不思議噺 すずころ 其の三
余りにも毎日見るのでお兄さんは、夢で見たように散策してみる事にした。
確かに鈴転の言う通り、うちの鈴虫もお祖父さんの所のように、血が濃くなって上手く孵らせる事ができなくなってしまうかもしれないーと、思い当たったからだ。
しかし、暫く歩いている内に、段々と気味が悪くなってきた。
道形も建物も、小さな路地や通りや坂までもが、夢で見たものと変わりなくて、それどころか迷う事もなく、鈴転が言う通り辿り着く事ができたのだった。
辿り着いた空き地は、家が二軒立つ程の広さで、草が鬱蒼と茂り奥に畑が続いていた。
両隣は二階建ての家が建ち、さほど新しくはなく庭に石を敷き詰めてはおらず、程よく木が植えてあり花も咲いていて、微かに虫の声が聞こえる。
お兄さんは家に帰ると、〝リンリン〟とちょっと大きめの虫かごの中で鳴く鈴虫に
「お前らの言う通りにするから安心して卵を産めよ。確かに彼処は、今の時代にしちゃあ、お前らにいい所だ」
その晩から、あの不思議な夢は見なくなった。
そしてお兄さんも、彼処が鈴転が言った場所なのだと確信を持った。
十月の中旬ー。
お兄さんは迷う事なく、まだ薄暗い明け方に、鈴虫の死骸をそのままにしていて、ちょっと気持ちの悪い虫かごを持って畑の方から入って、空き地の草叢に中の土を空けた。
虫かごの形にこんもりと固くなった土が、形を崩す事なく出てきた。
お兄さんはそれを、余り崩す事なく、それでも気持ち平らにして帰って来た。
鈴虫は、マットを敷いておくと、その中に卵を産みつけて死んで行く。
先に思う存分羽を震わせて、雌の為に鳴いた雄が死に絶える。
卵を産みつけたら雌は死ぬのだと聞かされていたから、最後迄生きている雌は、今生では卵を産む事が叶わなかった雌なのかと、最後まで大事にしていると、段々と動きが鈍くなり寒くなる前には死んでいる。
普通十月の中旬には、虫かごの中の鈴虫は死に絶えてしまうが、十月下旬になっても生きていた時が、かつて一度だけあった。
その時は、越冬させられるかもしれないと、微かに期待したが、十一月に入ってから直に死んでいた。
全ての鈴虫の亡骸は、見つけた時に専用に決めている割り箸で挟んで取り出して、テッシュに包んで、マンションの下の庭に埋めてやる。
鈴虫は野菜を入れてやればそれを食っているし、〝鈴虫の餌〟なる物も売っているから、それを入れてやるが、それでも奴らは仲間を食うのか縄張り争いをするのか、兎に角数匹の鈴虫が仲間によって殺されているし、足や羽だけが残っている場合もあるから、虫かごの中が殺伐としてしまうので、そういうものや死骸は取り除く。
鈴虫が全て居なくなってから、マットが乾燥しきらない程度に水を土に二三回たっぷり湿らせて、冬と春を過ぎさせ、五月に入ったら再びたっぷり水をかけておくと、六月の中旬から下旬にかけて、何やら小さく蠢くものを見つける。確認の為に蓋を開けて目を凝らし、「ふうー」と息を吹きかけると、気持ちが悪い程に蠢く鈴虫の赤ちゃんがいる。
「今年も産まれたかー」
少し前までは、その感情が〝産まれてしまったか〟だったが、今では〝よかった〟という気持ちに変わった。
それは、見るからに目で解る程に、形の違う鈴虫が産まれるようになったし、数も減っている。
何時産まれて来れなくなるかーという、不安が生じ始めたからだ。
仮令、小さくて虫かごの中のものだとしても、十数年と孵化させていれば、不思議と夏に居るべくして鳴いている存在と化した。
この〝癒し効果がある〟と言われてはいても、ちょっとうざい存在となっている鈴虫達だが、夏には無くてはならぬ我が家の一員だ。
この音色を聞けなくなるのは、やはり寂しくて仕方ない。
幾度かの脱皮を繰り返して、やっと雄は雄らしく雌は雌らしくなり、そして雄は雌の為に鳴き続ける。
その脱皮の皮も死骸だと思った時もあったが、流石に今ではその違いも解るようになった。
脱皮した直後には体が白いが、羽も伸びず体も乾かぬ内に、知らぬ事とはいえ、餌替をして邪魔をしてしまうと、そのまま妙な格好のままになってしまったり、最悪死なせてしまう時もある。
そんな時は己の愚かさを詫びるしか術はないが、毎年繰り返してしまうのは情けない。