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余禄の歩み

 最早伏せるまでもないことだが、フェイトとラカンとは世を忍ぶ仮の姿である。

 その真の名を明かすなら、娘はアプサラスのケイト・ウィリアムズ。男は――生まれを先に置くこちらの流儀に則れば、テラのオショウという。数ヶ月前に起きた皇禍に際し魔皇を捕縛し、人の側を勝利に導いた立役者たちだった。

 ふたりの名は、通信技術の立ち遅れたこの世界においても広く知れ渡っている。名乗れば(かた)りを疑われるのは必定で、偽りの身の上と姓名は、余計な軋轢を生じぬためのひと工夫だった。肖像画以上に顔形(かおかたち)を伝えるものがないからこそできる粗い仕業だが、幸いにもそれなりに機能する様子である。

 けれどそもそもからしてケイトは詐称の効能に関してはさして頓着しないようだった。それでいて頑なに演技を貫くのは、おそらく気のおけない同士で共有するこのちょっとした秘密に愉快を覚えるからであろう。


「小休止になるでしょうから、ゼンモンドーの続きをしましょう。ね?」


 一足早く腰掛けたケイトは、自分の隣の空席をぽんぽんと叩く。

 界獣の解体は、本来ならば手早く完了すべき事柄だ。欲をかけば闘争の音と血の匂いが、新たな獣を招きかねない。だがオショウを擁するこの一団にしてみれば事情は異なる。加工可能部位を丁寧に、そして徹底的に回収しても、安全は保障されているようなものなのだ。目先の金に固執するのは商人として二流だが、しかし拾って損のないものを捨てる人種が、そもそも生計(たつき)として商いを続けはしまい。交戦後の解体は自然ある程度の時をかけたものとなり、ケイトの言う小休止とは、つまりこの作業のための行軍停止を指していた。

「うむ」と乞われるままに着座をし、オショウはわずかに眉をひそめる。

 ケイトが求める禅問答とは、元来答えのない問いだ。正答を当てることが本意ではなく、その事柄について深く思考を巡らすこと自体を主眼に置くものである。会話の拙いオショウが話の接ぎ穂として説いたこれを、彼女は愉快な謎かけと理解したようなのだ。自分の舌がよろしからぬのも一因だろうが、なんとも困った誤解である。

 が、もとよりオショウは異類中行(いるいちゅうこう)――俗世に身を投じ周囲を導く御業を志すではない。己が器の矮小は、自身が最もよく把握している。ならば己にとっての禅問答が、ケイトと子供らを楽しませる遊びであってもよかろう。それ以上の働きを求める必要がどこにあろうか。

 この旅路と同一である。

 ケイトとオショウの道行きは、一応ながら王命を受けてのものだった。しかし本来の目的から逸れて、旅路はひどく愉快なものだった。オショウの主観では娯楽にほど近い。

 駐留基地と艦内、そして宇宙の漆黒ばかりを見て育ったオショウにとって、この世界はほぼ全てが新奇だった。どの光景も驚きに溢れている。

 無論、彼とて既に数ヶ月をウィリアムズ領で過ごした身だ。こちらの暮らしを少しは体験してもいる。だがそうして聞きかじった知識がために、衝撃はより鮮明になったとも言えた。或いは道程で、或いは訪れた先の村々で見知る様々は、わずかに土地を渡るだけでこれほど風俗が変わるのかと彼に目を(みは)らせ続けている。

 寸暇を惜しんだ魔皇征伐の折とは異なり、この度はケイトの記憶転写も受けていないのも大きいだろう。彼は全てを直接、自らの目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、肌で感じた。

 体感と実感はオショウに世界と接続する感触を与え、未知を既知とする過程は、好奇心と探究心を大いに満たした。そのように本分とは関わりない振る舞いを満喫する余裕が、今の彼にはあったのだ。

 禅問答が菩提の手段ではなく、楽しみともなるように。

 目的地へ向かう途上の景色が、心を潤しもするように。

 ひとつのことが、ただひとつの用途に縛られるとは限らない。

 同じ(しとね)に眠ろうと異なる夢を見るのが人だ。その数と同じだけ正答があり、可能性がある。

 であれば、いつか。戦うより他の能のない己にも、某かの道が見出せもしよう。

 思いながら、ケイトを見やる。

 彼女だった。死に瀕した己を救ってくれたのも、この旅路へ(いざな)ってくれたのも。

 視線を察し、きょとんと首を傾げる娘に(かぶり)を振った。そのまま、この豊かな旅の始まりを思い出す。




 その日も、オショウは苦戦の最中(さなか)にあった。

 連日彼に苦渋を舐めさせ続ける敵手の名を、パケレパケレという。黒を基調とした体毛を持ち山間に育つ、大型の草食動物だった。

 彼らの性状はオショウの知る羊と似る。肉と乳は加工されて食卓を賑わし、毛皮は織物に、紙にと利用されて捨てるところがない。また人間の容貌を記憶し表情を読むほどに知恵があり、群れを成す志向が強いため、上位者として認知されれば昼の野飼いと夜の収容を繰り返すも容易い牧畜であった。

