敬意を示す礼をしてから集団の中で前に躍り出たのはタケミカヅチ最上級神下が一人、カグラだ。タケミカヅチの神下で最も優れた戦闘能力を持つ剣豪。
人一倍、タケミカヅチを崇拝しており、命を捧げよと命令すれば、それを為してしまうくらいに。
「タケミカヅチ様が下界へ行ってしまわれるとのことで、皆何事かと心配しております」
カグラは無表情を崩し、少しだけ悲しい顔をした。
「まあそうだよな。何故かはジャンケンで負けたからなんだけど」
「ジャンケン・・・ですか?」
カグラは疑問を述べる。
「いや、そういう決め方が下界にはあるらしくってな。それで負けたんだよ。」
どうして下界に行かなければならないのかという根本的な疑問が神下達の頭をもたげる。それを察した俺は誰に聞かれたわけでもないが、神槍消失事件についての詳細を彼らに語った。
時間を遡ること三日前。
霧の祭りが始まってすぐのことだった。霧の祭りとは霧の神であるムンムの神下達が主催する祭りでムンムを信仰する者らが大勢集まる天界でもかなり大きな祭りの一つである。
二本の神槍を祭壇に備えるため、厳重に保管されていたその二本の神槍を天王樹の根元に造られた神殿から移動させたのだが、移動している最中に突如として眩い光が神槍を包み込んだのだ。
運んでいたのはムンムと円卓会議で進行を務めたミスラの二神を中心にした神槍護衛部隊で、盤石な守護体系であったことは間違いなかった。
なのに・・・・・・
神槍を包み込んだ光が収束した時にはもう神槍は二本とも存在自体が消え失せていた。最初から何も運んでいなかったのではないか?と思ってしまうほど綺麗さっぱりと。
その多くの謎を残した事件はすぐに天界じゅうの神たちに知れ渡り、三日後の今日、緊急の会議となったわけだ。
誰の仕業なのか・・・それは維持神ヴィシュヌがすぐに言い当てた。
あの光の色は下界に由来するものだ。
木の神であるククノチと並んで天界でも一、二を争うくらいに思慮深く、博識な彼の言葉を疑う者などいなかった。げんにククノチも右に同じ、とヴィシュヌに賛同の意を示した。
「神槍が消失したなんて……そんなことが?」
「嘘だろ……」
「あり得ないだろ……」
神下たちは唖然とした表情で顔を見合わせる。
開いた口が塞がらないとはこのことか。そのなかでもカグラを含めた最上級神下たちは全く表情を変えていなかった。
そしてカグラは意を決したようにタケミカヅチに話しかけてきた。
「タケミカヅチ様はいつ下界の方へご出発なされるのですか?」
「う-ん、そうだな……下界に行くにはまず神力で器を創らないといけないから、それが出来てからだな。それでも二日後くらいには行くことになるだろうな」
天界と下界では根本的な存在の定義が違うため、今のタケミカヅチの姿で下界に降り立つことは難しい。不可能というわけじゃないが、いろいろと面倒で時間が掛かる。その時間はおおよそ天界の時間で言えば一年になる。
一刻も早く下界へ赴き、神槍の行方を探さなければならない。誰がなんの目的で、神槍を下界へ転移させたのか。座して考えていてもわからないその事実を明確にするために下界に対応する器を創り始めなければならない。
大広間から立ち去るとき、全神下が下界へ呼んでくださいと懇願してきた。思わず引いてしまうほど必死だった。それくらいタケミカズチについていきたいという気持ちがあるということ。ぶっちゃけいうと彼らの反応と態度が非常に嬉しかった。
唯一カグラは何も言わなかったが、その目はもう下界の方へ向いているのは誰の目にも明らかだった。
一度大きく深呼吸をしてみる。天上界の空気がこんなにも美味いと思ったのは初めてだ。いざここを離れるとなるとこの世界に対しての名残惜しさが心に積もっているのだろう。
新たな世界……見たことのない、経験したことない世界。
これから一体どうなるのか、神であるにも関わらず、全くといっていいほど予想がつかなかった。