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リア住怒りの鉄拳 ~仏の顔もサンドバッグ~  作者: 鵜狩三善
ボーズ・ミーツ・ガール
7/62

太陽と聖剣

 ディルハディの死より、時はしばしを(さかのぼ)る。

 カヌカ祈祷拠点に起きた火の手を察知したのは、千里眼のイツォルではなくカナタが先だった。隠行術の維持に彼女を専念させるべく、自然な役割分担で八方目(はっぽうもく)に周囲を探っていたのだ。


「警戒!」


 カナタと同時に低く鋭い声を発したのは、前方哨戒を担当していたミカエラである。

 弓使いが一指したポイントは、何の変哲もない平原の一部としか見えない。だがまるで彼の所作に応じるように、直後、その地点から轟音と共に高く土煙が吹き上がった。

 空に砂塵を舞わせる何かは、地中に身を潜ませたまま驀地(まっしぐら)に一行へと迫る。


「気づかれてる……!?」


 その様に、イツォルが動揺を漏らした。

 彼女の術式により、一行は不可視どころか認識不能のはずである。

 それを裏付ける事実として、彼らは一度として魔軍と矛を交えぬままに魔城へと肉薄していた。

 高速度での移動には術の展開が追いつかぬ為、徒歩を余儀なくされてこそいるが、それでもセム家の隠行術が大幅な時間短縮の立役者である事に間違いはない。

 しかし地を泳ぐものの挙動は、明らかに一同を認識してのものとしか思えなかった。

 

「光も音も匂いも、全部遮断してるのに……」

「ならそれ以外で視て(・・)るんだろうよ。魔族ってのは一種一体の多様性がウリだ。おかしな目を持ったのがいても不思議じゃあねェ」


 杖を携え、セレストが一歩進み出る。応じてネスが、彼を守護する盾の位置へと陣取った。

 

「どうにもこいつァ、謀られたらしいぜ」


 霊術師は黒煙を吹き上げる祈祷拠点に目を走らせ、それから面倒くさげに前髪をかき上げた。


「オレたちが十二分に離れるのを待っての祈祷塔襲撃。でもって援護には行かせねェとばかりのあの土煙野郎だ。どうやらあちらさん、攻められる気満々だったようだな」

「どうします? 戻りますか?」


 剣の柄に手をかけながら、カナタが迷いを吐く。

 祈祷塔を破壊されれば、封魔大障壁の維持は覚束無い。それは魔軍の大規模進行を妨げる(すべ)の喪失であり、塔の防衛は最優先に属する事項だ。

 しかし迫撃する地中の魔もまた、端倪(たんげい)すべからざる存在のはずだった。

 五王六武の一角たろうこれに対処しつつ駆け戻り、その上での防ぎが果たして間に合うか、どうか。


「迷うな。我々は既に放たれた矢だ。速度を緩めるべきではない」


 首を振って見せたのはミカエラで、セレストもそれに首肯する。


「確かに祈祷塔をぶち壊されりゃあ、こっちの守りは御破算以下だ。だがよ、逆に考えろ。祈祷塔と引き換えに魔皇の首級を頂戴すれば、そいつで釣りが来るってもんじゃねェか」

「そういう事だ、クランベル君。今は惑うべきでも、悔いるべきでもない。迷いは判断を遅らせる。双方が得られないのであれば、一方を確実に手にすべきだ」


 奥歯を噛んで、カナタは頷く。

 祈祷拠点では今頃、魔軍との戦端が開かれているだろうと思われた。あそこで過ごした数日のうちに、親しくなった者たちがいる。新しく得た思い出がある。

 だがそれらは今、全て噛み殺すべき感傷だった。


「お利口さんだ。護符は忘れてねェな?」

「はい」


 表情を見極めてからのセレストの言いに頷き、カナタは自分の腕飾りを撫でる。

 それは相互の位置のみを指し示す導石(しるべいし)とは異なり、設定した複数の波長を感知するセレストお手製の術具であった。探知距離はごく短いが、このような状況下においては使い出がある。


