不思議噺 すずころ 其の二
保坂には五つ年上のお兄さんがいる。
保坂も成績は上位の方だったが、お兄さんはその上を行く秀才だ。
中学校から私立の有名校に通い、その上の名門大学に通い、成績も優秀だった。
そんな保坂のお兄さんは、ある夜からとても妙な夢を毎晩見るようになった。
保坂の家は、圭吾の家とは駅の反対側のマンションだ。
其処で毎年お祖父さんから、お兄さんが小さい時に貰って来た鈴虫が孵って、その涼しい音色を奏でる。
多く孵った時などは、お祖父さんの家が一軒屋なので、其処に持って行くと、お祖父さんの知り合いのおじいさんやおばあさん達に、何匹かづつ貰ってもらい、その涼やかで懐かしい音色にとても喜ばれていたそうだが、お兄さんが大きくなり、保坂も大きくなって、お祖父さんが亡くなると、その鈴虫も上手く孵らせる事ができずに、父親の兄が今は住む、〝お祖父さんの家だった〟家には鈴虫はいなくなり、保坂の所で孵化するだけになってしまった。
そんなお祖父さんの、今では形見となってしまった鈴虫が、その年も孵化して、元気に涼しい音色を奏でていた為に見たのだろうーと、最初は思ったのだが、それがそうではないと思う程に、毎晩毎晩同じ夢を見るのだ。
鈴虫は何時もの如く、ちょっと五月蝿い程に鳴いている。
それも保坂のお兄さんの枕元で、〝リンリン、リンリン〟鳴いている。
〝鈴を転がすような音色〟というが、一年に産まれる鈴虫の中で、そんな綺麗な音色を奏でられる奴は、一匹位しか産まれない。
枕元で鳴いている鈴虫も、やはり〝鈴を転がすような音色〟の奴は一匹だけだ。
その〝鈴転〟が、その透き通るような涼やか声で、毎晩毎晩言うのだ。
「ありがたい事に、毎年上手に私達が産まれて来れるようにして頂いて、長い年月が経ちました」
「ああ……、確かに……。お祖父さんの時から数えたら……何十年だろうか?自分が貰って来たのは幼稚園に入った頃だから、十五年は経っている……果たしてお祖父さんは、何時頃何処から貰ったのか?捕まえたのか?」
眠りながらも、お兄さんが考えていると
「しかしながら、毎年新しく仲間を買って来て頂き、新しい血を入れて頂きましても、最早血が濃くなり過ぎました。できれば、私達も前の住処に戻り、新しい血と入れ替えとうございます」
「ああ……確かに……。こう長い事こんな虫かごの中で過ごしているんだ、お祖父さんに言われて毎年何匹か買って来て、他所の鈴虫を入れた所で、血は濃くなっても仕方ない」
此処数年というもの、ちょっと奇形なものや、弱いものが増えて来ている。
鈴虫の生態など解ろうはずもないから、鈴虫何匹に対して他所の鈴虫何匹を、嫁か婿を入れれば良いのかなど解らない。
お兄さんは、大いに鈴虫の言い分に納得した。
「其処でお願いがあって、こうして参ったのです」
そう言うと、鈴転は此の坂下の空き地迄の道順を、お兄さんに説明した。
或る時はその〝鈴〟のような羽音で……。
鈴虫の鳴き声……というが、鈴虫のあの音色は決して鳴いているものではなく、羽を擦り合わせている……というが、擦り合わせているようでもない。
どちらかというと、羽を持ち上げた状態で羽をもの凄い勢いで震わせて、鈴を振るみたいに鳴らしている感じだ。
見る人によって違うかもしれないが、お兄さんはその姿を見ると、不思議と襟巻きトカゲを思い出してならないらしい……ちょっと話が逸れてしまったが。
また或る時はお兄さんが、マンションから此の坂下迄散策したり、宙を飛ぶ形で道順を教えた。
「どうか私達が死んだら、卵を産んだ此の土を屍ごと其処へ捨ててください。私達は、先に行って貴方が来られるのをお待ち致し、再び此の音色を奏でお聞かせ致します」