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第01話/02月21日(日曜日)「豆のカレーを」 

こちらは「豆のカレー」をお題に、本編(『青波の魔女と名無しの使い魔』)の第009話辺り、風見ナミ(魔女)視点の物語を、神矢レイジ(使い魔)視点で捉え直した内容です。

時系列も全く一緒、視点の変化のみで粗筋には変化はありません。但し視点が変化したことで、情報量にものすごく違いが出ています。

まあ、こういうことも楽しめたら、ということで。

 

下手をすると、この話に、本編の「各月のまとめ」だけを読めば、前半全て(~099話まで)すっ飛ばしても粗筋は掴める……かもしれません。

 神矢レイジは使い魔である。主は、青波の魔女こと風見ナミだ。


 その日。神矢レイジは、風見の家の地下室で、主である魔女殿共々、途方に暮れていた。


 主たる風見ナミは、昨日、15歳を迎えたばかり。半人前といえば半人前、しかし半分はきちんと成人として扱われる、「半成人」という立場の魔女である。

 一方の彼は、魔力無し。年齢は彼女の倍近くもある。更に、旅行中の、風来坊ときた。2人に共通点は乏しい。


 風見の家の、凄まじいばかりの薬草臭さの籠る地下室で、彼らは通算6度目となる「契約解除」の術式を終えた。

 だが、しかし。

 いや、やはり。

 なんと言ってよいのやら。求めていた筈の「解除」という結果は、全く得られていない。


 とはいえ。使い魔に据え置かれたままの彼ではあるものの、不思議とそこまでの焦りは無かった。

 むしろ、慌てふためく年若い魔女殿の、焦りと苛立ち、疲れの方に気が取られ、彼は純粋にその姿に心配を覚えた。それだけだった。

「ナミ」

 声を、掛ける。

「なに?」

 彼女から返って来た声は、「こんな筈ではない」という不満と不安、焦りと苛立ちが籠っていた。いつもの怜悧かつ冷静な声とは、ほど遠い。

 けれども。

「先に食事にしよう」

 そう、彼は彼女に提案をする。なるべく、彼女の精神を逆撫でしないように、穏やかな声を意識しながら。

 彼の視線の中に映る彼女は、地下室の仄暗い照明の状態で見ても、顔色がとても悪いことが見て取れた。それに、立っている姿そのものに、どうにも力が無い。いつもならば、立ち姿が惚れぼれするほど綺麗な少女だというのに。

 美しい姿勢ばかりではない。青色の瞳に宿る凛とした光も、その豊かな表情も、この少女の美点であった。そうした普段の強気な面持ちも勢いも、今に限っては見る影も無い。

 そこまでの不安に彼女が苛まれているのだとしたら、ここは年長者たる彼が大人の態度を見せないといけないだろう。そう、彼は単純に事態をそう理解する。

 背の高い彼は、和国の平均的女子中学生の身長である彼女の視線を捉えるべく、腰を落として彼女の前へと屈みこむ。やはり真正面から見ても、表情はすぐれず、顔色がよくない。

 うむ。

「顔色が悪い。何か、腹の中に入れた方がいい」

 術式が解けないのは、大変な困りごとである。それは分かるが、それ以上に彼女が倒れるようなことがあると、もっと困る。

 いや。困る、というのとはちょっと違うのかもしれない。彼女の苦痛に関する事情を、彼は素早く排除がしたい。それだけだった。

 それだけ彼はこの少女を気に入っていたし、大事にも思っていた。

「食事をしよう、ナミ。きちんと食べれば、何かいい案も見つかる」

 そう、きっと。呟くように、穏やかに、彼は少女に告げた。

 彼女は一言も発しなかったが、放心してはいないようだ。彼女の表情から、彼はそう見て取る。

 ただ、魔力行使に失敗した、その事実に、魔女としての高い誇りが傷ついているのかもしれない。何せ昨日の雑談では、使い魔の行使は勿論のこと、その契約も解除も大したことはないという話だった。今日の本契約に際してもそれ程の大事ではないと、彼女は太鼓判を押すように言っていた。確かそうだったと、彼は思い返す。

 だからこそ、彼もまた、この日半日だけの使い魔契約、といったお遊びに納得をしたのだ。

 魔力行使の失敗。それが悔しいのかショックなのか。彼女の口元がへの字となり、澄んだ青色の瞳には、うっすらと涙が滲む。

 けれども、涙は零れない。

 少女にだってプライドはあるだろう。その涙を隠しやすいように、彼は素早く姿勢を元に戻すと、身振りだけで「1階の食堂へ戻ろう」と誘うように先行する。すぐに、ゆっくりと彼女が彼の後をついてくるのが、気配で判った。

