表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/299

不思議噺 すずころ 其の六

 今年も暑い日が続いたが、不思議な事にほんの少しだが、お盆にはうだるほどの暑さが和らいだ。

 保坂のお兄さんは、久しぶりに散歩がてら、鈴虫が鳴きながら待っている空き地にやって来た。

 鈴虫は〝リンリン〟と心地よい声で鳴いている。


「鈴虫が鳴いているのね……」


 お兄さんは一人の初老の女性に声をかけられて、そちらに顔を向けた。


「本当に綺麗な音……こんなに綺麗な音を出せるのは、ひと夏に一匹か二匹……」

「そうです……どうして此方へ?」


 本田さんとは、この空き地の持ち主だった牧野さんの娘さんで、一度だけ会った事があった。

 静岡にお嫁に行ったが、牧野さんが亡くなってから、暫くは独り暮らしをしていたお母さんを、心配して引き取り最後まで面倒を見たそうだ。


「この辺は何処でもよく鳴いてましたけど、父が上手に孵らせては、毎年知り合いに持っていくのを楽しみとしていました」

「ああ……」

「母が亡くなってから、幾度か片付けに来たけれど、随分変わってしまったわ。もう虫の音なんて、あんまり聞けないんじゃない?此処は畑があるから別だろうけど……」

「ええ。もう鈴虫の声なんてほとんど聞くことないですよ」

「なんだか寂しいわねー」

「寂しいですよ」

「ここね、不思議といつ家を壊して更地にしたのか記憶にないんです。まあ全て不動産屋さんに、任せてたから当然だけど。そんなに急いでいたわけじゃないんだけど、此処に戻って来る事は絶対にないので、不動産屋さんに勧められるままに、売りに出していたけど全然売れなかったのに、今回はトントン拍子で本当に不思議」

 本田さんはそう言うと笑った。

 静岡でお店を営んでいるのだが、今迄順調に店を切り盛りしてきていたのに、なんの前触れというか、前兆というか、兎に角そんなものが一切無く、取り引き先が原因で、急に店が危なくなってしまった。

 今迄順調だった為、金策に当たればどうにかなると思っていたが、思惑はことごとく外れ、どうしようもない所まで追い込まれたが、不思議な事に十数年不動産屋に依頼していても、一向に買い手がつかない為に、もはや諦めて期待もしていなかったこの土地を、買ってもいいという人を、金策に回った先の親戚から聞いた遠縁が見つけてくれたという。

 藁をも掴む思いでその遠縁に連絡をすると、あれよと言う間に話が進んで売る事ができた。

 不思議に思う暇も無く店の事で忙しくしていたが、再び不思議な事に、今迄立ちいかなくなっていたのは、なんだったのだろうと思う程に、土地のお金が入ってきてからは、以前以上に店の経営が良くなった。


「まるで狐につままれたようだー」


 と、本田さんは言い


「笑われちゃうかもしれないんだけど……。私、鈴虫の夢見たの」


 と言った。


「はあ……鈴虫……ですか……」


「可笑しいので気にしないで。だけど、こうして鈴虫の声を聞きながら貴方といると、話した方がいいように思えてきたの……」


 土地が順調に売れ、店の資金繰りが上手くいくようになってから、本田さんは居るはずのない鈴虫の声を、一眠りした頃に聞いた。

 夢の中なのに、どして鈴虫が鳴いているのだろうーと思っている自分が不思議に思えた。

 本田さんが今住んで居る所では、ずっと以前から鈴虫の声は聞こえなかったのだ。

 鈴虫はー。たぶん〝鈴転(すずころ)〟だと、お兄さんは思った。


「昔私達は貴女のお父さんに連れてこられ、大事にはして頂いたが、故郷の仲間を懐かしむ事ばかりだった。何時の頃か故郷の仲間達が住処を追いやられ、とうとう死に絶えてしまった。微かに血筋を残したのが、産まれた住処からいろいろな人間に連れ行かれ、上手に産み孵された、ほんのわずかなもの達だけになってしまった。何よりこの畑はこの先決して売らぬと、ぬし様と約束された特別の地、その畑に放してもらったので、毎年他のもの達よりも心地よく安心して鳴く事ができて、本当にありがたく感謝している。またこの草叢に仲間を呼び戻し、我々を大事にしてくれる者に、この地を守っていって貰う事が叶ったので、此れからは恩返しをしていくつもりでいるので、安心して毎日を暮らして欲しい」


 と語ったという。


「ははは……可笑しいでしょ?でも、なぜだか気になっちゃって、家を建てると聞いていたので、その前に来てみたの。家が沢山建って此の辺は変わってしまったけど、此の裏は規模は小さくなっちゃったけど、未だに畑が残っているのね」

「ええー。鈴虫にはまだいい環境ですよ。今では公園ですら、鈴虫の鳴き声が聞こえない時代だから……。僕も不思議な事があったんです」

「え?」

「この土地を買うまでに……」

 お兄さんは本田さんに鈴転(すずころ)の話をした。

 話をしながら、お兄さんも本田さんも不思議な気持ちになった。

 怖いとか不気味とか……。そんなものではなくて、心が癒されるというか、温かくなる不思議な気持ちだ。

 そして、きっと鈴転(すずころ)が、護ってくれる……そんな気持ちになるものだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