「じゃ、この場はオレらが引き受ける。お前ら二人は先に行け。後で合流するとしようぜ」

「セレストさん!?」

「わたしは、全員で当たるべきって思う」


 カナタとイツォルの抗議の声に、セレストはひらひらと手を振り、


「今回の魔皇様はよ、どうも力を温存してやがるフシがある。何を狙ってるかは知らねェが、一秒与えりゃその分多く魔軍を生むのが魔皇だ。ちょいと先行って削りを頼まァ」

「それに、相手は随分と大柄のようだ」


 言いながらミカエラは指の股に矢を生み出し、番える。

 狙い定める先は砂塵の発生点に他ならない。彼の視力は、その中に潜む長大な影を見抜いていた。


「白兵戦主体の君たちでは相性が悪かろう」

「ま、相性云々ならうちのネス公が真っ先なんだけどな。とはいえこの図体が、屋内で暴れまわる方が難しい」


 カツンと杖でネスの装甲表面を叩き、セレストがにいっと口の()を釣り上げる。


「万一信号が消えたなら、そいつは護符を落としたか、命を落としたかだ。無駄な期待は抱かねェで、戦力から除外して進め。為すべきだけを考えろ。いいな?」

「……はい。皆さん、どうかご無事で」

「おいおい、城に突入すんのはお前らだぜ。危ねェのはそっちこそだ」


 男どものやりとりの横で、イツォルがそっとネスの装甲に触れた。


「きっと、また後でね」

「!!」


 任せておけ、とばかりに封入式霊動甲冑が巨大な両の拳を打ち合わせる。

 そうして駆け出したカナタとイツォルの後背を守るべく、砂煙へ向けて三人は身構えた。


「じゃ、ご挨拶といこうか!」


 セレストの杖が、地を突いた。彼の操作領域内に存在する霊素が爆縮され、数十の炎珠(えんじゅ)として半実体化する。

 次ぐ杖のひと振りで降り注ぐそれらが、地中の魔には見えているようだった。水を泳ぐが如き自在さで左右にうねくりながら爆炎の悉くから身を(かわ)す。

 この回避運動の隙を射抜くのが、ミカエラ本来の役である。だがしかし、彼は弓を引き絞ったまま放てない。さしもの強弓も、大地を穿ち貫くほどの威は備えない。土石という分厚い盾ごしにこの魔へ痛痒を与えるのは不可能だ。

 手を(こまね)くうちにも砂塵は迫り、そこから鞭のような影が走った。


「!!!」


 これに反応したのはネスである。

 一同をまとめて薙ぎ払わんとしたそれを間一髪両の腕で受け止めて──鈍く恐ろしい金属の軋みと共に、高硬度を誇る盾篭手(シールドガントレット)が打撃の形に陥没した。

 強打を加えた影は瞬きの間に引き戻され、そうして地の底から、艶やかな女の声音が響いた。


「我は皇に身命捧げ奉る五王が一、アーンク」


 巻き上げられた土埃(つちぼこり)と、炸裂した炎の余韻。

 二種のベールが薄れやがて姿を見せたのは、深い紫の鱗を煌めかせる長大な蛇体である。ネスを打擲(ちょうちゃく)した影の正体は、大人のふた抱えでも追いつかぬほどに太いその尾であった。


「低き者、我が紫鱗(しりん)破る事能わず」


 二股の舌をちらつかせながら、蛇が宣誓をする。

 告げてもたげた鎌首は、ネスの巨体より更に高く高い位置にあった。


(たい)らにしてあげる。骨も肉もわからないくらいに(ひら)たくしてあげる。叩いて潰して広げて伸ばして、真っ平らにしてあげるわ」




 *




 カナタとイツォルが踏み込んだ魔城。その回廊は急ごしらえとは思えぬ程に広く高く、そして滑らかに磨き抜かれていた。

 しかし不審この上ない事に、イツォルが如何に目を凝らそうと、どう耳を澄まそうと、魔軍の伏兵どころか罠のひとつすら見当たらない。内部構造も至極単純で、まるで攻められる事を想定しないかのような有り様である。

 最前線に築かれた拠点としてそれは有り得ぬ話であり、つまるところ回答はひとつだった。

 誘っているのだ。

 牙城へ踏み込む愚者たちを、魔皇の御許(みもと)へと。


 その推論の正しさとイツォルの目を保証するように、道中一切の障害はなかった。念の為に施していた隠行術も無駄打ちでしかなかった。

 しかし霧を押すように手応えのないまま二人がたどり着いた、皇の間の前。まるで戦闘に誂えたかのような広間となったその場所に、待ち構える者があった。

 それは褐色の肌をした、人の似姿だった。

 ただし背丈は人間よりも半身ほども高く、そして三面六臂(さんめんろっぴ)を備えている。だらりと下げた六手のいずれにも抜き身の利剣を握り、鎧兜ではなく緩く巻き付けた布を衣服としていた。

 

 カナタとイツォルは、素早く目を交わす。

 周囲を圧する武威からして、あれが五王六武の一角であり、皇の守護者であるのは疑いようがない。

 干戈(かんか)に及ぶは必定で、ならば隠身を利した如何なる奇襲を仕掛けるか。それが無言の会話の中身であった。

 だが。


「来たか」


 三面六眼の全てがかっと眼光を放った。その視線は確実に二人の姿を絡め取っている。


「カナタ」

「了解」


 囁いて、イツォルは隠行を解除。

 カナタは曲刀を、イツォルは短槍を俊敏に抜き放ち、並び立って身構える。


「きみも最初から気づいていたの? こうも続けて見破られると、自信をなくす」

「すまないな。自分は人間の三倍ほど、気配に敏感なようでね」


 愚痴めいたイツォルの呟きに、魔は律儀に応じた。言いながら、器用に三面全ての片目を瞑って見せる。

 切り結ぶ一瞬前の、ほんの束の間の諧謔(かいぎゃく)

