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剣には剣を

 テトラクラム城壁内、クランベル私邸。

 そこでカナタとラーフラを迎え、顛末を聞き及んだイツォル・セムの消沈は著しいものだった。

 ラーガムに暮らした頃は聖剣の介添え人として、彼女の姿は常日頃、影のようにカナタと共にあった。だがテトラクラムに移って以降、ふたりには別行動が増えていた。新設都市で次々と持ち上がる問題に、手分けして対応せねばならなかったのも無論ある。だが何よりの理由は、セム家の家伝霊術だった。

 千里眼、或いは順風耳。そう称される術式をイツォルは継承している。これにより彼女は、都市の防衛に当っていたのだ。

 カナタとラーフラという屈指の(つわもの)を有するとはいえ、テトラクラム自体の守りは薄い。ゆえに彼女は、界獣をはじめとした危難をその耳目により早期に察知し、少ない手札を最大限に活かせるよう務めていたのである。


 毛ほどの懈怠(けたい)もなく全周囲に細心を払わねばならぬのだから、これは当然、やすりがけのように精神をすり減らし続ける仕業に他ならない。

 カナタの諌めも聞かずイツォルは昼夜探査を続け、限界が訪れる直前にようやく後事を託して糸が切れたように眠る生活を続けていた。この頃は哨戒網も構築され、負担も軽減されつつあったが、いささかならず完璧主義で心配性な彼女は、このあり方を改めようとはしなかったのだ。

 カナタたちふたりの朝稽古の時間は、そんなイツォルが最も気を緩める頃合だった。都市の最大戦力が、城壁のすぐ傍で活発に活動しているのだ。如何なる事態にも対処できようと考えて無理もない。

 ウィンザー・イムヘイムの奇襲は、彼女のこの油断を狙い澄ますが如きものであった。


「ごめんなさい。わたしが、ちゃんとしていたら……」

「断じて、イっちゃんのせいじゃないよ」


 俯くその頭を、なだめるようにカナタが撫でる。


「君がどれだけ頑張ってるか僕は知ってる。だからもし君を咎める人がいたなら、必ずこう尋ねるよ。『貴方はその時、何をしていたんですか』って」


 ひとりが何もかもを背負う必要なんてない。それは間違ったことだとカナタは信じる。

 もし仮に皆を救う英雄がいて、誰も彼もがその人に縋り、頼りきりでいたとする。万一彼が挫けたその時、一体誰がこの英雄を救うのだろう。孤立無援の心を思うと、カナタは慄然とせざるをえない。



「今度のことだって、僕がもっと強かったらよかったんだ。そうしたら、全部笑い話にできたんだから」

「それは、何か違う」

「うん、かもしれない。でも同じくらい、イっちゃんが自分を責めるのも違うって僕は思うよ」


 自分には彼女がいてくれた。そのことを幸運にも幸福にも感じつつ、カナタは彼女の頬に触れる。そっと、支えるようにして上向かせた。仰ぎ見たイツォルが、ゆっくりと瞬きをする。


「無粋は承知だが、そろそろ構わないだろうか」

「……あ」

「……失礼しました」


 咳払いで我に返り、ふたりはさっと離れた。顔を赤らめたまま、早足に食堂へ向かう。

 彼ら三名がクランベル邸で朝食を取るのは、既に常のことだった。

 その存在を承知の上でやって来たとはいえ、魔皇を恐れる向きはテトラクラムにはまだ多い。カナタとラーフラの稽古やこの朝食会は、この種の恐怖と忌避を和らげるべくのアピールを兼ねたものだった。

 カナタほど魔皇に対して割り切れないイツォルは反対を示したが、『このままじゃ、この都市は魔皇と馴染めないままになってしまうんじゃないかな。相容れなくても信頼して信用できる部分や落としどころは、きっとあると思うんだ。それに皆が彼を怖がるのは事実だけれど、同意する人が多いからその意見が正しいだとか、そういうのは、なんかね』と諭され、これを容れている。

 ラーフラも対外的な配慮を踏まえてか、否やを唱える節はない。

 カナタはこれを自分たちへの配慮と受け止めているが、イツォルは密かに違うのではないかと考えていた。

 観察を続けるに、この魔皇の倨傲(きょごう)めく振る舞いには、どうも人間臭いおかしみが匂う。実のところ、ひとりの朝餉を味気なく感じるというのが正直なところではないかと勘繰らなくもない。

 憶測の真偽はさておき、この食卓こそが、現状テトラクラムの最高意思決定機関であった。


「言うのが、遅れたけれど」


 着座して、まず口を開いたのはイツォルだった。


「あなたには感謝を。カナタを助けてくれて、ありがとうございました」


 合わせてカナタが改めての礼を述べ、ラーフラは煩わしげに半眼を作る。


「私の住環境に関わることだ。もし君が死に、代わりに例のアレが管理者としてやって来たでは目も当てられまい」


 言い捨てながら匙を取り、無作法にもくるりと指先で回転させた。

 領主の食卓といえども、贅沢な品が並ぶではない。卓上にあるのは、シチューめいた汁物の深皿ひとつきり。特に名のある料理ではなく、単なるごった煮である。テトラクラムの食糧事情はまだよろしくからず、少しでも腹に貯まるこうした調理が主流だった。