 けれど彼らの賢しさと認知が時として問題を生む。もしも侮られてしまうと、上下の評価はなかなかに覆せないのだ。

 一度下に見た相手の命など、無論パケレパケレたちは聞かない。となれば群れの上位に当たる個体をどうにか動かし、全体を従わせる他ないのだが、成獣ともなればこの獣の体高は大人の頭をゆうに越える。力づくで従わせるのは至難の技であった。

 そして、この一種の詰みの状況に嵌ったのがオショウである。

 ケイトとその弟がついて仕事を教えた数日はよかったが、以来僧兵は彼らに舐められたままであった。どう指図しようと、パケレパケレが彼の要求を容れたことは一度もない。どころかおしくら饅頭のように、その巨体を摺り寄せてくるありさまである。これは温厚な彼らが唯一、群れのうちで争う折に見せる行動だった。押し合って押し倒し、分不相応な振る舞いをした個体を戒めようという懲罰行為である。

 が、下手をすればトン近い力を加えられながら、オショウは根が生えたように動かない。それを見た他のパケレパケレが加勢に駆けつけるのだが、やはり僧兵は微動だにしない。最終的には入れ替わり立ち替わりに四方八方からもこもこと押し続けられ、立ち往生するのが日常だった。


『甘やかすばかりでは駄目ですわ、オショウ様。時にはがつんといかなくてはなりません。がつんと!』


 などと、手伝いに来たケイトは笑う。言いながら彼女が一頭の尻を蹴ると、草食動物たちはオショウを捨て置き、大人しくその背に付き従うのだ。唸って見送るしかない仕業である。

 或いは姉と一緒に、或いは交替で様子を見に来るケイレブは、僧兵の無能に殊更批判的だ。


『なにだらだらやってんだ! 子供にもできる仕事だぞ!』


 巨大な毛玉めいてオショウを取り囲むパケレパケレたちを、棒で追い払いつつ辛辣を告げる。至極尤もであるから、オショウとしては同意に唸るより他にない。


『やめなさい、ケイレブ。オショウ様がへこんでいらっしゃいますわよ』

『へこませとけ! どんだけの武働きがあったか知らねーけど、現状ただの無駄飯ぐらいじゃねーか!』

『やめなさいと言っているでしょう! 御顔を御覧なさい。わかりにくいですけれど、オショウさま、本気でへこんでいらっしゃいますわよ!』

『いやわかんねーよ!』


 姉弟の諍いの種となった身としては仲裁に入りたいところだが、口の上手くない彼に機微を読めというのがまず難題だ。どうしたものかと沈思するうち舞い戻った草食動物にまた押され、途方に暮れるばかりである。パケレパケレの世話より魔皇を殴る方が簡単だとは、彼にとっては至言であった。

 それでも、当初に比すれば現状は改善されたのだ。

 やがてオショウにも、群れの最上位個体の見極めがつくようになった。一際に黒い毛並みを誇り、最も体躯に秀でた一頭がそれだ。パケレパケレたちには上位者について歩く性質があるから、これが放牧地へ赴けば、他は皆後に従う道理である。

 よって彼は、この個体を肩担ぎして山を登ることにした。不満めいた鳴き声を上げつつではあるが、目論見通りパケレパケレたちは僧兵の背を追ってくる。うむ、と満足げにオショウは頷いた。すれ違う誰もがぎょっと目を見開いていたのは、ようやくに仕事を果たせるようになった己への驚きであると彼は信じて疑わない。

 リーダー個体を下ろした途端に一層激しいおしくら饅頭を受けるのと、行き帰りの刻限になるとそのリーダーが逃げ回り、群れが彼を守る如くに壁を作り始めるのが目下の悩みだが、今後折に触れて威厳を示さば、きっと緩和されるところであろう。

