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リア住怒りの鉄拳 ~仏の顔もサンドバッグ~  作者: 鵜狩三善
ボーズ・ミーツ・ガール
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shining

「おうおう、四方八方からおいでなすったな」


 カヌカ平原、封魔大障壁内部。

 魔城に程近い丘に立ち、野放図に伸びた前髪を掻き上げながら青年は(うそぶ)く。

 遠巻きとはいえ魔軍により十重二十重(とえはたえ)に包囲された現状を、歯牙にもかけぬ鷹揚(おうよう)さだった。

 彼が手にするのは千年樹から彫り出され、術的装飾を施された霊杖。羽織るマントへも霊素集積の紋様が織り込まれ、一目で霊術師と知れる出で立ちである。

 

「あちらもこちらを注視しているという事だ。誰も彼もが君のように大雑把に生きてはいないのだよ、セレスト。セム君の隠行術のありがたみを思い知っておきたまえ」


 その傍らに立ち、背中合わせに逆側を見据えるのは短く刈り込んだ金髪の男だ。青年を嗜める物言いながら、しかし彼もまたこの状況を窮地と心得ないようだった。

 短い(しゅ)で霊素を集めて矢を生み出し、五人張りの弓を引き絞る。ひょうと放てばその一矢で数匹の小鬼がまとめて射抜かれ、粘液と化すや揮発(きはつ)した。


「ったく、口(うるせ)ェなあ。見られてんのは重々承知、その上で戦争に来たんじゃねェか。初の仕業じゃあるまいし、今更とやかく言う事か。やる事ァいつも通りだ。オレの前方180度以外は、丸ごとお前らに任せんぜ?」

「……本当に大雑把だな、君は。だが今回ばかりはあながち間違いでもない。励むとしようか、ネス君」

「!」


 男の声に応じ、ずしりと大きな金属塊が進み出た。

 一見重厚な鎧を着込んだ偉丈夫(いじょうぶ)めくが、そうではない。

 その正体は封入式霊動甲冑。

 成人男性の背丈を優に倍する巨大具足に対し、知識感染の応用により自己を拡大し同調。装うのではなくこれに乗り込み、己が体の如くに繰るという、アーダルの誇る武具である。

 これは元来は武器を振るう体格に恵まれずとも、霊術を繰る才覚を持たなくとも、一定の戦闘能力を発揮しうる兵器として──つまり魔族の量に対抗しうる戦力として開発されたものであった。

 だが甲冑と搭乗者の同期同調が著しく困難であり、実際の稼働数は極めて少ない。ネスと呼ばれたこの霊動甲冑は、その稀有(けう)な例のひとつであるようだった。


「!!」


 ネスは二人へ向けて音を立てて兜を頷かせ、敵先鋒へと単騎で駆けた。

 鈍重めいた見かけからは想像もつかぬ速度であるが、それも道理。甲冑は移動に二本の足を用いていない。地表よりわずかに浮いて飛翔している。飛空船に用いられるのと同型の祈祷塔を内蔵するが故の高速機動であった。

 唸りを上げて迫る巨大な鉄の塊を前に、魔軍の勢いが鈍る。小山が迫るが如き威容に気を殺がれたは明白だった。

 戦うか、逃げるか。

 その逡巡の答えを待たず、ネスの質量が炸裂する。

 接触した鉄塊は霧をかき分けるように小鬼どもを轢殺(れきさつ)し、圧殺する。中型以上の魔族に対しては、盾籠手(シールドガントレット)が機能した。双腕に固定された菱形の盾は、(へり)を鋭利に研がれた刃でもある。

 殴殺、斬殺が死因として新たに加わり、その恐るべき突破力に軍勢が裂けた。魔族の士気が目に見えて減じる。


 そうして及び腰となった彼らの上に、飛来するものがあった。

 弓使いが放つ、矢という名の死だ。

 単音節で右手に生み出す無尽蔵の矢を、弓の右から(つが)える事による速射である。まさしく矢継(やつぎ)(ばや)の仕業ながら狙いは正確無比であり、その上いずれもが一矢数殺。

 鉄塊の猛襲とこの弓勢(ゆんぜい)に死屍は累々と積み重ねられ、生じた阿鼻叫喚により未交戦の魔軍後方が動揺した。恐怖は凄まじい速度で伝播し伝染。強力な統率者を欠く群れは後崩(あとくず)れを起こし、雪崩を打って潰走を始める。


