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後編

※※※※



昨日はいささか飲み過ぎた。

気が付いたら自宅のベッドで寝ていたが、どうやって帰って来たか覚えていない。


俺だって酒に強い方なのだが、あの女、どんだけ底なしなんだ。



明朝、軽い二日酔いにこめかみを揉みながら総務部に向かって歩いていると、後ろの廊下から慌ただしい気配を感じ後ろを振り返ろうとした瞬間、肩を掴まれた。


「高野部長! ちょっと会議室に来てくれ!」


経理部長の木村が、青白い顔で俺に話しかけて来た。




「・・・? 不渡りだと??」


朝、銀行から不渡りの連絡があり、木村が確認すると、昨日やっとのことで準備した金が口座から消えていた。

そして、社長の吉越と連絡が取れない。


経理部の木村は、今回のことと合わせて、実は以前からいくつか不明な資金の流れがあると報告した。

まだ、検証がとれていない為俺に報告を上げていなかったそうなのだが、どうやら吉越が関係した客先で度々起こっているらしい。


今までの使途不明金と今回の口座から消えた金、行方不明の吉越。この状況から、吉越が会社の金を横領し、逃げたことは間違えないだろう。

すぐに警察に連絡をし、吉越の足取りについては警察に任せ、俺と木村は取引先への謝罪。今後の資金繰りの段取りなど様々な処理に追われ、気が付くとあっと言う間に一週間が経っていた。


社内ではすでに色々な噂が飛び交っていた。社員の給料の支払いも出来る状況ではなく、退職者もポツポツと出初めていた。

俺は目の前で刻一刻と変わっていく変化をを止めることが出来なかった。


どこで歯車が狂ってしまったのか。

こんな吹けば飛ぶような零細企業、どうにでもできるんじゃなかったのか?

お前の自慢の頭脳はどうしたんだ? あれ程に叩き込まれた帝王学はどこいったんだ?

しなければいけないことは沢山あるのに、何から手をつけていいのかわからない。

自分の力を過信し過ぎていた自分が滑稽で本当に情けない。

足掻けば足掻くほど、大きな濁流に飲み込まれてしまった笹船のように自分の力の無さを実感するしかなかった。



そして、一度噛み合わなくなった歯車は徐々に、でも、確実にひずみ、歪んでいく。






「部長、大変です!! 経理の木村部長が!!!」






経理部長の木村が、自宅の風呂場で自殺を図った。


幸いにも家族の発見が早く命に別状はなかったが、暫くは自宅療養となった。



木村は非常に優秀な部下だった。

俺の無茶な経営方針にも全力で付いてきてくれた。にも関わらず、俺は木村の助言には全く耳を傾けることをしなかった。

こんな若造に自分の会社を滅茶苦茶にされ、それを一番近くで見せつけられ、彼はどれだけ歯がゆい思いをしてきただろう。


木村を自殺まで追い込んでしまったのは俺だ。

俺が自分のプライドを優先したがために、人の命までも奪ってしまうところだったのだ。



もう、限界だ・・・・。


俺は携帯を取り出し操作しようとすると、突然手にした携帯が着信を告げた。


ディスプレイに表示された名前は、今正に俺が電話を掛けようとした相手だった。電話を掛ける手間が省けた・・・にも関わらず、何故か嫌な予感しかしない。

俺は手にした電話を暫く眺めていたが、ためらいながらも電話に出た。


「・・・・・はい。お久しぶりです、父さん。」


みつる。お前に縁談が決まった。』



相手は、一条いちじょう 奈緒なお。一条財閥の長女だった。

高野と比べれば規模は小さいが、日本では江戸時代から続く三大財閥の一つで、銀行・不動産・商社・百貨店・ゼネコンに至るまで幅広く手を広げている大企業だった。高野としても一条財閥と繋がりを持つことはとても重要なことだった。


だが、この縁談にはもう一つの意味があり、俺はその意味を瞬時に理解する。


一条 奈緒は今、経済界で注目されている人物の一人だった。

なぜなら彼女には二つ年下の弟が居て、本来なら男児の彼が一条家を継ぐことになるのだが、彼女には稀に見る商才があった為、ゆくゆくは彼女が一条家を継ぐことになるだろうと言うのはこの世界では有名な話だった。

そう。一条家は婿養子を探しているのだ。


つまりこの縁談は、俺が高野から見放されたことを意味していた。



仕事が忙しいことを理由にして俺は一人暮らしをしているマンションに帰ることをしなくなった。風呂も会社のシャワーで簡単に済ますだけ。服は勿論クリーニングやアイロン掛けなどする訳もなく、気が付くと頭を掻き毟っているのか髪型も乱れている。

俺の現状をそのまま表したような格好に自然と笑いが漏れる。

もう眠れなくなって何日たったか。


俺はどこで間違ってしまったのか?