 だがその空気を読まずに、或いは読んだ上で完全に無視をして、イツォルが駆けた。

 霊術による強化を施した肉体の瞬発力は風さながらで、繰り出される穂先は稲妻のようだった。


気忙(きぜわ)しい事だ」


 しかし彼女の襲撃に、三面の魔は易々と反応した。二剣がこれを迎えて鮮やかに捌き、体の崩れたイツォルへ、更なる一刃が突き立てられる。

 無論、彼女とてただの小娘ではない。詠唱棄却により中空に簡易障壁を展開。魔族の剣撃が打ち砕くまでの僅かなタイムラグのうちに立て直し、大きく飛び下がる。

 その退避と交錯して前に出たのがカナタだった。

 注意の大凡(おおよそ)をイツォルに奪われていた魔族であるが、それでも死角から振るわれた一刀を辛うじて受け止める。


 何の合図もなしに恐ろしく息のあった連携を披露したカナタとイツォルであるが、彼らの出自を考えれば、これに少しの不思議もない。

 二人の故国(ここく)たるラーガムでは、個ではなく(むれ)としての力を重視する。古くから練磨され続けてきた、1と1の和を十に変える戦いのメソッドが下地として存在するのだ。


 この背景に加えて、何より聖剣の特性がある。

 近接戦闘において聖剣の性能を最大限に発揮し、また支援する為には、第二の本能めいて体が覚え込んだ阿吽(あうん)の呼吸が必須とされるのだ。

 故に、その地点を完成形としてカナタとイツォルは計画的に育てられた。

 二人が年の差のほぼない幼馴染であるのも、幼少時より揃って武術の指南を受けたのも、寸分違わぬ戦術的思考の研鑽を積まされたのも、いつしか互いに淡い思慕を抱くようになったのも。

 全てが周囲の誘導と計算によるものである。

 誹謗(ひぼう)する向きもなからぬ仕業であるが、それだけに二人は以心伝心であった。


 しかし如何に精妙な連携を行おうとも、無謀であり無意味だ。干渉拒絶を備える上位魔族には奇襲も速攻も通用しない。

 通用するはずがない。本来ならば(・・・・・)

 今一度、逆接を用いよう。

 しかし──ここにクランベルの聖剣という要素が加わるならば話は異なる。


「──(しこう)して、吼え猛れ!」


 圧縮詠唱による聖剣抜刀。

 カナタの握る曲刀を、黄金の粒子が陽炎めいて取り巻いた。

 それはかつてこの地に召喚され、そして根付いた他世界人の編んだ擬似霊術式。異界の(ことわり)に立脚し、異界の血脈を有するものだけが起動しうる秘法であった。

 冠された聖剣の名は伊達ではない。

 斬伏のみに練られたその牙は、上位魔族の干渉拒絶を不完全ながらも噛み破る。


「おお!?」


 魔族が、驚愕とも感嘆ともつかぬ叫びを上げる。

 続くカナタの曲刀を受けた瞬間、彼の刃が甲高い響きと共に破砕されたのだ。

 聖剣抜刀とは刃身の強化のみを意味しない。意を込めて聖剣化した刃を振り抜けば、およそひと呼吸の間、空間に斬線が滞留する。それは振るわれた一刀の反復再生(リピート)であり、それこそが聖剣という霊術式の真骨頂、時間的に連続する斬撃であった。

 滞留剣閃は、高速で回転する鎖鋸(くさりのこ)さながらだ。

 接触は無数の剣撃を浴び続けると同義であり、魔族の得物があっさりと砕け散ったのもこれが故であった。

 三の太刀、四の太刀。

 息もつかせぬ猛攻に、魔族はただ退るより他にない。聖剣に防ぎは通用しない。斬線の檻に追い立てられ、六手の六刃は次々に斬り破られる。


「これがクランベルの聖剣か。傍目(はため)に見ると味わうでは、物が違うか……!」


 たまらず後方へ逃れようとした魔族の足へ、飛来するものがあった。

 床を舐める軌道で投じられたのは錘付き投げ縄(ボーラ)だ。

 前衛を交代(スイッチ)するのと同時に得物を持ち替えたイツォルの仕業である。聖剣の軌跡が消失するタイミングを熟知しきった彼女ならではのアシストだった。

 三叉の縄の先端それぞれに付けられた(おもり)により投網めいて縄先が広がり、魔族の膝下(しっか)へと絡みつく。即座に発動した干渉拒絶により慣性が消失。完全に絡め取るには至らない。

 しかし挙動に生じた一瞬の遅滞を、カナタが見逃すはずもなかった。

 踏み込みの速度は閃光。

 三面の首元を、その刃がひと薙ぎにする。

 黒血が、激しく噴き上がった。

 干渉拒絶と無限回の一撃がせめぎ合い──身を翻して、魔族は辛うじて斬首を免れる。だがすかさず返しの刃が閃いて、魔族の首は、今度こそごろりと床に転げた。

 そこまでを見届けてから聖剣を解除し、


「カナタ!?」


 カナタは、がくりと膝を突いた。 

 慌てて駆け寄るイツォルに、「大丈夫だよ」と笑みを見せる。だがその(おもて)には、明らかな苦しみがあった。呼吸は整わず、鼓動は不規則な早鐘を打っている。意識の焦点が定まらない。全身が熱を帯び、多量の発汗が生じていた。

