十三夜 ぬし様の別れ 其の六
圭吾は煌々と輝く月の明かりに照らし出される、広々と広がる野原を、いえもりさまに促されて歩いた。
眼前には青々と草が茂り、野の花が咲いていて、人家が点々と申し訳程度に建っているだけだ。
振り返っても、我が家と数軒の家々が建っているが、圭吾の知っている町並みではないし、家など半分以上も建ってなどいない。
今では、車がすれ違える幅の通りの向こう側は、駅迄松林がずっとあり、家やら小さな商店やらが建っているが、本当に数件だ。
駅も小さくその周りの商店街も、今とは違う形で存在していた。
「駅はあるんだなー。一体いつ頃の時代だ?」
「母君様が思い懐かしんでおいでの頃でござります」
「また、なんで此の時代?」
「たぶん、若さまにお見せしたいと思って於いでの念が、此の時代をお見せしておるのでござりましょう」
「へえー。だけど本当に野っ原なんだ」
「此れ以前は、一体が林でござりました。それ以前は山でござります」
「ああー。あっちの山を下って……。あの坂道を上るって事は、山を登るって事かー」
「左様で。そして彼方が平地となり、人々は田を耕しておりました」
いえもりさまが吸盤を指す方に目を向けると、そちらは小学校がある。
「そして此方をずっと進みますれば、ほれ畑地が続き、人々は畑地を耕しておりました」
再びいえもりさまの吸盤が指す方を見れば、其処は今歩いている先ー。友ちゃんのご本家の畑とお墓がある。
「じゃ、此処は野っ原じゃ無く畑?」
「いえいえ、此処は松林でござりました。住宅地にするが為に、此の辺り一体の松林を切り開いたのでござります。まだ開発途中に見た此の景色が、母上には美しく懐かしく、脳裏に残っておありなのでござりましょう」
「なる程ね」
幼かった母親が当たり前のように記憶した此の景色は、次に来た時には開発され家が建ち、跡形も無くなってしまっていた。夢の中の景色となってしまったのだ。
直ぐに消え去ってしまった記憶ゆえに、母親にはとても美しくて、かけがえのない聖地として残ってしまっているのだろう。
すすきの脇を歩くとその白くて綺麗な先が大きく揺れた。
真っ黒な夜空に煌々と輝く月の下にあって、穂先が光にきらきらと本当に綺麗だ。
圭吾には全く縁も無く、今や見る事も余り無くなってしまったすすきだが、柔らかくてしなやかな、素朴な美しさが本当に綺麗で、まん丸く見える月に映えて、古代の人々が月に飾して楽しんだのも、わかるような気がした。
面倒臭い事が嫌いな圭吾が、歩くのも厭わず、母親の愛した記憶の中の野原を歩いて行くと、家を出てからずっと少しづつ傾いていたのだろうー。ご本家の畑に足を止めて振り向けば、小高く山のようになっているのが理解できた。
ー今は坂道の道路となり、開発され家やマンションが建っているので、考えた事もないがー。こうして、黒い土が広がって草が茂っていると、小高い山が目の前にあって、今更ながらに納得させる。
「山ーだ。低くて小さいけどー。山の上に家があるー」
「ささ若ー」
立ち尽くす圭吾を促すようにいえもりさまが声をかけた。
畑が広がる其の先に、真ん中にある林が目に入った。
なんの作物なのかー。気に留めることも無く圭吾はいえもりさまに促されて進んで行くー。
林の前に来ると圭吾は飛び跳ねるような格好で退いた。
「うわぁ」
「何事にござりましょう若さまー」
「何事もなにもー」
圭吾が凝視する方へ大きな目を向けたいえもりさまが、きょとんと圭吾を直視した。
「若さま、がま殿にござります」
「が……がま殿?」
「左様で。ぬし様の従者のがま殿にござります」
「ぬし様のじゅうしゃ?」
圭吾は落ち着いてしみじみと見下ろして〝がま殿〟を凝視するが、どう見たって大きなガマガエルにしか見えない。
「がま殿、此方が我が主の若主さまでござります」
「おお……。此れは此れは若主さま。わざわざのお運びいたみいりまする」
「は……はあ……」
〝じゅうしゃ?〟も〝いたみいりまする〟も圭吾にとって意味不だが、此の状態では、得意とするスマホ検索もまま成らない。此処は全てスルーという事でー。
わからなくても、差し障り無くきっと、話しはつながる事だろうー。
「若主さま、ぬし様がお待ちにござります此方へー」
今度はがま殿に促され林の中へー。
すすきの茂みを分け入り、樹々が鬱蒼と立ち並ぶ中を進んで行くと、パッ!と明るく大きな月が照らす一画があって、まるでスポットライトが当たっている舞台のように、其処だけがポカリと明るく光が差し込んで、浮かび上がるように照らし出されている。
「金神様ー」
金色に輝く大蛇の隣で光を受けながらも、なぜかぼやけて見える金神様が、うっすらと赤みを帯び、座して盃を口元へ持っていって圭吾を見ている。
「おお……。此れは此れは、家守り殿の所のー」
大蛇が大きく身体を動かして声をかけた。
「我が若主でござりまする」
「若主殿かー」
「あ、田川圭吾っす……」
びびりの圭吾が後ずさりするように挨拶をした。
本当に月の光を浴びて金色に輝く大蛇は太くて大きかった。その大きな口をパカリと開けて飲み込まれたら、デカイ方だと自負する圭吾ですら、一発で飲み込まれてしまう程の巨大さだから、ぬし様だと理解していても、やはり途方もなくびびってしまう。
優しく声をかけられても、金神様が側に居ても、いえもりさまが居ようとも、やっぱり怖いと思うのは仕方がないと思う。
「実に懐かしい酒を頂いた。真にありがたい、礼を申しますぞ」
「あっー、いえ」
圭吾は恐る恐るゆっくりぬし様を見上げるようにした。
とてつもなく巨大で怖いが、落ち着いてよく見ると、ぬし様はきらきらと月の光を浴びると輝いて、とても綺麗だった。
此れが神々しいーってやつだろうか。
「此の酒は真にわしにとっては、懐かしく美味い酒なのだ」
表情が変わる事はないが、ぬし様はしみじみと言った。
「かつて此処らの者達が、わしを尊び美味い物を供えたが、その中でも此れはわしを満足させるに足りる美味さであった。よく其処の入り口で酒盛りをし、わしを心地よいものとしてくれた」
ぬし様はとても懐かしげに呟いた。
圭吾は、懐かしげに遠い目をするぬし様の目線の先を見て
「友ちゃん?」
声を発した。
今圭吾がやって来た方角から、友ちゃんががま殿に促されてやって来たからだ。