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リア住怒りの鉄拳 ~仏の顔もサンドバッグ~  作者: 鵜狩三善
ボーズ・ミーツ・ガール
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ボーズ・アンド・フォール

 カヌカ祈祷拠点。

 それは人界各所に築かれた、皇禍対策用城砦のひとつである。冠せられた「祈祷」の名は、拠点中央部に設けられた大規模祈祷塔に由来した。

 祈祷塔とは、周囲の霊素を吸引し収束、内部で永続反響させつつ霊力に置換する方陣である。中規模の一基もあれば儀式霊術の執行を十分に(まかな)うだけの霊力集積が可能だった。

 無論この内部蓄積霊力は、術式の執行時にのみ用いられるものではない。各国王都に備えられた同型の大規模祈祷塔は、日常生活における各種動力源として活用されている。

 都市機能の運営を担うほどのその力は、現在この平原へ魔軍を釘づけにする為だけに傾けられていた。

 強大な遮蔽力を持つ封魔大障壁は、その強大さ故に執行者への負担が著しい。祈祷塔の補助なくしては、数時間と維持できぬ術式なのだ。

 この注力により、障壁は下位魔族らの侵攻をほぼ完全に封じている。


 だが、油断は決してならなかった。

 有象無象は阻めても、五王六武や魔皇自身に対してまで障壁の効果は期待できない。これら上位魔族が前線に現れ、祈祷塔の破壊を目論んだなら、人類は戦線の大きな後退を強いられていたろう。

 しかし此度(こたび)の魔皇は、祈祷拠点に対する一切の攻勢を見せなかった。五王六武の幾体かに各国への奇襲を命じた他は、ただ静かに、大山の如く構えるばかりだ。

 ただ戦端を開くその代わりに、魔軍は恐るべき仕業を見せつけた。

 それは築城である。

 無数の魔族が寄り集まり、意思を持つ波のように蠢くと、(たちま)ちに平原は切り拓かれ地均(じなら)しをされ、石材が積み重ねられ木材が組み合わせられ、一昼夜のうちに堅牢めく城が姿を成していた。

 ひとつの目的の為に高度に統率されたその様は、無言の威圧として見る者の心に恐怖と不安とを植え付け、肌に粟を生じさせずにおかなかった。あれらと相対せねばならぬのだと、心を病む者までもが出た。

 そうした人の動揺など知らぬげに、魔の牙城は悠然とそびえ立っている。




 *




 その魔城の奥まった一室に、今、五つの影がある。

 この地に残る五王六武と、そして彼らが奉戴する一帝であった。


「今、アプサラスでムンフが死んだ」


 末席のひとつが、苦く口を開く。上半身は人の似姿なれど、直接床に座すその下半身は四足獣のものであった。

 魔皇の指令や断末魔のような上位魔族の強い思念波は、種全体へと即時に伝播する。これにより彼らは遠くカヌカ平原に居ながらにして、アプサラス王城での出来事を感知していた。