「気張るじゃねェか。ミカ公も、ネス公も」


 振り向かず、耳だけで戦況を把握して、青年は口の()をにっと歪める。

 そうして、軽く杖の尻で地面を突いた。

 瞬間、恐るべき速度で周囲の霊素が爆縮される。それらは彼の意を受け霊力へと置換され、忽ち中空に数十の炎珠(えんじゅ)が生じた。

 物理的接触により炸裂する剣呑な火球は、その破壊力に比例して執行が難しい。並の霊術師ならば、正統詠唱を経てひとつふたつを生成するのが関の山という術式である。

 しかし彼はしてのけた。通常の数十倍の成果を、完全な無詠唱で成し遂げてみせた。

 これは青年が、常人を遥かに上回る霊素許容量を備える事を示唆している。


 霊術において、詠唱とは道に例えられる。

 より早くに、より負担なく、より安全に、正しい目的地にたどり着く。その為に考慮され整備され踏み固められてきた有り(よう)が、街道によく似るからだ。

 だからこそ術式研究者たちは日夜、詠唱構成文の最適化に(いそ)しむ。その結実たる正統詠唱により霊術を執行するならば、術者の消耗は著しく軽減されるのだ。

 一方、その真逆に位置するのが略式詠唱。圧縮詠唱であり、詠唱棄却だ。

 暴力的なまでの霊素許容量──ただ天性の個人的資質のみを背景に執行手順を或いは単音節にまで省略し、或いはまったくに無視して、強引に己の望む結果を発現させる横紙破りである。

 正統詠唱が道ならば、これらは洪水に等しい。障害物の一切を勢いに任せて遮二無二(しゃにむに)飲み込んで押し潰し、ただ欲する方角へと一心に(はし)る波濤だ。

 無理押しの仕業であるから、当然術者が受ける負荷は倍増どころではすまない。そうまでして術式の執行を急く事態など平時にはありえず、本来は必要とされない技術でもある。

 しかし(こと)戦場における執行時間短縮は、膨大な消耗に見合う以上の利点だった。

 故に無呼吸で半日駆け続けるような、そんな不可能を可能にしうる一部の天才にとって、これは実用的な戦術となる。


「じゃ──よーく、温まってきな!」


 彼の一指と同時に、炎珠が魔軍へと降り注ぐ。

 大人の握り拳大の火球は、小鬼たちの体に大穴と焦げを刻みつけながら貫通。地面やその背後、巨躯の獣兵たちに着弾するや爆裂し、業火とかつて肉体の一部だったものとを撒き散らした。

 直撃を受けなかった者たちも炎に巻かれ、しかも逃れるは叶わない。青年の霊術砲撃は、ただ一波では終わらない。

 先と同じく無造作な一挙動で彼は炎珠を再構成し、方角と着弾位置を調整しつつ絨毯爆撃。扇状に広がる炎の海により、青年の前方の魔族悉くが焼滅した。

 半壊以上の重篤(じゅうとく)な損失を受けた魔軍は、たまらず包囲を解いて潮が引くように撤退を開始。僅か三名の繰り広げた暴虐により、戦場は静けさを取り戻す。

 彼らこそが工学都市アーダルの精鋭たち。

 練磨を重ねた人類の牙であり、量を覆す質であった。

 だが。


「……気に入らねェ」


 得た戦果に対して青年は恐ろしく不機嫌だった。

 鋭く舌打ちをして、じろりと遠く魔城を睨む。


「どうした、セレスト」

「わかってんだろ、ミカ公。大障壁に影響あるとマズイってェからちまちま弱火で挑発してるってのによ、一向に五王六武の残りが来ねェ。それどころか飛び道具持ちも空飛びも出ねェ。気に入らねェぞ。何考えてんだ、魔皇様はよ?」

