産声の街
界嘯とは、大樹界近辺の都市がもっとも恐れる言葉である。
界獣どもが群れ成して大樹界より出でて、人界の都市を喰らい潰しゆく進撃を指す言葉だ。
本来ならば捕食、被捕食の関係にある獣たちも、この時ばかりは相食まない。不可思議な意思統一の下、ただ人ばかりを獲物と見定め、襲う。かつてラーガム王都を目指し、護国の英雄と呼ばれたグレゴリ・ロードシルトに殲滅されたもこの事例がうちのひとつである。
界嘯を為すが、魔獣であればわかる。
魔皇、魔族、魔獣と、およそ魔の名を冠するものは、通常の生物を性質を大きく異にする。全て人への憎悪を、沸騰するほどの殺意を抱くのだ。ただ人間を屠り、殺めるを目的とした身体を備え、打ち殺されれば黒の粘体と化して揮発する。彼らは到底種として栄えるための生物とは思えない生態を持ち、活動している。
だが界獣は違う。彼らは獣だ。
大樹界という特殊な状況下により、霊術的な変異を遂げつつも、それでも生態系と進化におけるひとつのピースとして存在している。そんな獣たちが不意に起こす界嘯の正体を突き止めた者は未だない。
祖竜教会はこれを樹界を犯す人への刑罰とし、安易な大樹界開拓を戒めていた。が、ロードシルト率いるラーガム国軍の大樹界侵攻に対して森が沈黙を保ち続けた事実もあり、この説は現在訝しまれてもいる。
そも自然の意図など、矮小な人間には測れぬものなのだろう。偶然の出来事に意図や周期を見出そうとするのは人の過ちなのかもしれない。
ともあれ、である。
界嘯の真実がどうあろうと、獣に襲われる者たちの苦難に変わりはない。このような大規模獣群が現れずとも、単発の獣災が止むことはないのだ。
新造都市にして開拓都市たるテトラクラムもまた、度重なる大樹界よりの危害に苦闘していた。
魔皇を討った英雄たちの意志により特殊な第四勢力として、ラーガム、アーダル、アプサラスの三国の援助を受けて誕生したこの都市が位置するのは大樹界に隣する土地だ。これまで人が築いたどの都市よりも異界に近い。これは無論界獣たちのテリトリーを犯す行為であり、ある程度の襲撃は予想されたものだった。
だが大樹界の反応は、想定以上に過敏だった。時に魔獣を交えた獣たちの襲撃は数多く、都市の防衛機能は破綻しかけていたという。
それも無理なからんことであると、ソーモン・グレイは考える。
ラムザスベルでの剣祭ののちカナタ・クランベルの勧誘を受けた彼は、テトラクラムにて防衛組織の長に任じられていた。豊富極まる対獣戦の経験を買われてのことである。
口元を結んだまま、グレイはゆったりと周囲を睥睨する。茜色に染まる夕景の中、彼の周囲では募兵に応じた若者たちが対獣集団戦闘の訓練に励むところだった。勲しのように全身数多の傷を帯び、如何にも歴戦の風貌をしたグレイの視線を受け、訓練兵たちの背筋が伸びる。秋霜烈日の気配を纏うこの戦士の一瞥は、軍の高給好待遇に釣られた連中の心胆を寒からしめるに十分過ぎた。
厳つさ極まる外見とは裏腹に、グレイの内心は長閑やかなものである。それはこの頃形を成しつつある兵たちの動きから得られた凪でもあった。
(どうにかこうにか、ここまで漕ぎ着けられたねえ)
グレイは満足げに息をつく。あのふたりを、やっと安心して眠らせてやれるようになった。
そうした彼の感慨もむべなるかな。
ソーモン・グレイの着任時点で、テトラクラムの防衛は無惨としか言いようのないありさまだった。なにせ都市の守護はただふたり――カナタ・クランベルとイツォル・セムに依存しきりだったのだから。
(いや冗談抜きに、土台無理な話だって。警戒をセムちゃんの目と耳に任せて、討伐をカナタ君の剣に頼って。そりゃあ続かないって。いっぱいいっぱいにもなるって。おじさんなら三日で逃げ出す職場だね)
カナタ・クランベルは、テトラクラム伯の称号を持つ都市の顔であり、聖剣の術式を継承する一族の裔だ。
