花見の頃 夜桜の宴 其の四
夜の桜は、昼間の美しさとは違う美しさを放って魅了した。
無論観音堂の桜はダントツだが、観音堂から月明かりに浮かんで見える、他の桜たちも美しい。珍しく満開に咲き誇り、己が一番だと競う様に咲く桜に浸っている圭吾とは裏腹に、いえもりさま達は、例の如く桜見など他所に、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだー。
桜色に輝く桜を照らし出す月明かりを背に、踊りまくりはしゃぎ回るいえもりさまやがま殿は、エロピンクへと変化して、見慣れないこの辺りの生き物や、もののけ達と入り乱れて乱痴気騒ぎも甚だしく、一体〝夜桜の風流〟たるものは、何処へ行ってしまったのやらー。
そんな事を柄にもなく思っていると、いえもりさま達とは、だいぶ異なる様相を醸し出したもの達が、重々しくやって来た。
「これはこれは……」
いえもりさま達と楽しげに踊っていた白鼻芯が、丁重な面持ちで近寄って、深々く頭を垂れた。
「我らも桜の花見を終え、そろそろ参ろうかと思い、稲荷大明神様の使いにて、観音様にご挨拶に参りました」
「それはご丁寧に……観音様はお堂にてお待ちにござます。ささ……」
白鼻芯はそう言うと、大層畏まって重厚な一行を観音堂へと案内して行った。
「誰?何もの?」
圭吾は、エロピンクに変わり果てたいえもりさまに聞いた。
「直ぐ其処の稲荷大明神様の眷属様方にござまする」
「けんぞく?」
「稲荷大明神の使者って事」
圭吾がスマホ検索する前に、友ちゃんが教えてくれた。
「使者?」
「まぁ、神様の意思を伝えるもの達だよ。稲荷大明神は大体狐だっていうけど、本当なんだな」
「稲荷大明神……ああ、神様なわけか」
「うん。いろんな所にお稲荷さんってあるじゃん?其処の置物は殆どが狐だぜ」
「うーん?そうか?見た事ないなぁ……」
「はは。東京の大学行ってたら、よく見かけんじゃね?赤い鳥居や石の鳥居、可愛い狐の置物も有れば、かなりやばいのもある。以外と東京の下町には多いぜお稲荷さんっうか、お地蔵さんとか……えっ?まじ知らね?」
「うーん、あんまり気にしてないからなぁ……」
「はは、けいちゃんらしいや。俺はどちかっていうと興味ある方だかんな。民間に根付いた〝道祖神信仰〟……それに、ぬし様やがま殿に会ってから尚更だ」
「まぁ、普通はそうかもなぁ」
「若が無さ過ぎるのでござります」
ここぞとばかりにいえもりさまが言うからムッとくるが、本当だから仕方ない。
そうこうして圭吾がムッとしていると、観音様にご挨拶を済ませた眷属様方が、重々しくもしめやかにやって来た。
「どうかお健やかに……」
先程の白鼻芯が深々と頭を垂れた。
「その方がたもご健勝で……。彼方に参りましたら、土の子様とこの地を見守っておりましょう」
「どうか、土の子様と共したもの達にも、宜しゅうお伝えくだされませ」
「いやいや、彼方へ参ったもの達は何ひとつとして悩みは無いが、残りしものの方が悩ましかろう」
「この分で参りますれば、そう遠くなく我らも彼方へ赴く事となりましょう」
「だがそれまでは、ご健勝であられよ」
「ありがとうございます」
言っている意味は、側に居る圭吾ですら理解ができる。
つちのこ様のみならず、この世に居られなくなったのか、居るのが嫌になったのか……。ぬし様が行った〝彼方〟へと行くのだと、疎い圭吾でも理解できるようになった。
「あのー」
友ちゃんが深々と頭を垂れ、持ってきた酒瓶を高々と頭の上に持ち上げて、眷属様の目前に差し出した。
「この者は?」
「観音様のお招きで、桜見に参った者にございます」
「ふーん。あの時の童共か?人間とはこうも早く大きくなるものか……」
「ご存知の者にございますか?」
「稲荷大明神様に、お目を止められし者にございます。童でも珍しく、お姿を拝見する事を許されし者達で、約束を違えず大人どもには決して口を割らずにおった者達……。最後に逢えたは感慨深い。大明神様にお伝えせねばー」
「ならば、どうかこのご酒を土産にお持ちください。ぬし様にも差し上げたものでございます」
「ほう?ぬし様にもか?ならば頂戴いたして参ろう。大明神様も懐かしがられよう」
側に居た眷属様のひとりが、おもむろに友ちゃんから受け取った。
「我らを覚えておるか?」
「はい。またお会いできて光栄です」
「そのようなもの言いが、できるようになろうとは……」
眷属様は、先程までとは全く違う表情を浮かべて言った。
「其方達は、ここら辺りの住まいの者か?」
「いえ」
「あっち側の、ぬし様の処の者達にございます」
「ぬし様の?ならばよかろうがー。近々我が主の稲荷大明神様の裏山の地が動く」
「動く?と申されるのならば、山崩れで家々も土砂で流されてしまうのですか?」
「いや、我が主の本殿が身を呈して最後の護りを致す故、家屋は多少なりとも壊れようが、大事には至るまい。だが大明神様が鎮座するべき処が崩れ、近くの池や沼も泥が流れ込み、小さな生き物達は生きておれぬ故、生ある内に大明神様と共に彼方へ連れて参るのだ」
「ならば直ぐに戻っておでになりますか?じきに被害にあった家屋は元に戻り、人々の生活も戻ります」
「村人が望めば、戻って参る事もあろうが、今の世に我らを仰ぎ見る者共が、おるものだろうか?」
「います!絶対、稲荷大明神様の護りの力で、大事に至らなかったと悟る者が、絶対います。だから、その時は必ずお戻りくださるようにお願いしてください」
「なぜ其の方がそこまで言うのだ?」
「だって、俺が……私がそうだから。稲荷大明神様も観音様も信じているし、信じていたら、こうしてお目もじが叶いました……。そんな人間、屹度今でも絶対いるはずです。私達がいるように……」
「ふむー。些か彼方へ赴くにあたり、心安からぬ処もあったが、其の方の言葉を聞き、心持ちが軽うなった。大明神様にも、其の方の心をお伝えいたす事と致そう」
眷属様達はそう言うと、静かに歩いて見事な桜の大木の前に立ち止まった。
「今年も見事な花を咲かせたな」
「恐れ入ります」
「数日の内に地が動き、悪しきものを吐き出し良き気が巡って参ろう。さすればまた暫くは、不自由も無くなろう。だが桜よ、決して咲き急ぐでないぞ」
眷属様はちらりと友ちゃんを見た。
「よいかお前はまだまだ、観音様のお側におり、気鬱の多いこの世に住りし観音様を、お慰めいたすのだぞ」
「はい。肝に銘じます」
「うむ」
そう言うと眷属様方は、大きく桜の大木を見渡したかと思うと、月明かりに浮かぶ桜の花に紛れるように消えて行った。