「何度も言うが、その呼び方はやめたまえ。私の名はミカエラ・アンダーセン。そしてあちらはネス・ペトペだ」

「長ェよ。いいだろ、名前なんぞ。呼ばれてんのがわかればよ」

「実に大雑把だな、君は」


 呆れて眉を押し揉むミカエラを他所に、セレストは帰投してきたネスを軽く杖で叩く。かこん、と乾いたいい音がした。


「お前はそんな小せェ事気にしねェよな。なあネス公」

「!」

「ほらな、構わねェってよ」


 幾度目とも知れない諦めの嘆息で無益を悟り、ミカエラは自ら逸した話題の軌道修正をする。


「だが確かに魔皇の企みは気にかかるところだな。あの城の建造速度は瞠目(どうもく)すべきものだった。同様のものを大障壁に沿って築城され続けられたら、我々の攻め手も分散せざるを得なかったろう。でありながら城は一城のみを保ち、応戦に出る魔軍は雑兵のみで構築されている。史書を紐解けば、魔族が人の側の情報に精通するのは明らかだ。某かの策があると見て間違いはないと思うが……」

「ま、いいさ」

「何?」

「現状じゃ材料が少な過ぎて判断がつかねェ。なら考えるだけ無駄だ。どっちにしろ魔皇の首を取らなけりゃこっちはジリ貧。でもって魔軍が湧き出るって事ァ、あの城に魔皇様が鎮座ましましてるのに間違いはねェ。となりゃアプサラスの連中が到着し次第、オレらで駆逐するだけさ」

「……君は、心の底から大雑把だな」

「はっ!」


 案じたがりの相棒を一笑して、セレストは吐き捨てる。


「難しく考えすぎるとハゲるぜ、ミカ公」




 *




 祈祷拠点に帰還したセレストたちを待っていたのは、線の細い少年剣士だった。

 帯びた曲刀の飾り紐を弄りながら憂い顔をしていた彼は、一行を認めるなり仔犬のように駆け寄って、


「クレイズ卿、悪い報せが」

「セレストでいいっつったろ、カナタ。さもなきゃオレも、いちいちお前をクランベルの聖剣呼ばわりすんぞ?」

「失礼しました」


 不吉な切り出しにも動じぬセレストの返答に、少年は生真面目に一礼して謝罪する。

 所作のひとつひとつに、舞の上手に通じる一本の芯が通っていた。柔和で懐こい細面(ほそおもて)は少女めいてすらいるが、彼もまた人類の牙に数えられる一人である。


「で、一体何がどうしたよ?」


「名前など、呼ばれてるのがわかればいいのではなかったのかね?」と皮肉るミカエラの足を素知らぬ顔で蹴り飛ばしつつ、セレストは先を促す。

 カナタは深呼吸めいて大きく息を整え、そして告げた。


「大樹界上空で、アプサラスの船が撃墜されました」

「それは本当か、クランベル君!?」

「!!?」

「はい、残念ながら。飛空船が火を噴きながら落ちるのを、イっちゃ……セム卿が見ています。付近に界獣の姿はなく、おそらくは魔族の襲撃によるものだろう、と」

 

 カナタの言葉にミカエラは唇を噛む。甲冑内のネスの表情は外見(そとみ)には知れないが、やはり狼狽の雰囲気を漂わせていた。

 このカヌカ祈祷拠点には、アーダルからはセレスト一行が、ラーガムからはカナタ・クランベルともう一名が、魔皇を(しい)する刃として馳せ参じている。

 大障壁内への出撃という攻性防衛を行いつつ、彼らはアプサラスの巫覡(ふげき)を──ケイト・ウィリアムズの着陣を待っていたのだ。

 魔皇征伐においてウィリアムズが家伝する封魔必滅の術に対する期待は高く、それだけに彼女の身に及んだ凶事への動揺は大きい。

 しかしセレストだけは柳に風の雰囲気で、


「それならまだ生死不明ってトコだな。カナタ、脱出艇が出てたかどうかはわかるか?」

「出ていた。あれに巫女が乗っていたなら、生存の可能性は高いと思う」


 質問に割って入ったのは、大分低い位置からの少女の声だ。長めの髪を後ろで束ね高く結い上げているのは、自身の背丈への儚い抵抗であるのかもしれない。

 いつとも知れぬ間に現れて、影のようにカナタに寄り添う少女の名はイツォル・セム。

 若くして千里眼とも順風耳(じゅんぷうじ)とも尊称される諜報の専門家である。

 加えてセム家が伝承するのは隠行術式。

 これは術者と周辺任意対象に関する視覚情報の改竄(かいざん)、立てる音や発する匂いの遮断等を可能とする恐るべきものであり、ケイトとは異なる意味で、魔皇暗殺に欠かせぬ存在だった。