「仕方ねぇさ。あいつは五王六武において一番の弱者。……くそ、成長を楽しみにしてたってのによぉ……」


 ぎしりと椅子を軋ませて、一際に大きな影が呻く。

 休息用ポールに体を巻き付けた長身が、しゅうと息を漏らした。


「アーダルで四武が焼き払われて、ラーガムで二王が斬られて、更にまた一武を失って──随分と数が減ったわね」

「元よりわかっていた事だ。アーダルの太陽、クランベルの聖剣、そしてアプサラスの巫覡(ふげき)。何れも侮れぬ。人は、我らよりも強い」

「気合の足りねぇ言葉を吐くんじゃねぇ!」

「事実を申したまで。喚き散らしたとて、ここに残るが三王一武という事実に変わりはない」


 吠える巨漢を見据え、四つめの影は三対の腕を組む。


「戦力の分散と逐次投入。人は我らを愚かと見るであろうな」

「うむ。であればこそ来るであろうよ。人類の最高戦力どもが、我らが皇を(しい)さんと」

「それこそが我々の見せた希望とも知らずに、な」


 一同は低く笑い、そこに最初の影が「しかし」と告げた。


「巫覡めが喚んだ想定外の戦力、些かながら気になりますな」

「テラのオショウ、か。あのムンフが、ただのひと打ちであった」

「皇よ、許しを頂けませぬか。パエルめが見定めたく存じます」


 呼びかけに応じて、それまで黙していた上座の気配が動いた。

 それは異形の群れるこの場では最も小さく、最も人の形に似ていた。そうでありながら、最も強力な圧を放っていた。 


「任せよう。だが決して油断はするな。それの傍には巫女が居る」

「胸に刻みましてございます」


 返答に頷くと、皇はゆるりと配下を睥睨(へいげい)した。


「我々はこれまで敗北を重ねてきた。これは覆せぬ事実だ。よって(おそ)れよ。人は、磨き上げた人というものは恐ろしい。だが案ずるな。人は人であるが故に、私に決して及ばぬのだ」


 皇の言いに、三王一武は(こうべ)を垂れ恭順を示す。

 忠誠もある。だが何よりも、その言葉が決して慢心でないと知るからこそであった。


「パエルを動かす他は変わらん。最大の警戒を保ちつつ、予定通りに進行せよ。遺漏、許すまいぞ?」

「は!」


 唱和と共に、四つの影が走り出る。

 ただひとり残った魔皇は、ゆるりと玉座に頬杖をついた。戯れめいて、宣誓の文言(もんごん)を舌に乗せる。

 それは人が耳にしたならば、絶望を覚える(ほか)ないものであった。




 *




 小型飛空船の一室。

 私室として貸与されたその部屋で、ケイトは備え付けの鏡を覗き込んでいた。赤みがかったブラウンという己の瞳の色を確かめると、小さく息をついて身支度へ移行する。

 彼女とオショウがアプサラス王城を立ったのは、ムンフの襲撃より半日が過ぎての事だった。

 後詰(ごづ)めを警戒しつつの人心慰撫、兵の緊急動員等々の手配を整えるのに、それだけの時が要されたのだ。

 直接に魔族の脅威を体験した貴族のうちにはケイトとオショウを引き止めんとする動きも出たが、これはマハーヤーヤナ6世により圧殺された。


「アーダルとラーガムの両国も、我が国と同様に急襲を受けたとの報が入っておる。だが最精鋭を──太陽と聖剣を(つか)わす意図に変わりはない。ならばカヌカより最も遠いアプサラスが保身を論ずるは恥と心得よ。そも、この二人を欠いたが故に人類が遅れをとったならばなんとする」


 刃の如き声に、返す言葉を持つ者はなかったのだ。


 自分たちを見送った王の眉間、そこに刻まれていた苦悩の皺を思い出しながら、ケイトは鏡を離れて船窓に寄る。

 そこからの眺望は、ただ緑一色であった。飛空船に乗り込んでから丸二日、風景の変化はまるでない。

 大樹界。

 現在船が航行するのは大陸の中心に存在し、でありながら未だ一切開拓を受け付けぬその密林の上空であった。

 アプサラス、アーダル、ラーガムという人界の主要三国は、この樹海を大回りする陸路と海路、そして樹上を越える空路によって結ばれている。

 樹界の危険を避ける陸海に対し、敢えて直上を横断するのが空路である。

 しかし一応ながら、空の旅は安全であるとされていた。

 如何にこの樹林、大樹界に棲まう界獣といえども、高空を飛ぶ船にまで襲いかかって危害をもたらすものは流石に少ない(・・・)からだ。

 船員たちからは、カヌカ祈祷拠点までもう一日以下の距離であると聞かされてはいた。しかし眼下の緑絨毯は同じ道を巡り続ける悪夢にも似て途切れ目なく、己の矮小(わいしょう)さを思い知らせてやまない。

