春彼岸 彼岸の行人(こうじん) 其の一
灯りをつけましょ雪洞に~
お花をあげましょ桃の花~
五人囃子の笛太鼓~
きょうは楽しい雛祭り~
かなりの調子はずれな歌を、いえもりさまは朝からずっと歌い通しだ。
仏壇と使っていない神棚がある、ばあちゃんの部屋だった部屋の桐たんすの上に、母親が母親のお祖母ちゃんに買ってもらった、小さなお雛様達が居る。
大きな雛壇飾りではなく、小さなガラスケースに入った、コンパクトなお雛様達で、一応右大臣左大臣に三人官女や五人囃子も仕庁まで居る。小さいけれど立派なお雛様達だ。
子どもがなかなかできなかった死んだばあちゃんは、やっと金神様のお陰で授かった母親を、男の子だと思って産んだが、残念な事に女の子だった。
それでも猫に酷い事をした祖父さんは、授からないと思っていたから、女の子でも大喜びで、母親に最上の愛情を注いだが、落魄れたとはいえ武家の風習が微かに残っていた、金神様に信仰心のあった曾祖母ちゃんが、女の子の大きな雛壇飾りは、戦争で寡婦となった長女の一人娘の、大きいお雛様が有るから、もう一つは要らないと言ったそうだ。
世帯は別になっていたが、長男に跡取り息子がいた為、次男のそれも女の子なら尚更の事、おざなりな扱いをされても仕方ない事だった。
死んだばあちゃんは、それを母親のお祖母ちゃんに伝えたが、どうしてもお雛様を送りたい母親のお祖母ちゃんが、コンパクトで可愛いお雛様を送って来た。
それはケースに入れられて毎年雛祭りの日の前に出され、そして雛祭りが済むと、簡単に大事に仕舞われてきて、母親の大好きなお雛様となり、今は女の子の居ないこの家で、こうしてずっと桐たんすの上に置かれ、雌猫達の〝お雛様〟となった。
雛祭りには桜餅と雛あられが、お雛様のケースの前におかれ、桜餅を楽しみにしているいえもりさまは、朝からとてもご機嫌で歌っているのだ。
母親が〝女の子〟の頃は、この他に菱餅や白酒なども用意されたが、母親は余り好きではなかったから、男の子の圭吾が生まれ、喜びの涙が引っ込んでしまった時から、雛祭りに上がらなくなってしまった。
桃の花は猫が倒してしまうので飾られない。雛あられはその時によって有る時がある。
「こちらのお雛様は、母君様が大事に大事になされておりまするゆえ、穏やかなお顔をなされておいでにござりまする」
いえもりさまは、桜餅を葉ごと頬張りながら講釈を垂れる。
我が家のものは、圭吾よりいえもりさまがよく知っている事が多いのだ。
長く生きている分ー。
「近頃は、若さまが滞りなくネジをお巻きくださりまするので、時計も止まる事もなく動いておりまする」
いえもりさまは、ホクホクと目を細めて、母親と同い年の柱時計を見つめて言った。
左側の口元には桜餅の餡が付いている。
「あら?珍しく桜餅の桜の葉も一緒に食べてんのね?」
「あ?ああ……」
流石の母親もいえもりさまに気づかないーのかと思いきや、いえもりさまの方で見事なまでの素早さで神棚の上へと戻っていた。
流石ナイスだぜー。
「もう兜とかも出すの面倒だから、これみたくケースに入れて此処に置こうかな?」
「出しっ放しってこと?」
「そうそう……お雛様も出しっ放しは駄目だとか、仕舞い遅れると行き遅れるとか言うけど、気を付けてもなるものは成るものよ」
「なるほどーってか、面倒なだけだろ?」
「へへへー」
「何がへへへーだ」
只々面倒臭いだけなのが有り有りだ。
「あら……まただわ」
「なんだよ?」
「うん……。たまに家の中の電気関係がおかしくなんのよ」
「はあ?」
「ほら蛍光灯が点いたり消えたりしてるでしょ」
「あー本当だ」
「だけど、二、三日前に替えたばかりなのよ」
「マジか?」
「マジマジー。あんたが生まれる前からなのよ。居間の蛍光灯がこんな風になると、次から次と電化製品がおかしくなんの」
「へえー知らね」
「何年か置きにこうなるんだけど、ほら家ってちょっと〝変〟だからさ」
「変?ー古いのはわかってるけど……」
「はははそうだけど。まだ私が二十歳頃だったかなぁ?あの我が儘じいさんが生きてたからねー。炬燵の上にリップクリーム置いといたのよ」
「はあ?リップ?」
「そうそう……クイクイってこうして」
と、母親は唇に塗る動作をして見せた。
「そして此処にこうしてちゃんと炬燵台の端に置いて、夕飯までうたた寝したの……そうしたらさ、無いのよリップがー。もう炬燵の中まで探しまくっても無いの。コロコロ転がって、どっか入り込んだと思うじゃない?まだ元気だったばあちゃんと、私のお祖母ちゃんに掃除で出て来たら取っておいてくれるように頼んで……。そうしたら見つからないのよ。翌日も翌々も……その次も……。もう仕方ないから一つ買ったわよ。そしたらねー出てきたのよ」
「まったく大袈裟だなー」
「何処にあったと思う?」
「わかる訳ねえじゃん」
「炬燵の上……」
「へえーずっとあったのか?間抜けだなぁ」
「あっ!今やりかねないと思ったでしょ?それが違うんだ。掃除する時は一日置き位に、炬燵をあげて掃除してたのよ。ーって事は、炬燵の台も片付けて、布団も全部片付けてたから、台の上に置きっ放しは無あり得ないわけ。ーで、掃除が済んで炬燵を作り直して座ったら、ちゃんと置いた場所にリップがあったのよ」
「ーじゃ、誰か見つけて置いたのか?」
「そうそう……私もそう思って聞いたさ。でも、祖父さんもお祖母ちゃんもばあちゃんも知らないって」
「ーって、きっと惚けたんじゃね?」
「……なんで惚けんの?いい年した祖父さん祖母さんが?流石にその時はきみ悪かったわ。リップクリーム二つになっちゃってー。丁度あの頃、四次元の世界の話しが流行ってて、多分其処に入り込んだんだろうって思う事にしだけど、それからもちょこちょこと、そんな事有ったりすをのよねこの〝家〟」
「マジかー」
「そうしたら、今度は居間の蛍光灯がおかしくなると、電化製品が壊れたり、おかしくなっちゃうのよ。ーそれもなんだろうって思うけど……。まあ〝不思議な家〟だからさ。ただ困るのは、それが長く続くとお父さんがおかしくなってしまうのよね」
「おかしく……って、いつも可笑しいけど?」
「まあ個性的だけど……具合悪くなったり、鬱ぽくなって変なこと言ったり?まあ、あの頃から個性的になったんだけどねー。今回も早めに蛍光灯を直して、電化製品が壊れないようにしなくちゃ……」
流石母親だ。〝変なこと〟を平然と言って平然として、チカチカと点いたり消えたりしている、蛍光灯を取り替えている。