「落ちたのはどこだ。アプサラスを出てからの日を考えりゃ、こっち寄りの外縁部じゃねェのか?」

「ん、その通り」


 結い上げ髪を揺らしてイツォルは頷き、それから隣のカナタを見上げた。


「わたしの判断だと、墜落地点からここまでは直線距離で一日程度。ただし」

「外周部とはいえ、その一日は悪名高き大樹界での一日、というわけか」


 ミカエラは腕を組み、ゆるりと一同を見渡した。


「生存の可能性が高く、尚且(なおか)つ位置も近い。ならば我々が救助に赴くというのは如何かな?」


 数秒の沈黙の後、「いえ」と口火を切ったのはカナタだった。 


「そうしたいのは山々です。でもそれは場合によっては皇禍対策の戦力を、更に失いかねない悪手でしょう。飛空船撃墜という戦果で魔軍にこれまでとは別の動きが出る可能性もありますし、何より時間は敵の味方です。捜索と救助という見通しのつかない行為に浪費はできません」


 その表情には、明らかに悔いが見られる。善良な性質の強い少年であるから、心情的には今すぐにでも樹界へ駆け出したいところなのだろう。けれど背負った大義がその脚を縛りつけている。


「ふむ。私の思慮が足りなかったようだ。では救出はなしという事にしよう」


 しれっと応じるミカエラの脚を、セレストがまた蹴り飛ばした。「ミカ公、お前、わかってて言ったろう?」程度の意味合いである。

 カナタ少年の腹を括らせるべく発言をした弓使いは片眉を上げ、表情だけで「さて。何の事やら私には一向にわからないね」との返答に代える。


「なら決まりだ。不確定な待ちができねェ以上、オレらだけでこれから魔皇の首を取りに行くぜ」

「大雑把な上に性急だな、君は。我々は今戻ったばかりだ。ネス君には整備が要るし、君とて万全ではないだろう。一旦休息を取っておきたまえ」

「……。へいへい、そうさせていただきますよ、と。まったく生真面目なこった。ハゲろ」


 元々その気はなかったのだろう。気忙(きぜわ)しいだけの発言を即座に翻し、セレストは「さっさと行け」とばかりにミカエラとネスの背を小突く。

 それからがしがしと頭を掻いて、沈痛に森を見やるカナタへ向けて声を発した。


「ま、アレだな。ウィリアムズは間に合わなくてよかったかもしれねェ」

「……どういう意味ですか?」


 いつも柔和めくカナタ少年には珍しく、険のある応答だった。


「ウィリアムズの血族は、魔皇を討つ上で常に重要な役割を果たしていると聞いています。それが間に合わないのがよかっただなんて、流石に聞き捨てなりません」

「なんだカナタ。お前は知らねェのか」

「何をですか」

「確定執行のウィリアムズ。こいつらの性質がどういうもんかを、だよ」


  セレストはぱちんと指を鳴らし、指先に小さな炎を灯す。


「お前も霊術の仕組みは知ってるだろ。周囲から霊素を集め、それに人間の意志を感応させて霊力に変換。これを術式に乗せて望んだ通りの現象を発動させる。実に基本的な話だが、じゃあここで問題だ。もしこの過程において、術式を執行するに足る霊力がなければ、術はどうなる?」

「当然起動しません……よね?」

「ご名答だ。炭がなけりゃあ術って火は(おこ)らねェ。当然の理屈だな。そしてもうひとつ当然の理屈があってな。術式ってのは、機能を高めれば高めただけ、範囲を広げれば広げただけ、精度を増せば増しただけ、より多くの霊力を必要とするようになってやがんのさ。例えば真夜中の太陽(ラト・スール)──オレの炎の禁呪は、オレと同量以上の霊素許容量がなけりゃ起動しない。他所様が詠唱構成文だけ丸暗記したって使いこなせるもんじゃねェ。いくら構成文を洗練させようと無意味だ。だから超高性能術式ってのは人一人の器なんぞじゃ到底起動させられない代物に、時と場所を選びまくる儀式霊術にならざるをえない。例えば世界間干渉なんて特大規模霊術は、複数の祈祷塔を使って執り行うわけさ」