「少し、インターバルを取ろう、ナミ」

 彼は殊更軽く聞こえるように意識して、声を出す。

「休んでいる間に、何か忘れていたことや物を思い出すことも、ままあることだ」

 そう、人生は。人生ってものは、そうやってできているのだから、と。彼は続けた。

 ほんの僅かだが、後ろで、頷いたような気配がした。



――座標軸:神矢レイジ


 ナミの呪文の一言で、薬草の臭いがシャットアウトされる。声に力は無かったが、彼女はソレを半ば習慣、半ば無意識に言い放ったようだった。お蔭で、空気がいつもと同じものに戻ったと、彼は感じる。

 同時に彼は、それまでの仄暗い、光源が蝋燭だけの空間から、科学文明の照明器具が煌々と照らす室内へと戻って来たことを改めて実感する。たったワンフロアの移動だというのに。嗅覚、視覚の2つの要点が切り替わるだけで、こんなに印象が違うものなのか、と。そんなふうに思いながら。

 階段を上り切り1階の廊下に立つと、彼は後ろにいた彼女を振り返る。その力の無い立ち姿があまりにも危なっかしく見えて、彼は促すようにして、台所に並ぶ食卓の椅子へと彼女を誘導する。彼女からの抵抗は、特に無かった。

 空腹のままだった彼は、独自の判断で、台所に戻って先程つくり上げたばかりのカレーを温め直すことにする。台所に入ると、香辛料の効いた美味しく温かい匂いが彼の鼻孔をくすぐった。

 カレーを温めている間にお茶を淹れようと考えたが、彼は、彼女の好みがよく分からなかった。

 当たり前だ。

 本来ならば。彼女と彼は、まだ出会って数日、といったものである。

 少なくとも、彼女にとってはそういった認識である筈だ。


 正確には、丸々9年前、まだ彼女が学齢期に上がるよりも大分前の幼少時に、2人は3カ月程の共同生活を送ってはいる。いたのだが、流石にそれは昔のことに過ぎた。その上、彼女はその記憶を「喪失している」らしい。

 らしい、というのは、彼にはその辺りの事情がよく分からないからなのだが、少なくとも彼女の後見人からはそう言われており、9年前のことを風見ナミには一切話題に出すなと念押しをされている。主に、彼女の心的外傷を心配して。


 そうした情報を、彼は「今は必要無い」とばかりに一度シャットアウトする。

 彼はすぐに、先程も確認したこの台所の中でお茶類を収納しているスペースを目に留める。そこに複数あった紅茶の缶の中でも一番高そうなものを、彼は遠慮も無く選び出す。

 彼女は、相変わらず、彼には意識を向けてくることは無い。

 台所から食卓へと、淹れたてのお茶の入ったカップを持ちながら、彼女の様子を彼は見る。変化は無さそうだ。そう踏んで、茶碗を置くと彼女の正面に彼は席を陣取った。

 正面から眺める彼女といえば、一所懸命、何かに集中して考えているかのような、同時に悔し涙を堪えているような、そんな複雑な表情をしていた。

 その瞳の様子、口元は、9年前の子どもの時分の彼女のそれと、全く変わりが無かった。それが妙に、彼には愛らしく思えた。

 そんな彼女を前に、彼は声も掛けられずに、淹れたばかりの紅茶を静かに飲む。

やがて大きな寸胴鍋にたっぷりと作った野菜とひき肉のカレーが、グツグツグツと、温まって来た様子を彼の耳にアピールし始める。彼はもう一口だけお茶を口に含んでから台所へと戻り、カレーを盛り付け始めた。

 この午後はいろいろと体を動かしたこともあって、彼自身は既に相当な空腹でもあった。しかし、彼女はどうなのだろう?

「空腹ではないのかね、ナミ? 食べて、温まった方がいい。きっと」

 2月の下旬のこの日は、和国の気温としては標準的な寒さで、まだまだ冬らしさが残る。空腹もだが、寒さも、彼女の身体にはよくないに違いない。きっと。そう思い、彼は声を掛けた。

