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リア住怒りの鉄拳 ~仏の顔もサンドバッグ~  作者: 鵜狩三善
忘れじの君

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優しい先生

「これはこれは」


 ミカエラと対峙したまま、心魂工房洞主が感嘆めいた呟きを漏らした。


「まさかこうも手もなく打ち倒されるとは。アレが出来損ないというよりも、ラーガムの聖剣を賞賛するべきか。流石の術式です」

「事ここに至って術式しか見ない、君の目の節穴具合に恐れ入る」


 応じて吐き捨てたのはミカエラである。

 この弓手は、洞主の一挙手一投足に目を配りつつ、耳だけでカナタたちの戦況を把握していた。


「ともあれ、頼みの綱はもう敗れた。大人しくこちらの問いに答えれば命までは取らないが、どうするかな?」


 空間自在の陣図内にありながら、ミカエラの弓は引き絞られたままだ。

 通常ならば、先と同じく届くべくもない一矢である。が、もし洞主が一瞬なりともミカエラから注意を外したなら、陣図の機能執行が遅れたならば、それは確実な死神となる代物である。

 加えて霊動甲冑をカナタらが制し、こちらには更に二手が加わった。最早洞主に逃げ道はない。


「愚図が。今、済ませたのは失敗作の処分だ。勝ち目がないのは貴様らだ。被造物が、造物主を見下すな。図に乗るな。調子に乗るなよ、ミカエラ・アンダーセン! 誰が貴様を英雄に仕立ててやったと思っている! それだけの賞賛を、誰のおかげで得られたと思っているッ!!」


 見下した物言いを、ミカエラを()め上げつつ洞主は喚く。

 突如噴き上げた激情は憤怒の形相を(かたど)った。両目からは、嫉妬の炎が漏れ出るかに見えた。


「望んだつもりのない話だ。よって、恩に着る気もしない。そもそも、君と詰まらぬ問答をするつもりもないのだ。潔く敗北を認め、疾く陣を解きたまえ。そしてセレストの居所と――」

「ネスフィリナ殿下の研究資料の在り処を吐け、か。下賤は望みばかり随分と多い」


 先取りされたミカエラは片眉を上げ、しかし何も言わない。洞主の言葉は正鵠(せいこく)を射ていたからだ。

 ミカエラとセレストの施術に深く関わるこの男は、ネスフィリナの臨床にも携わっている。よって自分たちについての研究資料が必ずこの工房にあるとミカエラは考えていた。それは今後、きっと役立つものだとも。それゆえ少ない戦力を裂いてでも、工房襲撃の手を用意したのだ。

 無論、研究は工房の命だ。それは工夫を凝らして秘匿されていることだろう。ならば洞主当人に差し出してもらうのがもっとも早い。

 あまり若人に凄惨な場面を見せたくはない。だからミカエラは、陣が解除されればカナタとイツォルを別行動させ、自身のみでじっくり洞主の協力(・・)を仰ぐごうと考えていた。


「もちろんあるとも。それはある。貴様らには決して見つけられんところにな。貴様らでは、到底見つけられんところにな。それだけではないぞ」


 ミカエラの意に沿わない饒舌をしながら、洞主は興奮気味に両腕を広げる。


「長年に渡り、私は霊素というものを、それが生物に与える影響を調べ尽くしてきた。そうして解き明かしたのだ。カイユ・カダインすら至らなかったその正体に。霊術と魔、その真実に!」

「手短にお願いします。今は、あなたの長広舌を聞く気になれない」


 抜き身を下げて、ミカエラの隣にカナタが並ぶ。その声と同時に影のようにイツォルが動き、洞主の死角に滑り込む。


「無粋だな、少年。人は常に知恵に対して最善を尽くすべきだ。叡智に対して敬意と賞賛を払うべきだ。だがまあ、全てを語れど凡人には理解できまい。端的に教授してやろう。霊素とは我法だ。はじまりの竜。祖竜教会がそう呼ぶものの。そして魔とは呪詛であり怨嗟だ。やはり、はじまりの竜の」


 が、彼は気にする素振りも見せなかった。ただ高らかに、自らの得た真実を歌い上げる。

 どことは言えず、だが確かに精神の綻びを感じさせずにおかない挙措だった。


「魔法・幻想。アッシャードマンがそう記す我法により、我らの霊術式は成り立っている。そして死してなお霊術という恵みをもたらしつつ、竜は自身を(しい)した人を恨んでいる。その憎悪が形を為したのが魔だ。ゆえにこの名を冠するものたちは、人類の根絶に(いそ)しむのだ」


 解き明かした真実に酔い痴れる学者は、そこで呼気を整える。

 語られた事実よりもその鬼気迫るさまにこそ押され、三人は仕掛けの機を掴めずにいた。


「同一なのだよ。霊術も、我法も、干渉拒絶も。霊術式の詠唱も、法名(ほうみょう)名乗りも、魔族の宣誓も。全ては同根より生じる作用だ。つまり法に至る我々は、同時に魔へも至りうる。だから私は貴様らにこう告げよう」