 聖剣の執行とは界境を歪め、異界の(ことわり)を召喚し続けるのに等しい振る舞いである。

 クランベルの一族は自身が世界的異物であるのを利して、この術式より生じる負荷を軽減していた。

 だが9代目の呼び名が意味する通り、最早カナタを流れる異世界の血は薄い。この世界と親和した彼の身に、聖剣抜刀は多大な負担を強いるのだ。


「少しだけでも休まないと」

「いや、駄目だよ」


 気遣わしく額を拭ってくれる幼馴染みに、けれどカナタは首を振る。


「嫌な予感が膨らんでやまないんだ。セレストさんに言われた通り、今は()くべきだって思う」


 消耗を顧みない、正統詠唱を経ずにしての聖剣抜刀。それは斯様に判断したが為の拙速であり、なればこその強引であった。

 イツォルは深く嘆息し、諦め顔で手を差し伸べる。

 彼は意固地だった。昔から。普段は意気地がないと見えるほどに穏やかなのに、一度決めたら鋼のように曲がらないのだ。

 小さく「ごめんね」と呟いて、カナタは縋って立ち上がる。


「行こう」

「ん。魔皇はあの扉の──」


 通路の奥を指さそうとしたイツォルの動きが凍りつく。

 遅れて理由を察したカナタが、彼女の肩を離れ、曲刀を握り直した。


「どこへ行こうというのかね」


 そこに立ち塞がるのは三面六臂の魔であった。

 最前、確かに斬り捨てたはずの魔族であった。


「名乗りと、そして宣誓が遅れた事を詫びよう」


 にい、と魔族は唇を釣り上げる。


「我は皇に身命捧げ奉る五王が一、ナークーン。この身、二度(ふたたび)の死にて葬る事能わず」


 空の六手が構えを取る。ぞろりと、彼の五指の爪全てが捻くれながら伸びた。黒く太く厚く鋭い、それは猛獣の鉤爪だった。

 カナタとイツォルが、思わず半歩を退(しりぞ)く。

 気圧されたのだ。一度は下した、この敵手に。

 

「実にわかりやすいだろう? 我が皇に目通(めどお)り願うなら。もう二度ほど、この首を打ち落とす事だ」


 まるで親切であるかのように告げて、ナークーンは三面全ての片目を瞑って見せた。




 *




 セレストたちは、一方的な防戦を強いられていた。

 理由はアーンクの機動性にある。

 何らかの霊術的働きにより彼女は自在に地中を泳ぐ。崩落や隆起といった影響を全く地表面に及ぼさぬ為動きは読めず、土に遮られてセレストの炎もミカエラの矢もネスの盾篭手も届かない。

 でありながら、アーンクの側は正確に一同を認識し、或いは硬質の尾を振り回し、或いは毒液を噴きつけるのだ。

 結果彼らは後手に回り続け、干渉拒絶の攻略どころか、ただの一打擲(いちちょうちゃく)すら困難な状況に陥っている。

 彼女の攻防いずれにも利する、この平原こそがアーンクの城塞であった。

 直接的な打撃はネスが壁となって受けはしているものの、アーンクの蛇尾は攻城兵器めいた大質量の破壊として作用する。

 美しい鏡のように磨き抜かれていた霊動甲冑の装甲は、最早見る影もなかった。ひしゃげ、窪み、ただアーンクの乱打の威を知らしめるオブジェと成り果てている。限界は遠くない。

 そのネスへと吐きかけられた毒塊が、中空に生じた炎に阻まれた。セレストの炎壁である。高熱と気流とが毒を焼き、無害なレベルにまで分解、四散させた。

 如何に強固を誇る大甲冑といえど、可動の為に、呼吸の為に、装甲へは隙間を設けねばならない。そこから内部へと液毒が浸透すれば操縦者が危ぶまれる。防御を徹底せざるを得なかった。


 舌を打って、セレストは苛立ちを(あらわ)にする。

 確かに防いではいる。今のところ防げてはいる。だがこれは綱渡りだ。一瞬でも反応が遅れれば、戦いの天秤があちらへと傾けば、忽ちに切り崩される薄氷だ。

 感情のままにお得意の広域殲滅術でも放ちたいところだが、しかし土中に(とん)じられてしまえば効果は薄い。それどころか(いたずら)に火と砂とを巻き上げて、魔族に攻めの好機を差し出すばかりとなりかねない。

 何より腹立たしいのは、この状況が魔族の掌の上である事だ。

 アーンクは知悉している。

 このままじりじりと締め上げていけば、いつか人は集中を切らすと。切らして、致命的な失態を犯すのだと。

 故に地中より漏れ聞こえるは言葉ならず、ただ艶然と笑い声。


「勝ち誇りやがって……クソうぜェ女だ」


 歯噛みするセレストを尻目に、ミカエラはただ立ち尽くしていた。

 後天的に強化された視力で趨勢(すうせい)を睨みつつ、彼は思考していた。思考し続けていた。

 無為徒労としか思えぬ防戦を、それでもセレストとネスが継続したのは、(ひとえ)にこの弓使いの観察眼と頭の回転を信じたればこそだった。

 自身の放つ矢と等しく。ミカエラの策は常に最短距離を最速で、狙い過たずに飛び抜ける。


「セレスト、火だ。炎を、我々の傍に」


 だからこそ唐突な指示にも、霊術師は戸惑わなかった。相棒の言いに無意味はないとの信頼がある。

 杖のひと振りで彼らの周囲を炎の壁が取り囲み、途端、アーンクの攻勢が静まった。


「???」

「熱、さ」


 ネスが怪訝に甲冑の首を傾げる。火炎に炙られ汗を浮かべながら、ミカエラが簡潔に応じた。


「イツォル君が言っていたろう。光も音も匂いも遮断していた、と」


 防戦の間、彼はそこに含まれぬ知覚を想定していた。そうして魔族の動きと照らし合わせ、帰着した回答がこれだった。


「セレストの炎珠による初撃。あれを掻い潜った直後の一打は、思えば随分と大雑把なものだった。あれは当たるを幸いに薙ぎ払ったというよりも、当たれば幸いの部類だったのだろう。要するに、君の炎で()が眩んでいたというわけさ」