 それは魔軍を慮外に置いたとしても世界は人の版図にあらず、脅威と危険に満ち満ちているのだと声高に告げるかのようだった。


「……」


 ふと足元が頼りなくなる感覚に襲われれて、ケイトはふるふると(かぶり)を振った。

 別段高いところが苦手というわけではない。郷里から王城へ推参する折にも飛龍を使っている。けれどそんな彼女を飲んでしまうほどに、この緑の圧力は強烈だった。

 もしこの船があそこに落ちたなら。運良く墜落を生き延びたとしても、到底生還は望めまい。徒歩によるで樹界横断など、自殺と遜色(そんしょく)のない仕業だ。


 ──でも。


 でも、と、つい思ってしまう。自らのこの旅路とて、結局似たようなものではないのだろうか。ただの自殺行為に過ぎないのではなかろうか。

 思考の暗い淵に沈みかけ、けれど自嘲的な面持ちの女を窓ガラスに見つけて、ケイトは両手でぱちんと頬を叩いた。


「いけません。何を揺れていますの、ケイト・ウィリアムズ。楽勝です。ええ、こんなの楽勝ですわ」


 指で口角を持ち上げて、強引に笑顔を作る。

 笑いましょう。下を向かず、笑顔でいましょう。でなければ、ますますくすむばかりでしてよ。

 自らを鼓舞すると、独りで閉じ篭っているのがよくないのだと結論をして、ケイトは持つべきを(たずさ)え部屋を出た。向かう先はオショウの居室である。

 召喚からわずかの時間を共にしただけだけれども、彼女の中にオショウへの隔意は最早ない。むしろ懐いていると言ってすらよかった。だってちょっとの観察だけでも断言できるくらいに善人なのだ、彼は。


 真っ先に例を挙げるとすれば、それはムンフとの一戦になるだろう。

 あの折、どうしてオショウがただ一人で戦う事を望んだのか。その理由は、少し考えれば思い至れた。

 動機は十中八九、自分が施した記憶の感染である。

 あの術式は本来、伝達情報の取捨選択が可能なものだ。教えたくない事、知られたくない事を黙秘しておける。そういう設定が施されている。

 だがその秘匿部分以外においては、施術者の主観記憶が──つまりはまつわる個人的な感情がそのまま伝達されてしまう場合があった。おそらくオショウもそのようにして、漏れ出した自分の心を、そこに横たわる不安を見たのだろう。

 だから彼は、敢えてその力を誇示したのだ。

 そうしてウィリアムズの一族が伝えてきたものは信ずるに足るものであると、広く──同時にケイト自身にも──知らしめてくれたのだ。胸を張れるようにしてくれたのだ。

 生死を賭した魔皇征伐の同道に(がえ)んずるのみならず、出会ったばかりの小娘に対しそのような心遣いをする者を、善き人と呼ばずしてなんと呼ぶのか。


 他にも、ある。

 部屋に押しかけた自分の他愛ない話にいつまでも付き合ってくれたり、食事時に苦手な皿をそれとなく請け負ってくれたり、それでいて決して不埒(ふらち)な手出しはしてこなかったり。

 召喚術式は、召喚者と価値観や倫理観を共有する存在を対象として選択する。

 よって被召喚者の抱く欲求欲望はこの世界の住人の近似値となり、そこに権勢や金銭、そして性というカードを用いた交渉が働く余地が生じる。

 クランベル家の例があって以降、そのようにして他世界の異能を血筋に取り込む事は推奨すらされていた。

 であるから被召喚者からの性的な要求は、望む望まざるを別として、ケイトの覚悟と想定の範囲内だった。なので教範に従って、男性の気を引くように振る舞ってもみた。

 が、結果は全くの無反応である。

 人物なのだとの印象を深くして安堵するのと同時に、ちょっぴりだけ腹が立った。妙齢の女性に対して、その態度は失礼なのではあるまいかと思ったのである。

 決して無体を働かれたいわけではないのだけれど、どうにも複雑な心情だった。


 ──もしかしてわたくし、魅力を欠いているのかしら。


 思い返しながら、頬を撫でた。

 母譲りの目鼻立ちは、美貌と呼ぶには気が引けるけれど、それなりに整ったもののはずだった。

 けれどそこで脳裏に浮かんだのは、王城で見たきらびやかな貴婦人たちの姿である。

 目が覚めるような美しい召し物に色とりどりの装飾品。(つや)やかに演出され大胆に強調された豊かな胸とくびれた腰。ああいう女性らしい女性にならば、オショウも反応したのかもしれない。

