不思議噺 思い出の中の風景 其の前編
小さい頃にほんのちょっと住んでいた、山の上の家の風景………。
私がずっと、忘れられずにいる風景………。
其処が武蔵野と云われる所であったか、少し外れた所だったのか、幼い私には解る筈は無い。
ただ大人になって、武蔵野という言葉を聞くと、其処の景色が浮かんでくる。帰り道に手にしたススキと共に……。
今となっては不思議で、そして私の頭の世界だけにしか存在しなくなってしまった、父とほんのちょっと暮らした、それは魅力的な所……。
早くに亡くなった父と暮らした、その思い出の地は、山の上にあったと母が語っていたから、だから私は山の上だと思っているが、決して登山とかで登る様な山の上ではなかったし、少し歩けば車が頻繁に通る、大きな道路もあったし駅も在った。
其処に行くまでには、ただ畑がずっとあるだけで、住宅もポツリポツリという感じで点在していたが、殆どが畑や空き地だった。
その大きな通りを渡った先には、ブルトーザーやダンプカーが置いてあって、開発の途中だったのかもしれない。だから今はきっと、驚く程に沢山の住宅が建ち並び、高い建物が建っている事だろう。
私が夢に見る程に思い出すのは、其処の光景では無くて、其方に行く方向とは別の、かなり離れた小学校へ行く方の光景だ。
車が一台通れるかどうかという道の周りは、草や木が茂っていて、住宅もちょっと先に点在し、ほとんどが畑だった。
そんな道を道なりに歩いて行くと、茂っていた木々達が一瞬無くなって、谷の様に抉れた所が見えて来る。其れを左手に見ながら歩くと、右手には数件の住宅が建っていて、その谷の様な所と、垣根越しに見える住宅との間を少し歩くと、子供心には忘れられない、怖い程に暗く木々が生い茂る、森が口を開けている様に現れる。
その森へ入りたくは無いが、入らなくては小学校の在る街には行けないので、恐怖を抑えて進んで行くとうっすらと暗くなって、其処から坂を下る様になる。
ずっとずっとずっと………子供の私が思う森の中を……。
今でも不思議でならないのだが、その森は決して真っ暗では無くて昼間ならば薄暗い程度だった。だが木々が驚く程に生い茂っているので、明るいわけはない。たぶん車が通れるくらいの道を開いたから、其処の木々が存在しなくなり、陽が差し込んで来ていたのだろう。
其処に昔から住む、土地の友達の家に遊びに行った時、私は今も忘れられない程の衝撃を受けた。それは未だ明るい森の道から奥に、ちょっと行くと、ぐっと暗くなって木々しか見えなくなるのだが、其処を少し行くとまた開けて明るくなり、友達の家が現れるのだ。
それは実にファンタスティックで、不思議な世界で、それでいて怪しくもとても魅力的な光景だった。そしてその友達の祖母の家へ行く時は、その森の何時も私が通る道を隔てて、深く暗い森の中に進み、そして同じ感動の光景を目にするのだ。
つまり木々を伐採して開いていなければ、かなり暗い森だったのだろう。そしてそんな森林の中に、友達の親戚は家を建てて住んでいた。
そんな友達の家や、友達のおばあちゃんの家を通り越して、もっともっと薄暗く怖い坂を下りて行く。その怖い坂の道の両側には、高く聳える木々が立ち並び山肌も見えていた。そして所々に自然の恵みがなっていた。
今思えば野生の植物や、その実がなっていたのだろうが、私が覚えていて美味しかったのは、〝蛇苺〟と母に教えられた、赤か橙色の実だけだ。
いろいろ口にしては危険な物も在ったらしく、理解力がない私は、これしか口にする事が無かった。だが、大人になって、蛇苺という物を口にした事があったが、あれ程美味い蛇苺には二度とお目にかかれなかった。