その刃を以て魔皇を捕らえた英雄であるが、歳若く、少女のように柔和な面持ちをしている。しかしテトラクラムに暮らす者たちは、彼の背の頼もしさをよく知っていた。それは獣群に平然と切り込み駆逐する勇姿を、幾度となく見せて勝ち得た信頼だった。
そして、聖剣の懐刀として知られるイツォル・セム。
彼女こそが対獣警戒網の根幹を担った人物である。千里眼、順風耳なる家伝術式による索敵網と戦況把握は、組織的防衛において恐ろしいほど有能だ。虚空に向けてイツォルの名を呼び、続けて言の葉を紡げば、それが伝令として機能するというのだから途方もない。殺し殺される相手の姿しか見えぬ状況で、俯瞰し大勢を見極められる目がどれほどにありがたいか。戦いの場に出た経験のある者ならば、その心強さ、頼もしさは容易に知れよう。
産声を上げたばかりの都市を、誕生以来守り抜いていたのはこのふたりの献身だった。ふたりきりの尽力だった。常人が同様を行えば、日暮れを待たずに破綻するような暴挙である。
だのになまじっか秀でた彼らは、完璧にこの役目をやり遂げてしまっていた。まったく凄まじい才覚と言う他にない。
だが、どれほどの俊傑であろうと、カナタもイツォルも人である。飲み食いせねば飢え乾き、疲労が重なれば働きは鈍る。そのままの状態が続いていたなら、いずれふたりはすり減って、共倒れに至ったことだろう。
英雄というものは頼られることに慣れ過ぎて、頼ることを忘れるらしい。なんとも困った話である。
(人間、食べて寝ないと駄目だから。ほんと駄目になるから。頑張ればなんとかなるは、頑張らないとどうにもならないだから。そういう負担を押しつけるやり方って、今は回ってても、ある日いきなり瓦解するヤツだから。なんで手間暇がかかったって、まず人を育てて、皆で楽できる環境を整えるのが第一です)
よって、地位を得たグレイがまず着手したのは、カナタとイツォルに頼らない都市防衛組織の形成である。
組織にかけがえのないものを作ってはならない、とはグレイの持論である。それを作れば、必ず埋められない穴が開くからだ。人の命とは至極儚く、そして不意に消え失せるものでしかない。
ただしかしながらこの論に反して、どこにでも格別の存在というものは現れるものだ。
たとえばそれはカナタとイツォルである。彼の剣と彼女の耳目を遊ばせる余裕など絶対にない。有効活用しないのは、もったいないどころの騒ぎではない才覚だ。だからと言って便利に使いすぎれば、そこにはまたしても依存が生じるだろう。
グレイの苦心はそこにもあった。万人が参加し、均一の力を発揮できる組織作りと並列して、こうした別格の扱いも考慮しなければならない。
そして困ったことに、テトラクラムはある意味人材の宝庫なのだ。
この都市には、先述のふたりに匹敵する戦力がまだ居合わせるのだ。いずれも一騎当千で、各都市どころか国家からしても、喉から手が出るほどに欲しかろう存在たちである。
その筆頭として挙がるのが、まずラーフラだ。
魔皇。ただひとりで人類と敵対しうる存在である。扱いにくさでは最上位と言えるだろう。
もちろんグレイは、剣祭のためテトラクラムを離れたカナタとイツォルに代わり、この魔皇が都市を守ったとの話を聞いてはいる。「住環境をよく保つ努力は必要だ」というラーフラ自身の言いを耳にしもている。
だが流石に彼を防衛戦力として勘定するのは憚られた。
そもそも魔皇とは人類の天敵である。人類を滅ぼし尽くすのが魔皇のはずである。それを頼るという思考は、大変危ういものではなかろうか。
魔群招聘の異能こそ封じられているものの、彼の武威はいささかも衰えるものではない。対峙した大型界獣が、その手刀によりみるみる体積を減じる光景は、恐怖の二文字で表現する以外ないものだった。
しかしカナタやイツォルが友人にするように接するさまを、折に触れ都市の防衛を務めるさまを間近に見たテトラクラムの住人たちは、魔皇を恐ろしいながらも信ずべき相手として見るようである。ラーフラの住まいに、子供らが捧げ物めいた品々が積み上げる光景は微笑ましくもあった。それはカナタたちが提唱する魔族との共存への一歩と見做せなくもない。
