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子犬と啓蒙

 アプサラス王宮、謁見の間。

 執務にひと区切りをつけたタタガタ・アプサラス・マハーヤーヤナ六世が、わずかに目線を上げた。天井を透かし、束の間遠い空を眺めるようにする。


「間もなく、ラムザスベルに到着する頃かと」


 一瞬の所作から読み解き、近習が囁いた。マハーヤーヤナは軽く顎を引いて応じる。


「本当によろしかったのですか、陛下」


 やり取りから王の心の在り処に見当をつけ、貴族のひとりが声を上げた。


「ご存知にあらせられましょうが、ラーガムのロードシルトにはよからぬ噂がございますぞ。ケイト・ウィリアムズとテラのオショウは今や我が国の権威の象徴。迂闊にラムザスベルに送り、万一事あらば……」

「くどい」


 先を語らせぬ鋭さで、マハーヤーヤナ六世が斬り捨てる。冷たい眼差しに一瞥され、貴族は喉の奥で声を凍らせた。

 まるで両名の身を案じるかの如き言いざまだが、実情が異なることを王は知悉している。たとえばこの貴族は、生まれたばかりの我が娘とウィリアムズの長男との婚約を結ばんと企てている。つまりは理解の及ばぬもの、恐ろしく感じるものを目の届くところに置き、味方として安堵を得たいだけなのだ。


 不快を面には出さず、けれど王は胸中で嘆息した。

 そもそもこうした政治に巻き込まぬべく、ウィリアムズにはアンデールを領土として与えている。だというのに、その意味を解さぬ輩が多すぎるのだ。

 王都よりほど離れたかの土地は、珍しくも森に沿わぬ都市である。どころか大樹界との間に王都アプサラスを挟み、界獣の脅威から守護されていた。領内には豊かな山野と大河の恵みを抱え、牧畜にも耕作にも向いた土地柄で、上質の茶葉やパケレパケレの毛織物の産地として名高い。

 斯様に生産都市の側面を持ちながら、アンデールの税はひどく軽かった。安全の対価として金や物資を捧げるではなく、むしろ逆に手厚い支援を受け、人口は少ないながらも最も豊かかつ幸福に人が暮らす都市として知られている。

 これらは国策によるものであるが、根本に横たわる理由は非情なものだ。

 言うなれば、全ては領主たるウィリアムズのご機嫌取りである。

 確定執行のウィリアムズ。

 己の命を代償として、如何なる霊術式をも必ず執行してのける一族は、そのように通称された。彼らに期待される役目とは、この特性を活かした魔皇の撃滅である。

 魔皇と五王六武なる上位魔族は、人類の攻撃を無効化する強力な干渉拒絶を備えるのが常だ。だがウィリアムズの異能を以てすれば、これらをただ一撃で打ち滅ぼすことが可能だった。

 無論、命を(なげう)っての刺し違えである。覚悟とは外より強要できるものに非ず、よってウィリアムズには、躊躇いなく死んでもらう必要があった。

 そのために、アンデールは笑顔と優しさに溢れる幸福な都市となった。

 確定執行の血族に、人を愛してもらうべく。生贄として道を、自ら望んで選ばせるべく。

 ウィリアムズの心の拠り所として、慈しみに満ちた偽りの楽園として、この都市は計画的に構築されたのだ。自分たちの役割こそ知らず、領民たちも国により霊術的に善性を確かめ移された者ばかりだった。


 よって元来、政争の汚臭はこの地に持ち込むべきではないのだ。

 如何に初代が高潔な志を持とうと、権力と交わり代を重ねた人間は必ずや堕落する。これはクランベルの例を見るまでもなく、鏡を眺めれば明らなことだ。

 だがこうした実利面からのみならず、マハーヤーヤナは貴族らがケイトに関わることを厭うていた。

 人類の存続を思うなら、アンデールという都市の機能は許容せざるをえない部分がある。それゆえに、私的な感情を入り混ぜる余地はないと黙認してきた。しかし皇禍を乗り越えた今、まだあの娘を我欲に利用しようという目論みを抱く存在は看過しかねる。