「そんなことより、どうするつもりだ?」

「ロードシルトの件ですね」


 話題を転じる魔皇の言いに、カナタが憂慮の面持ちをする。

 投げ渡された書状に記されていたのは、イムヘイムが申し伝えた通りの招待だった。

 剣祭――文字通り剣士のみに対象を絞った武技の祭典である。

 一見、クランベルの聖剣に敬意を払い、魔皇を捕えた功績を称揚するかの催しだが、実情は異なろう。公衆の面前で子飼いであるイムヘイムにカナタを破らせ、彼とテトラクラムの声望を殺ぐ目論見に違いなかった。

 おそらく試合形式はロードシルトの恣意によるものとなっている。カナタとイムヘイムとは必ず決勝で当るよう仕組まれるはずだった。

 そもそも聖剣は上位魔族の干渉拒絶対策としては最上位の部類だが、対人において殊更優れる術式ではない。カナタ・クランベルの技量もまた同様だ。一流の範疇ではあるが、屈指と呼ぶには少々足りぬ。あの我法使いのように場数を踏んだ剣士ならば、十分に真っ向から打倒可能なものなのだ。

 

 そしてウィンザー・イムヘイムの存在は、異なる方角の危惧をも増大させている。

 法に至った者はおおよそ、高い戦闘能力を備える。だが皇禍に際して、彼らが用いられた試しはない。

 理由は、我法使いたちの性状にあった。

 社会通念を理解し、金銭のような価値観を共有しながら、しかし彼らは己の法を至上の価値として置く。外見(そとみ)からは窺い知れぬその形に抵触すれば、誰であろうと一切の躊躇なく殺戮してのけるのだ。

 導火線のない爆薬を懐に抱えるようなものだった。信頼関係の築きようもなく、組織立った行動は到底望むべくもない。

 では刑罰や人質といった手段での強制はどうかと言えば、これもまた無益だ。自由意志に拠らない我法は、その作用を著しく減じてしまう。戦力とした求めた牙を引き抜くようなやり口で、つまりは愚の骨頂である。斯様に我法使いとは扱いにくい。

 だというのにイムヘイムは、やや破綻しつつもロードシルトに従順なのだ。よほど強力に目的が合致するに相違なかった。ロードシルトの示威やカナタへの牽制といった当たり前の理屈には留まらない、もっと深い企てが横たわると見るべきだろう。

 無策に誘いに乗るのは、斯くも剣呑な敵の腹中へ自ら踊りこむようなものである。


 だがだからといって、拒絶は下策だった。

 初手からしてこのやり口なのだ。カナタを舞台に引きずり出すためならば、ロードシルトは手段を選びはしないだろう。魔手は次こそ、戦う力のない者を選んで襲うに違いなかった。

 加えて、クランベル本家からの横槍も避けられまい。事実本家よりの書状には、セム家を圧迫する旨を匂わす文言(もんごん)が記されていた。

 無辜(むこ)の人々に、そして彼女に万一があったなら、カナタとしては悔やみきれない。


「僕は行くべきだと思うし、行きたいと思います」


 カナタの参加とは、即ち都市防衛力の低下である。また、三ヶ国の民衆に顔を知られていないとはいえ、ラーフラはおいそれと連れ回せる存在ではない。当然テトラクラムに残す以外の選択肢はないのだが、そうなれば都市の住民は強い不安を抱くだろう。

 その点は理解しつつ、カナタの目はラムザスベル行きの利に着目している。

 まず第一に金銭。

 優勝者には半分殿――ロードシルトに叶う限りの金銭を贈るとの言いがある。テトラクラムにとってその財貨はまたとない福音だった。

 第二が情報。

 ラーガムはかつて、大樹界奥地へと探索の手を伸ばしている。この折に部隊を率いた人物こそがグレゴリ・ロードシルトなのだ。クランベル本家の干渉によりカナタには閲覧できないままの知識が、彼との接触で入手できる可能性があった。

 そして第三は雪辱だった。

 これはカナタにしか益のない、利と呼ぶにはいささか躊躇するものだ。

 だが最も根本的な部分。聖剣だの政治だの、それどころか剣士としてですらない、(いとけな)い少年の部分で、彼はイムヘイムに勝ちたいと願っている。

 言ってしまえば、つまらない見栄と意地だ。

 だが負けたままでいられなかった。無様を見せただけで終わりたくはなかった。


 かつて魔皇に挑んだ折の、ケイト・ウィリアムズの姿を思い出す。

 百鬼万怪と対峙する横顔に、恐れの色は少しもなかった。恬然(てんぜん)と、透き通って笑んですらいた。

 けれどオショウが現れたその時、彼女はふっと()のままの、少女らしい表情を見せた。変わらず絶体絶命の窮地にあって、ケイトが浮かべたのは(しん)からの安堵であり、安心だった。オショウに対する、揺るぎない信頼の産物に他なるまい。

 あの時から、カナタは隔絶した強さに憧れている。せめて好いた人の不安を拭えるようになりたいと望んでいる。

 だからこそ剣には剣で、自らの手で恥を雪ぎたく思う。


「……」


 けれど幼馴染をちらりと見やれば、面持ちには判断を迷う色があった。己の未熟がもたらす惑いだろうとカナタは受け止め、同時にふと考える。

 もしも、自分が法に至れたら――。


「やめておけ」


 過ぎった了見を妨げたのは、見透かした魔皇のひと声だった。

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