……のだが、「なんていうかちょっと、ガバガバ過ぎない?」というのが正直なグレイの心地だ。
(だって、やっぱ凄まじいんだよねえ、魔皇様。カナタ君が傍にいなかったら、おじさん、秒で逃げてるね)
間近に見た魔皇は、それこそ見惚れるほどに美しかった。だがその造形美の裏に漂う剣呑の気を、微笑に潜む暴力の気配を、グレイの生存本能は嗅ぎ取らずにおかなかった。そのラーフラ相手に鍛錬を行うカナタ少年を、ソーモン・グレイは心から尊敬したものだ。
以後も幾度か魔皇と顔を合わせているが、ただ佇むだけで波のように押し寄せるその静かな威には、いつも冷や汗を掻かされている。
そんなグレイに興味を抱いたのか、過日ラーフラにはとんでもない申し出をされたことがあった。軽く手合わせしようというのである。横でカナタが目を輝かせていたのもあるが、何より魔皇当人の誘いを、グレイは断ることができなかった。
その恐怖を押し殺して立ち会った感想は、(うん、これ無理)である。
粘れるだけ粘りはしたものの、まるで勝ち目は見えなかった。実戦、真剣勝負となればこの戦技に加えて干渉拒絶までもがあるのだ。勝利の糸口など見えたものではない。
全身汗みずくで息を切らし、醜態を晒したものだとへたり込んだのだが、不思議にもカナタから注がれたのは感嘆の眼差しだった。そこに宿る賞賛は、まったくの過大評価であろう。そも、実戦において魔皇に届きうる刃を、聖剣を備えるのは彼こそなのだ。
だというのに当のラーフラからも、『ソーモン・グレイか。その名、記憶しておこう』などと告げられ、グレイは戦いたものである。
(え、なんで。なんでおじさん、魔皇様に名前覚えられてるの!? 小癪だからお前は一番最初に殺してやるとか、もしかしてそういうのなの!?)
大混乱に陥りはしたが、内心がまるで顔に出ないのがグレイの性分である。黙って言葉を受けるさまは鷹揚の形と見えたらしく、カナタから妙な賞賛を獲得してしまったようだった。その所為か、このところ少年は、毎朝のようにラーフラとの修練にグレイを誘う。本当に勘弁して欲しい。寿命がすり減ってしまう。
深く息をついて、グレイは頭を振った。深く考えないことにしよう。
その嘆息に、兵士たちがびくりと反応する。自分たちのうちに不手際があったのではと危惧したのだ。ソーモン・グレイは厳しい教官である。稚拙と未熟はある程度許すが、粗雑を決して見逃さない。
だが、物思いに耽るグレイは何も言わず、彼らは気を引き締めて鍛錬を再開した。
魔皇とは異なって、非常に扱いやすくありがたいのがアプサラスから来たケイト・ウィリアムズだ。
ウィリアムズと言えば確定執行のウィリアムズ。代々魔皇討滅に際して功を挙げてきた一族であり、ラーフラによる皇禍に際し、ケイト自身も大きな活躍をしたことでも知られている女傑である。
そうした伝聞から、グレイには強面で筋骨隆々高身長の女戦士のイメージがあったのだが、豈図らんや。
実際の彼女は武勇伝にそぐわない、陽だまりのように明るい少女だった。いささか突飛ながら必ず前を見るその姿勢は、周囲を感化せずにおかない。前ばかり見て時折つまずきかねないのがご愛敬だが、皆人にそれを支えたいと思わせるきらめきを備えてもいた。
人は心の生き物だから、この種のムードメイカーがいると、それだけで場の作業効率や士気が高まりもする。それだけでもありがたいのに、彼女は嫋やかな見た目にこれまたそぐわず、一流の武術、霊術の使い手でもあった。
練兵は実戦さながらの訓練であるから、しばしば負傷者が出る。これを即座に癒す彼女は、やはり士気と能率の両面から有能だ。
ただし他者との距離が近く、グレイとしては不安になる折があった。甘えてかお近づきを目論んでか、二日酔いを霊術で抜いてもらっている阿呆を見つけた時には、鉄拳をお見舞いしてやったものだ。これは娘に対する父親の心境が近しいだろうか。歳は取りたくないものだ。