 だが、カレーとご飯を盛りつけた皿を彼女の前へと置いても、彼女はやはりそのまま、まるで反応が無い。ひたすら、自分の行動を反証しているようで、瞳の色がやや暗い。

 空腹に耐えかねた大男の使い魔の方はというと、その倍はあろうかという量のカレーライスを盛りつけて、自分の席へと皿を置いた・

「食べよう、ナミ。食べればきっと、いい知恵も見つかる」

 そう、強く言い切ると、彼は一人、手を合わせて「いただきます」と和語で唱え、食事を始めた。

 彼の食べ始めた行動が契機だったのだろう。その様子に気がついて、彼女が漸く身動ぎをする。

「ナミ。スマンが、先に食べているぞ」

 一応の礼儀的として、彼は彼女にそう声を掛ける。

「うん」

 小さな返事が、返ってくる。声の返事としては、1階に戻ってから初めてのものだ。彼はそれだけで、小さな安堵を覚えた。

 彼が見ていると、彼女が「いただきます」も無く、少量のカレーをスプーンによそって、黙って口に入れていた。それから慌てて、食前の挨拶を忘れていたことに気がついたのだろう、スプーンを両手に持ち直して、手を合わせるようなかたちにすると、小声で「いただきます」と呟いた。

 その様子が、妙に幼く、そして可愛く思えた。



――座標軸:神矢レイジ


 空腹だった彼は、ひたすら温かいカレーライスを咀嚼し続けた。皿の底が少しばかり見えるようになった頃、漸く人心地がついて、彼は静かに顔を上げる。

 目の前の彼女は、落ち込んで食が進まないということはなく、ゆっくりとではあるがそれなりに皿の中にスプーンを入れて、丁寧に食事を続けていた。


 そこで彼は、小さく彼女に声を掛ける。答える気がないのであれば、それでいい、というような声色で。

「ナミは、魔力行使に失敗した経験は無いのかね?」

 ゆっくりと、だがリズミカルにスプーンを運んでいた彼女の手が止まる。

「別に……失敗して、落ち込んでいるわけじゃないわよ。どうやって魔力解除の算段を組むか。理由は何なのか。考えていただけなんだから」

 答えは、直球では返ってこなかった。だが。その声色は、意外とシャンとしていた。

 見ると、彼女の目線は、むしろ挑戦的な色を湛えている。

意外だった。彼は、彼女の青の瞳に戻って来た力を目にして、安心感に頬を少しばかり緩めた。

「まあ、そう焦ることはないだろう」

 その表情から「先を見ている」という彼女の姿勢を理解して、彼は小さく肯定の返事を返す。彼女が先へと進む姿勢を持ち直したのであれば、これはそこまで心配するようなことには繋がるまい。根拠は無いが、そう、彼には思えた。

 それは。9年前のあの日々、あの最後を2人で何とか生き延びた、その結末を彼に意識させた。

 それを思い出すだけで、彼はどこか、自分の内から力が湧いてくることを自覚する。そして、目の前の彼女は、あのときの大事なだいじな、あの幼子なのだから。そうも、意識する。

 そこで彼は、今の自身の状況を彼女に説明しにかかる。

「……ワタシの和国訪問における最重要案件は、昨日までにあらかた片付いている。滞在中の予定については、幾らでも調整がつくから、目先のことに関してはあまり深く考えなくてもいい」

 実際、昨日、ナミとの再会の前に、必要な用事のほぼ全てが片付いてしまったのだ。文字通りに。あとは、早めに和国を離れることすら選択肢にあったというのに。

 もう少し。彼女との日々を、重ねても、いいのだろうか。

 そんなことが、己に、許されるのだろうか。

 でも。もし。許されるのだとしたら。

 あと1日かそこら、無事な彼女の様子を確認して。それから、自分は離れればいい。この、和国を。

「ま、今日はキチンと休養を取って、明日の朝にでもまた試せば、案外巧くいくだろう」

 何やかやで、彼女もまた空腹だったようだ。彼が彼女の為に皿に盛った量は、彼自身の分よりもずっと少なかった。その皿が、空になっている。

 魔力行使とは、魔女の人体からしてみればエネルギーの消費でもある。魔力を使えば使うだけ空腹になるというのは、当然のことだ。そしてきっと、この使い魔契約に関する魔力の流れも、そうした影響を与えているに違いない。そうやって考えごとを続けながら、彼は自分のカレーを咀嚼する。

 目の前の彼女が立ち上がった。そこまで元気が回復したことに、彼はホッと胸を撫で下ろす。

 皿を手に立ちながら、彼女は、

「おかわり、いる?」

 そう、彼へと尋ねてきた。彼女の声色も、またいつもの調子に大分戻ってきている様子だ。

「いいのかね? ああ、ぜひ」

 嬉しくなって、彼は頬を緩めたまま、差し出してきた彼女の手に、自分の空に近い皿を委託する。「あの小さなナミも、これだけの気遣いができるようになったのか」。そう、内心で一人、心に温かいものを感じながら。