 ぺたぺたとケイトは自分の体に触れ、


「ぎ、ぎりぎり成長期ですもの。わたくしだってまだ育ちます。先走って結論してはいけません。ええ、育ちますとも!」


 つい声に出して拳を握り、慌てて周囲を見回した。

 幸い誰の姿もなかったが、気恥ずかしさから彼女は足を早める。そうしてノックもそこそこに、オショウの部屋へと飛び込んだ。


「失礼しますわ、オショウ様」


 大きめで口早の声に、身を屈めて船窓を覗いていた彼は振り向き、僅かに笑む。

 ただそこでそうしているだけなのに、どっしりと大きな存在感があった。きちんと身構えたなら、それだけで部屋が一杯になってしまいそうな気さえした。

 この姿を前にしてなお、在室の折の無施錠を不用心と(そし)れる者はないだろう。


「外を見ていらしたのですか?」

「うむ」


 頷いて、それ以上をオショウは語らない。

 だが口数の少なさは別段不機嫌を意味しないのだと、ケイトは既に諒解していた。

 言葉以上に行動が雄弁な者の常なのか、彼の口は重い。大抵の応答や相槌は「うむ」で済ませて、生まれてからこの方、無駄話などした事もなさそうな顔をしている。

 でもだからと言って、決して人との交流を拒むではない。

 とりとめもない小娘の(さえず)りにじっと耳を傾けてくれるその様は、やはり実家のパケレパケレたちによく似ていた。その大きな気配に包まれて静かな眼差しを受けているだけで、心の尖ったいたところがやわらいでいくのもそっくりだ。


「緑ばかりで、あまり面白いものはありませんでしょう?」


 ケイトの言葉に「いや」とオショウは首を振り、「物珍しい」と付け足した。子供のような物言いに、ふとその顔を見つめてしまう。

 実のところ、ケイトは彼の(よわい)が読めぬままでいた。

 ある時は父親ほどにも老成して見える。けれどまたある時の表情はひどく(いとけな)くて、弟のようにすら感じられた。

 結局これらの印象を総合して平均し、一先ず「年の離れた兄」という辺りに彼女は判断を落ち着けている。


「……あ」


 たっぷり不躾(ぶしつけ)な視線を注いでからはっと我に返り、ケイトはほんのりと頬を染めた。

 オショウが不思議そうな目を返してきていて、気づけば黙って見つめ合う格好になっている。


「そ、それでですわね、今回はオショウ様にお渡しするものがあって参りましたの」


 取り繕うように言い添えてケイトが差し出したのは、小指の爪ほどの大きさの宝石だった。首にかけられるよう、細く長い鎖が装飾されている。


「以前お話した導石(しるべいし)ですわ」


 重ねて告げられて、オショウの顔に得心の色が浮かんだ。

 導石とは、術式により特定の波長を染みこませ、(つい)となる石の位置情報を得られる機能を付与された術具と聞き及んでいる。

 いうなれば一種の迷子札であり、高速通信機器のないこの世界においては重要な品であるとオショウは認識していた。


「では、使い方を説明しますわ」

「うむ」


 受け取って、オショウはぴしりと直立不動の姿勢になる。

 召喚の直後から、「知識だけでは必ず不便が出るでしょうから」と甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いてくれるこの娘に、彼は(いた)く感謝している。その厚意を誠心にて受けるならば当然の構えだった。