「まあ簡単に言えば、だ」


 意地の悪い笑みで、セレストが額に貼り付いた前髪をかき上げる。


「こっちだけが目隠ししてる時間は終わりって事でいいんだな?」

「ああ。君が火を絶やさずにおけば、あちらとしても土を出て、本来の視覚に頼らざるを得ないはずだ。盲撃(めくらう)ちの類はするまいよ。何故なら地中の彼女は我々よりも低い(・・)。ご自慢の鱗の強度も知れたものになってしまうわけだからね。対応されて自らが害を被るような振る舞いは避けるはずだ」


 推量めかして言いながら、ミカエラはアーンクの攻撃パターン変更を確信している。

 恐らく、彼女は怖がりか痛がりだ。手傷を負う事をひどく忌み嫌っている。でなければ尾ばかりに頼り、毒液を滴る牙を一度たりとも用いない理屈がつかない。

 噛めば当然頭部を晒す。動きも止まり、そこへ反撃を受ける可能性が生じる。

 既に指摘したように、地中の彼女は一行の誰よりも低い。干渉拒絶を十全に発揮しないその紫鱗は、防御として万全でないという判断であるのだろう。

 だが結果から言えば、彼女は攻めにこそ全力を傾けるべきだった。僅かな傷を危惧したが為に、自分の手札を見抜かれる事態に陥ってしまった。


「しかし油断は禁物だぞ。我々はあれを引きずり出せる。だが、引きずり出しただけに過ぎない」

「その通りよ」


 苛立ちを隠せぬ声を発したのは、今度はアーンクだった。

 地表に蛇体の全てを晒し、薄く制御されて立ち昇る炎壁越しに、憤懣(ふんまん)(たぎ)った視線をミカエラに注ぐ。


「随分しつこくしぶとく粘るけれど、人間にできるのはそれくらいよ。死ぬまでの時間がほんの少し延びたくらいの事だわ」


 言うなり、魔族はその身をくねらせた。

 網膜に像を残す、戦慄すべき速度である。推して量るべきだった。土をかき分け地中を泳ぐものの動きが、障害の皆無たる地上に出た時どうなるかを。

 彼女は、より自在に地上を横行する。


「ち、速ェ!」


 咄嗟にセレストが放った火球は、殆どが魔族の後方に着弾。僅かに的中した数発も、生じた干渉拒絶により微塵の被害も及ぼせない。鎌首をもたげたアーンクは、彼らよりも遥かに高い。

 炎の壁を無傷のままに突き抜け、迎え撃つネスの巨体をフェイントひとつですり抜けて、大きく開いた口がミカエラへと迫った。


 ──ふむ。


 胸中、弓使いはひとつ頷く。

 憶測の通りだった。この魔は痛みに弱い。肉体的にも、精神的にも。

 何もかもを見抜いたような物言いでプライドを(えぐ)ってやれば、己の心を傷つける存在として、即ち最優先攻撃目標としてアーンクは自分を認定するだろう。そのようにミカエラは考えていた。

 よって、ここまでの全てが彼の想定の上だった。


 ミカエラ・アンダーセンの視力はイツォル・セムに劣る。遠くを見るという、その一点のみにおいて。

 彼の神眼が真価を発揮するのは斥候でではなく、戦闘においてだった。

 強化された広い視野は戦場の如何なる顔色も見逃さず、挙動に先立つ全ての予備動作を看破する。あらゆる所作から心理を見抜き、半ば未来予知めいた行動予測を達成するのだ。

 弓とは、射撃から着弾までに時間的誤差を生じる得物である。それを百発百中の域に修正するのが彼の眼だった。


 だからこそ、弓使いは動かない。

 既に番えた矢をきりりと引き絞り、けれど放たず動かない。

 怯えて竦んだのでも、反応できずに逃げ遅れたのでもない。己が身を顧みながらでは、決して有効打を与えられぬと断じての行為だった。

 魔族の(あぎと)が眼前に至る。鬼灯(ほおずき)めいて爛々と光る目。毒液にぬらつく牙と、蠢く舌。暗く湿った喉の奥の深淵までもを彼は見る。


 ──宣誓の穴だ。破れないのは鱗だけ、なのだろう?


