春彼岸 彼岸の行人(こうじん) 其の四
そんな世間のお彼岸とは、ちょっと違うお彼岸に入った頃ー。
「なんか最近不思議なもの見ちゃうんだよね」
夜中にトイレに行った圭吾が、天井に張り付いているいえもりさまに呟いた。
「なんか……。こう……黒くて小さな物が、視線の端っこにちょろちょろ映るんだよね……。昔見たアニメの黒くて丸くてちょろちょろ動くやつ……。マジあり得ねけど……」
「マジにござりまするか?」
「マジだよ〜これはかなり萎えるわ……」
圭吾が萎えていると
「……それは話しが早うござりまする」
いえもりさまが言ったので、圭吾はちょっとキレた。
「はあ?何が話しが早い……だよ」
物心ついてからこの方、シックスセンス的なもの全て感じた事が無かった圭吾が、視界の端っことはいえ、見た事も、本当なら見る事すら無いものを、此処の所見てしまっていると、萎えているのに此の言いようはないだろうー。いや絶対ないはずだ!
「いえ実をもうしますると、此処の所暫し其処のご老人が、若にお願い事がおありのご様子で……」
「は、はあー?」
圭吾は思わず、いえもりさまが指差す方向と別の方向に身を縮めて、その方向を凝視した。
「ま……まじ?マジいんの?超絶怖え……すけど……」
……とは言うものの、暫くじっと凝視しても、全く全然皆目判らない。
「ええ〜マジ?全然わからん」
とにかくじっと、暗闇の中を凝視し続けたが、何にも変わらないので、圭吾は慣れてきてしまった。
「ほんにおわかりでないので?」
「うん……ってか、急に目の前に〝ガガーン〟とこうして現れて、〝ギャー〟なんて事にならないよな?」
「若……申し訳ござりませぬが、その通りにござりまする」
「へっ?」
「若のもうされまする通り、ご老人が〝ガガーン〟と若の目の前に……」
「うそだぁ?マジ見えねえんすけど」
圭吾は自分の目の前に手をやり、手探りするが何にも感じない。
「若……流石にござりまする」
いえもりさまも、流石に呆れているとしか聞こえない言い方をした。
「盆ではござりませぬが、彼岸のーまして我が家が異常のこの状態で、尚且つご老人が放つ念のこの状況化で、それでも全く何も感じぬとは、違う意味で天晴れにござりまする」
「それって、決して誉めてねえよな?ってか、馬鹿にしてね?マジむかつくわ」
「そうもうされましても、ただただ感心いたす限りにござりまする」
「はあー。意味わかんねーってか、爺さん側いんだったら、マジうぜーから離れてくんね?」
ビビりでチキンの圭吾だが、流石に傷つくっていうか、ムカついて怖いとか恐ろしいとかは無くなってしまった。ーというより、見えも感じもしなければ、近くに居ようが遠くに居ようが、怖いはずは無い。
怖いというのは、金縛りにあったり、のしかかられたり、首を絞められたり、聞こえないものが、それは恐ろしく聞こえたり、この世のものとは思えないような、悲惨で恐ろしい血だらけの姿とかを、〝ガガーン〟と見せられたりするとか、するかもしれないと思うから怖いので、側に居ると言われても、何にも無ければ怖くならないまま、人間は慣れてしまうものらしい。
「……で、まだいんの?」
「はい」
いえもりさまは、申し訳なさそうに言うと、そろそろと圭吾の側に降りて来た。
「ご老人は、若にお願いがおありだそうにござりまする」
「げっ!マジかあ?」
「はい……」
「聞いてあげれるかどうかわかんねーけど……」
「桃の花を坂下のお家の玄関に、供えて欲しいとの事にござりまする」
「桃の花?」
「以前ご老人が植えて育てた桃の花にござりまする。その花を奥さまは、ご老人が体を壊し寝込むと、切り倒してしまわれました」
「えっ?酷え婆さんだな……」
「はい。とても酷い婆さんにござりまする。ご老人が寝込んで寝たきりになると、介護など形ばかりも致さず、それどころか、ご老人が大事にしていたものを、ことごとく捨てたり切ったりいたしたそうにござりまする。娘ごの為に植えた桃の木もその一つで……。ご老人はベットの上で、子供達との会話を聞き、日々涙して暮らしておられました。そんな或る日、とうとう可愛がっておられた、〝たま〟という猫を家の外に追い出してしまわれました。ご老人はそれはお怒りになり、声にならないその口で、涙を流されながら、叫ばれましたが、奥さまは知らぬ顔で、外で鳴いて入れてくれろと言うたまに、餌も与えず酷い仕打ちをするのを、ベットで聞きながら血の涙をながされました。
しかしながら、たまはお向かいのご老人のご朋友に餌を貰い、軒下を借りて雨露を凌ぎ、毎日ご老人の回復を祈りましたが、その願いも叶わずご老人は、奥さまへの怒りを残し息絶えられました。たまはご老人が死んだ事を知らぬまま、優しかったご老人を思いながら、門の外で眠るように息絶え、そして我が身が朽ちた事をわからぬまま、ご老人の事を思い、ずっと家の前や、奥さまがおられぬ時には、庭に入りご老人を探しておるのだそうにござりまする」
「へー、クソばばあの所為で、可哀想だな」
「さようにござりまする」
いえもりさまは、圭吾には全く見えない老人の話を聞きながら、うるうるとして、たまに鼻をすすったりしている。
ーマジほんと、こいつら鼻をすすれんのかいー
心の中で突っ込みを入れている。