 ふっと息を吹きかけて火を消すと、セレストはその指を左右に振った。


「だがそんな馬鹿じみた術式を、必ず執行してのけられる連中がいる。不足分の霊素と霊力を、生命力で無理矢理補っちまえる連中がいる。命と引き換えに、個人じゃあ到底起動させられないような規格の霊術を確定執行(・・・・)しちまう一族がいる。もう、おわかりだな?」

「……それが、確定執行のウィリアムズ」

「そうだ。その一族は単身で、魔皇級の干渉拒絶を無視して一発でどかんと封印しちまうような術式を執行できる。だがそんな真似をすりゃ当然ながらその場で死ぬ。干からびて死ぬ。つまるところ、どっかの誰かの為に延々魔皇と相討ちになり続けてきた一族ってのがウィリアムズで、人の為に死ねと言われて死にに来る自殺志願者がウィリアムズだ。オレらがお待ち申し上げてたアプサラスの巫女様の正体ってのはそれ(・・)だ」


 少年は唇を真一文字に結んで、与えられた知識を咀嚼(そしゃく)するようだった。

 やがてゆっくりと瞬きをすると、セレストに対し深く(こうべ)を垂れる。


「貴方の言葉の意味がようやく理解できました。謝罪させてください、セレスト。貴方という人を見くびりました」

「よせよ。鳥肌が出らァな」

「よしません。貴方の言う通り、間に合わなくてよかった。皇禍の犠牲は、一人でも少ないのがいいに決まってます。僕たちで、僕たちだけで決着をつけましょう」


 セレストは「意外に熱血漢だな」と肩を竦め、それからばしんと強くカナタの背を叩いた。


「ま、嫌いじゃないぜ、そういうの。頼りにさせてもらおうか、9代目聖剣」

「やめてください。先が秀でていただけで、僕はまだ何もしてません」

まだ(・・)、ときたか」


 カナタの返しに、セレストはにいっと口の端を歪める。

 その程度の自負を持っていてくれなければ、一蓮托生となるのに不安が伴うというものだ。


「オレらが魔皇をぶちのめし終えた頃合に、アプサラスの連中が大樹界を抜けてここへ無事到着する。遅ェよお前らと出迎えてやって、それで大団円ってな具合で行こうか」


 それは根拠も何もない、ただ楽観的なばかりの未来図であったけれど。でも人柱の上に築かれる楼閣よりも、ずっと素晴らしいものに感じられた。

 だからカナタは頷いて、


「ええ、僕もそういうのがいいと思います」


 親しく笑い合う二人の傍らで沈黙を保ったまま、イツォルは物思う。

 今しがた聞き及んだ、ウィリアムズという一族への知識。それに対する彼女の見解は、夢見がちな男どもとは異なっていた。

 人一人の犠牲で人類全部が救えるのなら、そうすればいいではないか。使えるものなら惜しまず用いるべきなのだ。手段を選り好みして全てを失うなど、愚か者の所業である。

 仮にもしイツォル・セムの犠牲でカナタ・クランベルの命を救える状況があったなら、その決断を自分は寸秒も躊躇しまい。

 無論ながら彼女とて、アプサラスの巫女の死を望んで欲するわけではない。

 だがその判断がもたらす影響の大きさを(かんが)みるなら、時に非情は不可欠なのだ。

 