 そう考え、彼らと親しむべく草を食むところへ寄るのだけれど、いずれも逃げるように遠ざかるばかりである。

 追っては逃げられの悪戦苦闘を繰り返し、他者と心を通わせるのはやはり困難だと達観したところへ現れたのがウィリアムズ姉弟だった。


「オショウさま、オショウさま。わたくし、陛下から新たな役目を仰せつかりましたの。またご助力願えませんですかしら」

「駄目だ! 駄目だって言ってるだろ!」


 軽やかな足取りで駆け寄りつつ姉が言い、追いすがる弟がその腕を掴んで邪魔を企てる。

 この数日、ケイトは所用で領地を空け、王都へと赴いていた。役目とはそこで言いつかったものであろうかと、オショウはゆっくり瞬きをしながら思う。


「実は先だって、ラーガムのロードシルト様から招待状が届きましたの。わたくしとオショウさま宛で、今度催す剣祭を是非見に来て欲しいとのことでした」


 グレゴリ・ロードシルトはラーガムの領主である。「半分殿」と通称される男で、有数の大都市たるラムザスベルを本拠とし、国の内外に大きな影響力を備えた人物だった。異名の所以が国の半分の富を蓄えるがゆえであると語れば、その財力のほどが知れよう。

 剣祭とは彼が開催する闘技であるとのことだった。その名の通り出場を剣士に限って競わせ、優勝者にはロードシルトに叶うだけの財貨を与えるとの触れ込みである。得物を剣と限定するのは、聖剣を擁し、刀剣を武器として特別視するラーガムの気質ゆえだ。


「なんでも魔皇様をやっつけたお祝いだとかで、カナタ様も出場なさるそうですわ。なのでオショウさまさえよろしければ、と思ったのですけれど……」


 ケイトはそこで言葉を切って、オショウを見やる。

 魔皇征伐に際し、アプサラス所属となるケイトとオショウの両名が凄まじい働きをしたとは周知である。そこを考慮するならば、これはただの招待ならず、国の動きが絡んだものに違いなかった。


「以前も申し上げた通り、わたくしは政治のわからない田舎娘です。なので、わかる方に行ってもよいか訊いてまいりましたの」


 言外に匂わせたものを僧兵が理解するのを見届けてから、彼女は話を継いだ。軽い言い口ではあるが、流れからして尋ねた相手とは、まず間違いなく一国の王である。


「いくつか条件を加えられましたけれど、最終的にご許可を賜れましたわ。なので!」


 そこで両手を広げ、彼女はくるりと一回転した。


「ラムザスベルへご一緒しましょう、オショウさま!」

「ふむ」


 返答を保留するような唸りであったが、オショウの中では興味が蠢いている。

 憎愛からでも欲得からでもなく、ただ純粋に技と力を競う楽しみを先の魔皇征伐の折に彼は学んだ。

 衆生のために用いるべき武を己の愉悦に転化するのは、僧兵として堕落であろう。だがただ先を取り機械的に屠殺するのではなく、拳と心とを交わし相互に昇華を重ねゆくのは、拈華微笑(ねんげみしょう)に通ずる以心伝心の形であるとオショウは思う。

 ゆえに他者の技量の研鑽をとくと眺めるという行為は、特にあの聖剣の担い手がどう成長を遂げどうした技に至るのかを見られるという期待は、彼の食指を動かすに十二分だった。


「だーかーらー、いい加減聞けよ姉ちゃん! 姉ちゃんが遊びに行くのはいいけど、勝手にオショウを連れてくな!」


 そこへ再び、ケイレブが割り込んだ。「あら」と眉を寄せてケイトが弟に目を向ける。


「勝手ではありませんわ。オショウさま、ちゃーんと乗り気でいらっしゃいますもの」

「でも、オショウはオレの子分だぞ!」

「うむ……?」

「いいえ。オショウさまはわたくしのです」

「……うむ」


 埒が開かぬと見たケイレブは、姉の傍を離れるとオショウに寄ってばんばんとその背を叩いた。


「オショウもぼさっとしてないで、なんか意志表示しろよ!」

「やかましいですわ」

「あいた!?」


 ケイトの爪弾きを受け、ケイレブが額を抑える。姉弟の力関係は、姉が大分優勢であった。


「……ねーちゃんの阿呆! クソ喰らえ!」

「また、そんな悪い言葉を使って!」


 説得を諦めたらしい弟がせめての腹いせに個人攻撃を開始し、姉が姦しく応酬する。

 仲睦(なかむつ)まじい喧嘩のさまを眺めつつ、その時オショウは思ったのだ。

 魔皇征伐のために呼ばれたのが己である。それを果たした以上、後のことは余禄に過ぎまい。ならばこの娘の望みに望まれただけつき合って、悪い道理はないはずだ、と。

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[良い点] >>ツルモン・ドゥーヤを納める織物師の家 ここで吹いたwww ・・・あと何年通じるかな・・・
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