不思議噺 すずころ 其の五
あれから鈴虫の鳴く頃となり、保坂はよく坂下の右手を歩いて行った先の空き地に来ては、圭吾を呼び出した。
時には、鈴虫の声を聞きに来たお兄さんと、一緒に食事をする事もあった。
あの不思議な話しや、幸せを運んでくれた鈴虫の話しはよく話題になった。
だが、今でもお兄さんには気にかかる事があった。
それは、何故此の空き地だったか?ーという事だ。
確かに畑が裏にあり、近所も今風に石を敷き詰めてなどおらず、どちらかというと植木が多いから、鈴虫の環境にはいい方なのだろうが、だがしかし、長年あのちょっと大きめのプラスチックの虫かごで孵化して、虫かごの世界しか知らない鈴虫に、此の空き地の事がどうして解ったのかー。という事だ。
「えっ?彼処の空き地売れたの?」
母親が圭吾から聞くと、それはそれは仰天して言った。
「彼処の空き地って、何時空き地になったのか、売りに出ているのか、何処に連絡すればいいのか、全然わからなかったみたいなのに……買う人いたんだ?」
「うん。中学の同級生の保坂んち。十一月から工事が始まるらしい。お兄さんが言うには、ずっと不動産屋を通して売りに出してたらしいけど、なかなか買い手がつかなかったって」
「えっ?そうなの?売りに出てたんだ?……それにしても、空き地になってたの十年以上よ。買い手がつかないって……それで済むのかな?不動産屋として?」
「だから買い手がつかなかったって……」
「えー?だからそれで済むのかしら?第一よく十年以上も催促しなかったわよね……彼処の娘さん。かなり土地は広いし、場所だってまあまあよ。大森さんのご本家が、畑を売って住宅建てて売りに出したら、あっと言う間に数棟の新築が売れたって話しだし……買い手がつかないっていうのはねぇ……意外と売りに出てても、誰もわかんなかったりして」
「はあ?意味不」
「不思議な力で、売りに出してる事が一般人には解らない様になってて、ある人間にだけ解る様になってんの……」
「馬鹿馬鹿しい」
「意外と此の辺変な事多いから……。うちもおかしな事が起こる家だけどね……。ほら、ぬし様の話しとかあるくらいだからね」
母親は意味ありげにヒヒヒと笑った。
「そういや、彼処の家の人の事は、意外と詳しかったよな?」
「ああ、うちのじいさんと知り合いだったからね」
「えっ?」
「なんでも郷里が同じで、村?部落?が近かったみたいでね、勿論年はあっちが若かったんだけどね。そうそう、毎年鈴虫貰って鳴き声聞いてたみたいよ。小さな竹の虫かごがあってね、ばあちゃんに聞いた事があったわ」
「彼処んちの鈴虫だったのか?」
「たぶんね。ああ今居るのは違うよ。あれはあんたの友達んちから……。確かじいさんが貰ってたのは、田舎の鈴虫だって言って懐かしがってたみたいよ。鈴虫なんて何処のも一緒だって、ばあさんが言ってたって、ばあちゃんから聞いた事があるわ」
ここでいう〝ばあさん〟は、圭吾の曾祖母で〝ばあちゃん〟は祖母の事だ。ちなみに〝じいさん〟は曾祖父で、我が家では頑固でわがまま者の、〝偏屈じいさん〟で通っている。
「たぶん、彼処のおじいさんが田舎から持って来て、毎年孵らせてたんじゃないかな?増えすぎたら畑に捨てて、たぶん畑の鈴虫も新しく入れたりしてー。おじいさんが死んだ時、全部畑に捨てたって彼処のおばあさんが言ってたわ」
「へー彼処の鈴虫か……」
「昔は沢山いたわよ、秋になるとこおろぎも鳴いて、もの寂しかったわ……。此処のは日本のこおろぎだったから……。これはばあちゃんの受け売りだけど、外国のこおろぎも居るんだって……。本当かどうかはわかんないけど、そっちのこおろぎは賑やからしい」
「それ嘘っぽい」
「私は小さい頃からそう聞かされてたから、本当だと思うわ。だってたんぽぽだって、日本のと外国のがあるじゃない?日本のものは、もの静かで淑やかなのよ……侘び寂びの世界ね……」
「はあ?」
母親の戯言は何時もの事だから聞き流すに値するが、鈴虫の話しはちょっと気にかかる。
鈴虫があの空き地をお兄さんに擦り込んだのは、きっとあの空き地のおじいさんとやらに関係があるような気がする。