 そうしてナミが置いてくれたお代わりの皿に、有難いとばかりに彼はすぐにスプーンを入る。

「美味いな」

 自然と、ことばが漏れる。

 彼女も安心したのか、それとも魔力的な問題で空腹が強いのか、彼に釣られるようにして、熱心に皿からカレーライスを口にしている。

 小さかった頃のナミの話では、「魔力行使が大きいと、それだけ空腹が強いのだ」とかなんとか。そう言われたことを、彼は思い出す。だからきっと、魔力的な関係もあってナミも空腹なのだろう。カレーを頬張りながら、彼は一人小さく頷く。

 それにしても、このカレーは美味い。流石、ナミだ。彼の小さなあの子どもが、今ではもうこんなにきちんと料理を作るようにまでなったのだ、と。大きくなったのだな、と。どこかくすぐったく、どこか嬉しい。そんな気持ちと共に、彼は目の前の少女を内心で褒める。

 彼の和語のボキャブラリーの中には親莫迦オヤバカという概念は無かったが、概ねそんな感覚で、彼はかつて大事に守り切った目の前の少女を、賞賛を持って見遣る。一声も出せぬままに。


 そうして彼が一人で頷いていると、彼の目が自身の匙の上に乗ったひき肉に留まった。

「和国のカレーは、肉が中心なのかね?」

 今日入れたのは、豚のひき肉だ。「キーマ、ひき肉のカレーを作る」と言いながら嬉々としてナミが台所に立ってから、まだ2時間も経っていないことを、彼は改めて意識する。あのタイミングでは、まさか、2時間近く経った今も未だに使い魔契約が継続中であるなどとは、両者共に想像すらしていなかった。

 そんな彼の疑問とも言えない程の小さな疑問に、ナミが、「え?」と小さく不思議そうな声を出しながら、顔を上げている。

「いや。とても美味しいのだが。和国では、肉入りのカレーをよく食べたな、と。これを食べて、思い出した」

 彼女には、既に彼が和国には2度目の滞在であることは伝えてある。過去の滞在が結構長かったことも、これまでの話で知られている。そもそも外国人である彼がここまで和語が話せるのも、その経験も元になっていることは、彼女も理解しているだろう。

 そう。「あの頃」は、カレーも比較的よく食べた食べものだったのだ……

「まあ、そうねー。和国でカレーって言えば、牛肉とかチキンとか。今日は、時間が無かったって言うか、短時間で料理したかったから、ひき肉にしたけれども」

「豆でも、美味いだろうな」

「豆? カレーに?」

「ああ」

 彼にしてみれば、生まれてこの方、豆はとても良く食べてきた、ありふれた食材の一つだった。豆料理は得意とまではいかなくとも、彼にとっては料理をする頻度が高い。豆とは、使い慣れているものだった。和風のカレーを数年ぶりに味わいながら、彼は、「この味ならば豆もまた合うだろう」と思い、それを口にした。それだけのことだった。

 しかし目の前に座る少女は、本当に不思議そうな顔をしている。先程までの、悩みや困難を抱えたといった顔とは違い、どこか毒気の抜かれた、といった面立ちだ。

 無理も無い。彼女は、昨日で15歳。その上、和国から外国へと旅に出たことも無いのだろう。諸外国の料理、といった概念も無さそうだ。海外を散々渡り歩いた彼とは、持ち得る経験がまるで違う。

 そのどこか幼い表情を見ながら、彼はそこに、9年前の小さな子どもの面影を見る。

 ああ。この子どもは、本当に、あの「風見ナミ」なのだな。と。

 命に代えても守った、あの子どもなのだ、と。

 彼の胸の内に、喜びが溢れる。

 同時に、それと同じだけの、罪悪感も、また。

 そうして彼女を見ていると、その青の瞳が、不思議というよりも好奇心を抱いてきらりと光った。

「テレビでは、見たわ」

 彼女がそんな返事を返してくる。

「と、言うことは、自分で食したことはないのかね?」

「そう言えば、無いわね」

 目を少しばかり思索気味に泳がせて、彼女が小さくウンウンと頷いている。

「どんな味?」

 素直な、真っすぐな好奇心が詰まった顔と声で、彼女は正面の彼に問いかける。

「そうだな……あまり、辛くない」

「甘いの?」

「いや、それは料理人の腕次第だろうが。和国のこのカレーソースは、便利な食材だ。この味に、豆は良く合うだろう」

「カレーソース? ああ、ルーのことね」

 料理の前、彼は彼女のお供をして買いものをした。その際に、カレーの味がどうこうと、彼女に問われたことを思い出す。主に、辛口は大丈夫か、どのくらいの辛さなら問題は無いか、等々。そんなことだった。そうか、あのカレーソースは、和語では「ルー」と言うのか。彼は黙って小さく頷いた。