もう幾度、自分にこの問い掛けをしてきただろう。


人気のなくなったオフィスで照明を消し、総務部の来客用のソファーで今日も横になるが眠気は一向に訪れない。

眠れぬ夜はやけに長く感じる。

金になる仕事はないが、要らない残務処理は嫌と言うほどある。

仕事をしよう。と体を起こした時、部屋の扉が勢い良く開き、一人の女が入ってきた。



「部長!前の約束覚えてますか!? 美味しいお酒、飲みに行きましょ!!」


この場にそぐわない明るい声が響く。

いつもは下したままの邪魔な前髪を左右に分け、妙にテンションの高い水沢が現れると、ソファーに座った俺の手を引いた。


こいつ、酔ってないか?


まあ、このまま眠れぬ夜を会社で過ごすよりはいいだろう。と、俺はその誘いに乗ることにした。



※※※※



水沢が連れて来たのは、前のにぎやかな飲み屋とは違って、各テーブルごとに個室になった静かな雰囲気のバーだった。席は向かい合わせではなく横並びで、窓に向けて設置されており、窓の外には夜景が広がっていた。


俺はこんな状況で楽しく飲む気になれなかったので、ウイスキーのロックを頼むと煽るように飲んだ。

水沢はカクテルを頼むと、特に俺に話しかけるでもなく静かに口を付けていたが、俺の飲み方を見てちょっと眉を潜める。


「部長、ここのお酒、おいしいんですよ~。 そんな飲み方したらもったいないです。」


無理やり連れて来て飲み方まで強制するのか? 

正直、放っておいて欲しかった。

俺は返事をせず、階下の光を目に映しながら店員に同じものを頼む。


今まで酒に溺れる人間の気持ちなどわからなかったが、今ならその気持ちが理解できる気がする。

早く酔っしまいたかった。もう、何も考えたくない。


その後運ばれてきた琥珀色の液体も一息で飲み干す。


「・・・ちょっと部長・・・。」


水沢は困りきった表情で横からチェイサーを差しだすが、俺は押し返し、店員にウイスキーの瓶ごと持ってこいとぶっきらぼうに言い放つ。


水沢が絶句するのを感じたが、俺には関係ない。

眠れなくなってから寝る前に飲むことも多くなったが、最近は飲んでも全く酔えない。

睡眠不足からか、慢性化している頭痛を振り払うように頭を振ってこめかみを押さえていると、突然、後頭部にガツンッっと衝撃が走った。

あまりの衝撃に目の前に星が散る。眼下の夜景とコラボしてすげーキレイだった。

俺は今の衝撃を放ったと思われる横に座る水沢に目を向ける。

彼女はウイスキーの瓶を手に持って立っていた。彼女の目はすっかり座っていた。


「私は部長に何があったかなんて知りません。言ってくれないのだから、わかりたいとも思いません。

だからって、お酒に当たるのは止めて下さい。美味しいお酒に対して失礼です!!」


水沢は店員の持ってきたウイスキーの瓶を持って俺を殴りつけたらしい。

ものすごい理屈だった。後頭部を押さえてうめく俺と、ウイスキーの瓶を持って立ち尽くす女。目の前で傷害事件を目撃して固まる店員。傍目に見たらすごい状況だろう。

警察に連絡しますか?と、店員がアイコンタクトで俺に訴えてくる。俺は首を横に振ることで店員にお引き取り願った。


しばらくは両手で後頭部を押さえて痛さに耐えていたが、痛みが引くと同時に笑いがこみあげて来た。


今、すっかり弱り果て、禿げそうな位悩んでいる俺より目の前の女は酒が大事と言う。

この、見目麗しく、神童と呼ばれた頭脳を持ち、将来年商50億を超える高野HDのトップに立つかもしれない男よりも、だ。

しかもウイスキー瓶でぶったたくなんて、なんて恐ろしい女だ。息の根が止まったらどうするんだ。

今まで受けたことのない扱いに、心底おかしくなってきた。


水沢は、蹲っていたと思ったら突然笑い出した俺を見て、だんだん心配になってきたようだ。

だいじょうぶですか?と言いながらうろたえていた。

俺は気を取り直して椅子に座りなおし、俺は彼女に対して謝罪をした。


「すまなかった。お陰で目が覚めた。ありがとう。」



俺の言葉を聞いて、水沢は顔を顰める。

殴られて「ありがとう」と言う俺の言動は、彼女の心配をより強い物にするのには充分だったらしい。

いよいよイカれてしまったのではないかと本気で心配しているのか、それともそういう性癖だと思われたか?