 斯様(かよう)にして術具起動法の伝授は開始され──船全体を揺るがす横殴りの衝撃が来たのは、その最中(さなか)の事である。


「きゃっ!?」


 不意打ちに転びかけたケイトを、すいとオショウが抱き止める。その両足は根を張ったが如くに揺らがない。

 強烈な揺れは、ただそれ一度きりであった。

 だが以降も小さな振動は継続して続き、また、遠く悲鳴めいたものが耳に届く。明らかな異常事態だった。


「か、界獣の襲撃かもしれませんわ。様子を見に参りましょう。オショウ様、ご一緒をお願いできますかしら?」

「うむ」


 縋った胸に手をついて慌て気味に体を離すと、先立ってケイトは駆けた。




 *




 殺戮は、瞬きの間で完了した。

 封魔大障壁を抜けたパエルはなまじの者には影すら見せぬその神速で空を駆け、大樹界上空を航行するアプサラスの飛空船を捕捉。一切速度を緩める事なくこれに打ち当たり、船壁に大穴を穿って内部に侵入を果たした。

 そうして(たちま)ち機関室に到達するや、居合わせた乗員たちを(ことごと)殴殺(おうさつ)してのけたのである。

 結果、機関室は目を覆わんばかりの有り様となった。

 人間の手が、足が、胴が、首が。まるで駄々をこねた子供の玩具のように撒き散らされ、紅がそれらを彩色する。臓腑と鉄錆の()がきつく立ち込めていた。未だ絶息せぬ者があるらしく、苦鳴が低く床を這う。

 無論、パエルは気にも留めない。

 魔族は次いで小規模祈祷塔、即ち飛空船の動力機関にその鎚を叩き込んだ。甲高く耳障りな音と共に収束されていた霊素が弾け、光と熱に変じながら周囲に拡散していく。

 数度それを繰り返し、祈祷塔を機能不全に追いやったところで、パエルの耳はふたつの足音を捉えた。

 打ち壊す勢いで開いた扉へ、魔族は牙を剥き出して振り返る。


「早い到着だな。だが、遅きに失した」


 駆けつけたオショウとケイトが目にしたのは、惨劇の中心に(うずくま)る獣である。

 剛毛を生やした四つ足は、獅子の如く太く、鈍く金物めいて光る爪はその強靭さを予感させた。しかしそのフォルムは、決して獣そのものではない。

 本来ならば頸部たるべき部分から、人の上半身が生えていた。自らの爪と同様の鈍い光沢を持つ鎧兜を着込み、両手にはふた振りの鎚を握り締めている。

 或いは引き裂かれ、或いは叩き潰された死骸の群れを作り出したのが、それらの凶器であるのは疑いようもなかった。


「アプサラスの巫覡、そしてテラのオショウだな。我が名はパエル。皇に仕える五王が一なり。不確定要素たる貴様らの排除を仰せつかった」


 魔族は名乗り、おそらく、笑った。

 人の似姿ながらも(おもて)は獣相であり、口から覗く牙は長大であった。


「この船の動力は既に破壊した。間もなく浮力も推力も尽きるであろう。故に、選ぶがよい。石の如く落ち砕けるか。我が戦鎚にて打ち砕かれるか」

仏騒(ブッソウ)な事だ」


 パエルは戦鎚を二人に突き付け言い放つ。

 応じて、オショウが前に進み出た。

 

「わたくしも!」


 後ろで霊術印を結びかけたケイトを、しかしオショウは背中越しの手で制す。


「まだ息のある者がいる。それを託す」

「オショウ様!?」


 咎めるような声を上げたケイトに、オショウは断固として首を振る。


「俺はただ戦うばかりが能だ。傷は癒せない。連れて、く脱出を」

「でも……!」

「頼む」


 ひと呼吸だけ判断に迷ってから、ケイトは「信じます」と呟いた。言うなりで機関室の奥へと走る。それはパエルを完全に無視した、言葉通りにオショウを十全に信頼した動きだった。

 微かに口元を緩めてから、彼女を守るべくオショウはのそりと更なる一歩を踏み出す。


 ──信を受けたとあらば、応えるは必定(ひつじょう)


 パエルの前に立ちはだかり、音を立てて合掌をした。

 次いで握った両拳を腰だめに落としつつ、体内の気を高速循環。金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により急激な練気圧の変化が発生し、彼を中心に衝撃波が渦を巻く。思わぬ烈風に押され、パエルの姿勢が崩れた。