ともあれ、ケイトが慕われるのには猛獣使いとしての側面もあるだろう。
その猛獣、彼女と共にテトラクラムを訪れたもうひとりが、テラのオショウである。ケイトが異界より喚び寄せた存在で、彼もまた英雄的活躍で知られる人物だった。
ラーフラ討滅に向かった他の英雄たちは口々に言う。「テラのオショウがいなければ、敗れていたのは人間だった」と。
多くの世人はこれを配慮と見る。魔皇を拿捕した功を、三国いずれにも属させぬための。
グレイ自身はラムザスベルにおいて、オショウの技量を目撃している。百戦錬磨の岩穿ちの評価は、「あ、これ絶対無理」に尽きた。
人の形をしているが、おそらく人とはその密度が違う。たとえるならば常人は霧で、オショウは鉄だ。そして坂の上から自分目掛けて鉄球が転げてきた場合、人間の選べる行動というのは限られている。
その上この鉄は、グレイが知るものとは全く異なる戦闘技術体系を修めている。
彼の双肩が担うのは、おそらく数千年単位で練られ、効率的に伝授され続けてきた武術であろう。幾多の達人たちが積み上げた、膨大な時間の結実なのだ。テラのオショウと正対し、そして破ろうと願うなら、その年月を越える研鑽を経ねば叶うまい。テトラクラムに現れたオショウの顔を見るなり、ラーフラがその秀麗な面立ちを引き攣らせたも無理なからぬところである。
人語を解さぬ獣たちも、オショウの武威を肉体言語で感知するようだった。
事実、彼が都市に腰を落ち着けて以降、獣災の頻度は激減している。
これはもちろん、起居するだけで生じた効果ではない。オショウの、奇特な振る舞いがあってこそのものだ。
都市に着いたその日から、彼はテトラクラムの周囲を巡回し始めたのである。合掌して他世界の術式と思しき文句を詠唱しつつ、高速の摺り足で。
千日山岳行。
オショウがそう称する奇行は、日に数度、決まった時間に遂行され、結果、都市城壁の外に白く獣道が生じた。樹木も岩石もそこにないかのように踏みしだいて作られたこの道――言うなれば仏道は、高空から見下ろせば、テトラクラムを中心に綺麗な真円を描いている。地を走る獣が踏み越えを忌み、空を飛ぶ獣が飛び越えを厭う、文字通りの防衛ラインであった。
長く獣の脅威に付き合ってきたグレイとしては、天を仰ぐしかないやり口だ。
(都市ってのは拡大されるものなんだけどねえ。外郭が増えるたびにあれをやるつもりなのかな。いや、やるんだろうなあ………)
のみならず、オショウは都市の各所に井戸を設けた。
のしのしと高く上げた足を踏み鳴らして歩き、ふと止まるとそこを拳で突く。空いた穴からは水が噴き出るといった塩梅である。どうしてか彼は、地下深くの水脈を感知できる様子だった。こちらは大師井戸なる法だという。いずれも古来、星を離れる前に僧兵たちがしてきた修行法だとの話だった。手刀で木を伐り、踏み込みで道をならす。己の五体のみを用いて橋を架け、隧道を穿つ。功徳と鍛錬を同時に積む、一挙両得の行である。練兵に取り入れようかと考えもしたが、自ら試し、あまりの過酷さにグレイはこれを断念していた。
こうした超人的活動により、オショウは少々おっかない人物として見られがちだ。だが本格的に恐れられるまでいかないのは、やはり猛獣使いが、ケイト・ウィリアムズが飼い主として緩衝材の機能を果たすからだろう。彼女が傍らにいることで、オショウにも親しみやく、話しかけやすい空気が生まれる。
『オショウさんは、鏡なんだって思います』とは、カナタの言だ。
『あの人を見る時、人は皆勝手に、自分の一番怖いものと向き合うんです。あの人は、ただそこにいるだけなのに。だから本当に強い人間か、強いとか弱いとかに心から頓着しない人だけが、ああして傍にいられるんでしょうね』
ともあれ不確定戦力を含む彼らの働きと、そして剣祭からの騒動ののち、無事救出されたロードシルトの援助を受けたことで、テトラクラムには時間的余裕が生じた。
この暇を縫ってグレイは都市軍の編成を進め、それがようやく実を結び始めたというわけである。