どちらにしろ、彼女の困りきった表情に俺の笑いのツボは心地よく刺激され、俺はしばらく笑い転げた。



笑ったお陰で、心に重くのしかかっていた霧のようなものが吹き飛んだ。

そのことにより、俺はすっかり周りが見えなくなっていたことに気が付いた。

今まで冷静に周りの状況を見てから動いていた俺らしくない。


いつものペースを取り戻した俺は、気を取り直して水沢の分もウイスキーを注ぐと、仕切り直しで軽く乾杯した。


「なあ、水沢。 お前は選択肢を間違えてしまった時、どうする?」


そう。産まれてから今までの人生の中で、無数に散りばめられていた選択肢。

俺はそれを間違えてしまったのだろう。

それは、学生時代なのか、社会に出てからなのか? 木村商事に身分を偽って入社したからか。経営方針を間違えたのか。俺が高野を継ごうと思っていたこと自体が間違いだったのか?


今まで失敗したことのない俺には、失敗してしまった後どうしていいのかわからない。

わかるのは、今更あがいてもどうにもならないと言う事だけだ。


状況も把握していないこんな小娘に聞いた所で大した答えが帰ってくるとは思えなかったが、状況を知らないからこそ、答えが見つかるんじゃないかと思っての問いかけだった。


だが、彼女から返ってきた答えは俺が考えていたものとは全く違うものだった。


「・・・・『選択肢』って間違えるものなんですか?」


水沢は、意味が解らない、と言う声を出す。


「そうだ。 お前は間違えたことはないのか?」


「ありませんよ。」


この店に来て初めて彼女の方を見た俺の視線をしっかりと見つめ返して、彼女はきっぱりと言い切った。


「選択肢自体に『正解』も『間違い』もありません。

選んだ状況を『正解』にするか『間違い』にするかは選んだ自分自身です。」


目から鱗が落ちた。と思ったのはこの時が初めてだった。


俺は彼女の真っ直ぐな視線が耐えられなくなって思わず視線を外し前を向くが、眼下に煌めく無数のネオンの光さえも俺には眩しく思えて下を向くしかなかった。


そうだ。俺は全てを状況のせいにして、自分の責任から逃げていたのだ。


俺は自分のやるべきことするべきことを全力でやりきっただろうか?

自分の見栄やプライドばかり気にして、出来ないことは全て人のせいにして、結局残った物はなんだ?


多額の借金と、給料の支払いを待つ社員。信用をなくした取引先。


今、目の前に居る彼女も、恐らく給料を受け取っていない。

彼女は今所属している会社、俺の運営してきたこの会社を、どう思っているだろうか?

聞いてみたいと思った。が、それと同じくらいに聞きたくないとも思った。


結局俺は自分が可愛いのだ。

偉そうなことを言いながら、現実を直視する勇気すらないのだ。


途端に恥ずかしくなり、下をむいたまま黙り込む俺。

隣に座る彼女は、しばらく黙ってカクテルに口をつけていたが、しばらくすると、軽いため息を付く音が聞こえた。

そして彼女は俺の頭に手を置き、ゆっくりと撫でた。


「最近、部長がお疲れなこと、みんな知ってますよ。

そして、部長がとても頑張っていることも、知ってます。

でも、どんなに頑張っても、一人で出来ることには限界があります。

どうか部下を頼って欲しいです。私みたいな新人では大した戦力にならないかもしれませんが。」


彼女の手は優しく温かく、俺のささくれ立った心を解していくようだった。

あまりにも優しい感覚に、俺は思わず目線を上げ彼女を見つめる。


「あの、・・水沢? ・・・・その・・・手・・・。」


彼女は俺に指摘されて初めて気が付いたように、ハッと手を上に挙げた。


「あっ!? すみません!!! なんか弟に似てたもので!!」


おとうと!?