 だが、敵も()る者である。

 即座に最小の動きで立て直し、


「大層な自信だ、オショウ。では先ず貴様の脳漿(のうしょう)を拝み、巫覡の五体は(しか)(のち)に砕くとしよう」


 告げた直後、その姿がかき消えた。

 否。

 それは消えたとしか思えぬほどの高速移動であった。

 壁を駆け上がり天井を蹴り、頭上から襲い来たこの真正面からの奇襲に、しかしオショウは反応している。

 双掌に生まれた極小の結界が、パエルの戦鎚を受け止める。金属同士の衝突めいた鈍い音が響き、結界界面から火花が散った。


「なるほど、使い手だ。ムンフめが一蹴されたも頷ける。では、宣誓するとしよう」


 飛び下がったパエルの言を待たずにオショウは迫撃。

 片足で床の鋼板を凹ませながら踏み切ると、刺突めいた横蹴りを放つ。が、空を灼いて走った蹴り足を、魔族は亡霊めいてすり抜けた。紙一重の見切りである。


「話は、最後まで聞くものだ」


 そのまま更に後方へ跳ね、魔族はぴたりと壁に直立。傲然と続けた。


「鈍き者、我が身を害する事(あた)わず。速度で劣るのならば、私に一切の傷はつけられぬ。果たして貴様の速さは、私に触れるが叶うかな?」


 言い放つや、パエルは壁を走った。

 加速を乗せ、真横から半円の軌跡で戦鎚が唸りを上げる。

 だが。

 オショウの一撃が、それよりも速い。

 独鈷掌ヴァジュラスタブ・ワン

 紫電を(まと)った掌撃がカウンターの形でパエルの鳩尾みぞおちに叩き込まれ、


「む」


 手応えに、オショウが眉を寄せた。

 猛烈な爆気を(はら)んだ掌打は、(あやま)たずにパエルを捉えた。その鎧を打ち砕きもした。だが魔族の肉体そのものには、毛筋ほどの傷も残せてはいない。

 即ち、干渉拒絶である。

 インパクトの瞬間、自分の腕が不可思議に停止するのをオショウは感じていた。発生させた運動が何の反作用もなく無に帰するその様は、奇怪極まる幻戯(げんぎ)のようだった。

 だがそちらに気を払えたのも一瞬。

 感覚を吟味する(いとま)もなく、パエルの前肢が跳ね上がった。鋭爪が喉笛と膝を同時に払い、オショウは防ぎながら飛び退がる。

 身震いで鎧の破片を振り落としながら、パエルはまたも牙を剥き笑った。


「実に見事。この私を見失わぬどころか、反撃までもを狙うとは。だが無駄のようだな。貴様の打撃は確かに速い。瞠目(どうもく)に値する。だが貴様自身は、私よりも遥かに遅い」


 パエルの宣誓にある鈍さ(速さ)とは、攻撃に用いる五体一部の運動速度を意味しないようだった。今の一合から推し量るのならば、その定義とは体ごとの移動速度であるのだろう。

 ならば敵手の仕掛けに合わせる交差法は無効。稲妻めいたこの魔を彼我の相対速度で上回りつつ、尚且(なおか)つ打撃を的中させねばならぬという事になる。

 無論、迦楼羅天秘法ヴァーハナ・スラスターならば、速度で対抗もできよう。

 しかしかの秘法は、あくまで姿勢制御と直線移動の為のもの。

 精緻な方向転換は望むべくもなく、また得られる加速に対して、この機関室は狭すぎる。方角を転じるその前に、壁なり祈祷塔なりの障害物に激突するのは明白だった。

 パエルには十二分のスペースを有するこの戦場は、オショウにとって檻でしかない。

 そして何よりこの雄敵は、速力のみならず武の技量を併せ持つ。単純極まりない直線軌道の突進など、初手の蹴りのように容易く見切られるに相違なかった。


「どうした。動きが止まったぞ」


 攻めあぐねるオショウに対し、パエルは自在の動きで駆け巡る。

 頭上から落ちかかる戦鎚を、片手を上げてオショウが受ける。先よりも速度と質量の乗った打撃に、踏みしめる床がみしりと軋んだ。続く攻めのその前に、オショウの足刀が魔族の前肢を蹴り払う。本来ならばパエルを崩して然るべき打撃であったが、やはり通じない。力そのものが伝達されていないのだ。