 天を掴まんばかりに背丈を伸ばす大樹界の木々へ、イツォルは目を転じた。

 そして考える。ケイト・ウィリアムズがこの森を突破できる確率は如何(いか)ほどであろうか、と。

 彼女が自分たちに近い実力を備えるのなら、そしてそれを異界召喚で喚び寄せた豪傑が補佐するのなら、樹界外周部の横行に大きな困難はないはずだった。

 しかし襲撃と墜落を生き延びたのが、巫女と被召喚者のみならぬ可能性がある。

 気がかりは、この戦力外の生存者だった。


 皇禍に際して抜き放たれる人類の刃たれと、ただ聖剣の為に在る者たれと、イツォルは幼い頃から教えられてきた。

 アプサラスの巫女たるケイト・ウィリアムズも、おそらくは同様の環境で(はぐく)まれたはずだ。

 自らの死とそれが魔皇征伐の使命に及ぼす影響を考慮し、自身の生存を最優先とする判断を、つまりは一般人を切り捨てる覚悟を仕込まれているはずだった。

 だが、机上と実践は異なる。そして心とは理智のみで働くものではない。

 他の生存者を、傷つき救いを求める眼前の人間を、理屈通りに足手まといとして見切る事ができるか、どうか。

 もしも彼女が非情となれず、些末事に足を取られて判断を誤るのなら。

 揃っての生還という甘い理想は縛鎖めいて絡みつき、ケイト・ウィリアムズ自身の生還率をも著しく引き下げるのではないだろうか。


「──」


 そこまでを思念して、イツォルはゆるゆると首を振る。

 救いたい、助けたいという心根は、本来賞賛されるべきものであろう。カナタもまた、当然として備えている美徳だ。

 それを短所と断じてしまうのは、己が歪みの証左のように思えた。

 だが果たして、ケイトはこの葛藤の只中(ただなか)にいた。




 *




 脱出艇とはよく言ったもので、彼女らが乗り込んだ機体に飛行能力は存在しなかった。あるのは高空から滑空し、どうにか落ちて死なずに済む程度の機能ばかりである。

 それでもどうにか、ケイトたちは軟着陸に成功した。密集する木々の合間を縫い、霊術障壁を最大限に活用しながらの胴体着陸は、勿論二度としたい体験ではなかったけれど。

 また導石のお陰で、オショウとの合流がスムーズだったのも幸運だった。

 彼が歩哨に立つ事でケイトは生存者の治療に専念でき、結果として三名が命を取り留めた。元より乗組員の少ない小型飛空船であったけれど、五王の強襲から救えた者は、残念ながら更に少ない。


 けれど真の難題は、そうして一息をついたその後にこそ横たわっていた。

 生存者たちはいずれも重症である。

 一人は片足を潰され、一人は片腕を砕かれていた。五体満足に見えるもう一名も腹の骨が折れ、そのささくれが内蔵を傷つけていると(おぼ)しき状態だ。

 特に最後の一人が危うかった。覚醒と失神を繰り返しながら、常に苦しく痛みに呻いている。時折混じる女の名は、母のものか、妻のものか、娘のものか。できるだけ早く、複数の治療術の使い手からの施術を受けねば危うい状況だった。到底自身で動ける状態ではない。

 残る二人ははっきりとした意識を保ち、受け答えもしゃんとはしている。けれどこれもまた、霊術の鎮痛作用が機能する()だけの事に過ぎないだろう。樹界の移動など朽ちた縄で行う綱渡りだ。

 診断を終え、ケイトは自分が決断を迫られているのを感じていた。


 彼らの治療の為にここに留まり続けるのは、愚か極まりない振る舞いである。

 船の墜落という珍事に、周囲は静まり返っている。森に棲むものどもは警戒心から息を殺し、様子を窺うだけに留まっている。だがいずれ血の匂いに誘われて、獰猛な界獣が姿を見せるのは間違いのない事だった。

 オショウがいる以上、それは必ずしも死には直結しまい。

 しかし彼の力とて無尽蔵ではなく、何より森を抜けぬ限り同種の危険は尽きない。

 であるならば、無茶を承知の強行軍で移動を図るしかないのだけれど。


「……」


 もう一度順繰りに鎮痛と治癒力賦活を施して回り、ケイトは心の中で深いため息をつく。

 この状況下での樹界の移動は、緩慢な自殺を意味していた。

 重傷者を連れる以上、当然ながら行軍の速度は鈍る。界獣の襲撃の回数と頻度はその分だけ増し、負担と疲労は重なり、いずれ自身もオショウも力尽きて共倒れとなる事だろう。

 何より。

 魔皇征伐に赴くこの局面において時がどれほど重要なものかを、無論ケイトは知悉(ちしつ)していた。


 ──わかっていた事ですわ。


 彼女はきゅっと小さな手を握り締めた。痛いほどに強く握った。

 アプサラスの王を救うべく、我が身を晒した時のように。

 もしもただ心情のままに、勢いのままに動ける局面であったなら。苦難を伴いながらも皆で生還するという判断を、ケイトは下していた事だろう。

 だが、そうではなかった。それは許されなかった。

 不幸にも前後の思案を巡らせるだけの寸暇(すんか)があり、そして彼女は考えてしまった。

 人類にとって何が最善かを。自分がどうすべきかを。


 ──ええ、わかりきっていた事ですわ。わたくしの手のひらに、何もかもなんて掴みきれません。


 見過ごせなくて。何かできればと動いてしまったけれど。

 結局自分のした事はただの自己満足だった。無駄に長らえさせて、苦しみを引き伸ばすだけの行為だった。そう認めるのはとても苦い。でも、それが事実なのだ。変え難い真実なのだ。