 虚空を見据えていた瞳が、じろりとミカエラたちを見た。

 洞主の身動(みじろ)ぎに武の気配はない。どこに得物を呑む様子もなく、陣図を除く霊術式の存在も感じられない。

 それでもアーダル心魂工房洞主は、この場の命運を握る者が我たるを疑わずにいる。


「――我が名知らざる者、この身傷つくること(あた)わず」


 それは(まが)うことなき干渉拒絶の宣誓だった。同時に、戯言(たわごと)めく洞主の言葉に嘘がないと裏付けるものでもあった。

 ミカエラたちの間を、驚愕と緊張が走り抜ける。


「もちろん知っているとも。こうして拒絶を身に纏えども、聖剣は私を殺しうる。けれど、けれどね、これももちろん知っているのだ。それは剣を媒介に、斬撃の形で発動するものだと。さて、カナタ・クランベル。貴様は私との間合いをどう詰める?」


 距離自在の陣の厄介さは、ミカエラのみならずカナタとイツォルも認識している。

 それでも余裕を保てたのは、陣図が簡易式であり、自分たちに数の利があるからだ。

 陣は二者間の空間を自由に歪める。が、この作用は指定した単一の距離関係に限定されるものであり、この状況では誰かひとりの攻撃阻害としかなりえない。三方よりの仕掛けを、洞主は防ぐ手段を持たない。そのように考えていたからだ。


 が、干渉拒絶の発現により状況は大きく変じた。

 今の洞主を殺しうるのはカナタの聖剣のみである。また、洞主自身が解除しない限り陣図の空間からは逃れえない。

 だから彼は陣図の機能を、カナタをただ遠ざけることにのみ用いればよかった。そうして自身を傷つける(すべ)すらないミカエラとイツォルを、十分の時間をかけて嬲ればよいことになった。

 戦闘の心得は皆無に近い洞主であるが、息の根を止めるに至らずともよいのだ。夜襲というこの状況において、時もまた彼の味方である。


「永劫にたどり着けぬまま、そこで歯噛みしろ、聖剣。謳われ続けた貴様の術式が、私の実に簡素な陣に敗れるさまを。大事な仲間が、つま先からじりじり擦り殺されるさまを。天を馳せる貴様らは、今日、地上の私に躓くのだ」

「大丈夫だ」


 哄笑に歯噛みするカナタの肩を、ぽんと軽くミカエラが叩いた。

 そのまま一足(ひとあし)に前に出て、手のひらに霊術矢を生む。ゆっくりと弓を引き(つが)えた。


「洞主殿。君は自分が、誰にも知られていないと思っているのだな。誰にも顧みられないと、そう確信しているのだな」


 耳に届いた言葉が、哀れむような表情が、洞主の心を刺し貫く。

 カイユ・カダインの功績に及ぶと自負する自らの研究が歯牙にもかけられないこと。誰にも理解されず、誰からも評価されないこと。それは彼の感情の原点だった。

 工房の主となった今でさえ、彼は王の走狗としてしか見られていない。実際、アーダル王は洞主の名を呼ばない。ただ餌でも投げ与えるかのように、自分の必要とする施術と研究を言い渡すだけだ。

 その王を手駒とするのが、アーダル最高権威たる十二洞府である。彼らからすれば、心魂工房など使い走りの使い走り。認識する意味も意義もありはしない。

 ゆえに我が名を知る者はもうこの世にはあるまいと、そう洞主は考えている。


 凄まじいまでのその羨望と妬心が、だが王に向くことは決してなかった。そうならぬよう、時をかけて認識は狂わされていた。

 しかし、今。

 膿み爛れたその心傷を指摘したのはミカエラである。自身が余技として施術し、英雄として称賛されるに至ったミカエラ・アンダーセンである。そのことが憤りの火に更なる油を注いだ。


「誰から死ぬか決まったようだな! 無駄な口が決めたようだなッ!」


 雄叫びのように吼え、身構える。

 己が身の安全を洞主は確信している。干渉拒絶は弓矢(きゅうし)如きで穿てる防御ではない。ミカエラのあらゆる攻撃を無効化される。ゆえに自分の勝ちは揺るがない。

 嫉妬と羨望に満ちながら、洞主は魔術式により肉体へ干渉。右前腕を銛利(せんり)なる刃状骨へ変成する。至極単純なこのひと刺しで仕留めてのけるつもりだった。

 が。


「ヨアヒム・セルズ」


 ミカエラがひとつの名を呟いた。それは心魂工房洞主の名だった。

 驚愕の間もなく、びぃんと弓鳴りがした。

 矢は過たず、ヨアヒムの喉首を射貫く。


 ――我が名知らざる者、この身傷つくること(あた)わず


 それが干渉拒絶の解であり、解かれた拒絶が何の防護ともならぬとは言を待たないことである。


「ネス君――ネスフィリナ様から、君のことは聞き及んでいる。とても優しい先生がいる、とね」


 穏やかに、そしてどこか寂しげに、ミカエラが紡いだ。

 彼女からそう聞かされた(・・・・・)時には安堵したものだ。この冷たい王城にも、殿下を慈しむ者がいてくれるのだと。その人物が、ヨアヒム・セルズがミカエラ自身の恩人であったことを、奇遇にも嬉しくも思ったものだった。