 逆に体を乱したオショウへ、逆手の槌が振るわれる。

 パエルの一撃は激烈であった。四肢で万全に床を踏みしめ、高速移動を生み出す瞬発力を余さず破壊力に置換している。

 多重展開した結界で受け切りはしたものの勢いは殺しきれず、オショウは一息に壁際にまで押し込まれた。


 まったく、この魔族は手練(てだ)れだった。

 雷光の速度と三次元的な自在機動。自身の長所を十全に活かした攻め手は恐るべきものであり、並の戦士であれば、どこから襲撃されたかも悟れぬままに死していたろう。

 だが──見よ。

 いつしか、オショウの口元には太い笑みが浮いている。

 骨を砕かんとする戦鎚を 肉を裂かんとする猛爪を、わずかの距離で捌きながら。

 彼は、笑っていた。

 その瞳にはケイトの姿が映っていた。

 彼女は息のある者を探し出しては治癒を施し、抱き起こし助け起こしている。その衣は己のものならぬ血に塗れていた。けれど、気にする素振りは少しもなかった。その姿を、やはり美しいと思った。

 愉快だった。

 今、自分はあの娘の為に戦っている。幻の記憶ではなく、自らが知る確かなものの為に戦えている。

 それが笑みとなって面に浮かび、誇りとなって両足を支えた。

 パエルを痛撃する為の思案が、既に幾つか浮かんでいる。果たして思惑通りに運ぶかは知れず、また好機至らねば試みるも叶わぬ術策ではある。

 けれどオショウに、負ける気など少しもなかった。



 対して、パエルは焦れている。

 一方的な戦局を作り、圧倒的な優位を保ちながら、それでもオショウを打ち倒せない。

 如何に幻惑しようとオショウの眼光はパエルを捉えて逃さず、どのような連撃も彼の防御を破るには至らなかった。自在の角度から猛攻を加えるようでいて、パエルはオショウを一歩たりとも退かせられない。

 ならば、と巫覡へ狙いを転じようとしたが、それも叶わなかった。

 この速度で動き続ける限り、オショウにパエルを害する手立てはないはずである。だというのに眼前の男には、一瞬たりとも目を切る事を許さない凄みがあった。

 もしほんのひと呼吸でも注意を逸らせば、一瞬で喉笛を噛み切られてもおかしくはない。オショウにはそう感じさせる何かがあった。その底知れぬ力量に、本能が警鐘を鳴り響かせている。

 人を(おそ)れよと、皇は告げた。

 戦慄と共に、その言葉の意味をパエルは思い知る。いや──それを発した皇であってすら、これほどの猛者を想定していたか、どうか。

 結局魔族は指をくわえて、負傷者を連れたケイトが機関室を脱出する様を見送るしかなかった。


 だが。

 だが、とパエルは考える。

 いずれにせよ、己の勝ちは動かない。何故ならば、オショウには時間制限がある。

 まるで気にする素振りもないが、この船は墜落の最中なのだ。このまま地表に激突すれば、如何なこの男とても砕けて死ぬ。死ぬはずである。死んでくれると思いたい。

 既に見切ったという事なのか、結界ではなく平然と素肌──正確には皮一枚の厚みで硬気に(くる)まれているのだが──で戦鎚を弾き返すオショウを見ながら、パエルは希望的観測を修正した。

 この男の生死は一先ず別として、それでも船の墜落は少なからぬ混乱を生じるはずである。それはオショウから距離を取る好機となろう。

 そして動向を見るにアプサラスの巫覡は、今頃船を脱している。だが、そう遠くまで逃れてはいまい。

 ならば墜落の(のち)、両者が再び合流するその前に、離れ離れのそのうちに、この駿足を以て巫覡の首を獲ればよい。それで不確定要素の一方は片付く事になる。



 斯様な胸算用のうちに双方が決定打を欠く接戦は続き──その均衡を崩したのは両者のいずれでもなく、唐突な衝撃と爆音だった。強烈な光線が船体を撃ち貫き、機関室の壁に蒼穹が拝める程の大穴を穿ったのだ。