英雄たちのおかげで、実戦の際も死傷者が少ないのがよい。より多くの人員がより多くの経験を積み、それが共有され、組織としての練度は高まっていく。
ソーモン・グレイは、名を知られた剣士だ。各所で都市の防衛に携わったこともある。
だから彼は知っている。弱者の尊大さ、傲慢さを。
俗に、都市は三代と言う。
初代、都市の立ち上げに携わった者たちは、完成に至るまでの労苦を知っている。あらゆる役割に対する感謝を忘れない。誕生直後の都市とは、平穏安住の意味を持たない。それは戦地であり、最前線なのだ。あらゆる行動に生死が過ぎり、ゆえに人々は互いを尊ぶ。プリミティブな状況で命綱となるのは、信頼関係であり好悪の情だからだ。思いやること。相見互いと知ること。それが生き延びる確率を最も高める行為だと、誰もが思い知っている。嫌悪する相手を自身の命をかけて救う人間など、まずありはしない。
続く二代目たちも、その遺風を継いでいる。
だが三代目になると苦労を知らず、手にある幸福を当然と思い始める。また都市が育つにつれ生じる分業は、やがて区別と差別を、富裕と貧困を、地位と対立を産み、争いの種となる。やがて人は感謝を忘れ、もたらされる恩恵を当然と考える。足るを知るを忘れ、もっともっとと叫び出すのだ。
結果いがみ合い自壊した都市を、グレイはいくつも見ていた。かつて岩紋龍を退けてまで守った都市も、この例に漏れなかった。
だからこそ、グレイは祈る。
未だ小さな、芽吹いたばかりのこの種が、永代続く大樹の礎とならんことを。
英雄たちとはいえ、彼らは皆、若人だ。年寄りから見れば眩いほどだが、それゆえ時折ひどく危うい。心の傷は目に見えない。だから、体よりもなお労わらねばならない。
我が身を顧みればよりわかる。初陣の後、初めて獣たちと命のやり取りをした後、グレイは身の震えが止まらなかった。先達に連れられて娼館へゆき、買った女の胸で、一番中怯え続けたものだ。
そうした精神的なケアを行う視点を、グレイは自らの役割のひとつとして任じている。
歳ばかりを重ねた力足らずなれど、それが大人という生き物の、せめてもの権利であろう。未来を拓く手助けとなれたなら、先人冥利に尽きるというものだ。
「グレイさん!」
わずかに、ほんのわずかに口元を緩めたグレイの耳を、少女の声が打った。
「喫緊事か?」」
間髪入れずグレイが返す。
声は、イツォルの伝声術だった。導石等で霊術的に目印をつけた場所へ声を飛ばす術式である。本来は秘匿性も双方向性もなく、アッシャードマン学派の伝霊術や霊術通信網には著しく劣る、簡易術だ。
だが双方向性については、イツォルの耳が解決している。どんな小声だろうと彼女の耳は応えを拾う。だからグレイは、目の前の相手にするように、ただ話せばよかった。
「はい。問題はないはずです。だけれど、問題が起きそうです」
要領を得ない返答に、グレイは無言で先を促す。
「都市の近くで、霊術砲火が確認されました。かなりの高出力です。二名が対処に出ました」
「二名とは?」
「その、オショウさんとラーフラ……」
消え入るような声を聞きつつ、グレイは片手で額を覆った。
どうした経緯で同時出動したかは不明だが、よくない組み合わせである。
オショウ側に隔意はまったくないようだが、ラーフラは彼に著しく反目している。まあ、ふたりの経緯からして仕方なからぬところであるが、下手をすれば問題の対応に当たって別の問題を起こしかねない。至急、誰かが間に入る必要があるだろう。
(え、あれ? セムちゃんから声が来たってことは、その誰かって、もしかしておじさん? おじさんがやるの? あのふたりの間に割って入るの? 本当に!?)
回れ右の心地だった。しかしイツォルがこちらに言葉を送ってきたということは、自分が一番早いか、他にそれができる者はないのだろう。
嘆息して、グレイは告げる。
「極力努める。が、ウィリアムズ嬢を呼んでおいてくれ。可及的速やかに、だ」