 そして、交錯。

 ほぼ零距離で射られたその一矢は、見事アーンクの片目を貫いていた。

 同時に、左腕が食い千切られた。

 直後、眼球を襲った激痛に魔族は絶叫。口中から吐き出された腕が平原に転がり、まるで横倒れした酒瓶のように血液を(したた)らせる。

 ミカエラの誤算とは、それだった。


「ぼさっとしてんじゃねェよ、ミカ公」

「……君は、一体何をしているのだ」


 突き倒された姿勢のまま、ミカエラは隻腕となった霊術師を見やる。

 魔族の片目と引き換えに深手を負うはずだった弓使いを救い、そして片腕を失ったのは、割って入ったセレストだった。


「オレは片手でも問題はねェ。けどよ、お前はそうもいかねェだろうが」


 激痛があるだろうに、セレストの声は(つね)と少しも変わらない。眉一つ動かさぬまま、彼は杖の頭を傷口に押し当てる。肉の焦げる匂いが立ち込めた。傷を焼いての、強引な止血だった。

 不幸中の幸いを述べるなら、それはアーンクの牙は綺麗に腕を切断していった事だろう。毒はうっすらと塗布された程度のもので、注入されたわけではない。この荒療治でも十分な消毒となる。


「!!!!」

「問題ねェ。後できちんと施術する」


 淡々と告げる彼の姿は、視界の半分を奪われ、屈辱と激痛にのたうち回るアーンクと全くの対照だった。臨戦態勢を保ち続けるセレストと異なり、魔族の身悶えは重傷を加味しても無様なほどだ。

 それは、これ以上ないほどの隙であり、好機だった。

 故にミカエラは問答を切り上げる。

 そもそもこの困った男が、言葉での感謝など受け取るはずがないのだ。本人は返せとも言うまいが、この借りはいずれ別の形で返礼するまでの事だと割り切った。


「ネス公、ミカ公!」


 セレストの視線が空を示し、そして杖の先がアーンクの頭部を標的する。意を汲み取って、二人は即座に行動を開始した。

 先陣を切ったのはミカエラの矢である。

 不規則な頭部の動きを読み切った偏差射撃が、魔族の残された片目へと集中した。

 カウンターであった先の一矢とは違い、アーンクの防ぎもある。そうそうに射抜けるものではない。だが一度刷り込まれた痛みと恐怖とは根深く、それらは鎖の如く絡みついて蛇体の動きを鈍らせる。

 そこへ、


()が高ェよ、蛇公」


 嗤笑(ししょう)と共に、大量執行された炎珠が上方から降り注いだ。

 火炎は鱗の表面で爆裂し爆裂し爆裂し爆裂。咄嗟に鎌首をもたげたが故に致命打こそ受けなかったものの、アーンクは衝撃で地べたに打ち据えられる。

 鱗は傷つけられずとも、そこに加わる力自体は有効なのだ。


「おのれ!」


 人に封殺される屈辱に、アーンクが呻く。

 魔皇は、かつて告げた。(おそ)れよ、と。

 知性では首肯したものの、しかし彼女の感情はその言葉に納得していなかった。アーンクは人を見下し続けていた。だからこそこの窮地も跳ね除けられるものと考え、地に遁じようとはしなかった。

 それが、致命的な判断ミスだった。


「大分、平たくなった(・・・・・・)な?」


 セレストの言葉に、心の内をぞくりと冷たいものが走る。だが、もう遅い。

 内部小型祈祷炉の最大稼働(フルドライブ)による飛行で上空待機していたネスが、自由落下を開始する。封入式霊動甲冑の全重量を乗せた盾篭手が、振り仰いだアーンクの喉首に直撃。展開された霊力刃が鱗の守りを突き通す。

 笛のような魔族の苦鳴を聞きながら、ネスは甲冑内部の霊力循環系を前腕部のみ閉鎖した。

 行き場を失い暴走した霊素が半実体化、装甲の隙間から蒸気のように噴出する。蓄積する内圧に肘関節が自壊し、その爆裂を更なる推進力とした盾篭手は、アーンクの体に大穴を穿ちつつ貫通。拳から先を大地へとめり込ませ、魔族を低く縫い止める。


 そして。

 その間にセレストが霊術式を吟じていた。彼にしては珍しい正統詠唱。長く長いそれが意味するものを、断末魔の思念の伝播によりアーンクは知っていた。

 アーダル王都を攻めた四武を、まとめて火葬した炎の禁呪。

 セレストの歌に連れ、彼の正面、胸ほどの位置に一抱えもある青白い火球が姿を見せ始める。

 それを(くる)む多重積層型の障壁は、呼び起こされた炎を抑留すべく、執行手順開始と同時に自動生成されるものだ。

 この備えがなければ、現出の余波だけで周囲は焼滅していた事だろう。だが霊術的遮断により強固に隔離されてなお、燃え盛る光は真夏日の如き超高温を一帯に伝導していた。

 真夜中の太陽(ラト・スール)──それはありえぬものの名を冠された、純粋無垢なる熱である。 


「残念ながら、今のセレストは詠唱に忙しい。よって私が舌を回すとしよう」


 前腕部を打ち込んだまま、ネスが後退して距離を取る。

 霊術砲火に巻き込まれぬ事を意図した動きに、アーンクの絶望が深まった。今からこの(くさび)を引き抜いて逃れようとしたところで叶うまい。詠唱の完了が断然に先だ。

 あれの本質は炎ではない。虚無だ。何もかもを飲み干す、底なしに大食らいの穴だ。

 呑まれた物質は、焼かれるのではなく消滅する。灰も影も残さずに消え失せる。そういう代物だ。

 