その答えになんとなくムッとしながら不自然に挙がった彼女の手を取る。


「・・・頼っていいのか?」


さっき彼女が俺にしてくれたように、彼女の手の甲を優しく撫でながら問いかける。


「・・・・あたりまえです!! 仕事は一人でするものではありません。皆でするものですよ! 」


彼女は顔を赤くして、俺が握り込んだ手を必死に引こうとしながら、気丈に答える。



俺は、彼女の手をしっかりと握りながら、これからの事を考える。


今からでも遅くない。

自分の選んだ選択肢を、『間違い』にしない為に。

社員を、会社を、守っていく為に。

そして、できることなら、この手を離さなくても良いように。



「水沢にお願いしたいことがある・・・。」


「はい!! 私にできることでしたら!!!」




※※※※




そして俺は『木村商事』を倒産させ、民事再生法を受けることにした。


水沢には部下を頼れと言われたが、俺が社長だったとはそうそう公にできることではない。

考えた結果、水沢だけに事情を話し、立て込んだ事務処理などは彼女にかなり助けてもらった。

彼女の仕事は迅速且つ正確で、細かなことまで気が付き、指示したこと以上の業務を仕上げる有能ぶりだった。

業務を共有する時間が増えると共に、彼女の気立ての良さが更に浮き彫りになり、益々手放すのが惜しくなったが、俺には彼女にこれ以上踏み込むことは出来ない。

なぜなら俺には、親の決めた許嫁の「一条 奈緒」が居たからだった。


しかし、その件もすぐに決着がついた。


程なくして、一条家の方から婚約の話を白紙に戻すよう打診があり、一方的な婚約解消の代替として、木村商事への融資を申し出てきたのだ。

その条件は、既存の社員はそのまま在留可能。役員などの変更も必要なく、株式自体を買い取るだけのもので、これ以上ない好条件に俺は一も二もなくその申し出に飛びついた。


そして、この機会に俺は一つの決心をしていた。

それは、社長の座を経理部長の木村に還すことだった。


今回の件で俺は様々なことを学んだが、一番わかったことは「俺は人間としてまだまだ勉強不足」だと言うことだ。

そして、学ぶなら木村のような、社員の事を一番に考えられるような人望のある男からが良い。

俺は今まで通り総務部長という立場から木村を支え、色んなことを吸収していくことが出来ればと思う。

それは、将来的に高野に戻ることができなかったとしても、自分にとってとても有意義な時間になるだろう。

たとえ、今の『木村商事の総務部長』と言うポジションが、じいさんから無理矢理与えられた選択肢だとしても、それを無駄にしたくはないから。


そう、選んだ選択肢を『正解』にするのは、自分なのだから。




※※※※



今回の企業の再建に辺り、出資者の「一条 奈緒」と顔合わせをすることになった。



婚約者として関係していた時には顔を見たことすらなかったのに、何の因果か、婚約解消してから顔合わせることになるとは不思議なものだ。

彼女の名前は有名だが、公には一切顔は知られていない。

そして、彼女の名前と一緒に思い出すのは、今では自分の片腕となりつつある、水沢の存在だ。

一時は諦めていた彼女との関係も、奈緒が婚約解消したことにより、先を繋げることが出来るようになったのだ。

俺に公私共に幸運をもたらした「一条 奈緒」

一体、どんな女なのか。純粋に興味があった。



待ち合わせ場所となったホテルの喫茶店には、新しく社長となった木村と総務部長の俺が呼び出された。


待ち合わせ時間10分前。

品の良い、白いワンピースとツバの広い帽子をかぶった若い女が店員に案内されて現れた。

照明が暗く、帽子の陰になって顔が良く見えない。


「木村商事の方ですか?」


一条奈緒であろう女から発せられた声。その声に俺は妙な既視感を覚える。

それはこの場で聞くはずの無い人の声。


えっ? もしや・・・いや、まさか・・・。



彼女はゆっくりと帽子をとると、



「私が『一条 奈緒』です。 木村商事の再建、一緒に頑張りましょうね。 部長!」



いつもの分厚い眼鏡を外した水沢が、にっこりと笑って俺に語りかけた。





俺は、一体、誰と婚約解消したんだ?






奈緒については、この後の話でだんだん正体がわかる予定です。

とりあえず、今回はここまで。


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