出会い 鬼の契約書 其の三
「あのー、何時もの“いえもりさま”っすよね」
「はい。何時もお目もじいただいております、“いえもり”でござります」
小さな体の“いえもり”さまは、三角形の潰れた顔を下げて会釈して言った。
「御先代さまは、私めを“いえもりさま”とお呼びくださり、お目をかけてくださりました」
確かに、ばあちゃんは家守を“いえもり”さまと呼んで、家を守ってくれているのだと言って大事にしていた。
「窓の下に、凌霄花をお植えくださりまして、蟻や虫が私めをひもじくさせる事はござりませなんだ。それを受け継がれまして、主さまも若さまも、私めを見かけてはご挨拶くださり、やんちゃな此の家の猫共からお守りくだされました。ほんに、ありがたき次第でござります」
ちょっとー。かなり不思議な日本語だが、まあ言いたい事は通じる。
「先々代さまは、生き物がお嫌いで、一度も出て参ったことはござりません。なにせ、姿を見せようものなら駆除されてしまいますゆえ.....」
「いえもりさまは、“はちゅうるい”だよね?」
「ーああ、そのように呼ばれた時期もござりましたが、今はそれとはちと違います」
いえもりさまは、ぎょろりと辺りを見回すと、冷蔵庫と食器棚の隙間に素早く不気味な動作で動いて、瞬時にゴキブリを獲って食った。その仕草がかなり不気味だ。
ーおえっ。いえもりさまグロ過ぎっしょ。
圭吾は直視できずに横を向いて、こみ上げて来るものを我慢できずに悪心した。
「若さま。若さまのお嫌いな〝こやつめ〟を、退治仕りましてござります」
「はっーそれはどうも」
いえもりさまが側に寄ったので、後退りする。
「失礼仕りました。以前より家内に参上仕りたく思っておりましたが、家主さまは、私めの容姿に馴染めぬご様子に、此処の猫共の悪さをご心配もくださりましたゆえ、入る事はご遠慮申しておりましたが、そのようなご遠慮さえいたさねば、鬼からお守りできたものをー」
いえもりさまは口惜しげに言った。
「鬼ーすか?」
圭吾は耳を疑って聞き直した。
「左様で。あの憎き鬼め。たとい、此の小さき我が身でも、家内にいたならば、お命だけでもお救いできたものをー」
いえもりさまは、地団駄を踏むように言った。
家守ー。
爬虫網有隣目ヤモリ科ヤモリ属に分類されるトカゲの一種。
「うーん。いえもりさまは、ペットとしても飼われてんだ」
圭吾はスマホで検索しながら言った。
「ーそれは、ちと私めとは違うものでござりまするが」
慣れてみれば、なかなか愛嬌があって、可愛く見えてくる。
ーそういえば、イモリを飼っている奴がいるー
別に飼っている訳でもないのに
ー家の外に家守がいるー
と言うと、かなりのリアクションで羨ましがられた。
あいつに“いえもりさま”を見せたら、なんと言うだろう。
「ー若さま」
圭吾が爬虫類好きの友人の事を考えていると、いえもりさまが、妙に可愛い格好で立ち上がって呼んでいた。
「ああ、何でしょ?」
余りに器用に吸盤を使い、立っている姿が可愛くて写メを撮る。
「あちらに有ります、柱時計のネジを回してはいただけませぬでしょうか?」
「ああ、あれ?」
台所に続く隣の部屋の柱に掛けてある、旧式のネジ巻き時計を見て聞いた。
「はい。左様でござります。あの主さまと同い年の時計でござります」
「へえーいえもりさま、よく知ってるね」
圭吾が長身を活かして、踏み台を使わずに時計のネジを回していると、いえもりさまは、ゴキブリの時と同様の素早さで、圭吾の肩まで登った。
「うわ!」
可愛いと思うようになったとはいえ、やはりちょっと不気味な生き物だ。圭吾は思わず大声をあげた。
「ひえ若さま、いかがなされました?」
いえもりさまもびっくり飛び上がった。
「いや、俺ってチキンだ」
「ち・き・んでござりまするか?」
「弱虫って事かな?」
ネジを巻き終えると。文字盤下の振り子を左右に動かす。
カチ、コチ、カチ、コチ.....。振り子時計特有の音を立てて、時計が動き始めた。
「此の音が五月蝿くてさ」
圭吾は母親が愛した、同い年の時計を見つめながら言った。
「此の音の何処が五月蝿いのだ」
「いやあ、此のコチコチがさー。それに、毎月ネジ巻くのも面倒だしー」
言い終えて圭吾は、肩の上のいえもりさまが、言ったのでは無い事を察した。
「げ」
振り向いて圭吾は、宙に浮く薄ぼんやりとしか見えない、得体の知れない何かを見つめた。
「ほんにチキン者よ」
得体の知れない何かは、豪快に笑って言った。
「これは金神様」
「こんじんさま.....?」
「ふむ.....、解らなければこれで調べよ....」
金神様は右手を左右に動かす素振りをして見せた。
「ー??」
「ほれー、こうじゃ、こうー」
金神様は左手に何かを持った格好をして、右手を動かして見せている。
「もしかして.....」
圭吾はスマホを取り出して金神様に見せた。
「ほう、それよそれー」
大喜びで右手を左右に動かす。
「ああ、なるほど」
スマホで検索しろということだと合点して、圭吾は“こんじんさま”と入力して、検索した。
「出たか?」
金神とは、方位神の1つ。
金神の在する方位に対してはあらゆる事が凶とされる為、此の方位を犯すと家族7人が死ぬ事になり、家族が7人いない時は、隣の家の者まで殺されると恐れられている。
「7人祟るんすか?七殺ってすげえな.....、金神様って最強神」
「ふふん、まあな」
金神様は踏ん反り返った。
「ああ、祟り神って..... 、 イノシシ?」
「イノシシとはかぎらんわい」
「あ、なんかで見た祟り神が、イノシシがなってたんで、つい」
「おお、わしもそれは知っておる。実に心に染み入る映画であった」
「金神様は映画をご存知なんすか?」
「知っておる。映画とやらも、テレビとやらも実に面白い。いたって気にいっておるーが、お主がそんな知識しか持ち合わせんとはー」
金神様はがっかりしたように言った。
「いやいや、知ってる人間がおかしいしょ」
「まあ、動物が酷く怨みを残して死ねば、祟り神になる事はあるーが」
「金神様って陰陽五行説からうまれた凶神なんだ」
「はん。勝手にそう言っているだけだ、わしは昔々からちゃんとおるわ」
金神様は不機嫌になった。なんと解りやすい神様だろう。
「おっ、艮金神様っていう超最強金神様ってのがいる」
「なんとー?」
金神様はスマホを覗き込んで憤った。
「なんとー。艮金神となー」
金神様はまじまじとスマホを睨みつけているーように思える。
圭吾はちょっと可笑しくなって、何故だかいくら覗き込んでも、はっきりとしない金神様の顔を見た。