 あれは至極よい娘だ。命を救われたからばかりでなく、王はケイトを高評している。叶うなら、ぼんくら息子いずれかの嫁にと望んでいたところだ。けれど風通しのよい野に咲く花に宮廷という花瓶は息苦しかろうし、何より娘の隣には、テラのオショウがいた。


「悪しき風聞あらばこそ、ウィリアムズにその真偽の探りを託したのだ。間者の振る舞いを為すとはいえ、いざことあらば身の上を明かせばよい。耳目ある場で名が通り過ぎたがゆえの変名であると申し開かば、如何なロードシルトとて強くは咎められまい」


 おためごかしを切り捨てじろりと()め渡すと、居心地悪く幾人かが身じろぎをする。


「何より、両名は魔皇を縛すほどの(つわもの)なるぞ。身命に幾許(いくばく)の不安があろうか」


 告げながら、自身の牽強付会に王は心中だけで苦笑する。

 グレゴリ・ロードシルトはかつては大型の界獣退治で知られた英雄だ。半分殿とも称されるやり手であり、ラーガムの王すら、彼の意向を無碍(むげ)にできぬと聞く。

 その剣呑な男が魔皇打倒の直後より蠢動し、いち早く剣祭なるものを催したこと自体が訝しいのだ。

 海路空路に我が船を手配し、各地より人を呼び集めるというのはいい。自領への経済効果を見越すのならば当然の動きだ。だが見物の多さを、延いては催しの盛大さを口実に、魔皇と関わった人間をひとところに集めんという意図がその裏に透けていた。


 現在、ラーガムと大樹界の境界に所在する魔皇は、人類に膝を屈した体裁である。

 だが実際のところ、魔皇ラーフラを御するのは人類ではなくアプサラス、より詳しく言えばテラのオショウである。

 具体的にどのような企みを(いだ)くかまでは窺い知れぬが、この招待はオショウを自陣に引き込ももうという画策ではあるまいかとマハーヤーヤナは見ていた。王家を通さずウィリアムズと界渡りに直接のアプローチをするのだから、勘繰らない方がどうかしている。

 戦歴を手繰れば、グレゴリ・ロードシルトとは幾重にも周到を巡らす人間だ。事を起こす段に至り、つまらぬ言い抜けを許すとは到底に思えない。万夫不当の勇士が奸智の毒に倒れる例など、古来掃いて捨てるほどにある。ケイトとオショウに千慮の一失が生じる可能性は、ごく低いとはいえ否めなかった。

 それでも王がふたりを送り出した主たる理由は、甚く私的なものである。




『わたくし、オショウさまに世界を見ていただきたいのです』


 招待状を手に直談判にきた娘は、そう言って微笑んだのだ。

 ウィリアムズの人間は、ひどく透明に笑う。家訓として、平素より死を意識するためだ。ケイト・ウィリアムズ自身のそうした笑顔を、皇禍の折にマハーヤーヤナは目にしている。それは自棄(じき)とは異なるが、常人の心地からは、やはり逸脱する境地だった。

 けれどこの時、彼女が浮かべたものは違った。それは年頃の娘らしい、ものやわらかな微笑だった。


『オショウさまにとってここは別世界。文字通りの新天地です。なのに魔皇様とのことが終わったらアンデールに篭りっぱなし、というのは勿体無いと思いますの。だから絶対、ぜーったい、オショウさまは見聞を広めるべきですわ。ご自身で見て、聞いて、確かめて。それからちゃーんと、わたくしたちを好きになっていただきたいのです!』