 どちらにも不意打ちめいたこれは、無論不時着によるものではない。船は未だ高度を保ち、辛うじてながら飛んでいる。飛び続ける力は失ったものの、健気に滑空めいた飛行を続けている。

 光の正体は知れぬまま、しかしこれがオショウとパエルの命運を分けた。

 破壊はオショウの正面、相対するパエルにとっては背面で生じた。故にオショウはそのままに状況を視認でき、パエルは思わぬ事態にオショウから目を外して顧みた。見て、しまった。


「ぬ……ッ!」


 痛恨の()を漏らす間もあらばこそ。

 生じた一瞬の空隙にオショウは肉薄。鞭のような蹴り足のひと振りで、パエルの手から戦鎚をまとめて払い飛ばす。鎧が打ち壊せたように、魔族自身の肉体ならぬものへ干渉拒絶は及ばない。

 顔を歪めるパエルの腕を掌握し、捻りながら背後へ。丁度四足獣の部分に跨がるような体勢で、オショウはその肩を固める。


「ようやくに、捕らえた」


 力の伝導を感得し、オショウは推測の正しさを確信する。

 このように組みついての締め技であれば、彼我の速度に差は生じない。彼はパエルよりも遅くない。干渉拒絶は発生しない。

 関節の構造は、人体と大差ないようだった。

 金剛身法(ゴンゲン・スタイル)により増幅された筋力で捩じ上げれば、ぶちぶちと腱の、続いてごきりと骨の外れる音がする。


「──ッ!!」


 声にならぬ苦鳴。

 吠えながらバエルは、オショウを振り落とさんと暴れ馬の如く跳ね回る。しかし、できたのはそれだけだった。得物を失い、腕を封じられ、その背の上は、獣の四肢の攻撃範囲外である。

 そして魔族の我武者羅な暴れ回りにより都合のいい方角を得た瞬間、オショウが迦楼羅天秘法ヴァーハナ・スラスターを起動した。生じた爆発的な推力により、オショウとパエルは船体の大穴から空へと躍り出る。

 船壁を抜けて視界が広がり、船に並走して飛ぶ小型脱出艇が目に入った。風防などないその機体から身を乗り出し、気流に踊る髪をそのままに霊術印を結ぶのは、他ならぬケイトの姿だ。

 陽光を反射して、彼女の左手に煌めくのは導石。オショウの首飾りと共鳴する宝玉が、指輪の格好でそこに()まっていた。

 オショウが彼女の働きを認識していたように、彼の苦戦をケイトは見ている。故に彼女はオショウの退路を設ける手段を思案し、実行したのだ。

 詳細な位置情報の把握による、オショウを射線から外しての霊術砲撃。それこそが先の閃光の正体であった。


 ──此度(こたび)もまた、救われたか。


 思いながら、オショウは迦楼羅天秘法ヴァーハナ・スラスターを連続起動。彼とパエルの体は下方へ、地表へ向けて加速し加速し加速する。


「貴様、何を考えているッ!」


 想像の埒外の行為に、魔族が悲鳴じみた声を発した。

 パエルは飛翔能力を備えている。本来ならば、落ちて死ぬなどあり得ぬ話だ。しかし後背(こうはい)のオショウが、その発揮を許さない。

 これでは。このままでは。

 その背を冷たいものが走り抜けた。

 自身と同速を保つオショウと、待ち受ける大地とに挟み込まれればどうなるか。結果は明白だった。干渉拒絶どころではない。


「ま、待て。やめろ! やめ──!」


 必死に身を(よじ)るが、それが何ほどの役に立とうか。オショウの拘束は万力の如く緩まない。


「尊公は我らを落としに来た。ならば、落とされる覚悟もあるのだろう?」


 オショウにしてみればこの落下は、やや長い(・・・・)投げ技の滞空時間でしかない。

 パエルの絶叫が長く尾を引いて流れ──やがて、ふつと絶えた。

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