「少し甘みを増すと思う。食材としての豆は」

「どんな豆?」

「いや、どんなと言われても……」

「大豆や小豆じゃないわよね……」

 彼もよく判らない。そもそも「赤のデカイ豆」「白く細長い豆」「黄色で丸っこい豆」「緑のよく見かける豆」「細かい褐色の豆」といった分類しか、彼の脳裏にはその姿が浮かばない。固有名詞など判らないし、判ったところで今度はそれを和語でどう表現するのかも判らない。流石に和語が母語でない彼は、そこまで流暢に固有名詞を表現できない。

 そんなわけで、2人して、ウンウンと少しばかり頭を捻る。結局は、

「さあ、どうだろうな」

 と言って、彼はお茶を濁すしかなかった。

「豆のカレーって美味しい?」

「ああ、それは肯定できるぞ」

 それは当然のことだったので、彼は大きく頷く。

 その彼の身振りに安心したかのように、彼女は微笑んだ。

「食べてみたいわ」

 漏れた声は、小さかった。

「じゃあ、今度。今度、作ろう」

「そう? いいの?」

「ああ。簡単だ」

 彼女の微笑みが、少し大きくなったような気がした。

「簡単で、確実に美味しくできる」

 しかも沢山。彼がそう付け加えると、彼女は契約解除が上手くいかないという騒動が持ち上がってから初めて、はっきりとした笑顔を浮かべた。

「わたしにも作れるかしら?」

「ああ。ナミの料理の腕なら、問題無いだろう」

 親を亡くし、それからずっと、彼女は家のことをなんでも一人でやってきたのだと言っていた。だから勿論、そのくらいの料理であれば、彼女ならば大丈夫だろう。先程から見ていると、彼女は料理そのものも食べることも大好きな様子であることだし。

 そこで彼は、同時に彼女の「一人暮らし」という部分を意識して……胸が詰まる思いを覚える。

「わたし、豆って大豆くらいしか使わないから。あと、たまに、小豆。でも、さっきのスーパーだったら、もっといろいろな種類の豆が売っているわ」

「そうかね。ならば君に、豆のカレーをご馳走しよう。今日は君にご馳走になったんだ。和国を離れる前までに、今度はワタシが豆のカレーを君に作ろう」

「うん、解った」

 光の宿った青い目で、彼女は大きく頷いた。

 しかしすぐに目を真剣にして、少し改まった表情になると、

「だったら、まずはさっさとその……使い魔契約、解除しちゃわないといけないわね……その……ごめん」

 本当に、ごめんなさい。そう、呟くように、彼女がことばを重ねる。その瞳が彼を真っ直ぐに、しかしどこか申し訳なさそうに見つめてくる。

 彼はあまり真剣な様子を見せずに、

「そうだな、まあ、大丈夫だろう」

 と、何らの不安も無く彼女に返事を返した。


 そう。まあ、彼女のことだ。そのくらいの小さなトラブルは、すぐに解決できる筈だ。

 何せ彼女は、彼の……青波の魔女なのだから。

 そう確信して、彼は大きな笑顔になると、彼女にやや大仰に頷きを返した。



 だから、彼は。まさかこの「使い魔契約」が、この後、半年近くずっと続くということを、まるで想像ができなかったのだ。




(推奨BGM『ワンダーランドのワンダーソング』藍坊主 2011年)

今週発売された藍坊主の新アルバムなんですが、そこからの新曲ではなく、昔のカップリング曲から。

本編(魔女と使い魔)で散々ッぱら持ち上げた「生命のシンバル」のカップリング曲で、こちらも大好きだったのですが、先に本編が完結となり、この曲は紹介の機会がありませんでした。雪辱、というわけではありませんが。


今回のこの試みは、普段小説を読まない友人に、自分のこの130話を超える小説(魔女と使い魔)をどう紹介するか、しかもそれぞれの話がやたらと長いという……を考えたとき、冒頭をスパッと紹介するかたちにできないかなー、と思っていたら、このかたちになりました。

前書きの通り、この話+各月のまとめがあれば、08月09日までは辿り着けます。まあ、その後もまた長いんですが。


今回は短編でシリーズを立ち上げましたが、幾つか完全な番外編もときも構想があります。その内、アップの予定です。


お目通しいただき、ありがとうございました。ではまた、次の機会に。(只ノ)

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