「彼女に慕われる優しい先生であることは、君の価値にはならなかったか。士は己を知る者のために死すという。理解されるとは、それほど稀なことだというのに。どうして君の正体が、それであってはならなかった? 或いは、忘れてしまったのか? 自分が何を志して洞門を叩いたのかすら?」


 引き抜こうとしてか、ただの反射か。自らを射抜く矢を掴んだヨアヒムの手が、ぴたりと動きを止めた。

 耳に、何か聞こえた気がしたからだ。

 確かには聞き取れなかった。けれどそれは、ひどく懐かしい声だった。誰のものかは思い出せない。この忘却に、人の形の空白に名をつけるなら、それは妻と娘が正しいだろうか。


 何故心魂の、霊素構造の研究に取り組んだのか。

 英雄になるため? 違う。

 英雄を作るため? 違う。

 己の才を知らしめるため? 違う。

 カイユ・カダインを越えるため? 違う。

 違う、違う、違う、違う。どれも違う。

 どうしてこんな大切なことを忘れていたのだ。どうしても思い出せない空白たちの(かんばせ)を求め、ヨアヒムは虚空を見上げる。

 私の家族には間に合わなかった。救えなかった。だがその研究は殿下に、ネスフィリナ様のために役立てられる見込みだった。


 だがそれは王にとって、ひどく都合の悪い処方だったのだろう。

 かつてネスフィリナの治療について王に進言した折、ナハトゥムは告げたのだ。


 ――幸福には犠牲がつきものだ。日々の食事のように。ボクたちは美味のために命を屠っている。

 ――だから十の命で百の幸福が得られるのならそうすべきなのだ。わかったら、小さなことは忘れて(・・・)しまえ。


 簡易術式の執行時間を越え、ミカエラの射た霊術矢が消失する。

 ヨアヒムは同時に膝を突き、その喉からごぼりと血が溢れた。


「あの、女狐め……!」


 忘れていたと気づいた。忘れさせられていたと気づいた。

 ぎりりと噛みしめた歯の間から絞り出す。

 破れた喉での発声が叶うもまた、肉体変成の成果だったろうか。


「セレスト・クレイズの居場所と状況は知らん。工房の牢から王が連れ出したきりだ。貴様が欲しい資料は王の手で破棄されている。が、写しはある。工房二階の搬送型鉄牢、その床下だ。陣図に封じ込んで……」


 大きく血にむせてから、ヨアヒムは命を絞り出すように続けた。


「いいか、今から言う術式を忘れるな。それで陣を開封できる」


 用意のいいイツォルが筆記具を取り出し、暗唱を書き留める。それを見届けてから、ミカエラは跪いてヨアヒムに目線を合わせた。


「情報提供に感謝する。だが何故だと、ひとつ馬鹿を問うても?」


 突然の翻心(ほんしん)の理由を問われ、洞主は戸惑いに目を細める。

 簡単な答えを、取り繕うのにちょうどよい言葉を、耳にした覚えがあった。それはつい先達(せんだっ)て、吐き捨てられた代物だった。

 口の端を持ち上げて、笑みを(かたど)る。


「悪さを働き続けると、気分良く死ねないそうだ。私も、最期くらいは善いことをするさ」

「ならば必ず、君の善行を伝えよう。ネスフィリナ様は感謝するだろう。彼女の知る優しい先生に。ヨアヒム・セルズに」

「過分だ。それこそ、忘れさせておけ」


 尊大に言い、だが満足げに笑う。

 そこまでが限界だった。

 不意にヨアヒムの体が輪郭を失った。ぐずぐずに溶解した肉が黒い粘液と化し、そのそばから揮発(きはつ)、霊素のうねりへと帰還していく。魔族の死にざまそのものであり、また、執行期間の切れた霊術が形を失うさまにも酷似していた。

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王めー!! くそー! と、思いつつ、忘却のなんと恐ろしい技かな……。 目的を見失い続けると、人は簡単に狂うことが出来るのですね……。 最期に自分の名前を、元の自分をおぼえている人にあたって我を取り戻す…
最期ながら、思い出すべきを思い出せてよかった…… お仕事の方もお目にできること楽しみにしております。 おとなしく待て!しておりますー!
これは許すまじ…
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