「存分に、温まっていきたまえ」


 ミカエラの言葉と呼応するように、セレストの唱呪がやむ。それは術式の完成を、処刑の開始を意味する静寂だった。

 捕縛されていた太陽が解き放たれる。

 指向性を与えられた(あぎと)は、アーンクへと揺籃(ようらん)を滑り出す。

 大気が焼け、大地が焦げた。接触もなしに草が潅木(かんぼく)が燃え上がり、陽炎により光景が歪む。

 恐るべき熱波を振りまきながら、禁呪は軌道上の全てを(むさぼ)って蛇体に着弾。


「──ィィィィィッ!」

 

 生き物が発するとは到底思えぬ、甲高く耳障りな悲鳴が轟いた。

 アーンクの出血が忽ちに蒸発し、残された眼球が煮え(たぎ)る。鱗は灰となり、肉は炭と化した。

 燃える。熱を浴びた体表が燃える。高温の大気を呼吸した喉が燃える。沸騰した血液が全身を駆け巡る。突き立てられたままの盾篭手が液化して更なる苦痛を生んだが、もうそれどころではなかった。

 並みの存在であったなら、波に洗われる砂城よりも脆く、その形と命を失ったろう。

 だがアーンクは違う。

 上位魔族の備える干渉拒絶。その力こそが、(あだ)をなした。

 禁呪の火力のおおよそをそれは否定し、しかし完全なる無効化を果たし得ない。結果として彼女は、触れた箇所をじわじわと火刑され、さながら拷問めいた最後を迎える事となる。


 やがて訪れた死に際し、断末魔はなかった。

 飽食した太陽は、その直径を急速に減じて収縮。初めから何もなかったかのように静かに消える。

 残されたのは炭化した蛇体の半分と、ぐつぐつと赤く煮沸(しゃふつ)する地面の大穴ばかりだった。

 張り詰めていたものが途切れたのか。

 そこでセレストがふらりとよろめき、慌ててネスがその体を支えた。







「聖剣の使い手と相対するには些か無粋な得物だが、お目こぼし願いたい。用意の剣は、全て斬られてしまったからね」


 じゃらり、とナークーンは黒爪(こくそう)を鳴らす。

 鉤爪と変じた六手五爪は、腕を垂らせば地を擦るほどに長い。


「だが安心して欲しい。自分の本領は──」


 言いながらの軽いひと振り。

 それだけで石畳に五本の斬線が刻まれた。刀剣に劣らぬどころか、遥かに勝る鋭利さであった。


「むしろ、こちらだ」


 対峙するカナタとイツォル、両名の顔はいずれも険しい。

 消耗を覚悟の上での速攻を、結果的に凌がれてしまった事もある。だがそれ以上に、ナークーンの爪が侮れなかった。

 三度殺されぬ限りは死なない。

 この魔族はそれのみが取り柄のように言うけれど、彼が身に宿す干渉拒絶は上位のものだ。証拠に最前、この魔は辛うじてながらも聖剣による斬首を(まぬが)れている。

 当然、あの黒爪にも同様の干渉拒絶が働くはずだった。ならばあれは、聖剣と真っ向に打ち合いうる妖刀に相違ない。

 正統詠唱を経ての聖剣抜刀により対決したい相手であったが、しかしそれは叶うまい。霊素操作に集中したまま長く吟じるその隙を、この魔が見逃すとは到底思えない。


「では此度(こたび)は、仕掛けさせてもらうとしようか」


 二人の逡巡を見抜いたように、魔族が踏み出す。

 そうして繰り出された斬撃は、まるで小型の嵐のようだった。

 六つの目による見定めと見切り、そして六手が踊らせる三十の爪刃。先手から押し切った最前には発揮できなかった魔族の剣舞(けんばい)が、余すところなく披露される。

 一流程度の戦士であったなら、為す(すべ)もなく(なます)に刻まれていただろう。

 しかしカナタもイツォルもこれを凌いだ。無論、無傷とはいかない。十数ヶ所を裂かれてはいる。それでも深手を避け切ったのが、二人の修練の尋常ならざるを告げていた。


「よく、絡まない……!」

「鍛錬の賜物と思ってくれたまえ」


 暴雨のような連撃に思わず零したイツォルへ、ナークーンが笑む。

 余裕の現れでは決してない。それは己の全力を受け止めた敵手へ贈る、賞賛の笑みだった。

 ナークーンは恥じていた。

 この素晴らしい戦士たちの力を量るのに、まず出来合いの武具を用いた己を深く恥じていた。命一つを失ったのも当然と思う。自分は人の強さを認識していたつもりだった。だがつもりでしかなかった。その認識ですらまだ甘く、遠かった。

 人間が重ねる時とは、実に深遠なものなのだ。


 感慨しながらナークーンは、左右に別れて飛んだカナタとイツォルを、その三面で逃さずに追う。そして反攻として繰り出された連携の(ことごと)くを、受けて捌いて止めて流した。

 二人のコンビネーションは多彩であった。影のように光のように、陰陽和合して切り結ぶ。

 しかしその動きは惜しいかな、対人に練られたものだった。

 一方が注意を引き、もう一方が好機を得る。全ての基盤はそこにあり、三面六眼の魔との戦闘は考慮していない。

 対してナークーンに死角はなく、振るう腕は多い。

 取りも直さず、それは対応力の高さを、防御面での鉄壁を意味していた。


「どうした? 聖剣は抜かないのか?」


 挑発めいた物言いをしながら、ナークーンは真っ向から振るわれるカナタの太刀を払い、その背後から飛ぶ投げ縄を事もなく切断する。彼の爪は長い。上体をおらずとも、足元までもをカバーする。