 まぶたを閉じて、意識を負傷者たちから引き剥がす。


「参りましょう、オショウ様」

「うむ?」

「先へ参りましょう。わたくしたち二人だけで。彼らは見捨てます。これ以上遅れるわけにはいきませんの。だって魔皇を討てなければ、もっと多くの命が失われるのですから」


 ただ正しいだけの意見を、声を大にしてケイトは告げる。見捨てられる者たちの耳にも、確かに届くように。

 責を負うつもりだった。

 だってこれは、自分の選択なのだから。

 けれど、批難は起こらなかった。


「我々は、」

 

 彼らは互いに見交わし、やがて代表して一人が口を開く。

 死を宣告されたはずなのに、ひどく、穏やかな顔をしていた。


「我々は、貴女の旅の無事をお祈りします」

「っ!」


 たまらずに、口元を覆った。膝からは力が抜けて、今にも崩れそうだった。

 恨んでくれたら、いっそ恨んでくれたらいいのに。そう思う。

 震える肩に、大きな手が添えられた。


「泣くな」

「泣いてなどおりません。楽勝ですわ。この程度、想定の範囲内です」


 我ながら、薄っぺらい言葉だった。しゃくり上げる声のどこにも信憑(しんぴょう)性がない。


「泣くな」


 オショウは不器用にもう一度繰り返す。

 そうして幼子にするように、ぽんぽんと頭を撫でた。


「大義の為に小を切り捨てる。その判断は怜悧(れいり)と思う。のみならず、己の裁断を是と(つくろ)わぬ心を善と思う。けれど泣くな。その必要はない。その涙を止める為に、おそらく俺は喚ばれたのだ」


 言いながらケイトの傍らを離れ、彼は脱出艇の翼に触れる。

 ひと揺すりしてから、一同を振り返った。


「乗り込め。揺らさぬよう心がけるが、傷が重い者は縛って固定しておいた方がいいだろう」

「……えっと、あの、オショウ様? 乗ってもそれは飛びませんわ」

「承知の上だ。俺が担ぐ。急ぐのだろう? 担いで走る」

「かつ……え?」


 理解が追いつかないケイトを捨て置き、オショウは手のひらで機体を撫でた。

 材質とその硬度を確認するや、


(ふん)!」


 気合と共に繰り出された鉄拳で、片翼が破砕された。続けてランディングギアを蹴り壊し、機首と尾翼を手刀で切り離し、次々と不要な部位をパージしていく。正直、人間業とは思えない。

 ただただ唖然と見守るしかないケイトたちを尻目に、オショウは素手で鋼板を飴細工の如くに捻じ曲げ折り曲げ、目を疑うような工作過程がやがて生み出したのは、鋼鉄の(わん)としか表現しようのない代物である。

 彼はケイトを振り返ると「うむ」と頷き、


「これで、運びやすくなった」


 確かに元の形に対して小さくはなった。軽量化もされた事だろう。だが五、六人は楽に収まりそうなその鉄塊が、まだどれほどの重量であると彼は思っているのであろうか。

 そんな疑問に応じる様に、オショウは分厚い鋼板の(へり)を掴むや、片腕で椀を持ち上げてのけた。まるで暖炉にくべる(たきぎ)を持つような気安さだった。

 ずしりと怪我人たちの前にその乗り物(・・・)を置き直し、彼は不思議げに首を傾げる。


「乗らぬのか?」


 あまりの光景に絶句していた負傷者三名が、そこでようやく気づいた。この荒技と作り出された異物とは、自分たちを救う為のものなのだ、と。

 浮かんだ安堵の表情に「うむ」と笑んだその時、彼の胸に飛び込んできたものがある。

 