 ぐっと身を乗り出した娘は、そこで優しく目を細める王に気づいて居住まいを正す。


『……失礼いたしました、陛下。わたくし、また先走ってしまいましたわ……』

『いや、よい。お主の心根はよくわかった』


 選択肢が狭められていると、彼女は感じているのだろう。

 界渡りたるオショウは、こちらについて多くを知らぬ。ゆえに彼が今アプサラスにあるのも、吟味しての結果ではない。ただ召喚者たるケイトにつき従い、慣性と惰性で腰を落ち着けたのに過ぎないと、この娘は考えているのだ。

 だから世界を見せたいと思い、多くを知ったその上で、自分の隣を選んで欲しいと願う。

 欲しいならば、必要ならば、無知のまま飼い殺せばよい。アプサラスが、ウィリアムズにそうするように。けれど彼女はそれを決して望まぬのだった。

 (いとけな)い自己満足だが、しかしこれがマハーヤーヤナの良心を呵責した。

 ケイト・ウィリアムズこそ、選択肢のなかった人間である。国のため人のためにという名目で、否応なく性質を歪められている。それでいてなお、この娘は人のあり方を憂えるのだ。

 もし旅路の果てにオショウが別離を選ぶなら、彼女はきっと、その背を笑顔で見送るだろう。そうして誰にも涙を見せずに、ひとりきりで泣くだろう。


『なんとも、優しいことだ』

『はい!』


 囁くように王が言う。するとケイトは謙遜からの否定をせずに、はにかみながらも胸を張った。


『父より申しつけられておりますの。界渡りの客人(まれびと)は孤独で心細いから絶対親切になさい、と』


 それから悪戯を見咎められた子供のように、ちろりと小さく舌を出す。


『わたくしの場合は、その、もう少しばかり私情もございますけれど……』


 私人としては共感しつつ、第二の天性たる王の部分で打算していたマハーヤーヤナを、この仕草が打倒した。彼は破顔し、過日の褒賞では魔皇征伐の功に報い切ったとは言えまいと理屈をつける。

 こうしてケイト・ウィリアムズにラムザスベル探索の王命が降り、彼女はオショウと共に、アプサラスを発つ運びとなった。



 

 アプサラスの切り札となる英雄ふたりをうかうかと領外に出すなど、無論沙汰の限りである。

 突発的な差配に反対意見は続出した。だが王は、かつてない強権でこれを撥ねつけた。

 ケイトたちを出立させる、方便としての面はある。けれどのみならずで、ロードシルトは探っておくべき相手であった。人類が意志を統一し、魔皇の助力すら得て大樹界を拓こうという大切な時期なのだ。

 千載一遇の好機に際し、目論見定かならぬ不安要素の混入は好ましくないとマハーヤーヤナは考えている。もしロードシルトが、聖剣をはじめとする英雄たちや魔皇への二心(ふたごころ)(いだ)くならば、早急(さっきゅう)に突き止めて除くべき害悪であろう。

 一抹の不安があるとはいえ、その点において、アプサラス最大戦力の派遣は誤りでないはずだった。

 特にオショウは、魔皇を上回る猛者と聞く。彼らふたりに為しえねば、他の誰にこの探りが叶おうか。


 もっとも、とマハーヤーヤナは、今度は顔に出して苦笑した。王には稀有な感情の発露に、近習が軽く目を(みは)る。

 実利のみを追い求めるなら、もう少しやりようはあった。たとえば旅の経路だ。ケイトの望んだ陸路ではなく、船で空路を行かせれば、そのぶんだけロードシルトを探る時間は増したろう。

 だが速度は世界を縮めれど、同時に味気なくもする。

 結局のところ、彼女に旅路を許したは、王の親心に似た自責なのだ。オショウばかりでなく、あの娘も世界を広く見知ればよいとマハーヤーヤナは思う。結果、アプサラスが彼女を失うこととなろうとも。彼は笑って、その門出を見送るだろう。

 もう一度天井を仰ぎ、遠い空の下にあるふたりを思った。

 彼のためにと、彼女は言った。

 だがこの旅がケイトのためともなることを、王は願ってやまぬのだった。

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