 投じた縄を追うように、イツォルが槍を腰だめに前に出た。カナタと入れ替わりつつ、正面から打ち合う構えだった。

 突いて、引く。

 彼女の動作はそれだけだったが、しかし神速だった。稲光の如く閃いた槍が、きな臭く空を焦がす。受けたナークーンの腕一本が、想定外の威に大きく弾かれた。

 そして彼女の技は、ただ突いたのみに留まらない。槍は同速で手元に引き戻されている。即ち、次弾の装填である。


 ──手傷を与えられなくても、動きを封じるくらいは!


 彼女の目的はそこにある。

 立て続けに二撃目、三撃目を繰り出し──だが、それらは効果を上げられなかった。

 魔族は即座に自身の感覚を修正。降り注ぐ穂先に対応しつつの半回転で位置を変え、イツォルの背で詠唱に入ろうとしたカナタへと牽制の爪を送る。


「……っ!」


 自分では、時間稼ぎにすらなれない。

 思い知らされて、イツォルは唇を噛んだ。

 彼女の個人武勇は、決してカナタに引けを取るものではない。しかし上位魔族に対しては、絶望的なまでに攻め手が足りなかった。 


「イっちゃん」


 そして、恐れていた声がした。

 彼がどういう結論に至ったのか、彼女にはわかりすぎるほどわかってしまう。

 カナタはまた、聖剣を抜くつもりだ。自らの体を(さいな)むつもりだ。


 かつて、彼女は思考した。

 人一人の犠牲で人類全部が救えるのならそうすればいい、と。

 手段を選り好みして全てを失うなど愚か者の所業である、と。

 だがその犠牲のうちに、彼女は彼を含んでいない。

 イツォル・セムは、あらゆる価値の上にカナタ・クランベルを置いている。

 そのように育てられ、そのように歪められている。


「……駄目。まだ後には魔皇が控えている。完全な形でカナタを届けるのが、私の役目」


 だから彼女は否定する。彼の輝きが、僅かなりとも減じる事を否定する。

 そうして命を賭すならば、まず己からだと覚悟した。

 ここで捨て駒となるのは自分であるべきだと決断をした。


「わたしが、作るから。絶対に詠唱の時間を作るから。だからカナタは」

「駄目だよ」


 目の端で、彼が微笑するのが見えた。

 その心は鋼のように曲がらぬのだと、またしても思い知らされる。


「駄目だよ、イっちゃん。だって君が死んだら僕は悲しい」


 イツォルがカナタの心を読むように。

 カナタもまた、イツォルの心を透かし見る。彼女が身命を投げ打つつもりなのは察していた。 


「それに僕だけよりも、僕とイっちゃんの方がきっと強い。だから、二人で魔皇に会いに行こう」


 それ以上は何も言わなかった。

 圧縮詠唱。カナタの刀を、黄金の陽炎が(くる)み込む。

 ひと呼吸ごとに、ぎしぎしと胸骨が軋む。視界が急速に狭まる。膝が折れそうになる脱力感を、彼は必死で押し殺した。押し殺して、不安げに自分を見つめる少女に笑ってみせる。

 

 その様を、ナークーンは妨げずに見守っていた。

 干渉拒絶を否定する界渡りの霊術は、当代の魔皇にとっても厄介な代物だった。しかし使い手は代を重ね、聖剣という術式は劣化し、消耗著しくなった。

 上位魔族と全力で切り結べば、わずか十数合で精も根も尽き果てるほどに。

 だからこそ彼の目的は、聖剣を抜かせる事に尽きた。

 カナタに対するイツォルの献身めいて、ナークーンは思い定めている。

 三度の死を経ねば滅さぬこの身は、ただ皇の為にあるのだと。

 磐石の勝利の為に。皇に細瑕とて許さぬ為に。

 この命は、カナタ・クランベルという人間を枯渇させる為にこそあるのだ、と。


 そして念願叶ったこの時点で、ナークーンは戦闘の趨勢(すうせい)を読み切っていた。

 聖剣という恐るべき力が加わった今、彼ら二人の連携はその力を十全以上に発揮する。攻勢の怒涛は凌ぎ難く、残された命の火ふたつが吹き消されるのは、さして遠い未来ではない。

 そのように予見しながら、それでも彼は抵抗を止めなかった。

 1秒でも長く相対すれば、その分聖剣の使い手は疲弊する。それが皇の優位を、より確実なものとするのだと信じていた。

 彼の執念が稼いだ時は、長かったか、短かったか。

 やがて思惑(おもわく)の通り、聖剣がナークーンの胴を深く薙いだ。


「──見事」


 一歩だけよろめき、しかし彼は倒れずに踏みとどまる。

 まだ戦う余力を残すかと構え直すイツォルを、カナタが片手で制止した。

 ナークーンは、立ち往生を遂げていた。

 死に顔に浮かぶのは満足気な笑みであり、五体が粘液に変じ揮発するまで、それが消える事はなかった。

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