「オショウ様、オショウ様!」


 それは涙で濡れた顔をくしゃくしゃにしたケイトであった。


「ありがとうございます。その、ありがとうございます。わたくし、わたくし……!」


 あとの言葉は、もう意味をなさなかった。

 すがり付いて泣きじゃくる娘の取り扱いがわからず、オショウは所在無く手を握ったり開いたりした。




 *




 肩担ぎした椀を結界で(くる)み、大樹をへし折り巨石を踏み砕き、オショウはただ一直線に進んでいく。

 恐るべき事に。また、信じがたい事に。

 乗員四名を運搬する彼の速度は、飛空船のそれを凌ぐものだった。

 方角を見定めるのには乗組員の導石が役立った。カヌカ祈祷拠点の祈祷塔そのものと共鳴するこの指針があれば、樹界に迷う憂いはない。


「あの!」


 一刻ほども走ったろうか。不意に呼ばわれて、オショウはわずかに足取りを緩めた。

 肩越しに振り仰げば、そこには椀の(ふち)に両手でつかまり、ひょっこり顔を出したケイトの姿がある。次いで彼女が告げたのは、重傷者への再施術が終わり、三名ともがおよそ不安のない状態まで持ち直したとの報だった。

 うむ、と喜ばしく返したのだが、彼女はそれで頭を戻さない。

 べきべき、めきめきという移動音の隙間を縫い、おずおずとながら声を続ける。


「わたくし、ひとつだけオショウ様にお訊きしたい事があるのですけれど、よろしいでしょうか?」

「うむ?」

「ではお言葉に甘えさせていただきますわね。……あの、とてもありがたい事ではあるのですけれど、でも、どうしても気になるんですの。何故こうも親身になって、わたくしを助けてくださるんですの? わたくし、お話した以上のお返しなんてできませんのに」


 彼にしては珍しく即答をしかね、オショウは前を向いた。速度を元のペースに戻しながら、しばし黙考する。

 彼女に命を救われた、という恩は確かにある。

 だが、己の胸にあるのはそれだけではなかった。


「この地に喚ばれる以前、俺は何も持たなかった。対してこの地で(まみ)えた娘は、俺が欲したものを持っていた。俺が羨むものを持っていた。そして身命を賭し、それを守護せんとしていた。故に真似てみようと決めた。まずは眼前に在る偉大な守り手を、俺が守り抜いてみようと。そうすれば俺にも何かがわかるのではないかと、何かを得られるのではないかと考えたのだ」


 (せわ)しく歩を進めながらも、彼の言の葉は乱れず静かによく通った。

 ケイトはきょとんと聞き入れて、やがてその意味するところに気がついた。慌てた仕草で、椀からぐいと身を乗り出す。


「ご、誤解ですわ、オショウ様! わたくし、そんな立派な……!」

「俺は、(まばゆ)く思った」

「……っ!?」


 オショウは口が上手くない。だからそれが美辞麗句ではなく、心の底から発された賞賛なのだと知れた。

 わっと頬が熱くなる。

 鏡などなくとも、自分が耳まで赤くなっているのがわかった。鼓動が早鐘のようだった。


 ──な、なんですの。なんなんですの、これ!?

 

 口をぱくつかせるケイトの表情は、後ろ姿からも十分に想像ができたのだろう。

 怪我人たちは自らの傷も忘れて、揃った忍び笑いを漏らす。合わせたようにオショウが「うむ」とひとつ頷いた。途方もない重量を背負(しょ)いながら、その足取りは実に軽やかだった。


「もうっ、そこ! 何を笑ってらっしゃいますの!? なんですの? どうして『わたくしの負け』みたいな感じになってるんですの!? あ、オショウ様も何か勝ったみたいな雰囲気になってらっしゃいませんこと!? ちょっと、もし!!」



 道なき道を行くオショウの走音が、どうやら獣避けとして作用したものらしい。

 界獣の襲撃はわずか数度を被ったのみで、一行は半日がかりの行程を踏破。無事大樹界からの脱出を果たした。

 密林さえ抜ければ、カヌカ祈祷拠点はもう指呼(しこ)(かん)である。

 ──しかし。

 ようやく目にした人類の最前線は、噴き上がる黒煙と燃え盛る炎とに包まれていた。

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